モチベの源
コンコン、コンコンコン。
「……あら、あなた……無事でよかったわ。さあ、お入りなさい」
イズがヨセフカの診療所の扉を叩けば、聞こえてきたのは優しげな声。
イズもよく知る、ヨセフカ医師ものだ。
しかし、イズはその本能のままにそれを
セイアも感じていた違和感。
優しすぎる声は、その裏にある意図を包み隠し……逆に、際立たせていた。
まあ……イズにとっては、本物か偽物かなどどうでも良いのだが。
彼女はただ、
「お言葉に甘えて、ごめんくだー、さい!」
勢いよく扉周辺を破壊しながら、ダイナミックエントリーを行う。
勢いのままに大して驚いた様子のないヨセフカに刃を向けるが、それを彼女は難なく避けた。
「あら、月の香り……あなた、狩人だったのね?てっきり、何も知らない市民かと思ったわ」
「それはあんまり関係ないんじゃない?」
「そうね。でも、あなたが狩人なら、私たち良い関係を築けると思うのだけど……」
「無理かな!」
建物に激震が走る。
イズが移動するたび、棚は崩れ薬品は散乱し器具が粉々になっていく。
「あら……私は
それを避けるヨセフカは、その足取りが重い。
見ればその胎は微かに膨れ、妊娠しているようだった。
それだけなら、普通だっただろう。
それは異常な速度でどんどん成長している。
今も少しずつ、ほんの少しずつ……目の錯覚と思える程だが、確かに目視できる速度でだんだんと大きくなっていっているのだ。
イズはそれを、本能的に忌避した。
「ねえ、いい子だから……おとなしくしなさい……なんにも恐くないのよ……すぐに気持ちよくなるから……」
「気持ち悪いよ」
荒れ狂う暴力の化身が、診療所を破壊し尽くす。
途中に森にもいた青キノコ星人がいたような気がするが、そんなことはお構いなしに。
ヨセフカはその手に持った仕込み杖一本でイズの攻撃を避け、時に逸らしていたが、大きくなり続ける胎を抱えてそれを続けるのは無理があった。
やがてその身を転けさせ、もはや動くこともままならなくなった時、イズもまた武器を振るうのをやめた。
「ああ、気持ち悪い……あなた、分かる?私、ついにここまできたの、見えてるのよ……」
「……」
「やっぱり私は、私だけは違う。獣じゃないのよ……だから……ああ、気持ち悪いの……選ばれてるの……」
「意味がわからないよ」
どうせあなたも、獣になるのでしょう、と呟いたイズはその刃を振り下ろした。
何度も、何度も……悍ましい胎の子が産まれぬよう、徹底的に。
それは、女の勘である。
あるいは、イズもまた
やがて、イズは本能のままに原形を残していない臓物の中から、一本の紐を探り出した。
無数の目がついたそれは、生きているように拍動している。
悍ましい気配と共に悍ましい圧力すら感じるそれを、イズは
三本目の臍の緒、と呼ばれる、
ヨセフカの胎にいた
イズの存在が、さらに変質していく。
「……行かなきゃ」
もはや脳には謎の言葉すら届かず、それを理解することもできぬまま。
イズは、街の獣を駆逐すべく考える前に動き出していた。
***
無数の斬撃が周囲一体を舞う。
六本の刃という手数から繰り出されるのは、一撃一撃が致命傷となりかねない切れ味の斬撃。
セイアはそれを避け、時に弾き、時に受け止める。
メルゴーの乳母の手数は脅威ではあるが、その膂力は獣や狩人たちに劣る。
セイアが死闘の中で狩人の業から脱却した彼女自身の剣技、そして神秘の技があれば、十分に捌くことが可能だった。
乱舞、回転斬り、開き斬り、突き刺し。
高速の斬撃の全てが、セイアには効かない。
対するセイアは、様子見をしながら月光でメルゴーの乳母へと傷をつけていく。
中身のない、伽藍堂な外套を斬れば、不思議なことに硬い何かを斬る感触がある。
セイアがミコラーシュ戦を経て、新たに神秘を圧縮し大技の準備をしながらの戦闘スタイルを生み出したことで、その剣の斬れ味にも磨きがかかっていた。
しかしメルゴーの乳母とてただの怪物ではない。
白痴の蜘蛛や再誕者といった紛い物ではない、悪夢に巣食う真なる上位者。
セイアに刃が届かぬと見るや、その攻撃を進化させる。
メルゴーの乳母が刃を振るうのをやめ、セイアへその刃先をゆっくりと向ける。
「……?」
怪訝に思いつつ、セイアはその身を護るように聖剣を構えた。
瞬間、風切音。
セイアの身体が、聖剣の上から切り裂かれた。
「なにっ……!?」
真空状態を利用したそれは、空気の歪みとメルゴーの所作以外に感知する術がない。
幸い防御していたために致命傷ではなく、即座に輸血液を刺せば傷は塞がった。
「くっ……」
六の刃からそれぞれ放たれる飛ぶ斬撃をなんとか避け、時に聖剣で受け逸らす。
導きとルドウイークによる脳内補助、セイア自身が培ってきた戦闘経験と直感。
それを総動員することで、見えない斬撃でさえもセイアは無傷に抑えることができる。
しかし、それは前兆に過ぎない。
メルゴーの乳母の、刃を持たぬ残された一対の腕。
それが、空に向けて開かれた。
神秘が渦巻き、収束し、拡散する。
『いかん!』
ルドウイークが脳内でそう叫んだ瞬間、世界が暗く、昏く、闇くなる。
『世界が塗り替えられた!』
「なにっ!?」
見渡す限り、闇。
一寸先すら見えぬ、真なる恐怖の世界。
メルゴーの乳母自身の、悪夢の世界が展開された。
本来、ここ『メンシスの悪夢』は上位者『メルゴー』が生み出した悪夢であり、彼自身の領域とも言える空間である。
元来上位者は自身の領域外でその権能を発揮することはできず、そもそも入ることもできない。
上位者同士の戦いとは領域と権能の押し付け合いであり、互いの領域を
しかし、メルゴーの乳母はその上書き合戦を放棄した。
自身の権能を制限することにより、メルゴーの領域内への無断侵入を果たし、メルゴーそのものを確保するに至った。
本来なら自殺行為、精神生命体という脆く不安定な状態でそんなことをすれば、入った領域の主に存在上から塗り潰されて消滅しかねない。
しかし上位者「メルゴー」は未だ赤子だった為に闘争という概念そのものが薄く、そしてメルゴーの乳母自身の特性と権能の為にそれが成立した。
その制限を、自身の領域を内側から局所的に展開することで解き放つ。
最早メルゴーは自身の手の内にあり、邪魔されることも上塗りされる心配もない。
溟い霧が立ち込め、月も、星も、あらゆる光が届かぬ暗黒。
光が消え去れば、後に残るは昏い影のみ…これこそが、メルゴーの乳母の神性領域である。
領域内部を本来ある筈のない光源である月光の聖剣が照らす。
それにより浮き出るは、セイアを中心に円を描くように存在する、
権能により実体のある影から作り出された五体の分身と本体が、その刃を構え、縦横無尽に振りおろした。
領域内に閉じられたセイアへと、絶え間なく投射される無数の斬撃。
六方向、十八対三十六枚の刃から繰り出される斬撃の嵐に、避ける隙間など有りはしない。
「くっ!?」
咄嗟に飛び退けば、ザバザバと聞いたことのない音と共に石畳が細切れになる。
絶え間なく降り注ぐ飛ぶ斬撃が重なり合い高威力となっているために、当たれば少なくとも四肢欠損、最悪は即死だろう。
自身を囲うように放たれているために、完全な回避は難しい。
ならば、とセイアは懐から
「
秘儀、『獣の咆哮』。
一つ目の触媒、
それは気がつけばセイアの右手と同化していて、水銀弾を強く握り締める。
■■■■■■■■■■!!
瞬間、凄まじい咆哮が辺りを揺らす。
セイアの内から発せられたつんざく悲鳴が、衝撃波を伴い周囲にあったものを吹き飛ばした。
それは鎌鼬である飛ぶ斬撃も同様であり、空気の断層であるそれらは一時的に乱されたことで全てが消え去った。
その隙をつき、セイアはメルゴーの乳母のうち一体に近づいて触媒ごと手を押し当てる。
「エーブリエタースの先触れ!』
丸太の如き触手がメルゴーの乳母を貫き、そのまま半身を千切り絶命させる。
それは影のように霧散して、存在を消失させた。
「残り5体」
そういうと共に、取り出した最後の触媒……『古い狩人の遺骨』を握り締める。
これは狩人の夢、そのモデルと思われる庭園に落ちていた、古い狩人のものと思われる遺骨。
その効果は『加速』である。
セイアが駆ける。
斬撃の雨霰が降り注ぐ中、的確に避けて駆け寄ったメルゴーの乳母の分身の一体へ懐から取り出した一本の小さな棒を突き立てた。
先端が丸まったそれは、『小さなトニトルス』。
棒を起点に落雷を発生させるそれを突き刺したことで、どこからか影を切り裂き一条の稲妻が乳母の身体を穿ち貫いた。
「四体」
霧散する影を背後に振り向くセイア。
バラバラに攻撃しても意味がない、と判断したメルゴーの乳母は、残った三体を集まらせセイアに集中砲火を浴びせかけた。
「くっ……!エーブリエタースの先触れ!」
即座に触手を召喚して盾としたセイアだったが、それも数瞬しか保たない。
神秘で構成された上位者の一部だとしても関係なしに、飛ぶ斬撃は細断していく。
「それでもっ!」
触手が全て切り刻まれる前に追加で自身の足元の石畳を聖剣で畳返しにし、さらに先触れを挟むことで時間を稼ぐ。
稼げた時間は三秒。
その三秒で、セイアは月光の聖剣を構えた。
飛ぶ斬撃は不可視の鎌鼬、見ることはできないが軌跡は直線……ならば直線の一切合切を無くせばいい。
石畳が瞬時に切り裂かれ、最後の触手が貫通されるその直前に、翠緑の光が全てを照らす。
戦闘開始から、否、それ以前から圧縮し、練り上げ、編み込んでいた神秘の収束を解き放つ。
「月光の貫き!」
轟音と共に、斬撃と超神秘の槍がぶつかり合う。
全ての障害を貫かんとする月光に対し、それを止めんとしてガリガリと音を立てて衝突する斬撃の雨。
何物にも負けないと感じた神秘の槍が、徐々に減衰していく。
しかしそれでもその威力は衰えず、メルゴーの乳母は月光を逸らすことしかできなかった。
ガォン!という音が響くと共にメルゴーの乳母の分身体を二体消し飛ばしながら、月光の貫きは彼方へと消える。
それはメルゴーの乳母の領域に穴を開け、天蓋に元のメンシスの悪夢の空を覗かせた。
領域の完全性が解かれ、頂点からゆっくりと崩壊していく。
その前に片をつける、と言わんばかりに乳母は最後の分身と共に近づいたセイアへとその刃を振り下ろし────
「待っていたよ───
秘儀の力によって『加速』したセイアはその刃を潜り抜け、一瞬にして練り上げた神秘でもって分身ごと一刀両断した。
乳母が斃れたことにより、領域が崩壊する。
辺りの景色は元のメンシスの悪夢の大高楼へと戻り、空には大きな月が輝いている。
乳母の姿が崩れ、消滅したあと、戦いの場に残っていたのは小さな乳母車。
その中の、見えない赤子に近づけば、いつの間にか横には一人の女性がいた。
白いドレスに、痩せこけた肌の、枷のついた女性。
この戦いの始終を見守っていた存在。
彼女は泣き叫ぶ赤子を抱えるような仕草をし、あやす。
そうすれば途端に赤子の泣き声は止んでいき、後には静かな寝息だけが残った。
「……君の子だったのか」
上位者、神の母。
目の前の女性はそれを肯定するように、そして赤子を解放したことに感謝するようにその頭を下げ、それと同時に目的を果たし赤子と共に薄れ消えゆく彼女を、セイアは見送った。
これで、イズを正気に戻すための条件は整った。
しかし、まだ足りない。
私自身が、イズを確実に止められるだけの力を手に入れなければいけない。
聖堂街の上層……そして、狩人の悪夢、時計塔のその先へ向かわなくては。
メルゴーの乳母の領域のモデルは伏魔御厨子。ただし領域効果は影で、斬撃は脳筋再現。
メルゴーの乳母が原作であんなに弱いの、メンシスの悪夢っていう世界に部外者でいるから力が出せてないんじゃないかと私は思います