Blue Archive vol.AGITΩ 作:mukugawa
「ふう……」
トリニティ生徒会『ティーパーティー』。
そのホスト代行である桐藤ナギサは、数あるセーフハウスの一つ、その中にある秘密の部屋にいた。
秘密の部屋は、月明かりとろうそくの火だけが照らしている。
自ら買い揃えたティーセットを使い、自らが用意した茶葉から作られる紅茶を飲む。
日常のルーティンに他人の手を許せるほど、今のナギサは寛容ではなかった。
百合園セイアの暗殺事件が、元々慎重気質であったナギサを病的なまでの疑心暗鬼に駆り立てたのだ。
ナギサはもはや、自分に味方がいるなどとは考えることができないほど精神的に追い詰められていた。
「補習授業部……まさかこの短期間であの条件をクリアするとは」
ナギサの目下の悩みは補習授業部。
かつてはティーパーティー候補とまで呼ばれるほどの才能があったにも関わらず、現在は水着徘徊常習犯として牢屋の常連になった浦和ハナコ。
転校生で、正義実現委員会相手に籠城戦を繰り広げる暴挙を行った白洲アズサ。
この二人はナギサの中では有力な裏切り者候補であった。
才能をひた隠しにする者と詳細がわからない者。
どうぞ怪しんでくれと言っているようにしか思えない者たち。
そしてあと二人。
正義実現委員会所属のゲヘナ嫌い、羽川ハスミを統制するために入れた下江コハル。
犯罪組織のリーダーの疑いがかかった、阿慈谷ヒフミ。
ナギサがトリニティのために切り捨てることを決断したハグレ者たち。
二次試験の結果を確認したナギサは、自身の警戒は正しかったと考えていた。
ハナコはともかくとして、他の3名は優秀であるとはいえない。
付け加えるならアズサとコハルは留年候補の落ちこぼれだ。
普通ならばこの短期間で90点を超える点数をとれるとは思えない。
ナギサ自身、万が一試験妨害が計画通りにいかなかった場合を考えて設けた合格ライン。
しかし、彼女たちはそれを超えた。
不正がないのはわかっている。
試験会場には無数の監視カメラが仕掛けられており、カンニング等の不正は見逃すことはありえない。
何よりもあのヒフミがそれを許すことはないだろうと、ナギサは確信していた。
ヒフミはナギサにとって、かけがえのない友人だった。
その人となりを自分以上に知る者などいないという確固たる自信があったのだ。
真面目で実直な性格のヒフミが、不正など許すはずがないと。
「ヒフミさん……」
しかし、ナギサはそんな存在をゴミ箱に送った。
トリニティとヒフミを天秤にかけて、ナギサはトリニティを選択した。
補習授業部について考えるたび、その事実がナギサの心を締め付けている。
「……しかし、私はトリニティを守らなければなりません」
その言葉を自分に言い聞かせるように呟く。
答える者は誰もいない。
護衛とも一定の距離を置き、近づくことを許さないナギサの独り言に答えられるものなど────
「では、トリニティを潰しましょう」
───いないはずだった。
音もなくこの秘密の部屋に現れたのは、補習授業部の浦和ハナコ。
「あなたは、浦和ハナコさん!? なぜ───」
「秘匿されたセーフハウスの一つにいる私の居場所を知って、なおかつ潜入できたのか、ですか?」
「………!」
「護衛の皆さんに呼び掛けても意味はありませんよ? 皆さんぐっすりと眠っていただいたので」
ナギサが隠し持った呼び出しボタンを何度押しても返事はなかった。
傍に置いてあった銃を手に取ろうとするが、それはハナコとは別の手に阻まれる。
「ぐッ!? あなたは白洲アズサ……」
「動くな」
ガスマスクを被り、表情の見えないアズサに銃口を押し付けられる。
ナギサが考える中で最悪の状況が起こってしまった。
「補習授業部の裏切者が二人だったとは……」
「あら、元々私たちを裏切者だと思って補習授業部を作ったのでしょう? トリニティを潰そうなんて大胆な目的を持った人間が一人なわけないと思いますが……」
「く……!」
「ナギサさん。そんな顔をしないでください……あなたと一緒にトリニティもあの世に送ってあげますから」
「させるとでも───」
「さ~ん」
ハナコの気が抜けるようなカウントダウンが響くと、窓の外で爆発があった。
驚きを隠せないナギサは外の様子を確認しようとするが、アズサに完全に抑え込まれてしまう。
「に~い」
再び爆発があった。
遠くの方から聞こえたその音に最悪の予想が頭を過ぎる。
(まさかトリニティを襲撃しているのですか!? それもこんな夜遅くの警戒が緩む時間帯に!)
夜間も正義実現委員会が哨戒しているとはいえ、昼間よりも警戒の質は下がる。
まさか宣言通りにトリニティを潰そうというのか。
ナギサは笑顔でカウントダウンをし続けるハナコに戦慄を覚えた。
しかし、ハナコはカウントダウンを止めた。
「私、聞きたいことがあったんです……何故、ヒフミちゃんとコハルちゃんを補習授業部に入れたんですか?」
「なぜそんなことを……」
「答えてくださいよ。会話を引き延ばさないと、私たちはすぐに
頭に押しつけられる銃口。
打開策を何とか考え出さなければ、ナギサもかつてのセイアと同じ末路を辿るだろう。
ナギサは何もできない状況を歯がゆく思いながらも、少しでも時間を稼ぐために口を開いた。
「下江コハルさんは羽川ハスミさんへの抑制策です。後輩の彼女を手元に置いておけば、いくらゲヘナ嫌いの彼女であってもエデン条約阻止に動くことはできませんから」
「では、ヒフミちゃんは?」
「ヒフミさんは……犯罪集団のトップという情報があったので」
「うふふふふ、あははははは!!」
「何がおかしいのですか……!」
「だそうですよ」
ハナコの視線の先には誰かが立っていた。
ナギサには部屋が暗いせいでその姿を視認することはできなかったが、その人物はゆっくりとした足取りで窓から差す月明かりの下へと歩み出る。
「……あ、あなたは」
茶色い紙袋で顔は見えない。
しかし、特徴的な制服とリュックサックがナギサにその人物が誰であるかを理解させた。
「───」
「ひ、ヒフミさ────」
「あはは……楽しかったですよ。ナギサ様との友情ごっこ」
「あ、ああああ……」
手にかかっていた力が抜ける。
トリニティは風前の灯火。
エデン条約どころの騒ぎではない。
このたった三人に……トリニティは滅ぼされる。
「うう……あああ」
外で聞こえる爆発も、もはやナギサの耳には届かなかった。
───悔しい。
その一念だけがナギサの心を支配する。
トリニティが滅び行く中で、自分は何もできずここで命を終えるのを待つしかない。
ナギサは絶望した。
「泣かないでくださいよナギサさん。すぐに皆さんと同じところにいけるんですから……さあ、どうぞ」
ハナコがヒフミに向かって恭しく頭を下げると、ヒフミがゆっくりと手に持った銃をナギサへと突きつける。
「……や、止めて。止めてください! ヒフミさん!!」
返答はなかった。
ヒフミはその引き金を迷うことなく引いたのだ。
───パンッ。
発砲音が秘密の部屋に響き渡る。
ナギサは恐怖と共にその瞳を閉じた。
「…………え?」
しかし来るはずの衝撃はいつまでたっても来なかった。
ナギサは恐る恐る目を開けると、そこには土下座するヒフミの姿があった。
「……あ、あの」
───バンッ!
大きな音を立てて開かれた扉。
現れたのは下江コハルと新条テツヤであった。
二人はそれぞれ手に看板を持ち────
「「ドッキリ大成功ーー!!」」
と、大声で叫んだ。
「……はい?」
ーーーーーーーーーーーーーーー
ハナコの策がえげつない件について。
「うう……あああ」
桐藤さん、すごい泣いているんだけど。
いやね、俺もテストの結果を権力にまかせて握りつぶしたことには怒り心頭でしたよ。
だからハナコの策にも乗りました。
補習授業部メンバーが本気でトリニティを滅ぼそうとしたらどうなるか実際に体験してもらうっていう策を支持しました。
『疑心暗鬼状態の人を説得するためには強い衝撃が必要不可欠なんです』
確かにそうだと思いました。
でも実際にここまでへこむと心にくるって。
でもハナコは笑っている。
すごいいい笑顔で笑っている。
俺以上にキレていたんだな……
よし決めた、ハナコだけは絶対に怒らせないようにしよう。
「……や、止めて。止めてください! ヒフミさん!!」
ヒフミさんが引き金を引いた瞬間がこのドッキリ終了の合図だ。
弾は空砲。
この手作り感満載の『ドッキリ大成功!!』の看板を持って出るのが、俺とコハルに与えられた仕事だった。
……本気か?
この空気の中にこんな物を持って入れと?
俺は待機しているコハルに目配せする。
(これどうする? この空気の中でこんなバカみたいな看板を持って入れってこと? めちゃくちゃ嫌なんだけど)
(私だってそうよ! なんでこんなことを私たちが……)
その気持ちはわかる。
でもネタバラシしないで帰るのが一番まずい。
だから帰るわけにはいかないのだ。
そんなことを考えている間に発砲音が中で響く。
もう時間が来てしまった。
こうなったらやるしかない。
コハルと頷き合った俺は扉を蹴破り────
「「ドッキリ大成功ーー!!」」
と、やけくそ気味に大声で叫んだのだ……
ーーーーーーーーーーーーーーー
「……あの、本当にドッキリだったと?」
「本当です。本当にごめんなさい」
ヒフミさん、俺、コハルの三人による土下座で混乱する桐藤さんを何とか正気に戻したあと、ネタバラシを行った。
最初は理解できないようだった桐藤さんもこの状況が何となく飲み込めたのか、どこかホッとした表情で俺の弁明を聞いていた。
「……事情は、わかりました」
「ありがとうございます」
「その、ヒフミさん……本当ですよね?」
「ごめんなさい!! はい! 私がナギサ様を裏切るわけがありません!」
ヒフミさんは土下座から戻る気配がない。
この作戦自体にも否定的だったヒフミさんだ、いったい演技中はどんな思いだったのかは想像に難くない。
いくら説得に必要な行為とはいえ、ここまでの反応をされればさぞ心が痛んだだろう。
「うふふ。楽しかったですね」
「なんだろう。胸の奥がズキズキ痛む……そうか、これが罪悪感か」
アズサがまた何かを学んだようだ。
こんな形で学ぶようなことではないと思うが。
ハナコはずっと笑っている。
そんな様子を見ていた桐藤さんが、ハナコを睨みつけた。
「……ハナコさん。なぜこんなことを?」
「あなたが一向に現実を見ないからです」
「私が現実を見ていないとでも?」
「そう言っていますが聞こえませんでしたか?」
二人の間に火花が散る。
ハナコの怒りはテストの結果を握りつぶされたことだけではないらしい。
「はあ……仮に裏切者がいたとして、人の注目を浴びる目立つ真似をするとでも?」
「それは……」
「第一、アズサちゃんを疑うのならば絶対に疑わなくてはならない人物がいるはずですよね?」
桐藤さんが沈黙する。
本人に心当たりがあったのか。しばしの間逡巡した桐藤さんは口を開いた。
「……ミカさん、ですね」
「やっぱりわかっているじゃありませんか……」
「ええと……どういうことなんですか?」
ヒフミさんが桐藤さんとハナコ以外の全員の声を代弁した。
それを聞いた桐藤さんはヒフミさんから目を逸らし、しばらくすると再び視線を戻す。
「……生徒の転入には、トリニティ上層部の採決が必要です。しかし、白洲アズサさんの元々の学校は空欄でした。私は白洲アズサさんの転入に賛同しなかったのですが、気づけば転入は賛成多数で可決されていました」
「上層部の人間を動かすには権威が必要なんですよ。それこそ、ティーパーティーのような権威が」
なるほど、アズサの出身校が不明の状態で採決を通るように聖園何某が働きかけたのか。
「そうか……アリウスの刺客だとわかって、聖園ミカは私を受け入れたんだな」
「待ってください。今なんと?」
「彼女はアリウス分校から送り込まれた刺客なんだよ。だった、というべきだがね」
桐藤さんの疑問に答えた声を俺は知っている。
蹴破られたドアから入ってきたのはセイアだった。
「せ、セイアさん!?」
「やあ、ナギサ。久しいね」
「生きていたのなら何故───」
「敵にバレるわけにはいかなかったからね。私の生存を知っている人間はここにいる者たちと、ミネだけさ」
そこからはセイアからの説明が始まった。
セイアを襲撃したのがアズサだったこと。
アズサの説得に成功し、生きながらえたこと。
来るべき日までその身を隠していたこと────
「テツヤがトリニティに来た今が、攻勢に出るときなんだ」
「……セイアさんはなぜそこまで新条さんを信用するんですか?」
「救世主……いや、彼の持つ力を知っているからだ。彼と先生がいれば、ミカがいてもアリウスたちを撃破できる」
「そこまで……」
桐藤さんの目がこちらを見る。
疑いと不安の宿った目だった。
俺はその目に応えるように深く頷いた。
「……わかりました。セイアさんの言うことを信じましょう」
「ありがとう。ナギサ。ミカのためにも、早期に決着を着けなければならないからね」
「ミカさんのためにも、ですか?」
「……もし、この件が表沙汰になれば、ミカは糾弾されるだろう。最悪ティーパーティー……いや、トリニティを追い出される事態にまで発展するかもしれない」
「それは……」
「これは私の我儘だ。ミカが連れてくるであろうアリウスをトリニティ自治区内の廃墟に誘い出す。そして秘密裏にその戦力を撃破するんだ」
それはセイアがハナコとの会議で出した作戦だった。
聖園何某を守り、トリニティの混乱も防ぐ一石二鳥の計画。
参加者は補習授業部、先生、俺、セイア、シスターフッド。
「セイアさん……変わりましたね」
「そうかい?」
「ええ。いつもなら「高望みはしないほうがいい」と、現実的な作戦を考えていたのに」
「変わってなんていないさ。これが私の本音。いつも胸の底に秘めていた……私の夢だ」
仲間を救い、脅威を打ち倒す。
そして、何も失わない。
セイアの語る夢は実現不可能な絵空事じゃない。
「……」
拳を握りしめる。
セイアの夢を守るために。
俺はこの力で、みんなの救世主になってみせる。