大聖堂、直上。
大昇降機によって運ばれた先に存在していたのは、巨大な螺旋階段が支柱となった塔だった。
あちこちから悲鳴と呻き声が聞こえてくるそこは、実験棟……医療教会の冒涜的な実験を示す、醜悪な地である。
「……なんと、まあ」
襲いかかってくる患者たちを聖剣にて切り捨てつつ、私はどうしたものかと言葉を濁す。
狂い走り来る彼らは頭部が肥大化し梅干しのようになった奇怪な姿であり、その身は病衣というよりも拘束衣を纏わされたかのような状態。
狂いきった人間が異常発達した身体能力で襲い来る、というのは今までに経験した獣狩りとは違い、軌道や意図が読みづらく苦手意識を持たざるをえない。
ギャアァア!
「むっ……!」
バシャン、という音がして先ほどまで私がいたところに液体の入った瓶が叩きつけられた。
音を立てて気化するそれは、神秘がふんだんに込められたもののようだ……火炎瓶などなら当たっても問題のないのが生徒というものだが、あれに当たれば防御が働かずヘイローが砕けるかもしれない。
「医療教会はここで何を研究していたんだ……?」
人間の、そして獣の膂力をも遥かに超えた暴力を持った患者たち。
肥大化し、もはや原形など残していない頭部は何を示しているのか……
襲い来る患者たちを迎え撃ちつつ、上層階へと上がっていく。
中にはまだ、発狂していないものたち……と言っても正気でもなかったが、譫言のように同じ言葉と絶望を並べていることもあった。
「……誰か、俺の目玉を知らないか……水たまりに、落としちまったみたいなんだ……ここはずっと、青白いんだよ……」
「……殺してくれ……もう、殺してくれ……こんなところは、もう嫌だ……頭がおかしくなっちまうよ……」
「……ああ、誰か……助けて……」
「懺悔します。もうしません……もう二度と……しませんから……」
「恐ろしい、恐ろしいのです……この湿った、暗闇が……暗闇の底から……」
「ああ、マリア様、マリア様……お願いします。手を握っていてください……そうでないと、もう……溺れちまうよ……」
マリア様、と虚空に呼ぶものがいたが……誰だい?マリア様というのは……
そういえば、私はいつかここを……
……もしかして……
実験棟の順路に添い、向かって左側の病室を探索していた私だったが、どうやら右側には手術室とエレベーターがあったらしい。
エレベーターを動かし一階へと繋がるショートカットを開通した私は、その手術室の中へと振り返った。
「……ねえ、あなた。マリア様ではないのでしょう?」
そこにいたのは、一人の女性。
椅子に縛り付けられ拘束された彼女は、優しく私へ語りかけた。
「ああ」
「そう、やっぱり。足音が軽いもの……」
そう言って笑ったかのような雰囲気を出した彼女だが、生憎私には
アデラインと名乗った彼女は、妖艶な、しかしどこか可憐で可愛らしい。
「……君は、他の患者と違って理性を保っているようだが……なんで拘束されているんだい?」
「ふふ……なんでかしら。もうしばらく前から、ここに来る人はいなくなってしまったから……わからないわ」
孤独だったというのならば尚更、狂っていないのに違和感を覚える。
人は孤独の中で、ましてや拘束された状態では生きていけないはずだ。
それは肉体的にも、そして精神的にも……
「……ねえ、あなた、ひとつお願いをしてもいいかしら」
「……なんだい?」
彼女は申し訳なさそうに、私に声をかける。
彼女の様子を見れば何かを成すことなど出来はしない、何かあるなら応えてあげようとは思うが……
「脳液が欲しいの。暗く蕩けた脳液が……」
「……脳液?」
「ええ。特別なものだから……」
……脳液。ここの患者のだろうか?
いや、特別なものというのならば別のものなのだろうか……?
そもそも、なぜそんなものを……?
「……わかった」
「ありがとう、あなた。待っているわね…………」
独特のくぐもった声が、どこか私には不気味に聞こえた。
探索を続ける。
患者たちは相変わらず手強い。
彼らは薬物で身体をおかしくされているのか、内臓を引き抜いても当たり前のように動き回っていた。
中でも点滴スタンドを振り回して徘徊していた患者は厄介で、壁や床を手当たり次第に抉って回るほどの膂力と狂人故の読みにくい動きが合わさり一時も油断ができなかった。
……打ち合った時にあの点滴スタンド、聖剣の斬撃を止めたのだが?
人から外れた膂力で振り回されても曲がりもしないし、一体どうなっているんだい……??
脅威を退けながらも実験棟を登っていく。
やがて中央階段を登り切れば、そこは梁の上。
天井階とも言うべきそこ、大階段の直上に、レバーがあった。
「……このレバーは……もしやこの大階段を動かすものか……?」
思い返せばいまいち噛み合わせが悪く、接続していない階層もあったような気がしたが……階段そのものが移動するなら、それらにも接続できる。
早速回してみれば、大きな音を立てて足元の大階段は回転し、上昇を始めた。
「凄まじいね……キヴォトスでもこんな大機構は少ないんじゃないかい?」
いや、そんなことはないかもしれないと
大階段が上昇し、天井付近の梁の上へ辿り着く。
もはや階層ですらないただの鉄骨、そこにそれはいた。
「ねえ、あなた。海の音は不思議ね」
「嵐のようで、雨のようで、でもゆっくりと、滴るように、私の底から、響いてくるの」
「私の底から、やってくるの……」
「でもゆっくりと……滴るようにね……」
患者たちの、肥大化した頭部……それが、
それも、ただの呻き声などではない。
年頃の少女の、透き通るような声……キヴォトスで聞けば、普通の生徒としているような、そんな声が、ぷよぷよと蠢く肉塊から発せられていた。
あまりに異質。
悪夢の中ですら、己の正気を疑う程の、狂気的な存在。
もはや生命に許されていいことではない冒涜的な何かが平然とそこにいる。
できれば関わり合いたくはないが……
しかし、何やら導きが……『脳液』とこれを指して告げているのだ。
つまりは殺して、脳液を奪い取れということ……なのか?
そういえば彼女は狂ってはいない。
いや狂ってはいるかもしれないが、少なくとも整然と言葉を話している……それが脳液を持っている条件か?
「……あなた?」
「すまない」
「きゃ」
不思議そうに声を出した肉塊に、懐から出した仕込み杖を突き立て切り裂く。
柔らかい肉を二つに割けば、そこには脳も頭蓋も存在せず、中心に白い薄暗いアメーバ状の脳液が存在していた。
手にとってみればそれは拳大であり、プルプルと弾力がある。
顔を顰めつつそれを取り出せば、裂いたはずの肉塊は元の形へと再生し、また先ほどの言葉を繰り返し始めた。
「……これで本当にいいのか……?」
途中、カラスを一羽狩った。
その口からまろび出たのは、一つの眼球。
しかしそれは、ありえないほどの神秘を帯びていた。
「……なぜこれがこんなにも……ん?」
しかしそれは、気がつけば失われ、ただの腐った眼球へと成り果てていた。
それがなんなのかは、わからないが……なんとなく、私の力が増したようにも感じられた。
『私の死体を啄み、導きの宿った目玉を喰んでいた鴉羽か。確かに私の瞳は二つあったが、獣から月光を扱う私になった時には片目しか戻っていなかったからな。夢の中にあるとは思っていたが……』
【彼女が狩ってくれたのは、とても幸運だった。より原点に近い、純度の高い神秘を得られた。これで、より強く神秘を引き出せる……】
『助言は、彼女が成長し強固な精神を獲得したことにより届きづらい。利点である反面、我々の声は本当に必要な時以外は聞こえない……か。元より強く干渉する気はないが』
【彼女自身が、強くあらねば……月は、堕とせない】
「ああ、ありがとう、あなた」
アデラインの頭部に脳液を押し付ける。
するとそれはみるみるうちに取り込まれていく。
「ああ……すごく、おいしい……」
恍惚とした様子で言う彼女は、ふふ、と笑った。
ぴくぴく、ぶよぶよと頭が動くたびに、味わっているかのように息を漏らした。
「それに、ね。湿った音が聞こえてきたわ。あなたにも聞こえているかしら?」
湿った音……?水音か……?
そういえばこの脳液を落とした彼女も、海の音が響いてくると言っていたか……?
何か関係が……?
「……ウフフフフッ。そうだ、お礼。お礼に、私の血は如何かしら?こう見えても私、『血の聖女』だったのだから……」
……『血の聖女』。
医療教会によって血液を調整された、他者へと血を施すことのできる人物……
この有り様を見れば、
「いや、遠慮しておくよ。必要になれば頼むさ」
「そう……では、待っているわ。でも欲張りはだめ。『血の渇きを恐れたまえ』よ?ウフフフフッ……」
……『血の渇きを恐れたまえ?』
『かねて血を恐れたまえ』ではなかったのか……?
教義が歪められたのか……もしくは意図的に歪めたか……か?
……医療教会、そしてあの警句の場にいた……初代教区長ローレンス。
君たちは一体……人を、何にしたかったんだい?
探索は続く。
階段に、1人の狩人が立っていた。
「……狩らせは……しな……い……」
「……すまないね、押し通るよ」
掠れた声と共に迫ってきた男を、聖剣で貫く。
その身はボロボロで、至る所に実験の跡があった。
それでも、彼は
「マリア様、私はコマドリ」
「ゆるゆると、私卵になるのかしら?」
「ねえ、マリア様?マリア様?」
「ねえ、ねえ……」
脳だけになった少女は、いつまでもそう繰り返す。
もうとっくのとうに、少女の正気など存在しないのだ。
仕込み杖で切り裂き、脳液を取り出す。
にしても一体、卵とはどういう意味なのだろうか?
脳から新たな生命が、そう思いかけて右手に持つ脳液を見る。
……まさか、ね。
だとすれば私は、アデラインを……いや……考えすぎか。
そう、思いたかった。
「……ああ、あんた。どうだい、酷いものだろう 血を恵み、獣を祓う医療教会の、これが実態というわけだ」
身をやつした男は、惨劇をその布に覆われた目で見やり口を開いた。
ただ頷くしかない、事実これはこの街、そして医療教会の闇そのものだった。
「……だが、こんなものは、秘密ではない」
これが秘密ではない、だと?
ならば一体……
「あんた悪夢に、悪夢の秘密に興味があるんだろう?だったらひとつ、忠告だ」
「……時計塔のマリアを殺したまえ。その先にこそ、秘密が隠されている……」
彼はそう言い、一人大階段に向けて歩き出した。
「……ねえ、誰か、誰かいませんか……」
「誰か私の、私の願いを聞いてください……」
がたり、がたりとアデラインが拘束具と椅子を揺らす。
「やっと聞こえた、あの音が消えそうなんです」
あの音というのは、言っていた水音のことだろうか。
今の様子を見れば、それはどうみてもよくはないものだと思うが……もうこうなってしまったのならば、私にできることは彼女の願いを聞いてあげることだけだった。
元はと言えば、私が手を貸してしまったのが原因なのだから。
私が手を貸さなければ、彼女は今も静かに椅子に座っていただろうに。
「……アデライン」
「……あなた、あなたなのね?ねえ、お願いよ、脳液が欲しいの。湿った音が消えそうなの」
私が声を掛けた途端、我慢ができないと懇願を始める彼女。
それはとても痛々しく、苦しい。
「お願いだから、脳液を持ってきて。お願いよ……あの音が私を、導いてくれるの……」
「静かになれば、きっと戻ってしまうわ。あの頃の、小さな私に……」
……それは、まるで私自身にも当てはまるようだった。
後戻りをすれば、キヴォトスにいた頃の……力のない、哀れな小娘に逆戻り……いや、してきた所業を鑑みればそれ以下に成り果ててしまう。
「私の血なら、あなたに好きなだけあげるから。ねえ、お願い、お願いよ……」
「……わかった」
手に持った脳液を、彼女に押し付ける。
彼女はそれを、音を立てて咀嚼した。
「ズズッ、ズズズズッ……ああ……ああ……」
「聞こえてきたわ、あの音が、私を導く声が。ああ……ああ……」
『声』。
彼女ははっきりとそう言った。
水音ではなく、声と……そしてそれが、私を導くと。
ルドウイークに宿っていた導きと、種は違えど同類のものか……
「ありがとう、ありがとう、あなた、私を助けてくれて」
そう言うと彼女は、懐を揺らし一つの鍵を地面に落とす。
「これは、お守り。マリア様から頂いたのだけれど、私にできるお礼は、血の他はこれくらいなの」
……礼など、しなくてもいいというのに。
「お願い、私を見捨てないで……私まだ、役に立てるのだから……」
医療教会が彼女を、そして患者たちをどのように扱ってきたのかが、今の一言に集約されていると言ってもいいだろう。
だからこそ、慕われているマリアは……彼女たちを、救おうとしていたのだろうか。
「私は、君を見捨てないよ」
「……ああ、あなた……」
私が言葉を放ったとしたても、彼女には既に届いていない。
「湿った音が耳鳴ります。
何かを思い出しそうな、そんな音。
導きが、強くその音に反応していた。
「不思議ですね。深い深い、海の底でも、水は滴るものでしょうか?ねえ、あなた、聞こえますか?ウフフフフッ……」
海の底。
それが、彼女たちに宿る神秘の根源なのだろうか。
はたまた、それは宙なのだろうか。
アデラインからもらった鍵を使い、露台……花畑へとたどり着く。
そこにあったのは、一つの瞳だった。
その瞳孔の奥には、暗い夜空が果てしなく広がり、絶え間なく、隕石の嵐が吹き荒れている。
どこか、共通点がある気がして、私は自分の瞳を近くにあった窓に映す。
そこにあるのは、深い深い深淵と、星々、そして流れる彗星だった。
それは、私自身を魅了し────
バシャン、と鏡にしていた窓ガラスが粉々に砕け散ることで、目が覚める。
目の前の窓ガラスは粉々で、その奥にあった通路の手すりに穴を開けていた。
私は今、何をした?
瞳から、
慌てて右手にあった夜空の瞳を見やれば、そこに既に神秘はなく。
身体から、特に瞳から、今までよりも強力な神秘を感じられるようになっていた。
【神秘との親和性が高すぎるが故の、肉体の変質……それがこうも、強いとは】
『これが……異世界の者の力、か?元々神秘を彼女自身が保有していることはわかっていたが……それがこうも強いとは……』
【神秘が身体を動かしているようなものだ……神秘を失えば、彼女の身体は機能を停止する。それほど神秘に依存しているものが、星の神秘に魅せられるのは……当然だったのか……?】
それからいろいろ試して、私の瞳からは星……隕石?を放てることがわかった。
何を言っているのかわからないと思うが私もどうしてこうなったのかわからない。
ミカじゃないのだからこんなことはできなくてもいいのだが……というかミカよりタチが悪くないかい?
幸い、事故のように出すことはほぼない。
放ちたいと思わなければ出ないことが分かったから、少なくとも安心は……
できない。
できるわけない。
絶対に、カオリにこれは相談しよう。
そう心に決めた。
そんなことよりも──
今は、目の前のこれを、なんとかしなければならない。
「ウフフッ……ウフフフフッ……」
目の前には、笑い声を上げる
笑い声は、さっきまで……私が出ていくまで話していた人物の声だった。
「アデライン……」
「……ああ、あなた……」
もはや人の肉体すら捨てた彼女は、自由となっていた。
「もう一度、もう一度だけ、脳液を頂けるかしら?たっぷりと、私を満たす、暗く蕩けた脳液よ」
「湿った音が囁いているの。ずっと耳元、すぐそこで……私の頭。頭だけの頭なの。だから産湯が必要なの」
「ねえ、あなた、お願いよ……私、何かになりたいの」
「……分かった」
どすり、とその頭部に、仕込み杖を突き刺す。
もう、この実験棟に、彼女の求める脳液はここにしかなかった。
白いアメーバ状の脳液を取り出せば、彼女はまたすぐに元に戻り、お願いよ、お願いよと私に囁いてきた。
その脳液を押しつければ、彼女は嬉しそうにその頭を振るわせた。
「ああ、ああっ!あああっ!ああっ!!」
「それが、形なのですね」
『
「これが私。私だけの、啓示……私だけの……ウフ、ウフフフフッ……」
「ありがとう、あなたのお陰よ。あんなに小さかった……私でも……ウフフッ……ウフッ……」
そう言って、彼女はその身を保てなくなり、崩れ去った。
中から出てきたのは、一つの結晶。
そこには、一つの『文字』が書いてあった。
【カレル文字、『苗床』。それが、彼女に齎され……君に受け継がれた、一つの形だ】
そう、導きが私へと語る。
心には、虚無。
最早哀しみも、憤りすらもない、完全な無が私を満たしていた。
相手が、いないのだ。
もはや罰する医療教会は崩壊し、元凶などもうどこにもいない。
ならば、その大元を断つしかない。
神にだって弓を引こう。
この世界の秘密を、暴いてやろう。
アデライン、君のその導き……いつか、使わせてもらうよ。
大変お待たせして本当に申し訳ありませんでした……
ほんっとうに書くのが……難しくて……気がついたら筆が止まってました
リハビリしつつ投稿を再開します
あ、夜を渡るのは3が限界です、どう頑張っても5とか無理や。ブラボのネタのすくい直しにワイは走るやで
坂本歪田様に描いて頂いたセイアちゃんの立ち絵です
【挿絵表示】
もう、どうしようもなく変質してしまっている……
ありがとうございました!
ところで、セイアちゃんは未だ「聖剣」しか使っていないのにお気づきでしょうか?