ここすき、よろしくお願いします
ギルバートの家を離れた私は、ヨセフカの診療所へとやってきていた。
ヨセフカの診療所は防犯がしっかりしているとはいえ、獣が入り込んでいた事実もある場所だからね。
避難とまでは行かずとも、安否確認したほうがいいだろう。
「ヨセフカ、いるかい?」
2階病室への戸を叩く。
以前私がいた病室であり、ヨセフカによって閉じきられている場所だ。
『……あら、あなた……』
「……?」
ヨセフカが扉越しに応答してくれた……が、すぐに何か違和感を感じる。
言い表せないが、変な感覚。
一体なんだ、これは。
『無事でよかったわ。あなたに、お願いがあるの。これから、獣狩りに出ていくのでしょう?』
「ああ、そうだが……」
今更確認する必要はあるのだろうか。
そもそもここに来てから私はずっと獣狩りだが……
『だったら、もしどこかで、まだ獣でない人を見つけたら……この「ヨセフカの診療所」を教えてあげて』
……ん?
以前は患者を危険に晒すわけにはいかないと言ってはいなかったかい?
『……彼らが人のままだったら、医療者として、私が保護するわ、治療もできる。もう獣や病に怯えることもないって、そう言ってほしいの』
……『治療』?
そんなことは不可能ではないのか?
この街を仕切っていると思われる
『……今度の夜は長いわ。私も、閉じ籠もっているだけじゃなくて、できるだけのことがしたいの……お礼もするわ。あなただって、悪い話ではないでしょう?よろしく、お願いね……』
……あまりの違和感に、言葉も出せず診療所から出てきてしまった。
雰囲気が違いすぎる。
以前ならば純粋に人を心配していたように感じたが、今はどう聞いても
……あまりこちらに避難誘導はしないようにしよう。
以前と比べて
代わりに何やら水音も聞こえるようになったのだが。
『またあんたかい、しつこいね』
「そう言わないでくれ、お婆さん」
大橋を抜けて街の南側。
犬をしっかり処理したあと、私は老婆と会話していた。
相変わらず偏屈なようで、しかし言葉の裏には不思議と優しさがある気がするこの老婆は……不思議な人だね。
とにかく、オドン教会のことを教えてあげなければ。
『ふん、役立たずに用はないんだよ。それとも、見つけたのかい?どこか安全なところをさ』
「ああ。オドン教会というところでね、そこの下水橋の向こう側、地下墓の上にあるんだ」
彼女の言葉に私が応えると、彼女はううむと呻った。
何かいけなかっただろうか?
『……ああ、そうかい。よそ者も、たまには役に立つじゃあないかい……』
『あっちにゃあっちで嫌な奴がいるんだがね……』
「……何か言ったかい?」
何か小さく言ったような……
なんて言ったのか、私の耳でも聞こえなかったが……
扉越しでくぐもっていたのもあり、ハッキリとした音として認識できなかった。
『なんでもないよ!さあ、もういいよ。いったいった!あんたの仕事は獣狩りだろう?さっさと終わらせて欲しいもんさね』
「あ、ああ……」
怒鳴られて思わず身を引く。
これだけ元気なのもこの街では珍しい。
獣にも負けなさそうな気迫ではあるが……
「……一人で行けるかい?」
あの下水橋は渡ろうとしたら火球が転がってくるような危ういものだが……
『舐めんじゃないよ、よそ者が。何年この街で過ごしてると思ってんだい、朝飯前さね』
「確かに朝はまだ遠いだろうが……」
『うるさいよ、アンタ!さっさとお行き!』
バン、と音を立てたあと、それっきり老婆の声は聞こえなくなった。
きっと支度を始めたのだろう、私も先へと進もうか。
しっし、と追い払われるのには慣れてきた。
あちらはあまり私のことをよくは思ってないらしいが……なんだかんだお婆さんとも親しくなり始めているのを感じる。
「アイリーン……おや、いない」
造船所の梁上から行けるバルコニーには、すでにアイリーンはいなかった。
きっとすでに移動したのだろう。
彼女とて狩人、今の状況で動かないわけがないからね……
「……なら、次に行くか」
罪と向き合うべき時が、早くも来ていた。
窓の格子を優しく叩く。
パタパタと可愛い音がして、窓際に気配が来た。
『……こんばんは、獣狩りさん』
声の主は幼い少女。
その優しい声が、私の心を締め付ける。
「こんばんは」
挨拶を返す。
訪問者は私一人だけであり、その他にあいさつはない。
少女は、私の他に誰もいないとわかるとその声のトーンを落とした。
『……お母さん、まだ見つからないの?』
「……ああ、お母さんはまだ見つからない」
『……そっか』
しょんぼりとする彼女に、より胸が痛くなる。
父を殺し、母を勝手に弔ったことを彼女が知れば、私は彼女にどれだけ恨まれるのだろうか。
『……うん、わかった。私、待てるよ。お母さんの子だし、獣狩りさんも、優しいし……一人でも、寂しくなんてないんだから』
そう言う彼女は、明らかに寂しそうで。
早く帰ってこないかなと、そわそわと揺れていて……
苦しい。
喘ぎたいほど
世界はあまりにも残酷で、運命は人を苦しめる。
ここで辛さを見せるわけにはいかない。
それは私への裏切りでも、少女への裏切りでもある。
『でも』
「……?」
少女が、声を上げる。
『私、ずっとここにいていいのかな?』
「……」
『もしかしてお母さん、お父さんも、家に帰れなくて……だったら、私がお迎えに行った方がいいのかな?』
それは、あまりにも残酷な提案であり、願いでもあった。
できるならば、ずっとここにいてほしい。
なにも知らないでほしい。
けれど、それは私のエゴだとはっきりわかる。
獣の病はびこるこの場所にいつまでも居させるわけにはいかない。
たとえ残酷だとしても、いつかは知らなければいけないこともある。
「ねえ、獣狩りさん、どうかなぁ……?」
覚悟を決めろ、現実から目を逸らすな。
「……オドン教会……というところがあってね。避難所になっているんだ。もしかしたら、君のお父さんやお母さんもそっちにいるかも知れない」
『うん、わかった……ありがとう、獣狩りさん。お母さんとお父さんと、お爺ちゃんの次に大好きよ!』
嬉しそうにする少女。
もしかしたら、という
そして、途轍もなく嫌な感覚。
このまま行かせたら大きな後悔をするという直感。
「待ってくれ、私も一緒に行くよ」
気がついた時には、そんな言葉が口から出ていた。
『え、獣狩りさんが?』
「ああ。今晩は君のお母さんが帰ってこれないくらい危ない夜だからね。私がついていけば、安全に行けるよ」
『……たしかに!少しだけ待ってて!』
ぱあ、と声音を明るくすると、何やらガサゴソとモノを漁るような音がした。
やがて支度が終わったのか、家から出てきて少女は私の前に姿を現す。
編み込まれた長い金髪。
片髪に隠れた深く碧い瞳。
翠の服に身を包んだ幼い身体。
手に持つのは、
「本かい?」
「うん。お母さんが教会に来るまで、これを読んで待つの」
「そうか……」
そんな日は一生来ることはない。
けれど、彼女の気がそちらへ向くならそれでよかった。
「さあ、行こうか。ところでオドン教会の場所は知っているのかい?」
「うん。お父さんがたまに話してくれる、聖堂街の方の教会でしょう?」
「ああ」
鍵を持っていただけのことはあり、ガスコインはオドン教会を知っていたのだろう。
どのように話していたかはわからないが、良い場所である認知はしていたようだ。
「私、行き方知ってるの。下水道に降りて、橋の下を通り抜ければ安全に行けるって」
「橋の下……なるほど」
橋の上は火球が通り過ぎる場所であり、警戒も厳しい。
目の前の幼い少女を連れて歩けるほど悠長な場でもないだろう。
その点、下水橋寄りの下水道ならば動く腐乱死体と太ったカラスくらいしか敵はいない。
少女の教育には悪いが……最悪、私が背負っていけばいいだろう。
下水橋と同じ高さまで梯子を上がらなきゃいけないのだけが不安だね。
「獣狩りさん、行こう」
「ああ、待ってくれ」
「?」
私は梯子に近づいた少女を呼び止めた。
「改めて紹介しておこうと思ってね。私の名前は……セイア・ユリゾノだ」
「珍しい名前なんだね、獣狩りさん……セイアさん?」
「好きに呼んでくれ」
「じゃあ、お姉さんで」
お姉さん、か。
私の知り合いは基本的に私より年上に見えるから、そう呼ばれるのは少し新鮮だ。
「さて、私も君の名前を知らないとこの先意思疎通が危ういからね。教えてくれるかい?」
「うん」
少女は改めてこちらへと身体を向けると、姿勢を正して私を見た。
「
それは、とても