機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~   作:灰鉄蝸

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マリヴォーネの闇

 

 

 

 

 

 

 

――マリヴォーネ旧市街に大きな狼が出た。

 

 

 そんな馬鹿げた噂がマリヴォーネ市民の間に広がるまでは早かった。元々、マリヴォーネは人口数万人の小さな街である。夜間と言えど観光客相手のレストランやカフェ、バーは開いているから、そういう店の客たちが情報交換していったのである。

 

 マリヴォーネは政策として富裕層の定住を促していたこともあり、上流階級の住民の間の情報ネットワークは極めて鋭敏に機能している。

 であるからして市警や騎兵中隊に伝達された命令も、それとなく住民に伝わるのだ。その狼というのがある種の戦闘兵器である可能性を示唆する、マリヴォーネ治安当局の対応もまたすぐに衆目にさらされることとなった。

 

 

――これはテロなのではないか?

 

 

 そういった疑念が市民の間に広まるまで、わずか数時間。住民の多くは外出を取りやめ、自宅に帰るなどして人混みを避けるようになっていった。

 一方でマリヴォーネに休暇で訪れていた観光客はそうではなかった。彼らはせっかくの休日を楽しむことを優先していたので、銃声が響いたあともカジノで遊びほうけることを止めなかった。

 

 第一、マリヴォーネ騎兵中隊まで出動しているのである。多少、トラブルがあったところでそう恐れる必要などあるまい――そのような楽観的な姿勢が、この地を訪れていた観光客の大半の姿勢であった。

 

 ある種、慎重になっている地元住民――バナヴィア人ではない人々も大勢いる――と、これまたバナヴィア人以外の富裕層が大半の観光客。

 自治都市マリヴォーネを構成する人々は、その大半がバナヴィア人ではなく、それゆえにこの地では肌の色や喋る言葉、宗教や出身地を理由にした差別そのものはほとんどない。ある意味において、この街は公平であり――同時にある一点でとてもはっきりとした差別を内包している。

 

 すなわち富めるものであるか否か。

 都市マリヴォーネのすべては富めるものが豊かに暮らし、税金を逃れて財産を蓄えるために存在している。この自治区独自の特権、数々のルールが意味するのはとても簡潔であった。

 

 ここではお金で買えないものは存在していない。流石に前時代的極まる奴隷制度は否定されているものの、金持ち専用のあらゆるサービスが用意され、行使されるという点においてマリヴォーネ市はとても快適なのだ。

 

 金持ちではない人間の役割はまさにここにある。彼らは富める人々の楽園を維持するためのサービス、その礎として働くのが役割なのだ。

 戦火に見舞われた故郷を逃れ、流れ着いてきたバナヴィア人。ベガニシュ帝国の軍事侵攻によって祖国を追われたズァレン人。そういった立場の弱い人々を、ある種の階層構造に組み込むことで、マリヴォーネ市は成り立っている。

 

 マリヴォーネ市民として選挙権を持ち、各種行政のサポートを受けられるのは厳しい条件を満たした上流階級の人間だけ。

 それがバナヴィア戦争以前から自治を守り通してきたこの自治都市の実態であった。

 そしてこうした都市の実態を知る人間にとって、現在の状況はとても面倒なものだった。

 

 マリヴォーネ市の一角、半島型に海へ突き出た丘陵地帯――そびえ立つのは、かつてこの地を治めたバナヴィア貴族の城、領主の出資で建てられた大聖堂、そして現在の行政を担う役人が働く市庁舎である。いずれも南国の日差しを照り返すような、真っ白な壁が印象的な建物である。

 

 夜の闇に沈まず、電灯の明かりが煌々と伴っているマリヴォーネの街において、市庁舎も例外ではなかった。

 突如として起きた発砲事件、市街地で目撃された巨大な狼――市長とその側近らが、その対応のために一度は退勤した市庁舎に戻ってくるのも不思議なことではない。

 

 明かりの点いた部屋、市長の執務室。そこで椅子に座り、机に向き合っているのは老年に差し掛かった一人の男である。

 名をバルド・クルチという。バルドは重々しく口を開いた。

 

「…………死傷者は出ていないのだな?」

 

「はい、市長。住宅を破壊された住民は出ていますが、死者、怪我人共に確認されていません」

 

「ならいい。マリヴォーネにとって最悪の事態は、まだ起きていないということだ」

 

 ふーっとため息一つ、バルド・クルチ市長は眉間に寄ったしわを手でもみほぐした。

 年齢相応に衰えてきてはいるものの、休暇には所有している船を使ったクルージングを楽しむような意気揚々とした上流階級のバナヴィア人。生まれも育ちもここマリヴォーネであり、根っからのマリヴォーネ人であるという自負がある男だった。

 

 バナヴィアは近代化革命の過程で多くの特権が解体され、中流階級の市民が新たな文化の担い手として育った国である。そのような国土の中にあって、依然として上流階級のための豊かな暮らしを守り続けてきたことに、マリヴォーネ人は強い誇りを持っていた。

 バルドはうめくように呟いた。

 

「それで、これは独立派か? それともズァレン人か?」

 

「不明ですが……ベガニシュ人ではないのは確かです」

 

「だろうな。やつらは公営カジノの利権に絡もうと寄ってくるだけだ。街中でテロを起こす理由がない」

 

 マリヴォーネ市はバナヴィア人自治区の一つだが、その扱いは大きく異なる。税金という名の上納金を納めることで自治を認められているのは他の地域と同じだが、ベガニシュ帝国の上流階級にも多くの利用者がいるために、その特権は保持され続けている。

 

 ゆえにマリヴォーネの価値を落とすような騒ぎを、ベガニシュ人が起こすとは考えづらかった。そして何より重要なのは、この地がある意味、どの勢力にとっても中立地帯として機能していることだった。

 

 国境線を接するレナタン半島のレナタン共和国――もちろんベガニシュ帝国との関係はよくない――があるために、マリヴォーネ駐屯地という軍事基地が置かれているものの、マリヴォーネ自治区の本質はどの勢力とも付き合いがあることだった。

 

 財産を預けに来たベガニシュ貴族、資産没収を逃れたバナヴィアの資産家、歴史的経緯から付き合いの深いレナタン共和国の名家、亡国の民となったズァレン人のレジスタンス、そしてバナヴィア独立派――ありとあらゆるものたちが、マリヴォーネには利権を持っているのだ。

 

 この地では、他の地域では殺し合いになるような間柄のものたちすら、刃を懐にしまって素知らぬ顔で通り過ぎるようになる。

 ズァレン人をレナタン共和国がこっそり支援していようと、マリヴォーネ駐屯地のベガニシュ軍とは国境の山岳地帯で小競り合いをするだけ――そのような暗黙の了解ができあがっていたのである。

 

 実際問題、バルド・クルチ市長にとっては、ベガニシュ帝国陸軍の司令官は扱いやすい類の俗物だった。虚栄心が肥大化していて名誉欲ばかり強い、典型的な貴族軍人――それもダメな方の貴族だ――という感じの男である。

 捨て置いてよい小物――それが基地司令パウル・シェスカ大佐に対するクルチ市長の印象だった。

 

「聞くところによれば、バナヴィア独立派は新しい玩具をこしらえて、武力闘争を本格化させているらしい……ズァレン人の動きにも注意しろ」

 

「はい、市長」

 

 バルド・クルチはゆっくりと立ち上がると、執務室の分厚い防弾ガラス越しに外の景色を眺めた。キラキラと輝く電灯に照らされた美しい街並み、彼が愛するマリヴォーネの風景だった。

 それは彼が守るべき故郷だった。

 

「マリヴォーネは変わらない。これからもずっと、不可侵の地であるべきなのだ」

 

 

 

 

 

 

『――マリヴォーネにおける我らズァレン人の地位は決して高くはない。だが我らの存在は、市長をはじめとする歴代のマリヴォーネの統治者によって黙認されてきた』

 

 開いた口が塞がらなかった。この地は戦場になると告げられ、絶句したエルフリーデが聞かされたのは、マリヴォーネ自治区における独特の棲み分け――敵対関係にある複数の勢力が野放しになっている――についての解説だった。

 

 ベガニシュ正規軍と反政府ゲリラがなれ合いをして共存する土地。バナヴィア独立派とベガニシュ総督府の繰り広げている、血みどろの殺し合いを知っていればこそ、頭が痛くなってくるような状況だった。

 

 同じバナヴィア王国の土地だったにもかかわらず、数百キロ移動するだけで全く別のルールで動いている。

 それが分断されたバナヴィアの現状なのだ、とエルフリーデは思い知った気分だった。そしてズァレン人抵抗運動組織の長、カガンに対して疑念が浮かび上がってくる。

 

「すいません、率直な疑問なんですが……どうしてバナヴィアに亡命してきた人たちが、ベガニシュ人と戦うためのレジスタンスなんか作ってるんです? 併合前は独立国だったんですよ、バナヴィア」

 

 それまで押し黙っていたヤレアが、〈アイゼンリッター〉の腕の中で声を上げた。

 薄い茶髪の少女はよく日焼けしていたけれど、髪色は薄く、南バナヴィアよりも北の地にルーツがあるとわかる容姿をしていた。

 

「エルフリーデ、お前が誰かは知らないが――当たり前だろ? ズァレン人の武装化を援助していたのはバナヴィア王国なんだぞ!」

 

「へっ?」

 

「おまえ、ほんとに何も知らないんだな……」

 

 ヤレアは呆れ顔だったが、明らかにバナヴィアの一般市民が知るはずもない情報だった。いきなり闇が深い話題になった。ベガニシュ帝国とバナヴィア王国は元々、バベシュ大河と呼ばれる大きな河――その横幅も長さも大型船を用いての渡河が望ましいほどだ――で隔てられていた。いわゆるベガニシュ本土というのはこの大河の東側に広がる大地のことで、バナヴィアは大河の西側にあった。

 

 ズァレン人の故郷、ズァレン王国はバベシュ大河の東側に存在していた小国の一つである。彼らはベガニシュ帝国の拡大政策によって軍事侵攻を受け、故郷を失い、流浪の民となった。

 ここまではいい。だが、どうやら話を聞く限り――在りし日のバナヴィア王国もまた、清廉潔白とはほど遠いことをしていたようだ。

 

 ベガニシュ帝国にとって不都合な存在を作り出し、反政府ゲリラとしてベガニシュ本土に送り込む。大方そういうことをしてきたのだろう、とエルフリーデは察した。ここマリヴォーネは一種の訓練キャンプとして利用され、ベガニシュ帝国による併合後もそういった人員や伝手は残ったのだろう。

 黙り込んだエルフリーデに対して、ズァレン人の長カガンは静かにこう言った。

 

『我らは多くの人の意思によってここに立っている。であればこそ、これから先、マリヴォーネを訪れる苦難から逃げることはできない』

 

「あなた方が発掘した過去の文明の遺産が、シェスカ大佐に強硬手段を執らせるということですか?」

 

『否。それはきっかけに過ぎぬ。ラハイドらの独断がシェスカの野心に火を点けた、と私は見ている。状況は複雑怪奇だが、そうだな――マリヴォーネにおける諸勢力が、現状維持の放棄を選択しつつあるのだ』

 

 持って回った言い回しである。カガンは自分たちが発掘したオーバーテクノロジーの影響を否定しているが、本当にそうであるかは怪しいものだった。

 かつてクロガネと共にエルフリーデが戦い、その無力化に成功した大量破壊兵器〈ケラウノス〉然り――先史文明種の遺産は時として、現代人には想像もつかない恐るべき威力を発揮する。

 

 カガンから見て取るに足らない遺産が、別の勢力から見ればそうではない、といった事態は普通にあり得るのだ。

 闇が充満する通路を、機体に据え付けられた投光器で照らして〈アイゼンリッター〉が歩む。先導する動物型バレットナイト〈ルー・ガルー〉の搭乗者は、何も言わずにエルフリーデの言葉を待っていた。

 

「……どうしてクロガネに助けを求めないんです? お話を聞いていると、あなたはマリヴォーネで起きる争乱を望んでいないように思います」

 

 ずしん、ずしん、と足音。しばらくの間、エルフリーデとカガンの間に沈黙の帳が下りた。クロガネというのが誰なのかわからず、話題についていけないヤレアはおろおろと二人の顔――どちらも機械仕掛けの巨人と巨獣だ――を見ている。

 

 悠久の時を生きる不死者クロガネ・シヴ・シノムラに対する、エルフリーデとカガンそれぞれの巨大な感情が交差していた。

 果たしてズァレン人の英雄がこぼしたのは、おそらく合理性とは異なる執着じみた思念だった。

 

『……これは我らの戦いである。あの男が血を流す必要などないのだ』

 

「そうですか」

 

 エルフリーデはそれ以上、何かを言おうとは思わなかった。長い長い地下迷宮が終わる。夜の闇がねっとりと絡みつくような空間を抜けた先、木々のざわめきが感じられる坑道(トンネル)の入り口――地上に出たのだ。

 

 かつて都市建設のため用いられていた石切場と、その廃棄後の穴――バナヴィア王国の時代に整備され、ズァレン人ゲリラのキャンプ地として用いられるに至った場所。

 バナヴィアとベガニシュ、それぞれの暗部が凝ったような地下も、こうして出てみると廃坑の跡地にしか見えない。

 

 驚いたことに、坑道の入り口には小型四輪自動車が用意してあった。軍の放出品と思しき車には、見慣れない人影が運転席に座っている。

 おそらくカガンの部下なのだろう。

 

『その機体でマリヴォーネ市街に行くことはできない。これに乗っていかれよ』

 

「ありがとうございます」

 

『それと、頼まれごとを一つ。ヤレアを預かって欲しい』

 

 唐突なお願いだった。エルフリーデが困惑するよりも早く、当事者の少女ヤレアが、びっくりした様子で叫んだ。

 

「団長!? どうしてそんな突然――」

 

『ヤレア。元々、お前は安全な連絡員だった。我ら〈ズァレンの怒り〉は皆、戦う訓練を経ているが、お前はそうではない。ゆえに今、私が最も安全だと思える場所に預けるのだ。迎えを寄越すまでは、エルフリーデ卿の伝手を頼るがいい』

 

「そんな……」

 

 がくりとうなだれるヤレアは、仲間はずれにされたのが本当に悔しい様子だった。目に悔し涙まで浮かべている。そこに「せめて子供は無関係な場所に預けたい」というカガンの優しさを見て取って、エルフリーデはなんとも言えない気持ちになる。

 

 妹と同じか、それより幼いかもしれない子供が、安全な場所にいるべきだというのには賛成だ。しかし個人としての覚悟を踏みにじられたような気持ちであろう、ヤレアの心情もわかってしまう。

 

 二ヶ月前、ちょうどエルフリーデ・イルーシャ自身がクロガネと口論したように。

 少女騎士はヤレアをそっと地面に降ろすと、片膝を突いて坑道の中に〈アイゼンリッター〉を隠した。

 

 

――背部装甲ロック解除、融合者を電脳棺(コフィン)から排出。

 

 

 呪文を唱える。〈アイゼンリッター〉の背筋のあたりの装甲が開き、エルフリーデの身体が機体から排出される。機体各所の出っ張りを足場にして、少女は地面に降りた。数時間ぶりに吸った外の空気は、心地よいマリヴォーネの夏そのものだった。

 得体の知れない謀略を知らされた今、数時間前と同じ感覚でいるのは難しかったけれど。

 

 カガンを見た。銀とオレンジの燃えるような装甲、おそらく英雄としての彼を彩る伝説と一体になった姿――バレットナイト〈ルー・ガルー〉を見上げる。

 生身で見上げると本当に大きな獣だった。頭の高さだけで四メートル近くあり、機体全長に至っては七メートルに届くだろう。

 

 大型の重戦車ほどもある機体に人工筋肉の駆動システムをまとわせ、絶大な機動力と運動性を持つに至った兵器――その威容はむしろ、英雄譚に登場する神獣の類を思わせた。

 

『狼の姿は我らズァレン人の神話、建国の祖アレナスにちなんだものだ』

 

 エルフリーデの視線に気づき、カガンが頷いた。聞きたいことは山ほどあった――バナヴィア独立派と彼の関係、セヴラン・ヴァロールの所在を知っているかどうか、〈ルーポ・フィアンマ〉の副作用をカガンは承知していたのか。

 

 しかしそれを尋ねられる空気ではなかった。和やかに別れられる機会を逃せば、どういう危険がやってくるかもわからない。

 栗色のミディアムヘアを夜風に揺らして、左目に傷跡のある少女――エルフリーデ・イルーシャは複雑な感情を押し殺して微笑んだ。

 

 

「ありがとうございました、カガン殿。またお目にかかれることを願っています……ヤレアのことは責任を持って送り届けましょう」

 

 

 カガンは巨獣のカメラアイごしに、エルフリーデを見据えてこう呟いた。

 

 

『――若き英雄よ、貴殿の道行きに光あらんことを』

 

 

 それは心からの祈りであるように思えたが――老いた英雄が何を思ってそう言葉にしたのか、二十歳にもならない少女には知るよしもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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