夜渡るの……やめられなくて……
長い梯子を登る。
煙たさと焦げ臭さ立ちこめる街の中に、その時計塔はあった。
その頂、街を見渡すことのできる場所には、一機の兵器が据え付けられている。
それはこの時代には不釣り合いな、
そしてその銃座の元に腰掛けるように、一人の男が座っていた。
「…………ほう、貴公……どこから入ったのだ?」
灰を被ったかのような彼は、そう声を上げた。
古狩人、デュラ……旧市街を守る、愚かにも賢しい男だった。
「下の大扉からこの街に来たのだが……」
そう私が答えれば、彼はピクリと反応し目を伏せる。
しかしすぐに目を開ければ、彼は街を見下ろすように目線を下ろした。
「……まあ、いい。貴公、旧市街に何の用だ?上がどうなっているのか知らないが、ここは放っておけばよい。獣どもは上にはいけん、誰にも迷惑はかけないさ」
「……ふむ」
それは優しい声音であり、狩人らしからぬ慈しむような表情だった。
しかしすぐにその雰囲気は消え去り、射殺すような眼光が私を貫く。
「それでも、貴公が彼らを狩るのなら……私は貴公を狩るだろう。どうなんだ?」
「……何か事情があるのだろう。襲われない限りは狩らないようにしよう」
彼らとて元は人、力を得るために狩るということも今に至っては彼らでは不足だ。
わざわざ狩ることもないだろう、目覚め直せば元通りなのだから。
「……そうか、ならばよい。今は夢見ることもないが、私とて、かつては狩人だったのだ。狩人狩りなど、忌まわしいばかりだからな」
どのような狩りをしてきたのだろうか。
その言葉には悲壮さと忌まわしさが滲み出ており、怨みのこもったものだった。
今のイズと同じような、夢見る狩人だったのか……気になるところだが、そこまで踏み込むこともできないだろう。
「ただ、覚えておいてくれ。貴公は獣など狩っていない。あれは……やはり人だよ。貴公もいつか思い知る……ここにきた少女は、わからなかったようだが」
「……彼女か。ここに挑んだとは聞いていたが」
私がそう言った瞬間、目の前に迫る杭。
聖剣で受け止めれば、彼は競り合いながらも試すような瞳でこちらを見ていた。
「……あれは貴公の仲間だったのか」
「仲間ではあれど、私と彼女の在り方は違う。そして私は……彼女を止めたい。故にここで私が獣を狩ることはないと誓おう」
その言葉を聞き、彼は素直にその手の武器──パイルバンカーを下ろした。
「……あれがここに来ないよう言葉をかけておけ。永くここに挑まれ続けるのは、鬱陶しいからな。獣は人、狩人は人殺し……悍ましいものだ」
はあ、と疲れ果てたかのようにため息を吐くデュラ。
永い夜を過ごしてきた彼は、諦観を抱くには十分すぎる時間を過ごしてしまっていた。
その底に燃える激情は今は小さく、燻っている。
「どうした?狩人に繰言は不要だろう。さあ、もう行きたまえ……夢見るは一夜だ。悔いのないようにな」
「……ああ」
「師よ、ご覧あれ!私はやりました、やりましたぞ!」
「この穢れた女を、潰して潰して潰して、ピンク色の肉塊に変えてやりましたぞ!」
「どうだ、売女めが!」
「如何にお前が不死だとて、このままずっと生きるのなら、何ものも誑かせないだろう!」
「すべて内側、粘膜をさらけ出したその姿こそが、いやらしい貴様には丁度よいわ!」
「ヒャハ、ヒャハッ、ヒャハハハハハハァーッ」
狂ったような叫び声を上げるアルフレート。
その前には血肉でぐしゃぐしゃになった玉座と、潰れた肉塊がこびり付いている。
あまりに悍ましい光景に、ここまでの激戦と惨状を乗り越えてきたイズも顔色が悪かった。
「イズさん!見てください!あなたのお蔭で、遂に私はやりましたよ!」
「どうです!素晴らしいでしょう!これで師を、列聖の殉教者として祀れます!」
「ヒャハ、ヒャハッ」
「私はやったんだあーーーっ!」
「ヒャハハハハハハァーッ」
絶叫が響き渡る。
ぐしゃり、と握りつぶした肉片を地面へと叩きつけると、彼はそれを嬉しそうに踏みつつ前へと進む。
そこにあったのは、女王が最期に手に持っていた一冊の本だった。
『血族名鑑』、そう書かれた表紙は脂と血肉により汚れている。
おそらく、女王はここまで馳せ参じた者をこの孤城の牢たる玉座から自身を解放する血族とでも思っていたのだろう。
故に、この売女はこれを持っていた……アルフレートはそう考えていた。
生き残りがいないとも限らないために、アルフレートはそれを開く。
そこには名だたる血の貴族、そして血族の狩人たちが連ねられていた。
その
唯一、狩人の欄には一つだけ、
アルフレートはそれを気に止めず、閉じる。
穢れた血族の本流は絶えたのだ、後は細々とした血脈が途絶えれば絶滅する。
純血の証たる忌々しき銀の髪はもはや失われ、
落ち着きを取り戻した彼は、ゆっくりと後ろへ振り返った。
「……さて、イズさん。帰りましょう……そして、師を祀らなければ」
「……う、うん」
かつての自身の持ち物、血族名鑑があったことで……自分の正体を悟られないか不安だった彼女も、そうはならなかったと気がつき安堵する。
アルフレートの柔らかな声は、先ほどとは打って変わって晴れやかだった……それが、不気味なのだが。
「……ところで、どう帰りましょうか」
「……ボートとか、あるかな……あ、まずここから降りないと……」
「……少々長くなりそうですね」
ここまできた馬車もないのを思い出した二人が、やっとの思いで帰ることになるのはまだ先の話。
***
「……あんた、彼の剣を拾ったのか」
「ああ」
地下死体溜まり。
血の海の端に立つやつしの男と、私は会話していた。
「……俺はごめんだね。英雄を導いた欺瞞の光に、わざわざ自分から近づくなんてこと」
「ふむ……」
彼は嫌悪するかのような声音でそう言うが、私がそれを聞いてなお背の聖剣を手放そうとしないのを見るとため息をついた。
「まあいい、本題だ……あんた、分かるかい?なぜ狩人が、この悪夢に囚われるのか」
「ふむ?血に酔い、夢から覚められなくなるから……とかかい?」
興味深い話だ。
この悪夢に囚われているのは誰も彼もが熟達した狩人たちであり、生半可な実力をしているものなど一人もいない。
私のように、肉体が
「いいや。この悪夢は、狩人の業に芽生えているのさ……そして、その業を必死に隠す者もいる。憐れな、そして傲慢な話さ」
「……ふむ」
狩人の
業、カルマ……狩人の
狩人はこれまでのことを鑑みるに、何か重い罪があるようだが……
「……だからこそ、秘密は暴かれるべきなんだ……さあ、先に進みたまえよ。あんた悪夢に、悪夢の秘密に興味があるんだろう?」
「……そうだね」
狩人の悪夢、地下死体溜まりの先。
地下牢と思わしき場所には、多くの遺骸があった。
そして、狂った人も。
「……夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず
名誉ある教会の狩人よ
獣は呪い、呪いは軛
そして君たちは、教会の剣とならん」
そう唱えながら、壁に頭を打ちつける男。
百鬼夜行の生徒たちに見られるような服装に身を包んでいる彼は、異邦の人間だろうか……
鍵が頑丈に閉まった戸の先にいるため、手出しもできず、放っておくしかない。
探索を進めると、地下牢の最深部には一つの小さな扉があった。
「……ほう、狩人か。おかしなところに現れるものだ。お主、今、鐘の音は聞こえているかね?」
「いや……」
「……ならばよい。お主の敵は獣、こんなところにはいないだろう……狩りに戻るんだな。そして、叶うなら夜を忘れることだ」
そう一方的に語る彼からは、凄まじい血の臭いと、そして死臭が感じ取れた。
鐘の音とは一体どういうことなのか……そして、夜を忘れるとは……?
そう疑問に思うが、彼はため息をつくと一言残して黙り込んだ。
「……囚われるべきでない場所、知るべきでない事……近付くなど愚か者の仕業よ……」
「……」
ヤーナムに来たこと、それ自体が本来私にとって有り得ぬこと。
愚かだとしても、私は私の道を歩まなければならない。
地下牢を進んだ先は、見たことのある大聖堂が存在していた。
否、それは似て非なるもの。
エミーリアと戦った大聖堂とよく似た場所、その祭壇には獣の頭蓋ではなく聖者の遺体が横たえられていた。
頭頂部に穴が空いたそれを前にして、頭の中で啓蒙の声が響く。
“脳に瞳を授けたまえ”
……正気かい?
死体を弄ぶというのか……いやそもそも瞳というのは……
なに?瞳のペンダント……?本当にそれでいいのか……?
わかった、とりあえず入れてみよう……む、何かに引っ掛かって……
ガコン
……動いた……
嘘だろう……?
動揺する私を他所に、祭壇はゆっくりと