「…………んっ……」
カーン、カーン……と脳に響く鐘の音で、イズは目を覚ました。
ガンガンと痛む頭を抑えながら頭を上げれば、そこは
「…………夜は……私は……ぅっ……?」
今の状況を疑問に思った時、脳裏に蘇ってきたのは、自身がヤーナムで暴虐の限りを尽くしてきた記憶。
ヤハグル、聖堂街、禁域の森でのセイアや流血鴉との戦闘……そして、ヤーナム市街、オドン教会での虐殺。
「あ、あぁぁ……ぁぁぁぁぁぁあ……!!」
自分がどれほどの罪を犯したかを認識し、イズは絶叫する。
特に精神を削るのは、世話になった人をこの手で殺めてしまったという事実。
そして、それで悦んでいたその時の自分への悍ましさに吐き気を催しその場に崩れ落ちる。
「うっ……おえっ……なんで、わたし……こんな……」
堪えきれず胃酸を地面へと吐き出しながら、イズは涙を流していた。
両親が死に、偶然力を得て……漠然と、獣を狩れば……敵討になると思っていた。
そうでなくても、獣を狩るのはいいことなのだと……ヤーナムという街に生まれ過ごしてきて育まれた価値観で、少しでも皆の役に立てるならと思い動いた彼女は、最悪の結果を引き起こしてしまった。
「こんな、こんなことをするために生き残ったわけじゃ…………あ……」
視界の端に映ったのは、獣狩りの斧。
父のものでもあったそれを、自分は人殺しの道具として使ってしまった。
その事実に、イズの心が折れた。
折れて、しまった。
「…………わたしが、いきているから」
斧を、手に取る。
そしてその刃を
そして、大きく振りかぶる。
「ごめん、なさい」
イズの小さな首に、その刃が振り下ろされた。
***
狩人の夢へと帰還したセイアは、早速レベルを上げると共に武器の強化を行っていた。
「ふむ……性能強化はこれで打ち止めかな」
そこにあったのは、最高の業物へと成った『月光の聖剣』。
メンシスの悪夢にあった『血の岩』という素材を使い鍛え直された月光の聖剣は、素人目から見てもこれ以上ないほどの状態になっていた。
更にそこに付けるのは、ヤハグルなどで拾った血晶石。
より重く、より鋭くなったそれは、正に『聖剣』と呼ぶに相応しいもの。
それに満足し、セイアはゆっくりと振り返る。
「十分かね?」
「ああ、
そこにいたのは、白銀の髪を束ねた一人の少女。
セイアと同じ狩り装束に身を包み、杖を片手に立つ彼女は、この狩人の夢の主にしてセイアをヤーナムへと送った存在……月乃カオリである。
「さて、ガスコインの娘……イズについてだったね。探し終わっているさ」
「感謝するよ」
セイアが夢へと帰ってきた時、カオリもまた同じタイミングで聖杯での修行を終えていた。
セイアは、カオリを見て凄まじい存在圧だと……抑えていてなお、上位者たちにも引けを取らぬそれを見て、驚嘆した。
同時に、カオリも久々に見たセイアが自身に迫る、いや同等の実力を得ていることに驚愕したのだが。
それはさておき、セイアは起きたことをカオリへと伝え……今、ヤーナムに何が起きているのか、そしてイズの行方を調べてもらっていたのだ。
「イズ・ガスコインは今、狩人の悪夢に囚われている。これは私の観測からも、君の状況証拠からも正しい筈だ」
「狩人の悪夢……血に酔った狩人が囚われている場所か」
「しかし、君が言っていたことが事実ならばイズが囚われた理由は『血に酔った』からではない。君が取りこぼした頭蓋、その持ち主……『初代教区長ローレンス』の力が原因だろう」
初代教区長ローレンス。
医療教会の創設者にして、ビルゲンワースの学徒の一人。
セイアも、『かねて血を恐れたまえ』という警句を知る際に彼の記憶を垣間見た。
「……セイア、君は彼女を助けたいと言ったね。そして、その手段はヒトミが提示した通り」
「……上位者『月の魔物』の影響を取り除いた上で、彼女を目覚め直させること」
目覚め直し、それ即ち彼女を殺す必要がある。
セイアはそれを理解した上で、覚悟を決めていた。
「そうだ。そしてそれを為すためには、イズをあちらの狩人の夢へと帰さなければならない……つまり、殺す必要がある。しかし、狩人の悪夢に囚われたことでそれには二つの障害が生まれてしまった」
「障害……イズが囚われている原因の、ローレンスのことか……だが、もう一つは?
「もう一つの原因、それは狩人の悪夢を作っている上位者だ。ローレンスは上位者にも迫るほどの力を持っているが、狩人の悪夢を作り出している存在ではない」
言われて、セイアは気がつく。
かつてメンシスの悪夢で倒したミコラーシュは『悪夢の主』であったが、悪夢を作り出した『上位者』はメルゴーであったことを。
「初代教区長ローレンス、彼を打倒するのは彼に呼ばれたイズでなくてはならない。そして君がすべきことは、狩人の悪夢を作り出している存在を狩ること……狩人、医療教会……そしてその祖が齎した原罪を見ることだ」
「原罪……」
シモンがかつて言っていた、『秘密』。
マリアが護っていたそれを、ついに暴く時が来た。
***
咽せ返るような血の匂いが漂う、暗い通路にて。
バケツを頭に被り、制服を纏った男……ヴァルトールがゆっくりと歩いていた。
やがて彼は、一つの扉の前へとたどり着く。
「……遅くなったな、
手に持っていた槌で扉の鍵を壊し、中へと入る。
そこにいたのは、和風の装束に身を包んだ、東洋人の男。
彼は頭を石の壁に幾度もぶつけ、血溜まりを作りながらも、ずっと口から詞を唱えていた。
「 夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず
名誉ある教会の狩人よ
獣は呪い、呪いは軛
そして君たちは、教会の剣とならん 」
それは、医療教会初期の狩人に伝わる言葉。
医療教会の最初の狩人、ルドウイークはかつてヤーナム民の中に狩人を募った。
しかし、ルドウイーク以前にも狩人は存在している。
彼らは皆、超人たちであったが……時代と共に、その姿を消していった。
しかし、医療教会という組織が彼らを欲さぬはずがない。
その多くは手出しすら叶わぬ圧倒的強者であったが、医療教会の深い沼のような執念はそれでも幾人かを捕える事に成功した。
そのうちの一人が、いま、ヴァルトールの目の前で狂ったように頭を打ちつけている。
仇を取るため遥か遠き東国から来訪し、かつて連盟の狩人となった男。
狩りの中で『淀み』を直視してしまい狂ってしまった彼は、ヴァルトールすら知らぬ間にいつしか姿を消していた。
「……すまなかった」
ヴァルトールはそう言葉を溢し、ゆっくりと槌を持ち上げる。
そして、もはや言葉など届かず、狂い頭を打ち続けてる彼へ、振り下ろした。
***
マリアと戦った、狩人の悪夢の時計塔。
その大時計の前に、私は立っていた。
時計は通常のものではなく、文字盤に刻まれているのはおそらくはカレル文字。
要するにこれは、ただの時計ではなく儀式に用いる何かだということ。
「……さて」
懐から取り出すのは、マリアが遺した円盤。
眼前の大時計と同じデザインをされた、星見盤だ。
私がそれを掲げれば、眼前の大時計塔は大きな音を立てて動き始め……時計の針が廻り、その時間を
やがて、時計の針が止まり……
大時計の下端が開かれ、道ができる。
それと同時に漂ってきたのは、
「………この、天空の時計塔に……?」
道から新鮮な外気が流れ込み、時計塔の中を満たしていく。
肌寒く、磯の匂いのする、冬の海の近くのような空気に導かれ、私はゆっくりとその道へ足を踏み出す。
そして、時計を踏み越えた。
「……これは」
ここは、悪夢の中。
常識に囚われてはいけないと分かってはいたが、私を迎えたのは予想を超える空間だった。
しとしとと雨が降り注ぎ、私を濡らす。
足元には、一面に広がる海水。
海特有のベタつく風が、頰を撫でた。
遠くには古いボロ屋が立ち並び、キィキィと木材の軋む音が耳に届く。
磯場に立った私の眼前に広がっていたのは、『海』と『廃村』だった。
遠目から一目見ても分かるのは、海の上に作られた気持ち悪くて汚い村の様子。
海産物を詰め込んだ樽がそこかしこに並べられており、その上をフナムシの様な節足動物が這い回っている。
村に立ち並ぶ建物はほぼ壊れた状態で放置され、壁や床にはフジツボの様な生物がびっしりと張り付いている。
辺りには舟と魚網が散乱し、住人と思われる『死体』も打ち捨てられていた。
ここは、『漁村』。
古きヤーナムの果てにあった『漁を生業とした村』であり。
ビルゲンワースの狂気により『漁り尽くされた村』である。
驚き呆ける私の元へ、廃屋の陰から一体の
私がそれに気がついたとき、彼はいつのまにか眼前まで来ていた。
「なっ!?」
彼は二メートルを超える巨躯であり、圧倒されると共に、眼前に迫るまで認識できなかった事に驚愕する。
そして、気がつく。
彼の持つ、あまりの腐臭に。
「ビルゲンワース……ビルゲンワース……」
「冒涜的殺戮者……貪欲な血狂い共め……」
「奴らに報いを……母なるゴースの怒りを……」
「ギイッ!ギイイッ……」
老人の重い声が響いた。
ローブを纏った男は、二メートルを超える体躯とは裏腹に全身が痩せ細っている。
しかしその身体からは吐き気を催す程の咽せ返る腐臭が漂い、全身にフジツボや軟体生物が纏わりついているようだった。
「君は……?」
私がそう声をかけても、彼は何の反応も返さない。
ただ、ぼそりぼそりと呟きながら、フラフラと歩き続けるだけ。
「憐れなる、老いた赤子に救いを……」
「どうか、救いのあらんことを……」
私の横を通り抜け、歩き続ける彼は、ただ呪詛を吐き続けている。
憐れなる、老いたる赤子……母なるゴースの怒り……気になる言葉が多い。
「……奴らに報いを……」
「赤子の赤子、ずっと先の赤子まで、永遠に血に呪われるがいい……」
「不吉に生まれ、望まれず暗澹と生きるがいい……」
「ギイッ!ギイイッ……」
赤子の赤子、ずっと先の赤子まで……という言葉は、聞いたことがあるような気がする。
いつだったかは定かではないが……あれは……狩人の悪夢に訪れる前か……後か……?
思い出せない……あの時の記憶が曖昧だ……
「憐れなる、老いた赤子に救いを……」
「ついにゴースの腐臭、母の愛が届きますように……」
「ギイッ、ギギギギイッ……」
ゴース……ミコラーシュが言っていた、『ゴース、あるいはゴスム』のことだろうか。
しかしそれでは、『腐臭』とは、『母』とはなんだ?
瞳を授ける上位者ではないのか?
私がそう尽きぬ疑問について考えている間に、男は気がつけば去っていた。
現れるのも、消えるのも、私は気が付けなかった。
「……進むしかないか」
どのみち、進めば謎は解けるのだから。
狩人の、医療教会の、そしてその祖たるビルゲンワースの罪。
原罪を、暴こう。
***
「…………」
カラン、と音を立てて、獣狩りの斧が地面へと落ちる。
手が震え、膝には力が入らず、涙がとめどなく溢れてしまう。
「…………なんで、わたし……!」
イズの身体は、血に酔い獣に近づいたことでいまや思考よりも本能のほうが優先度が高い。
たとえイズ自身が自死を選ぼうとも、身体がそれを許さず、生存が第一に選択され行動されてしまう。
それが、イズには耐えられなかった。
「…………っ……」
もはや、言葉にもならない叫びと共に彼女は崩れ落ちる。
完全に心が折れ、死することもできず、何をすればいいのかすらもわからないほどに思考はぐちゃぐちゃになってしまった。
精神が殻を作り、全てを拒絶する。
今この瞬間、彼女は自分自身の中に閉じ籠ろうとしていた。
しかし、彼女と関係なく世界は回る。
ここは狩人の悪夢。
血に酔った狩人が最後に囚われる場所。
イズが正気を取り戻した理由は、この悪夢に彼女に干渉していた
完全に影響が晴れたとは言い難いが、少なくとも思考回路はまともなものへと戻っていたために、イズは絶望し心折れた。
だが、イズが心折れようとも……彼女をここへ
イズがこの悪夢に囚われた理由は、血に酔った為
イズが絶望し蹲る中、一つの頭蓋が彼女の元へと転がってくる。
「う、うぅ……?」
全てを拒絶する筈の、心折れたイズの思考に、なぜかその頭蓋骨は抵抗なく受け入れられた。
その頭蓋骨を視界に収めた瞬間に
セイアと、そして回転ノコギリを携えたバケツ頭の狩人と戦闘し、その果てに敗北したこと。
しかしセイアに起死回生の一撃を放ち回復した所で、この頭蓋骨の影響か今いる場所へと移動させられたのだ。
「…………」
イズの生存本能が、現状を正しく把握する為に意思と無関係に思考回路を再起動させ、周囲を確認させる。
それはとても無神経で残酷に、イズ自身の意思を無視したものだ。
悪夢の世界を知らない彼女にとって、辺りは聖堂街に似て非なる別世界。
そこら中から煙や獣の唸り声が聞こえる様は、まるでうるさくなった旧市街のようだが……なぜ、空が明るいのか……それがわからない。
「……」
真っ直ぐに顔を上げれば、そこには荘厳な大聖堂の大扉が迎え入れるように開いていた。
それはまるで、イズを
「……もう、なんでもいい」
自分が存在する理由。
そして、自分が生きる意味。
希望、未来、そして自由。
その全てを喪失したイズは、気が付けば斧を拾い上げ……歩き出していた。