海未の師である睡蓮の、とある出来事のお話です。
私は昔から、火が苦手だった。
火は全てを奪っていく。故郷も、家族も、大事な人も。
私はハンターとして平和に狩猟をしたかった。相棒のヨツバと共に、色んな景色を渡り歩いて、人の役に立てるような……そんなハンターになりたかった。
───それなのに、私はどうしてこんなところにいるのだろうか。
とある日に舞い込んできた、一つの討伐依頼。討伐対象は、御伽噺に出て来る伝説の古龍だった。それが今目の前で、共に派遣された仲間を喰い殺している。辺りに鮮血が飛び散り、悲痛な断末魔がシュレイド城に響き渡る。
十八歳の子供が見るにはあまりにも残虐で───私は動く体力もなく横たわり、霞む視界でそれを見ている事しか出来なかった。
やがて黒いそれは私に近づき、大きな口を開ける。その喉の奥に、人の肉片が見えた。
自分もこうなるのか。あの仲間のように、食い殺されるのか。
「睡蓮に───手を出すニャァァァ!!!」
途端、ヨツバのそんな声が聞こえ、私は意識が鮮明になる。見ると、彼女が顔面に張り付いて攻撃をしているではないか。
どうにか起き上がり、左腰に佩いた太刀に手を掛けた───その時だった。
黒いそれがヨツバを手で掴み、軽く握り潰したのだ。動きが鈍り、大人しくなった事を確認すると、まるで用済みとでも言うかのように乱雑に投げ捨てた。
黒いそれは、ヨツバにブレスを吐こうとしていた。消し炭にでもしてやろうという魂胆だろう。
───駄目だ、そんな事は。
自然と身体が動いた。この時、足に怪我を負っていなかった事が何よりも幸運だった。投げ捨てられ、空中に浮いたヨツバを庇うようにして腕に包むと、受け身を取って瓦礫の後ろに転がり込んだ。
ゴゥッ。そんな大きな音と共に、炎が辺りを燃やし尽くす。
「っづ……!」
私一人分の小さな瓦礫だったからか、運悪く私の右腕に燃え移る。腕が焼ける音がした。
ヨツバさえ守れれば、自分の身体などどうだっていい。そう思って、ひたすらにヨツバに炎が当たらないようにと身体を縮こませた。
そうして炎が止むと、黒いそれは先程喰らっていたハンターを口にくわえ、何処かに飛び去っていくのが見えた。
ここにいてはいけない。
あれは、私が相手をして倒せるような相手ではない。
圧倒的な強さを前に、直感でそう悟った。
「睡蓮さま、ヨツバ! 今のうちにこっちに来るニャーッ!」
ふと聞き覚えのあるアイルーの声がして辺りを見渡す。私から見て正面に建てられた砦の後ろから、生き延びたであろうオトモアイルー達が顔を覗かせ、こっちへ来いと私に叫んでいた。
「すい、れん」
ヨツバが浅い息を繰り返しながら、笑って私の名前を呼ぶ。
全身骨折、多量出血。ああ、もう助からない。そう思った。
「ヨツバ、ごめん……私が動けていれば……」
「ううん、睡蓮のせいじゃないニャ……あーあ、幸運のネコも、ここまでかニャァ……」
「そんな事言うな! お前はまだ助かるかもしれない、すぐにでも撤退して───」
「睡蓮」
薄ら目を開けて、私の頬に手をそっと当てる。
「睡蓮、生きるニャ。生きて……生きて、帰るニャ」
「ヨツバ……」
「睡蓮、だぁいすきニャ……」
幸運と呼ばれたネコは、そう一言だけ言って静かに目を閉じる。頬に来ていた手がするりと落ちていく。
「……ヨツバ?」
以降、何度声を掛けても、彼女は目を覚ます事はなかった。
とても幸せそうに、私の腕の中で安らかに眠っていた。
ヨツバを抱いて彼らの元へ向かうと、私を見るなり皆泣きながら私の足元に駆け寄ってきた。
「よかったぁ、いきてたニャァ……」
「ワタシ達だけ生き残っていたらどうしようと思っていたのニャ!」
「うわぁぁぁん! 旦那さまが、旦那さまがぁぁぁぁ!!」
「皆よく耐えたね……もう大丈夫だからな」
唯一、真っ白い体毛をしたオトモアイルーの彼が、私の腕に抱かれたヨツバを見て言葉を失っていた。
「ヨツバ……ヨツバ、ヨツバ! 睡蓮さま、ヨツバは助かるんですニャよね!? きっと大丈夫ニャよね!?」
「落ち着け、落ち着いて……」
半狂乱状態の白い彼を落ち着かせながら、私は見るも無惨な状態になった相棒を見る。話を聞くと、彼はヨツバの幼なじみだと言う。そういえばと、移動中に二人で話していた事を思い出した。
彼らを安心させる為に、私はあえて気丈に振舞っていた。ここで私がしっかりしていないと、この子達に不安を与えてしまう。
だが今の私の顔は、きっと酷い顔をしている。白い彼も、そんな私の顔を見て「……嘘ニャ」とポツリ呟いた。
「……私は……」
視界が滲む。まだ温かみが残る亡骸をそっと抱き締める。彼の顔を見る事が出来なかった。
「私は……あなたのお友達を、護れなかった……」
「そんニャ……ヨツバ、ヨツバ! こんな事って、また会えたのに! あの子と三人で、再会したらお互いに見た世界を語り合うって……その約束はどうなるのニャ!? 目を覚ますニャ、ヨツバぁ!! うわぁぁぁぁぁあああ!!」
やがて大粒の涙を零し始めた白い彼は、私の頭をポカポカと叩く。
「なんでニャ! なんでなのニャァァア!!」
その度に、私の身体は小さく揺れた。だがそれもすぐに止み、代わりに人一倍大きな鳴き声が響き渡った。私はそんな彼に、ただひた謝る事しか出来なかった。
火傷をした右腕の痛みも、開いた左額の古傷の痛みも、今は感じない。
だが何故だろうか、胸が痛いのだ。まるで大きな槍に突かれたかのように、私の胸は激しい痛みを訴えていた。
どうして、『私達』なのだろうか。
どうして、彼女や他の者が犠牲になって、私だけが生き残ったのだろうか。
護れたではないか。私が何もしていなかっただけではないか。
大馬鹿者が。
「…………帰ろう」
ここにいては駄目だ。
さっき自分でそう思ったんじゃないのか。
ポツリと零した私の言葉に、白い彼や他のアイルー達が顔を上げる。
「生きて、帰ろう。この子の為にも」
滲んでいた視界を袖で拭い、ヨツバをしっかりと抱いて立ち上がる。ふらつく身体に皆が心配する。血を出しすぎたのだろうか、頭に酸素が回らない。
「私は大丈夫……来る時に辿ってきた、城内非常通路……あそこから、上まで戻ろう。歩けない子は私の肩に乗りなさい。動ける者は周囲の警戒と、前方の灯りを頼む」
「……そうニャ、生きて帰るのニャ」
「旦那さまの為にも、生きて帰るんだニャ……!」
「灯りは私が照らすニャ。睡蓮さま、私が前方を」
アイルー達が立ち上がり、負傷しているアイルー達に肩を貸しながら前を歩いていく。そうして来た道を戻る……つもりだったのだが、城内は広い。あっという間に迷子になってしまった。
「弱ったな……来た道を辿ってきたつもりだったのだが」
「ここは広いからニャ。地形も入り組んでいて、複雑ニャ」
白い彼が辺りを照らしながら言う。
「そういえば、睡蓮さまは……」
「睡蓮でいいよ。さま付けされるのはあまり好きじゃないんだ」
「……では、睡蓮。あなたは何故ここに?」
「上の者に呼ばれたから従った。ただそれだけだよ」
「職人気質なお方ですニャ」
「……ああいや、個人的な理由が一つある」
「と、言いますと?」
「昔、父がここに来ていたと……母からそう聞いた事がある。もしかしたら、父に会えるかもしれないと思って来たんだ」
私の父、
「私が最後に父を見たのは十年前。それからずっと、音信不通のままだ」
「なるほど……」
ふと、私の少し前を歩いていたアイルー達が何かを見つけたようで、悲鳴を上げて私の元へと戻ってきた。何事かと進んでみると、とあるひとつの遺骸があった。皮膚や臓器は既に朽ち果てており、古びた人がまばらに転がっている。
「ニャーッ、ガイコツ!」
「これを見て怖がっていたのか」
近づいてまじまじと見つめる私に「怖くないのかニャ!?」と白い彼は私の後ろへと隠れてしまう。
「不思議な事に、私は平気な体質なんだよ」
死後十年と言ったところだろうか。比較的新しいその骨を辿っていくと、やがて頭蓋骨に辿りつく。その下に、朽ちた武器が落ちていた。その武器を見た途端、私は思わず動きが止まってしまった。
「うひゃ〜……睡蓮、早く戻ろうニャ……」
「……」
「睡蓮?」
その武器に見覚えがあった。正しくは、その武器に『見覚えのある物が付いていた』。
それは幻獣キリンの素材で出来たチャームだった。骨や朽ちた装備に埋まっていて最初は分からなかったが、それが幸をなしたのか風化せずに綺麗な状態のまま残っていた。
それは紛れもない父の物だった。新大陸で作ったと自慢げに話していた事を、鮮明に覚えている。
お前がハンターになったら、同じ物を作ってお前にやると、頭を撫でられた記憶がある。
「……ああ、ここにいたんだ」
「も、もしかして……睡蓮の知り合いかニャ?」
「私の父だ。このチャームは間違いない……全く、いい子でいたらすぐに帰ってくると言っていた癖に」
「お、お父さま……」
何となく察してはいた。父は死んだのだと。
だがそれを受け入れられない自分がいた。今もどこかで生きているかもしれないと、そう思い込んでいた。
その期待は、たった今あっさりと否定されたのだが。
「おかえり、お父さん。遅くなってごめんね」
チャームを武器から外し、自分の太刀の鞘に付け替える。これで、父も一緒に帰ることが出来る。
立ち上がろうとすると、身体が再びふらついて壁に手を付ける。そのまま崩れ落ちるように床に倒れ、私は大きく息を吐いた。
異様な吐き気と悪寒を覚えた。『目の前の遺骸が父のものだと分からなければ』、こんな気分にはならなかっただろう。
途端に胃液が上がってきて、口を抑える。どうにかそれを中に追い返すと、今度は喉が焼けるような不快感を覚え、軽く咳き込んでしまった。
「睡蓮、吐いてもいいと思うニャ」
白い彼が傍に寄り、私の背中を摩る。いつの間にか私の息は荒くなっており「……大、丈夫……ありが、とう……」と、途切れ途切れに言葉を発する事しか出来なくなった。
「───アイルーの声だ! おい、誰かいるのか!?」
ふと聞き覚えのある声が聞こえ、私は顔を上げる。ランタンに灯りを灯して近づいて来たその姿は、紛れもない幼なじみのフィオレーネだった。後ろには王国の見慣れた面々が複数人おり、すぐにアイルー達の保護に回っていった。
「睡蓮、その怪我は……!」
「フィオ、レーネ……? 何故、ここに?」
「貴殿がなかなか戻って来ないから、心配になって来たんだ。大丈夫か、生き残ったのは貴殿だけか? 一体何があったんだ!?」
フィオレーネは私の身体を起こすと、すぐにヨツバの状態を見る。「ヨツバ……そうか、彼女が貴殿を……」と、何となく察したような表情を見せた。
私は状況を整理して説明をしようと頭を回転させる。……が、あの恐ろしい光景を言語化出来るはずもなく、代わりに彼女の胸に縋るように顔を埋める事しか出来なかった。そんな私を見て「……すまない、聞くべきではなかった」とフィオレーネは私の頭に手を添えた。
「その子は他の者に任せよう、大丈夫か?」
フィオレーネの問いに無言で頷き、王国の者にヨツバを渡す。死後硬直が始まっており、身体が固まりつつある彼女は王国の者の手に渡り、大事そうに腕に収められていた。
「それよりも……と言ってはヨツバに失礼だが、貴殿も酷い怪我だ。王国に帰って治療を受けよう」
そう言い、彼女は私を抱き上げる。白い彼が心配そうに見つめており「もう失うのは嫌ニャ……お願いニャ、睡蓮を助けてニャ」とフィオレーネに泣きついた。
「必ずや。貴殿の想いは受け取った。大丈夫、睡蓮は私達が全力で助ける。さぁ、共に帰ろう」
霞む視界でフィオレーネを見る。いつになく真面目なその顔に、私は少し安心した。
安心したからなのか、そこで私の意識は途切れた。
あの後、私は王国に再び保護されて治療を受けた。私と数人のオトモアイルー以外、生き残った者はいなかったそうだ。
あの件以降、ヨツバを護れなかったという罪悪感だけがずっと心に残っていた。あの時の光景が夢に出てきて、私は度々発作を起こすようになった。
右腕は肩から手首までの広範囲に火傷を起こし、完治してからも痕は残り続けた。額の傷は幼い頃の火傷痕であり、そちらはそこまで気にならなかったが……右腕は、以降袖の長い装備で隠すようになった。
白い彼は、私が療養中にずっと傍に寄り添ってくれた。辛いのは彼も同じはずなのに、彼はずっと笑っていた。名前を聞いていなかったと思い尋ねると「忘れたニャ。睡蓮、新しい名前は無いかニャ?」と、逆に名付けるように彼に言われた。
ふと窓の外を見る。暖色を帯びた紅葉が山一面に広がっており、窓の傍を蜻蛉が通り過ぎる。
「……アキツ」
「ニャ?」
「蜻蛉の和名だ。気に入らなかったら、自分で考え直してもいい」
「あきつ、アキツ……いい名前だニャ。今日から私は『アキツ』だニャ!」
無邪気に笑う彼、アキツを見て、私はつられて愛想笑いを浮かべた。
半年の療養を経て、私は二代目オトモアイルーとなったアキツと共に再び戦線に復帰した。長らく連絡を取っていなかった教え子にも会ってきた。
ただ変わった事と言えば、太刀を左手で扱うようになった事と、大きな炎が怖くなった事だろうか。例の件以来の、最大のハンデとなってしまった。
そして、この件の事は上に全て口止めをされた。
「再び黒龍と戦うその時まで、貴殿が見た事、知った事の外部への口外を全て禁ずる。場合によっては、お前を消さなければならなくなる」
ギルドの上層部代表が、真剣な面持ちでそう言ってきた時は流石に驚いたが、私は大人しく従った。
口止めをされたその日以来、私は師匠にも、教え子にも、この件の事は何も話していない。話す気にもなれなかったので、ちょうど良かったのだが。
今でも鮮明に思い出す。
共に派遣された仲間が焼き殺される様を。
自身の腕の中で、長年共に戦ってきた相棒が冷たくなっていく感覚を。
通路に転がる父の白骨化した遺骸を。
あれから七年経った。
私は今でも、火が苦手だ。
前回のお話から人物が色々と繋がっています。ヨツバは睡蓮の初代オトモアイルー、アキツはヨツバが亡くなってすぐに2代目オトモアイルーになったという訳です。
睡蓮の裏設定に「火が苦手」というのがありますが、実はこの過去から来ています。思い出しちゃうんだろうね。
ご一読お疲れ様でした。引き続き、本編もよろしくお願いしますね