機甲猟兵エルフリーデの屈折した恋愛事情~最強ロボパイロットの英雄譚~ 作:灰鉄蝸
マリヴォーネ自治区を取り巻く状況は混沌としていた。
突如として都市を封鎖、そこに住まうマリヴォーネ市民と諸外国から集った富裕層を人質にせんとする駐留軍の凶行は、大陸全土を覆う通信網によってすぐさまベガニシュ帝国本土に伝えられた。
本当の意味で貴族階級がハイ・テクノロジーを独占していた時代ならいざ知らず、高度な科学技術が民間にも開放されつつある昨今、情報伝達はとても早い。
バナヴィア各地に配置された帝国の諜報員が、すぐさま本国に連絡を取ったのは不思議ではなかった。幸か不幸か、マリヴォーネ駐留軍の段取りは悪く、通信設備の制圧・掌握を朝の時点でできていなかったのが、その後のマリヴォーネの運命を大きく変えたと言ってよい。
もちろん部外者にとっては、すべてが寝耳に水である。
――市街地に紛れ込んだテロリスト掃討のための治安出動。
そのようなお題目こそ立っていたが、それで駐留軍の暴挙が許されるはずもなかった。
帝国政府はこの異常事態に困惑しきった。ベガニシュ帝国の上流階級も多く滞在しているマリヴォーネ市の掌握は、なるほど多大な影響を各所におよぼすだろう。
だが、それだけである。本質的には帝国皇帝とその臣民という構造にあるベガニシュ帝国において、一般市民の犠牲など、どうとでも無視できるものである。
権力と暴力が渾然一体となった統治手法にとって、小賢しいばかりの反乱――そう、これはベガニシュ帝国に対する無謀な反乱に過ぎない――はどうでもいいものだった。
頭のおかしくなった貴族将校の反乱――その一言で切って捨てられるならば、どれほどよかっただろうか。
そして大抵の場合、物事はもっとややこしくなる余地を備えていた。
――マリヴォーネ自治区の隣国、レナタン共和国との国境に共和国軍が集まっている。
無人偵察機による哨戒で判明したこの事実は、ベガニシュ帝国の軍部をひどく警戒させるものだった。
マリヴォーネ基地司令パウル・シェスカ大佐の反乱は、軍事的合理性を著しく欠いている。駐屯地一つ分の戦力では、マリヴォーネ自治区全域の制圧を維持し続けるのは不可能なのだ。
かの駐屯地の役割は万が一の隣国の軍事侵攻に備え、有事の際には本国の部隊が到着するまで時間稼ぎに徹することにある。
広大な領土を持つベガニシュ帝国陸軍の戦力投射能力は極めて高い。最初の四八時間を耐えしのげば、すぐさま輸送機で強力な戦闘部隊が飛んでくる手はずになっている。
――だが、その前提が崩れているとすれば?
そういう視点で
パウル・シェスカ大佐率いるマリヴォーネ駐屯軍の反乱は、それ単体では帝国にとって脅威となるものではない。バナヴィアの領土を統括する西ベガニシュ総督府とて、時間をかければ十分に対処できるだろう。
しかしこの機に乗じて、隣国の正規軍――レナタン共和国陸軍が攻めてきた場合はどうだろうか。
マリヴォーネ駐屯軍のクーデターによって、現在、マリヴォーネ自治区に存在する空港および港湾施設は使用不能だった。そうなると四八時間以内の戦力展開という、ベガニシュ帝国軍のドクトリンは成り立たなくなる。
近隣の空港施設を使って戦力を展開する場合、どうしても陸上移動という余分な時間が必要になってしまうからだ。
つまりマリヴォーネ自治区には、ベガニシュ帝国から見て戦力の空白が生じる四八時間が生まれてしまっていた。
こうなると話が変わってくる。誰もがマリヴォーネ駐屯地の役割を軽く見ていた――あるいは大陸間戦争という大規模な国家間紛争に気を取られ、その戦略的役割を軽んじた結果である。
基地司令パウル・シェスカ大佐が、よもや国家に対する反逆を起こすほど大それた人物だと思われていなかったのが、じわじわと効いてくる。
マリヴォーネ自治区とレナタン共和国の国境は平地ではない。モンテ・エリゼオ――エリゼオ山と呼ばれる山地によって隔てられており、その峻厳な地形によって、バナヴィア王国の時代から国境線が形成されてきた。
だが、これは決して越境できない地形ではない。従来の戦闘車両の展開には大きな制限がつくものの――ベガニシュ帝国自身が生み出した新兵器バレットナイト然り、軽量・高機動の次世代機甲戦力であれば、まとまった数を投入することも可能だ。
レナタン共和国は表向き、自国産のバレットナイトを開発できていなかった――〈ルーポ・フィアンマ〉の存在はこの時点では未確認情報の一つだった――が、カバニス・メッカニケ社をはじめとする国内企業によって、ベガニシュ帝国製バレットナイトのデッドコピーは作られているのだ。
またレナタン共和国には帝国の敵対国、ガルテグ連邦からの軍事的援助もあるため、連邦製バレットナイトが配備されてもいる。
ベガニシュ帝国の正規軍が動けば間違いなく叩き潰せるが、それを行えば共和国との戦争が始まりかねない――ガルテグ連邦との大陸間戦争が終結し、ようやく国内の立て直しができるという時期に、対外戦争を始めたいわけがなかった。
まず最初に疑われたのはベガニシュ帝国内での貴族派の関与である。
春先に起きたサンクザーレ会戦とその大敗により、貴族派の有力者だったドゥガリオ公爵は失脚した。これ幸いと門閥貴族の政治的影響力がそぎ落とされ、皇帝の権力は強化された――そういう時勢の出来事である。
またぞろ反皇帝派の貴族が、よからぬ陰謀を企んだのではないか、と疑われたのは当然と言える。喜劇的だったのは、帝国貴族派はこのマリヴォーネ事件に一切関わっていなかったことである。
ベガニシュ帝国の情報機関〈皇帝の杖〉が調査したところでは、パウル・シェスカ大佐の反乱には、帝国内の如何なる勢力も関与していなかった。
――パウル・シェスカ大佐は無能者であり、上級貴族とのコネで大佐になっただけの男である。彼は突如として錯乱し、マリヴォーネ自治区を混乱に陥れた。
事件後、様々な角度から調査された客観的事実は以上の通りである。
そんなはずがあるまい、という感想は誰もが思うことだ。ベガニシュ帝国の意識の隙を突いて、戦略的空白を発生させた恐るべき反逆者――起きてしまった事件単体を評価するなら、そう考えるほかないだろう。
自らを知恵者と信ずる人々ほど、馬鹿馬鹿しいほどに何も考えていない無能者に翻弄され、あわや国際紛争に発展するところだったという事実を飲み込めないのだ。百歩譲ってシェスカが無能だったならば、その背後には深遠なる策謀が存在したと思い込んでしまう。
それゆえにマリヴォーネ事件は後世で様々な陰謀論(貴族派の陰謀、皇帝の自作自演、レナタン共和国の謀略、ヴガレムル伯爵の暗躍、バナヴィア独立派の工作などが代表的だろう)の主役になるのだが――それはまた別の話である。
◆
「私は今、歴史を動かしている……!」
ここはマリヴォーネ駐屯地の格納庫――その屋根の下で恍惚としている男の名はパウル・シェスカ。
マリヴォーネを襲う騒乱の火付け役である基地司令は、今まさに我が世の春を謳歌していた。壮年の男は年齢の割には若々しい容姿をしていた――あるいは三十代でも通用するかもしれない――が、それは他者よりも老化が遅いという彼個人の特異体質だった。
古来より長命者は貴種の証であり、それを尊ぶ文化がベガニシュ帝国をはじめとする大陸諸国には存在していた。
しかしながら、当たり前の話をしよう。別に老化が遅いのは真の貴族の証などではないし、その能力を保障したりもしない。パウル・シェスカは自分を神に選ばれた長命種と固く信じていたが、その能力においてはすべてが凡庸な男であった。
あるいは自らの平凡さを認めて、平穏無事に生きることを志していたなら、シェスカの人生は違ったものになっていたかもしれない。
だが、彼は強情だった。自意識過剰であった。自身の手に余る功績を求め、それが失敗すれば他者の責とする悪癖があった。貴族の家の権力でも覆せぬ失態を重ねた末、パウル・シェスカは無能者の烙印を押されてしまった。
――なんという不幸、なんという不条理だろうか!
シェスカは自らの運命を嘆いた。彼の功を焦った稚拙な指揮によって、バナヴィア兵の手にかかって死んだ部下のことなど考えてもいなかった。このような邪悪な性根の人物が、退役させられることもなく大佐の地位にまで上り詰めてしまった点に、ベガニシュ帝国を支配する貴族制の問題が詰まっていた。
ともあれ、歩く貴族の悪いところ詰め合わせセットのパウル・シェスカは、辺境の基地司令に押し込められたあとも、その待遇に満足することはなかった。
しぶとく狡猾なズァレン人ゲリラを掃討することはできず、金に汚いマリヴォーネ人は利権を盾にして政治的牽制を仕掛けてくる。
汚らしいバナヴィア人どもは、ベガニシュ貴族である自分への敬意を示そうともしない。
むしろすべてが不満だったと言ってよい。本来、自分はベガニシュ帝国陸軍の中枢へとのし上がり、陸軍元帥として権力を振るうべきなのだと本気で信じていた。
しかしベガニシュ帝国軍を支配する改革派は、シェスカのような貴族を排除して、組織の体質を変えようとしている一派だった。当然のことながら門閥貴族の膿のような男を取り立てるはずもない。
シェスカにもそういう現実はわかっていたから、鬱屈した毎日を送るしかなかった。
運が開けたのは大陸間戦争が終わった時分だった。
――マリヴォーネの地下には手つかずの遺跡が眠っている。
そう知らせてきたものがいた。ズァレン人ゲリラの男――名前は覚えていないが、ベガニシュ帝国が征服してきた異民族の一派らしい――は、言葉巧みにシェスカを仲間に引き込もうとしてきた。
自分たちの背後にはレナタン共和国がいるのだ、と男は言った。発掘された
それはベガニシュ帝国に対する背信行為だったが、パウル・シェスカ大佐にとってはどうでもいいことだった。
そもそも国家に対する忠誠心というものが薄い、血縁だけでまとまっている門閥貴族の出身――シェスカの人格を形成したあらゆる要素が、それを絶好の好機だと告げていた。
このまま大過なく田舎の基地司令で人生を終えて、領地と呼ぶのもおこがましいような小さな土地で年金をもらいながら静かに暮らす。
そんな枯れ果てた人生などごめんだった。
――私は英雄になるのだ。かつてマリヴォーネを開拓した英雄エリゼオのように!
そう、パウル・シェスカ大佐には夢があった。偉大な存在になるという願望、歴史に名を刻み、万民がひれ伏すような存在になるという夢があったのだ。
一五年前のバナヴィア戦争で活躍し、英雄になるべきだったのは自分なのだ。平民出のカール・トエニが天下の大将軍となり、帝国皇帝に重用されるような世界は間違っている。
そして彼は決断した。
マリヴォーネという土地を征服して、自らの王国を築くために――彼は部下たちを煽動した。あくまで反ベガニシュ思想のゲリラを狩るためだと偽って、マリヴォーネ駐屯地の全戦力を投じてマリヴォーネ市の制圧を命じた。
長続きするはずもない
そもそもマリヴォーネ駐屯地の将兵は、ベガニシュ帝国陸軍の中でも士気・練度ともに低い二線級の部隊の寄せ集めなのだ。
パウル・シェスカ大佐個人に忠誠心がある面子など一人もいない。その空虚な事実を知っていながら――シェスカという男は止まらない。彼は愚かだったが、度を超えて愚かだったので、その拙劣さを誰もが見誤ったのだ。
いずれ自分自身を滅ぼす愚かさを自信満々に振りかざすことで、周囲が疑念を持つことを難しくして、マリヴォーネ自治区を巻き込んだ喜劇を引き起こしていた。
流石に本国からの命令あっての強硬手段だろうと、マリヴォーネ駐屯地の将兵は思い込んでいたのだ。先日、ヴガレムル伯領で起きた同時多発テロ事件の記憶も新しいから、テロリストに対してベガニシュ帝国軍が積極的に対処するのもおかしくはなかった。
先日、帝国本土から届いたばかりの多脚自走砲を、彼は見上げた。それは本来、バナヴィア領で運用試験を行うために持ち込まれた試作兵器だった。
マリヴォーネ駐屯地に仮設された巨大格納庫を埋め尽くす巨体――数十メートルはあろうかという巨躯は、かの陸上駆逐艦を思わせる威容があった。
それには無数の脚部があり、長い首と胴体と尾があった。大型の陸上哺乳類、あるいは南洋に住まう爬虫類の類を思わせる巨影である。
それは無数の足で地面を踏みしめる、
「出撃準備を急げ! ……この私自ら、賊どもを討伐する!」
パウル・シェスカ大佐は嬉々としてそう言った。自らが主役の英雄譚の最中にいると固く信じている道化は、桁外れの暴力と一体化しようとしていた。
どのように人が死んでいくのかなど、考えもせずに。