禁域の森にて。
ヴァルトール、カインの流血鴉、イズ・ガスコイン、アイリーン、恐ろしい獣はそれぞれが互いを警戒し合い、緊迫した空気が流れていた。
しかしそれを、笛の音が引き裂く。
突如として、恐ろしい獣の足元から巨木にも勝る大蛇が飛び出し、雷光をものともせず一飲みにしようとした。
「なあっ!?」
「その獣は任せたぞ、“マダラスの弟”よ」
樹々の間から飛び出した獣狩りの斧を持った連盟の狩人が恐ろしい獣を追撃し、その命を狩らんとする。
「くそっ!次から次に!」
恐ろしい獣にとっては、この場からの逃走は手段ではあった。
しかし、隠すべき自身の獣の姿は既に見られており、会話もしてしまった以上、『人智を持った獣』という異常個体として注目されるのは目に見えている。
その異常性から真っ先に捜索対象となるのは想像に難くなかった。
恐怖というものは、思いもよらぬ過去からやって来る。
恐ろしい獣の、その本質をほんの少しでも分かるものがこの世に存在しているだけで、彼の平穏は脅かされるのだ。
『過去はバラバラにしてやっても石の下からミミズのようにはい出てくる』
何処かの誰かの言葉だが、彼はこの言葉の通りであると思っていた。
こと、このヤーナムという街において。
つまり、自身の目撃者は、如何なるものであろうとも消さなければならない。
如何なる脅威であろうと、あの場には対応するように複数の化け物がいた。
ならば、相打ちを狙うこともできるだろう。
まずは目の前の狩人を殺し、潜伏を図る。
自身を中心として暴風と雷霹の嵐を作り出し、強引に大蛇の口を開いて脱出する。
襲いかかってくる狩人を打ち払い、追加で出てきた大蛇を踏みつけ八つ裂きにする。
「舐めるなよ……皆殺しにしてやる……」
大蛇に食われ移動させられたことで、幸運にも彼はあの化け物たちから離れることができていた。
この場には、目の前の連盟の狩人と、それが呼び出す大蛇しか脅威はいない。
恐ろしい獣は嗤う。
「鏖殺だ」
***
一方。
恐ろしい獣が居なくなったことで、アイリーンを狩る隙が現れたと見た流血鴉は、その凶刃を彼女へと向けていた。
「チィっ!」
最早アイリーンの武器は、その両手に握る『慈悲の刃』以外にはない。
流血鴉の技の癖を知り尽くした師であり、彼女も高速戦闘を得意とするが故に、なんとか喰らい付いてはいるものの……斬り捨てられるのは、時間の問題だった。
「私とも遊んで、よ!」
そこに割り込むのは、イズ。
流血鴉を好敵手として認めた彼女は、その命を潰さんと斧を大きく振りかぶって飛び掛かり──巨大な丸鋸の円盤に止められた。
「鴉羽よ、少しだけ持ち堪えろ」
丸鋸を柄から外し、盾のように攻撃を受け止めたヴァルトール。
その巧みな盾捌きで、彼はイズの力を利用し
本来狩人は盾を用いない。
それは獣の膂力に対し無力だからであるが、ヴァルトールのような巧みな技術があれば使い道は多くある。
「あれっ?」
イズが投げられた先は、崖に沿うように縦に形成されている禁域の森の最下層。
つまり、谷底である。
「精々、
「そんな!」
悲鳴を上げるイズだが、既に空中にある身では抵抗も何もできない。
足場になるようなものもなく、彼女は一人谷底へと落ちていった。
目的を果たしたヴァルトールが、アイリーンと流血鴉の間に割り込む。
「待たせたな」
「……」
「くっ……」
イズが落とされたことに思う所がないわけではないが、何かを言う暇すらないため口を噤むアイリーン。
そも、今のイズの異常なフィジカルを目の当たりにしたために、あれで死ぬとも思えないというのはあるが。
流血鴉の神速を、冷静な観察眼と積み重ねられた経験により確実に対処するヴァルトール。
彼は古狩人たちの中でも特に古い時代の存在であり、その実力は折り紙つきである。
「あれは必ず戻ってくる。その前に……狩るぞ」
「アンタに言われなくてもね」
「……」
流血鴉 対 アイリーン ヴァルトール
第五ラウンドである。
***
鏡を叩き割りながら、セイアは高楼の中を駆け巡る。
悪夢の主たるミコラーシュ、その秘技を潰すために。
『鏡とは古来より東洋、西洋問わず神秘的な力を持つとされた。東洋であれば死者が映る、もしくは神が宿ると。西洋であれば、鏡は真実を映し出し、未来を見通し、はたまた災いを退けると』
マネキンを叩き切り、鏡を粉砕しても、ミコラーシュの声は常に虚空から、脳に直接語りかけるように防ぎようもなく聞こえてくる。
『私がここに置いているものもまた、神秘を宿している。
「一度はあるが、それをまさか信じているのかい?」
『全ては応用だ。伝承や噂話、説話があるのならば、それらには必ず元となった現象がある。神秘はそれを再現する手段に過ぎないのだよ』
二枚の鏡を介しての移動。
それが、ミコラーシュが編み出した秘技である。
狩人の業、悪夢渡りに頼らぬ、条件付きではあるが真なる瞬間移動。
科学的に言えば生身で「量子もつれ」を自由に扱える、とでも言うような非常識なもの。
移動革命すら引き起こしかねぬそれが、一体どれほどの快挙であるのか。
しかしここは悪夢の世界、そして扱うは狂人ミコラーシュ。
こんな秘技は求めている物には程遠い、つまらぬ使い捨ての道具としか思っていない。
『先程の突きは危なかった!緊急用に隠し持っていた鏡を使わせられるとは!』
「あれで死んでいればよかっただろうに」
セイアの『月光の貫き』を避けたのは、一度限りの裏技。
折り畳み式の、展開すれば四辺一メートルとなる鏡を即座に足元へ展開し、その鏡面へと飛び込む事によってその命を繋いだのだ。
セイアのぼやきも気にせず、彼はついにテンションが最高潮まで登り、祈りを捧げ始めた。
『はあ……ああ、ゴース、あるいはゴスム』
『我らの祈りが聞こえぬか』
『白痴のロマにそうしたように、我らに瞳を授けたまえ』
『我らの脳に瞳を与え、獣の愚かを克させたまえ』
『泥に浸かり、もはや見えぬ湖』
『宇宙よ!』
『やがてこそ、舌を噛み、語り明かそう』
『明かし語ろう……』
『新しい思索、超次元を!』
『ウアアアアアアアアアアアア!』
『ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
「頭に響く……」
そうして、遂にセイアはミコラーシュの元へと辿り着く。
走りながら神秘を束ね、圧縮し、結んでいたセイアは、見敵必殺とでもいうような殺意を持ってミコラーシュへ刃を構えた。
「鬼ごっこは終わりだよ」
「然り」
対するミコラーシュは、に懐から軟体生物を取り出し、それを天に掲げる。
妖しく光る、半透明な大型のクリオネのようなその存在が、ミコラーシュの手の上で歪に蠢く。
手を大きく頭の上に掲げ、手の内の軟体生物を握りつぶせば、それは輝きを見せた。
「彼方への呼びかけ」
ミコラーシュの交信が弾け、無数の光弾が飛び交う。
一つ一つが石畳に穴を開け、大理石を粉砕する威力を持つ光弾の嵐が、辺り一面を破壊する。
しかし、セイアは飛来するそれを、月光を圧縮したまま純粋な剣技で全て
「なにっ!?」
ミコラーシュが見せた初めての動揺。
それを逃さず、セイアは一瞬で距離を詰め、その身体へ刃を突き立てる。
「しま────ごほっ」
「止めだよ」
信じられぬといった顔で、ミコラーシュはセイアを見やる。
力を解放し、光弾を撃ち落とすだろうと考えていた彼は、その隙に格闘とエーブリエタースの先触れを直撃させ仕留めるつもりだった。
セイアの剣技は確かに練度が高いが、神秘を操る技術は自身の方が上で、判断力はまだ子供だと侮っていた。
先程の、『月光の貫き』を打つ時よりも更に力が練り上げられた剣。
それを完璧に制御しきり、数多の光弾を撃ち落として尚一分の乱れも許さないコントロールをしているのだから。
心臓を貫かれ、もはや死が確定した彼は、悲しそうに目を閉じる。
「ああ、これが目覚め、すべて忘れてしまうのか……」
最早手足の感覚などない彼が、悲壮にそう呟く。
夢から醒めれば、夢は忘れてしまう。
最早現実の身体を失い、精神体として悪夢の中で存在を保っていた彼にとって、それは自身の全てを失うに等しい。
「なら、最後に脳裏に焼き付けるといい」
胸元が、翠緑に眩く光る。
「……それもまた、よい」
翠緑が、全てを飲み込んだ。
***
「はぁ……」
禁域の森、下層にて。
イズは一人歩いていた。
「邪魔」
青いキノコのような生き物を屠りながら、彼女は森を散策する。
見る人が見れば宇宙人だ!と騒ぎ立てそうなくらいに宇宙人の見た目をした青キノコには、彼女の食指は動かなかった。
というよりも、動きが遅く光弾を飛ばすか子供のように暴れるだけの存在など一目でつまらないと感じただけだが。
ヴァルトールに谷底へ落とされた後、そこに生息していた大蛇や豚、青キノコ星人を狩りつつ彼女は歩く。
強引に崖を上がることもできるが、ああして落とされてしまったことで彼女は一時的に落ち着き、テンションも下がっていた。
本能のままに動く彼女にとって、青キノコ星人を見た瞬間にたとえ一瞬でも興味が逸れたことで戻る興が削がれたというのもあるが。
「……あれ?ここはなに?」
エレベーターに乗ったり、道中の獣を狩ったりしながらフラフラして、気がつけば彼女は洞窟の中にいた。
彼女の鋭くなった嗅覚に、尖った臭いが突き刺さる。
つられるように奥へ、奥へと進めば、そこは白い湖だった。
「……毒?」
ヤーナム市街の汚水にも似た臭いだが、そこに何か不純物が加えられたようなそれは確かに毒性を持つ何かだった。
洞窟の温度は異様に低く、まるでカインハーストかと思わせるほど。
「……あ、はしご」
何故かいた教会の巨人(全裸だったが)を鯖折りにし、カインハーストにもいたワームを潰した彼女が見つけたのは、上へと続く梯子。
「……登ってみようかな」
長い、長い梯子を彼女は登る。
死体まみれの縦穴を、ずっと。
旧市街ですら見なかったほどの死体の山が、この縦穴にはあった。
「……墓地?それに……ここは聖堂街じゃなくて、私の……ヤーナムの市街?」
辿り着いたのは、
こんな所は見たことがない。
オドン教会の下にある墓地は知っているが、ここではない。
眼前の門を開けば、そこにあったのは────
「……
街の皆に知られた、市街有数の名医がいる診療所であった。
***
メンシスの高楼、その中腹。
崩壊し大穴が開いて抉れたそこを、セイアは登る。
ヒトミの言を信じるのならば、ミコラーシュは悪夢の主ではあるが悪夢を作り出した上位者ではない。
必ず、このどこかに上位者はいる。
禁域の森にもいた黒装束の集団を下し、頭に目玉がたくさんついてエイリアンのようになった気持ちの悪い豚を殺し、辿り着くは最上層。
そこにいたのは、純白のドレスを着た色白の女性だった。
顔は痩せこけ、眼窩は窪み、骨が浮き出ているその女性。
その腕には枷が取り付けられていて、その腹は、まるで
異様な様相な彼女は、セイアに目を向けず、只々その顔を高楼、その頂点へと向けていた。
「……」
赤子の鳴き声が聞こえる。
世界を超え、悪夢に留まらず、ヤーナム中に鳴り響かんとする、赤子の声が。
その鳴き声に導かれるように、セイアは高楼の頂上へと辿り着く。
そこは鳴き声の中心であり、そこにあるのは
てん、ててん、てん、てんて、てん
あまりにも聞き覚えがある、オルゴールの音が辺りに響いた。
それはセイアの罪であり、イズの願いだったもの。
いつのまにか目の前には、黒い全身装束に身を包んだ、八つ腕の怪物がいた。
背からは鴉羽の翼を生やし、それぞれの腕に曲刀を持ったその存在は、不可視の頭をもたげ、中身の見えぬローブだけを揺らす。
メンシスの悪夢、その上位者を
セイア「リボルケイン!」
且 「なにぃっ!?ぐぁぁぁぁぁ!」
一欠