ガチリ、ガチリ、ガチリ、ガチリ……
……歯車の、音……
ガチリ、ガチリ、ガチリ、ガチッ………
ガラ、ガラガラガラガラ、ガラガラガラガラガラガラガラガラ……ガシャン。
ザパァ……
……水音?
ちょろり、ちょろり、ちょろり、ちょろり……
っ────!?
「……………………っはぁ!!!!っ!!!」
がばり、と身体を起こす。
眩暈がする、ぐらりと視界が揺れて今にも頭を落としそうだ。
「ハッ、ハァッ、ハヒュッ、ハァッ、ハァッ」
動悸がおさまらない。手脚の震えが止まらない。
渇いた喉が勝手に喘ぐ。
生への渇きが苦しい。
「うぷっ……!ぐっ……!ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
吐きそうになるが、それを強引に耐える。
暴れ狂う心臓を肉と骨の上からぐっと押さえつけ、なんとか鎮めようとする。
「ハァっ……ハァっ……はぁっ……はぁ……」
震える身体を奮い起こし、力の入らない足を叩き……なんとか立ち上がった。
まるで生まれたての子鹿のように安定しない脚は、まともに真っ直ぐ立つ事もできない。
「大丈夫ですか、セイア様」
歩み寄ってくる人形。
どうやら私は狩人の夢で目を覚ましたようだった。
「ごほっ……ごほっ、はぁ……あぁ……大丈っ…夫だっ……」
きっと今の私は酷い顔をしているだろう。
人形はゆっくりと、私の背中をさすってくれた。
死んだ……あれが、『死』か……
凍てつくような冷たさと、灼けるような熱さ。
闇に包まれる意識、己が己ではなくなる感覚。
痛みすら感じぬ純粋な苦しみ、無限に引き延ばされる一瞬の意識。
視界に咲いた紅華はあっさりと崩れて、ただの赤い液体に変わっていた。
アレほどまでに、あっさりと……人は死ぬものなのか……
一片の迷いもない、殺すための技。
あれこそが本物の狩人の業、ヘイローすらも貫く、異形殺しの技術。
その恐ろしさと……強さ、そして自身との差を実感し、私は恐怖と共に羨望を抱いていた。
「はぁっ……はぁっ……はぁ……」
死ぬ覚悟はできていたが、いざ死んでみればその恐怖は耐えようもなく。
身を強張らせ震わせる……まるで、幼子のように。
今すぐにでもキヴォトスに帰りたい。
もうヤーナムへと行きたくない。
できることならば今すぐにでも泣き叫び、閉じこもりたい。
抗うことのできない、生物としての本能が、私を蝕んでいる。
……しかし。
凍てつくほどの感覚とは裏腹に、私にはこの恐怖を『脅威』だとは感じられなかった。
一度死んだことにより、むしろこれは乗り越えられるものだ、という認識が私の中には芽生え始めていた。
「これしき……滅びに比べれば……!」
いつか夢で見た幾重にも重なる滅びの可能性。
どれも、こんなあっさりとした……卓越した技量による苦しみのない死に方はできないだろう。
それを乗り越えるためならば、こんな死など序の口だ。
自分にそう言い聞かせ、トラウマを捩じ伏せようとする。
「ぐっ……はっ……!」
脳裏によぎるのは、二人の親しい友達の姿。
自身の運命に立ち向かった、四人の少女たちの姿。
そして、それらが崩れ去る約束の日。
あの日を超えられる力、彼女達を救えるような力を欲したんだ、それを成すまで心折れるわけにはいかないだろう……!
「セイア様……」
人形が私を心配するように声を出す。
人形とて私を応援してくれているのだ。
それに応えなければ、何のためにヤーナムへと行ったのか。
「すぅ……はぁ…………っ──!!!」
「セイア様……!?」
脚を強く叩いて気付をし、仕込み杖で手首を裂いて水銀弾の容器に血を流し込む。
痛みで身体を強引に恐怖から引き戻し、なんとか真っ直ぐに立った。
ビリビリと痛みが脳に走り悲鳴をあげそうになるが、歯を食いしばって耐える。
深く切り裂いたせいか血は止まらないが、即座に輸血液を突き刺すことで再生させる。
「はぁ……はぁ……」
「セイア様……」
「大丈夫さ、人形……この程度で私は止まるわけには行かない」
「……」
未だ怖気付いている身体だが、これで動かすことはできる。
こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。
死を越えてなお立ち上がらなければならない。
絶望など火に焚べてしまえばいい。
「人形……彼は誰なんだい?」
先の男……異教の神父のような男。
ヤーナムにおいて異質とも言える存在について、私は人形に教えを乞うた。
「その方は……『ガスコイン神父』、でしょう」
「ガスコイン……」
振り向き、ヤーナム市街へと接続している墓石……その名前を見る。
そこにはしっかりと、『Farther Gascoigne』と書かれていた。
「……」
そして、懐から……少女から貰ったオルゴールを取り出し、蓋を開ければそこには紙片がある。
『ガスコイン』と微かに読み取れるそれは、私を天を仰がせるには十分だった。
「…………はぁー…」
「如何しましたか?」
「いや、なんでもない……世界の理不尽さを少し再確認しただけさ」
人形がセイアの不審げな様子に首を傾げる中、私は……少女に怨まれる覚悟を決め、ガスコインをどう攻略するかを考え始めていた。
前回の敗因は銃撃により怯まされたこと、そしてその原因は、自身の技量だ。
今まで近接戦時にはされなかったからと言って、近接戦を行う相手からの銃撃を想定していなかった己の観察力と想像力不足。
完全に私の自業自得、カオリが見ていれば爆笑されてしまうかもしれない。
少なくともミカはゲームで同じことをすれば笑い転げるだろうね。
それに……無造作に振ろうとした鞭だが、あの墓石だらけのところでは引っかかったりしてまともには使えないだろう。
仕込み杖を使うなら、杖のままで……そうでないなら武器を変える必要がある。
武器を、変える……そういえば。
「人形、これがなんだかわかるかい?」
懐から取り出したのは、持ち手を折り畳んだかのような形状のノコギリ。
「はい、セイア様。それは『ノコギリ槍』、その名の通り変形することでノコ刃の槍となる武器です」
「ふむ……」
「セイア様ならば扱うのに必要な筋力、技量も足りていますし、装備できるかと思いますが……同時に、新しい武器というのは使い勝手が違います。また、仕込み杖は二回強化されているのに対してノコギリ槍は未強化です」
「……一応、ノコギリ槍を二回強化するだけの血欠片は持っているが……そうだね、慣れない武器で勝てるほど彼は甘くないだろう。しばらくは仕込み杖で挑んでみるよ。希望が見えなければノコギリ槍を試すまでさ」
そう言って、未だに震える体を精神で押さえつける。
なんとかまともに立ち上がれるようになった足を叩き奮い立たせる。
墓石に触れ、ヤーナム市街へと戻ろう。
そういえば、
……考えても仕方ないか。
一つになろう、
そろそろ、この状態も治めなければいけない。
私を消してくれ。
そうでなければ生き残れない。
さあ、もっと死んでくれ。
死んで、死んで、死んで。
そして受け入れてくれ。
「何度でも殺してやるぞ、獣」
「ごほっ」
再戦の結果は、死という形で呆気なく齎された。
散弾を何とか避けたとして、斧による一撃は私の柔肌など紙のように切り裂き、骨すらも軽々と断つ。
攻撃自体は見える、しかしそれと避けられるかどうかは別だ。
前回と違い一撃で致命傷にはならなかったが、目の前の男が輸血液を使わせてくれる筈もなく。
出血により動きが鈍ったところを、両断……
ちゃぱり、と何かが滴る。
湿った音がより強くなる。
「はぁぁぁぁ…………」
「っ!かはっ!?」
スタミナが切れた瞬間、散弾により動きを止められる。
まずい、と思った瞬間には地面を抉るように跳ねあげられた斧が私の身体をかち上げ、返す刃で叩き潰される。
何手か避けられるようになったとして、そんな付け焼き刃が目の前の熟達した技術を持つ狩人に通用する筈もない。
瞬く間に内臓を抉られ、輸血液を使う暇もなく惨殺される。
ちゃぱり、ちゃぱり……
滴る音が増えていく。
「ちっ……小賢しい」
「これ、なら……!」
四度目の正直。
私はなりふり構わず、泥に塗れようと勝ちに行く戦い方を選択した。
攻撃の後隙に仕込み杖で斬撃を加える、ヒットアンドアウェイを徹底した戦法。
考えてみれば、今までの戦いはどれもそうだった。
ガスコイン神父の攻撃は大振りでリーチも人間の限界は超えておらず、よく観察すれば避ける隙間は多い。
もし当たれば私の低すぎる体力と貧弱な肉体では即死であろうが。
だが、どれほど強力な攻撃であろうと、当たらなければどうということはない。
技術は彼が圧倒的に優れているが、そもそも攻撃のリーチの外に出れば当たるということはないのだ。
搦手に気をつければ、生き残ることぐらいはできた。
しかし私の攻撃もまた、決定打にはなりそうになかった。
私の攻撃を、ガスコイン神父はうまく手や足に誘導して防ぐ。胴に入れば大抵の攻撃は大きなダメージになるものだが、手足ならばどうとでもなるということだろう。
手足を傷つけられるのも気にせず、ガスコイン神父は私に向けて散弾を放つ。
ダバァン!!
「っ!」
なんとか回避するが、ガスコイン神父はその後も攻撃を緩めない。
散弾銃は射程が短いが近接戦闘をする狩人にとってはこれ以上ない天敵のようだ。
範囲が広く、威力も高い。
その上、キヴォトスの人間である私ですら怯むような爆ぜる散弾は、一度当たれば神父の技量も相俟って戦いの中では致命傷だろう。
ヒットアンドアウェイで息を整えつつ細かく攻撃するが、あまり有効打は与えられない。
仕込み杖の刃は通常の刃物よりも鋭く、しかし鍛え上げられたガスコイン神父の肉体を切り裂くには至らない。
狩人の肉体とは超人のそれである。
獣に対抗するだけの膂力を持ち、獣の牙や爪を受けてなおその部位を失わぬ頑強さを持つ。
「ふっ!はぁっ!」
ザシュリ、ザシュリ、と仕込み杖で細かく切り付けるも、どうやらガスコイン神父は切り傷程度しか負っていないらしい。
輸血液を持っていない様子なのが救いか、こちらは回復できるがあちらは回復できないようだ。
しかしこの戦いではそのアドバンテージもない。
私の体力は低く、彼からどのような攻撃を受けても死に直結しかねないのだから。
神秘によるダメージの減衰があるとしても、彼の神父の膂力はそれを上回るのだから。
そんな負け確実の鬼ごっこを続けていれば、当然結末は決まっている。
「はぁ……はぁ……」
気がつけば戦いの中で誘導されていたのか、墓地の入り口に追い詰められている。
霧は不思議なもので、入るときは簡単に潜り抜けられたのに出ることはできないようだ。
最初のうちに動きを見切れていなかったためだろうか。
パリィができそうな行動がわかってきた頃には、牽制で撃ってしまっていた水銀弾は底をついていた。
輸血液は二十本分しっかりある。しかしそれを使う余裕も、それを使わなければいけない傷もない。
「……お手上げだね」
まっすぐ前を向けば、視線の先には悠然と歩く神父の姿。
長く戦って疲れ、スタミナを切らした私と比べ、彼は一切疲れていなかった。
これは技量の差か、はたまた肉体の差か……おそらく両方だろう。
「卑しい獣めが……」
逃げ場のない私に、もはやそれは避けられない。
ガスコインがゆっくりと斧を持ち上げ、振り下ろした。
ちょろり、ちょろり、ちょろり、ちょろり
もう少し
もう君の『瞳』は開きかけている
あとは、在り方だけだ
封じられた秘、その本質を……
「はぁ……はぁ……うっ、おえっ……はぁ……」
口の中に広がる酸っぱい味。
死の恐怖は、確実に私を蝕んでいた。
悍ましいあの感覚には一生慣れないだろう。
いや、いつかは慣れてしまうのか。
人間とはそういうものだ……
常に緊迫感を持たなければならない。
慣れはゆとりを産み、心のゆとりは楽観を産む。
そして楽観は、慢心を産む。
それ故に、死への恐怖は持つものを死から遠ざけるのだ。
身構えている時には死神は来ない、とは言うが……死を軽視すれば、彼は密かに寄ってきて、容易に首を落とされるというわけだ。
既に死への恐れからくる身体の震えは収まってきていた。
『恐怖』は身を竦ませる。
故に克服すべきだ。
私が抱くべきは、恐怖ではなく畏怖。
狩人とは、狩るものであると同時に挑戦者。
畏れを持ち、敵と相対せねばならない。
霧をくぐる。
神父が走り寄ってきている光景から目を逸らさぬまま、落ちている血の遺志を回収し、走り出す。
彼の開幕の行動は、変わらず散弾銃を放つこと。
今回は問題なく潜り抜け、その後の追撃の斧も躱す。
「「……」」
もはやお互い言葉は発さない。ただ静かに、しかし激しく戦うのみだ。
彼が斧を縦に振れば、私は横に避けて。
彼が斧を横に振れば、私はバックステップでそれを躱す。
彼が銃撃すれば、私はステップで肉薄する。
パターン化のような、しかし最適化された攻防。
前回の試すような戦い方とは違い、迷わず引き際を見極めた殺し合い。
狩人の業に、身体に引っ張られるのではなく、それを使いこなし……更には、狩人の業に頼らずとも自分の意思で技を振るい、戦えるようになりつつあった。
しかし、相手は獣狩りを幾度も繰り返してきた狩人。
私のような、今宵が初めての新人狩人ではない。
ガスコイン神父の攻撃は巧みだ。
幾度もそれは掠り、神秘による防御を貫いて浅い傷を多く作っていた。
全身から血の滲む二人。
辺りに血の臭いが立ち込めていた。
「……匂い立つなあ……」
ガスコイン神父が一度距離を取る。
私は違和感を感じ、近づかずに距離を取った。
「堪らぬ血で誘うものだ」
彼は持っている『獣狩りの斧』を身体の前に両手で構えると、大きくそれを両側に引き伸ばした。
「えづくじゃあないか……ハッハッハッ……ハッ、ハハハッ」
それは、変形。
獣狩りの仕掛け武器の真価であり、場面に応じて柔軟に対応できる他にない強み。
獣狩りの斧は元来片手斧サイズであるが、それの持ち手を伸ばせば……
振る速度を犠牲とし、攻撃範囲と威力の上がるそれは、私にとって非常に厄介なものだ。
速度が減るのならば避けやすくなるかと思いきや、今までのテンポを崩され避けにくくなる。
範囲が広がれば、その分避けづらくなる。
輸血液を使い全身の浅い傷を癒しながら、私はそれに警戒を深めた。
場に緊張が走る。
そして、それは私達が同時に駆け出したことで破られた。
幾度も攻防が続く。
ガスコイン神父の攻撃は巧みだ。
両手斧を難なく扱い、片手斧より遅いとはいえ十分な速度で振るう。
本来武器を両手持ちにしているなら扱えぬはずの散弾銃も、なんてことのないように放ってくる。
当たらなければ問題はない、とはいえ私はここまで腕の立つ相手の扱う両手武器の対処などしたことはない。
薙ぎ、突き、振り下ろしにカチ上げ。
両手で武器を扱っているからか、今までよりさらに柔軟な攻撃でもって彼は私を追い詰める。
「くっ……」
突きを横に避ければ、それを待っていたかのように薙ぎ払いがくる。
しゃがんで避ければ身長差も相まって当たることはないが、今度は振り下ろしが迫る。
「っ!」
しゃがみは悪手だったね、しゃがんだ状態から人間の動くことのできる行動はかなり限られている。
慌てて転がることで振り下ろしを避けるが、避けきれなかったコートが大きく裂かれてしまった──っ……!何か転がり落ちた!?
あれは……少女に託されていた、『小さなオルゴール』か?
それは墓地の地面を転がり、墓石にぶつかって止まると同時に、蓋が開いて動作が始まった。
テン テテーン テーン テン テテーン……♪
静かな、そして綺麗な、しかしどこか不安になるような音色。
その美しい音色を耳にした神父は、突然苦しみ始めた。
「ぐっ……がぁっ……ガァァァっ……!!」
頭を抱え、何かを思い出そうとするような……はたまた、何かを追い出そうとするような、そんな様子。
私はこれを好機と見て、彼の背中側に回り込んだ。
(……すまない!)
これが、ガスコイン神父に向けた謝罪だったか……はたまた、あの少女に向けたものだったのか。
セイアは身体全体を目一杯引き絞り、仕込み杖をガスコイン神父の背中に思い切り突き刺した。
それは今までのヒットアンドアウェイを重視した浅い斬撃ではない。深く、命を穿つための溜め攻撃。
仕込み杖の鋭い刃の石突が強靭なガスコイン神父の背中を穿ち、背骨の隙間から、致命的な部位……心臓部に、深く沈み込んだ。
「がぁっ!」
堪らず体勢を崩すガスコイン神父。
セイアはそのまま体重をかけ、仕込み杖をさらに彼の身体の奥深くへと突き刺していく。
「ご……あ……」
じりじりと深く沈んでいく刃。だんだんと、沈むペースは早くなる。
「ご……ぱっ……」
そしてついに、仕込み杖は神父の胸から突き抜けた。
串刺しとなったガスコイン神父は地面に倒れ、私はそれを確認して仕込み杖を抜く。
「はぁ……はぁ……」
ガスコイン神父から溢れる血が墓地の土を染めていく。
「グ……」
「っ!?」
触る直前に呻き声が聞こえ、慌てて飛び退く。
ビクリ、と身体を震わせた彼の身体が変質し、バキバキ、ブチブチと音を立てながら巨大化していく。
「これ、は……」
あまりに凄惨な光景に目を疑う。
まさか先ほどの串刺しで尚生きているのか?
これほどまでに獣化とは悍ましいものなのか……
彼の肉体は辺りに血を撒き散らしながら変容し、瞬く間に獣毛を纏っていく。
やがて完全な異形の獣となったガスコイン神父は、立ち上がり、大きく咆哮した。
ゴアアァァァァアア!!!
大気を震わせるかのようなその咆哮に、もはや人の面影はなく。
その瞳はもはや蕩けきり、理性は残っていなかった。
「……!」
ガスコイン神父……否、狩人の獣がこちらにゆっくりと振り向く。
それと同時に、私は周囲にある墓石群の一つを獣との間に挟むように位置どりをした。
まずは様子見……ガスコイン神父は言動から血に酔っているのだと思っていたが……もう既に、獣になりかけていたのか……
……最初から、手遅れだったということか。
獣はゆっくりとこちらを認識すると……すぐに獲物と認め、駆け出した。
その膂力の前には私と獣との間に挟んだ墓石は意味をなさず、腕を一振りするだけで砕け、凶爪が襲いかかってくる。
なんて馬鹿げた力だ……!
振り下ろされる拳は岩を砕き、鋭い爪は周囲の木を切り飛ばす。
暴虐、まさにそう呼ぶのが正しい程の圧倒的な暴れっぷりでこちらを追い詰める。
しかし私とてただやられはしない。
ガスコイン神父との戦いによって経験を積んだ
獣の左腕の振り下ろし、
大型の獣との戦い方は、すでに聖職者の獣との戦いによってわかっている。
聖職者の獣より数回り小さく、その分小回りが利き攻撃が早い、という点でガスコインの獣は手強いが……基本は同じだ。
彼の大振りの攻撃を回避し、私は胴体を仕込み杖で切り裂いていく。
ガアァ!!!
苛立ったのかさらに攻撃が激しくなる。
いかに小回りの利く私とて、スタミナの最大値が低い以上は段々と疲労が蓄積していく。
ましてや、今回は人間の状態のガスコインとの連戦。
徐々に避けられぬ攻撃が増え、狩り装束が裂かれていく。
「くっ……」
一度距離を取り、私は仕込み杖を変形させる。
人間の頃のガスコインとの戦いでは使う隙がなく、また墓石が多く引っかかる可能性があったが……獣に理性はなく、周囲の墓石は獣によって砕かれている。
制約が取り払われた私は、息を整えるのも兼ねて鞭となった仕込み杖を振るい────っ!?
ゴアァァァァ!!!
振るわれた鞭を、左腕で
その大きな手を深く切り裂くものの、獣の行動は止まらない。その強靭な肉体から生み出される瞬発力は、私を出し抜いた。
「なっ!?」
獣が行ったのは、鞭の引き込み。
そして、跳躍、飛びかかり。
急にかかった力で体勢を崩した私へと降ってきたその肉体が、私の立っていた場所の土を抉り飛ばす。
「ぐっ……!」
聖職者の獣にも同じことをされた経験から、なんとかうまくその攻撃を回避することはできた。
しかし──獣の猛攻は終わっていなかった。
ガアァァァァ!!!
ローリングによって回避し体勢を整えようとしている私に見えたのは、この身に迫る、鈍く光った凶爪の光だった。
「ごふっ……」
気がついた瞬間には、私の身体には深い傷がいくつも刻まれていて。
私の眼前には、あの獣。
彼は、大きく腕を振り上げて─────
ちょろり、ちょろり、ちょろり……ざぱん。
あとは、その時が来るまで……
さあ、
私を糧にしてくれ。
イレギュラー、本来あり得ざる神秘……
その、精算を……