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「ちょっと待ったぁ!」
部室のドアから響く大きな声。
それまで後輩と向き合っていた私がそちらの方へ振り向くと、勢いよく開けられた廊下との境界線と共に"それ"は現れた。
「……あの先輩、今ちょっと瑞華と後輩くんがイイ雰囲気だったんですよ?」
ジト目で戒めた雪菜だが、そんなもの関係ないと言わんばかりにその"先輩"はこちらに近づいてくる。
終始一貫した勢いの良さは、初めて相対する祥斗が思わず後ろへ引き下がってしまう程のものだ。
そしてやはり、そのような後輩の様子など全く気にせず、近づいてきた人物は口を開く。
「君か〜? ウチの可愛い可愛いエース候補を寝取ろうとする不純な輩は」
「か、かわっ……!?」
そう、この人はこうやって人のペースを乱してくるのだ。
「……って、もう何度も言われたら流石に響きませんよ」
「むぅ……チョロインなお前なら大人しくなってくれると思ったのだがなあ」
首を傾げ、分かりやすく頬袋を膨らましながら文句を吐いてくる先輩。
あぁ面倒だな──そうぼんやり思っていると、ここまで沈黙を貫いていた祥斗がこちらを向き、ちょちょいと人差し指で突いてきた。
「あの、先輩……あの方は一体……?」
なるべく向こうに聞こえないように、という努力が見える可愛らしい小声が私の耳に直接届く。
大丈夫──という考えよりも先に、この距離から小声で囁かれるという事象の方に何故か、胸の鼓動が早まった気がした。
「ん? 私が一体誰か、だって?」
そんな脈動すらいとも容易く無視するのが"あの方"。
私に助けを求める程に困惑している後輩など知らぬ存ぜぬという態度は変わらないまま、ニヤニヤとした表情を浮かべていった。
「私は! この茶道部部長にして最大権力者! "与野 詩音"、17歳女の子!」
高らかなる自己紹介が言い放たれ、満足気な"詩音先輩"は渾身のドヤ顔を披露する。
「……」
が、そこに至るまでの過程があまりに傍若無人すぎたのだろう。
元より戸惑っていた後輩だけでなく、最初から面倒だと思いながら聞いていた私こと八千代瑞華、そして本来盛り上げ役に徹する雪菜ですらも、先輩の尊大さに黙らざるを得なかった。
「……おいおい!」
────────
その後、場がある程度冷えてから改めて互いに自己紹介を交わし、ここまで続いた怒涛の展開になんとか区切りを付けた。
「ほう、柏くんは瑞華の元後輩というわけか」
「はい。 これからは"元"が外れて、立派な後輩になりますけどね」
──いや前言撤回。 あくまで冷えたのは先輩だけで、祥斗は何かメラメラ燃えるようなパッションが前面に出ている気がする。
流石に何があったとは聞きづらいが、おおよそスムーズに私の後輩として尻尾を振れると思っていたのが上手くいっていないからだろうと推察できる。
この子、私のこと大好きだからな。 もちろん先輩としてだろうけども。
「で、ようやく先輩と一緒になれると思っていたのにこんな変な邪魔者が入って来たからイライラしていると。 そういうわけだな」
一方、先輩は先輩で超能力並みの洞察力でもって祥斗の考えていることを読み取ってしまう。
こんな風に人の心を読むこと自体は何度もやっているから見慣れてはいるが、よくよく考えればとんでもなく凄まじいことをやってのけているような。
初めてその異常な洞察を受け取った祥斗であれば、当然その異常さを全身で感じるわけで。
「おやおや。 そんなに驚いた顔をしてちゃこの先ウチでやっていけないぞ?」
「……残念ながら、与野先輩の推理は明後日の方向に外れていますよ」
ちょっと見苦しい言い訳。
最低限人の心を持ってはいる詩音先輩も流石にやりすぎたと反省したのか、これ以上の追撃は与えずに体の方向を私の方に向けた。
「で、瑞華的にはいいのか? この子が入ってくるのは」
「良いも悪いも、それを決めるのは祥斗ですから」
「先輩……」
隣でか細く聞こえる声に幾ばくかのの信頼感を感じつつも、私はその声の発生源を見つめ、自らの意志を伝えさせようとする。
当の祥斗はそれに応えるかのように改めて気持ちを入れ直し、真っすぐ詩音先輩に覚悟の目を向けた。
「僕は──柏祥斗は、この茶道部に入りたいです。 どうか与野先輩、よろしくお願いします」
中々見るものではない、深々としたお辞儀。
高校の部活では到底似合わない、丁寧な入部懇願をやってのけた祥斗には、そういえばこういうちゃんとした子だという納得感が思わず沸き立ってしまった。
しかし、部の長たる詩音先輩はどうにも訝しんだ表情でもって答える。
「……君は、どうしてこの部活に入りたい?」
「それは……」
「"あの瑞華先輩がいる部活だから"という理由では、まさかあるまいな?」
これに関しては──正直私も思っていた。
そもそもほんの数か月前まで忙しく厳しかった中学生活を送ってきたわけなのだから、そこから真逆、ゆったりで緩い高校生活を送ろうなどと普通は思わないのだ。
最も、私がその"普通"ではない人であるが──それは置いておいて、この場面で祥斗がどのような返答をするか。
──例え、もし、祥斗が窮するような回答をしてしまったとしても、私はなんとしてでもこの部長を説き伏せて彼をこちら側に引き込めれるようにするつもり。
だって、ここ数日頭を悩ませていた問題の解決が向こうからやってきてくれたのだから、そのチャンスを逃すわけにはいかないんだから。
そう色々と思案していたが、少し現実の方へ戻ると祥斗の返答が滞っている様子に気づいてしまった。
やや下へ俯き、何やら考えをまとめているようだったが──私はただ、この子を信じて待つことにする。
──先に口に開いたのは先輩の方であった。
「……悪いね。 私も少しいじわるなことを──」
「その理由も、半分は合っています」
申し訳なさそうな顔を詩音先輩が作ったその瞬間、祥斗がついに沈黙を破る。
一変した状況に、部屋にいた女子三人は私も含め皆驚いていたが、祥斗は一人強い炎を宿った目で先輩のことをキッと見つめていた。
「残りの半分は……?」
思わず、という言葉が適しているだろうか。 それまで見に徹していた雪菜が、発言の意図を探る。
当然同じように思っていた私と詩音先輩は、頷きながら言葉を促した。
「もう半分は……瑞華先輩を自分の手で幸せにしたいと思ったから、です」
──にわかに、教室中が色めき立つ。
詩音先輩はまたも目を見開いて驚きの表情を浮かべ、雪菜の方はもう少しで黄色い歓声になっていたであろう上擦り声を捻り出していた。
そして後輩直々に指名を受けた私はというと──発言の意味は理解しつつも、それが彼の平常運転であると分かっているが故になお平静を保っていた。
出会ってから三年。 良き先輩後輩として接し続けた年数は伊達じゃない。
「先輩がいるから入ったのも間違いではありません。 ですが……僕は"いるから"ではなく、強い目標を持ってここに来ています」
「それは茶道を通じて、という認識でいいのか?」
すぐに元の凛とした顔へ戻した詩音先輩は、改めてその理由、想いを確認する。
「はい。 先輩が幸せになるのであれば、いくらでも茶を点てるつもりです」
そんなこと当然だと言わんばかりの視線を詩音先輩に突き刺す祥斗。
ここまで来れば流石にもう──そんな考えが脳裏に浮かぶと、これほどの大立ち回りを見せた祥斗の成長振りに思わず目頭が熱くなってしまう。
──私がそうして感慨に浸っていた一方、先輩は先程の発言をきっかけに少し前のような”ニヤニヤ顔”を浮かべ始めていた。
「ほう、いくらでも茶を、ねえ」
あ──これはまずい。
現実に戻った私がすぐに直感できるくらいには、この先の展開、そしてとんでもなく面倒なことになりそうな空気は漂っていた。
「それじゃあ一服、ここで点ててもらおうか!」
もう、やっぱり。
軽く青ざめた顔を抱えながら、私はどうしようもないこの事態に諦めを覚えた。