やるべき事
手に残る生ぬるい感触。
自身を庇った小さな身体が、自分の身体を伝ってずり落ちる。
広がる赤溜まり。
鼻につく鉄の匂い。
荒い息が、段々と小さくなっていく。
蒼い灯火が、音もなく消えた。
「あ……ぁ、お、俺、また護られて…………」
激突した衝撃で、塔壁の欠片がいくつか落ちてきた。頭に直接当たったことで、弧白は被っていたリアンの帽子がどこかに飛んでいったことに気がつく。
いいや、そんなことを気にしている場合ではない。まずは目の前の彼女を助けないと。
───でも、どうやって?
あの時、かつての同期である
あの時、彼女を護れなかった自分に何が出来る?
どうしたらいい、どうしたらいい、どうしたらいい?
分からない、分からない、どうやって? 分からない。俺は、だって───。
段々と自分の息が荒くなっていく。マスクを降ろし、片手で受け止めた彼女を身体に抱き寄せる。
冷たい。
力なく垂れ下がる彼女の右腕が、弧白の左腕に軽くぶつかる。痛いという感覚すらも分からないほど、弧白はパニックに陥っていた。
呆然と、自分に向けられた鋭牙を眺める事しか出来ない。
だがそんな弧白の前に、彗星の様に何かが───。
───いや、人が降って来た。
ズドンッ! と凄まじい衝撃とともに、フィールド全体が揺れる。それはナルガクルガ希少種の脳天を突き、ダメージを受けて勢いよく後ろに仰け反り倒れた。
「……生……! 先生、先生ッ!」
二人の前に綺麗に着地をし、肩を掴まれる。ハッと弧白が我に返り、顔を上げると、彗星の正体───そこに本来いるはずのない、火垂が目の前に立っていた。もう片方の手には太刀ではなく、ランスを持っている。
「遅くなってすみません、先生! 私が来たからにはもう大丈夫ですっ!」
「……ほ、たる……俺…………」
「先生はお嬢を連れてキャンプまで……いいや、エルガドまで戻ってください! 船を待機させています、ここは私が何とかしますから、早く!」
傍に落ちていた桜のピンを弧白の片手に握らせ、帽子を被せられ、モドリ玉を渡される。
「でも……俺は……」
ナルガクルガ希少種が起き上がり、火垂に飛びかかろうとする。それをすかさず│盾《シールド》で受け止め、素早く攻撃し返す。
「早く行ってください! 助けたいんでしょう、救いたいんでしょう! そのために何をするべきなのか考えてください!
忘れたんですか、私は先生の教え子ですよ! 私は───私は! カムラの里の、猛き炎ですよ!」
ヘイトを自身に寄せながら、火垂が叫ぶ。
『今、あんたがやるべき事は、ここでウジウジしている事じゃない! 自分がどうすればいいか、その賢い頭で考えろ!』
あの時、相棒に言われた言葉が脳裏に再生される。
こうしている間も、海未はどんどん死に近づいていっている。
自分から遠ざかっていく、そんな気がする。
───それだけは駄目だ!
桜のピンをポケットに突っ込み、弧白は海未とオトモ達をしっかりと抱いてモドリ玉で塔の上へと戻っていく。
気が気ではなかった。
だが、今自分がやるべき事は何かを考えたら、自ずと身体が動いた。
塔の上に着いた後、モルとトモエが笛を吹いて二人を回復させる。心做しか、海未の顔色が少し良くなった気がした。
「……絶対、死なせやしない」
なるべく衝撃を与えないよう、弧白はゆっくりと、しかして急いで船着場へと走った。
* * *
真夜中。治療が終わり、ベッドで魘されるように眠る海未を、弧白は傍で見守る。
───命に別状がなくて良かった。骨も折れてない。だが自分の判断がもう少し早ければ、彼女は……。
「…………ごめん、海未さん……」
やりきれなくて、どうしようもなくて。
弧白は彼女の片手を握り、ただ、ただひた謝り続けていた。
「旦那さまは悪くないですニャ……」
「いいや、俺が悪い。あの時俺がもっと早く攻撃に気がついていれば、こんなことにはならなかった」
「あの大技を受けたら、こうなるのは当然ニャ。旦那さまの自業自得ニャ」
弧白達に背を向け、武器の手入れをしながら、モルは呟く。
「そんな事……モル君、それは違うよ」
「いいや、違わないニャ。じゃあ仮に、弧白さまが見切れていて、反撃の余地もある。そんな状況下に置かれたとして、旦那さまはどうすると思いますニャ?」
「それ、は……」
分かりきった質問をされ、弧白は言葉が見つからず押し黙ってしまう。
彼女のことだ。きっと今日と同じ事をする事など目に見えている。
どの道、結果は変わらなかった。モルはそう言いたいのだ。
モルは武器をクロスの上に置き、振り向いてベッドに近づく。
「旦那さまはこういう人ニャ。怪我をして、怒られて……失って、今の旦那さまがあるんだニャ。だから絶対に人任せにせず、自分で全部解決しようとする。もう失いたくなくて、かつての防人達がそうしてくれたように、今度は自分が護らなきゃって……そう思って庇ったんだと、モルは思いますニャ」
「……」
海未が身動ぎをしたことで、おでこに乗せていた濡れタオルがずり落ちる。枕元にいたメルが慌てて元の位置に戻し、心配そうに鼻を鳴らした。
「メルも心配だよね。俺も心配だよ」
頭を撫でてやると、メルはしばらくされるがままになる。海未を見て、しょんぼりと耳が垂れ、やがて頭をベッドに置いて眠りにつき始めた。
「旦那さま、もう遅いですニャ。一旦家に帰って仮眠を……」
「いや、いい。トモエ、先に帰ってていいよ」
「ですが……あ……」
何かに気づいたのか、トモエが小さく声をあげる。それを見たモルが「……トモエさま、モルは嫌な予感がしますニャ」と独り言のように呟いて渋い顔をし始める。
「偶然ですニャね、トモエもそう思いますニャ」
このヒト、絶対にここから動かないつもりだ。
そう二人は同時に思った。
きゅるる……と、弧白の腹から小さな音がする。財布を取り出し「ごめん、お腹すいたから何か買ってきてくれる?」とトモエに渡した。
「あーっ、弧白さま、パシリニャ!」
「分かりましたニャ。モルさま、行きますニャよ」
「あっちょ、トモエさま、手がちぎれますニャ! あぁ〜、ご無体ニャァ〜……」
パタン、と扉が閉ざされる。静かな空間に、波の音と、海未の小さく、間隔の狭い寝息が響く。心臓の音がずっと聴こえていて、やけにうるさかった。
「……俺は、どうしたら良かったんだ……?」
どうすればいい、どうしたら良かった、と、頭の中で自問自答をするばかりだった。
その先を考えられなかった自分に、酷く嫌気がさした。
* * *
「こうして二人でお外に出るのは初めてニャ」
「確かに、普段はそれぞれの主人と一緒にいますからニャ」
賑わいを見せていたエルガドは、今は静かな空間を見せている。残っている者がいるとすれば、夜勤の警備の者か、食事場のアイルー達くらいだ。
「ん、あれは……火垂さま?」
「火垂さまニャ! 火垂さまーっ!」
清々しい雰囲気で帰ってきた火垂を見つけ、モルが声をかける。彼の声に気づいた火垂が駆け寄ってきて「モルちゃんとトモちゃん! こんな真夜中に何をしてるんですか?」としゃがんで目線を合わせる。
「旦那さまに頼まれて、お夜食のお買い物ですニャ」
「お夜食! いいですねぇ。お嬢は大丈夫ですか?」
「命に別状はないニャ。ただ、意識が全く戻らず……」
「旦那さまがつきっきりで看病するって利かないのですニャ。それで動けないからお買い物を頼まれた、というのが事の経緯ですニャ」
「あぁ、なるほど……」
「モンスターはどうしたニャ?」
モルの問いに「シバいてきましたっ!」とふんすっ、と鼻を鳴らす火垂。後ろにいたオトモアイルー、村雨もふんすっ、と続いて鼻を鳴らし、胸を張る。
「あのバケモン希少種を二人でニャ!?」
「ふっふっふ〜。結構キツかったですが、何とかなって良かったです。それよりも、お嬢が心配ですねぇ」
「旦那さまがおられます故、まぁ大丈夫かと……」
「うん、私もお嬢の様子を見に行くつもりはないですよ。
私が見たいお嬢は、いつものお嬢ですからね。回復するその日まで、私はいつも通り過ごすだけです。きっとお嬢も、それを望んでいるはずですから」
「……それニャら、明日モルとひと狩り行くニャ。明後日はトモエさまとニャ」
「えぇっ、モルちゃん達と!? 行きます行きますっ!」
「どうしてトモエも巻き込まれているのですニャ?」
「トモちゃんもありがとう!」
「承諾した覚えはありませんニャ」
真顔で冷静にツッコミを入れるトモエ。聞く耳も持たず、火垂は「じゃ、また明日!」とさっさと帰っていってしまった。
「……モルさま、貴方はヒトを巻き込むのが得意ですニャ」
獣人語に切り替えたトモエは、言いながら平たい目でモルを見つめる。
「ニャ、獣人語、獣人語……えっと、なんの事ですか?」
それに合わせ、慌てて獣人語に切り替えたモルは、慣れない話し方で問い返すが「自覚されていないのなら、そのままでいいと思いますニャ。ところで、村雨さまはなぜここに?」と話題を変えて村雨を見る。
主人に置いていかれた、というのが正しいのだろうか。村雨は少し考え「お二人のことをよく知らないので、お話がしたいですニャ」と笑う。置いていかれたのではなく、どうやら自分の意志で残ったようだ。
「ボクは構わないですよ。トモエさまは?」
「構いませんニャよ」
「ありがとうございますニャ! 食事場でお話しましょうニャ!」
「……とても元気ですニャ」
「夜行性で良かった……」
「ところでモルさま、獣人語は不慣れな様ですが?」
「あー……へへ、少し苦手で。お気になさらず、です」
三匹は食事場へ歩を進めていく。ついでに自分達の食事もと、トモエはあれこれ頼み始める。
「モルさま、村雨さま、お好きな物を頼んでいいですニャ。今日はトモエの奢りですニャ」
「いいのですか? では、マタタビとしてお返ししますね」
「えぇーっ、どうしましょうかニャ、これもいいしニャ〜」
注文した団子達が出来るまでの間、三人は軽く語り合う。ナルガクルガ希少種を初めて見たというトモエ、村雨の感想、それに対してのモルの返答……不思議と会話が途切れることは無かった。
「それにしてもモルさま、いくらご自分の主人とは言えど、先程のは言い過ぎですニャ」
「本当のことです! 旦那さまはいっつもああやって突っ走って、今回も置いていかれそうになったんですよ!」
「海未さまと弧白さまが先に行かれたと聞いて、火垂ったらものすごく焦って飛び出していったんですニャ。そしたらあんな状態で……一体何があったんですかニャ?」
「ボクが話します。端的に言うと、ナルガクルガ希少種の大技を見切れなかった弧白さまを、旦那さまが庇ったんです。流石にやりすぎです。でも……」
「「でも?」」
差し出されたぬるいお茶を見つめながら、モルは言葉を続ける。
「でも、あんな大きな傷を負って、目が覚めないほどの重症は初めて……では無いけれど、ボクも心配していない訳じゃないというか。ボクはあの時、見てるだけでした。自分だけじゃ何も出来なくて、そんな不甲斐ない自分が情けない……ボクは、ボクはあの子と一番長く一緒にいる身なのに、何も出来なかった」
「モルさま……」
「このまま目が覚めなかったらどうしよう、このまま死んでしまったらどうしよう? ボクにはあの子しか居ないのに……ボクは……ボクはぁ……」
「わ、わわ、モルさま、落ち着いてくださいニャ」
泣きそうになっているモルを、村雨が慌てて宥める。
オトモアイルーはちっぽけな存在だ。ちっぽけだからこそ、出来ることを考え、それを慎重に選ばなければいけない。
人に雇用されるという事は、そういう事なのだ。
トモエは思い出していた。主人のかつての同期、恋海がナルガクルガの攻撃から弧白を庇った、新大陸のあの出来事を。
自分も何も出来なかった。ただ呆然と目を見開く弧白に呼びかけたが、反応はなかった。次に彼が動いたのは、恋海に拳の側面で胸を叩かれ「今やるべき事を考えろ」と怒鳴られた時だった。
「……トモエ達がやるべき事は、なんなのでしょうニャ?」
満点に広がる星空を見上げ、トモエはポツリと呟く。
「主人の傷を癒す? お話を聞いてあげる? そんな事じゃ無い気がしますニャ。海未さまの回復を願い、いつも通り過ごし、ただ、ただ旦那さまをそっとしておく事。それが、トモエ達が今やるべき事なのでしょうかニャ?」
「トモエさま……」
「トモエにもよく分かりませんニャ。だけど、旦那さまをそっとしておいた方がいいのは、間違いないと思いますニャ」
「それは分かってます」
モルが寂しそうに笑う。
「大丈夫、旦那さまは強いから。あんな傷、ちょちょいのちょいで……」
声が段々と震え始める。桶の水が溢れたかのように、ポロポロと涙を流すモル。村雨が立ち上がり、抱き寄せて頭を撫でる。
「ちょっとだけ、泣いてもいいですか……オトコが泣くのは格好悪いと承知の上……ですが、今だけは許して欲しいのです……」
その言葉に、「ええ、いくらでも」とトモエが返し、村雨と同じように抱きしめる。途端に糸が切れたようにわっと泣き出すモルの背中を、トモエや村雨はただ背中を擦ることしか出来なかった。
真夜中の静かなエルガドに、モルの泣く声が一層響き渡った。
第三章始まりました。折り返し地点(予定)です!
これからもどうぞよろしくお願いします!
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次回の更新は、11月16日昼12時です。
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