「あっ……が……っじゃっく……!」
薄明かりの部屋で途切れ途切れのうめきが続いている。
銀髪の少年に馬乗りにされながら首を締められている少女は、彼の顔を愛おしそうにじっと見つめながら、絶息しそうな調子でもがく。
両手でベッドのシーツをギュッと掴み、呼吸を試みて、ひたすら耐えているみたいだった。
その少女──赤ずきんならば、腹の上に乗っかっているひ弱な小男程度なら簡単に突き飛ばし、縛り上げることくらい容易いはずなのに。
しかし赤ずきんは、ジャックが自分を殺そうとしているのを受け入れているかのように、抵抗しなかった。
視界の端が暗く染まり始めていて、徐々にジャックの顔も周りの景色も霞んでいき、耳が煩わしくキーンと鳴り始め、血の気は引いて、握り締めているはずのシーツの感触が消えかかっているというのに。
傍から見れば殺されていることを望んでいるかのようだった。赤ずきんは、どんなに息が苦しくても、ジャックから目を離さないようにしていた。
仲間が仲間に殺される瞬間は、他の血式少女から見たらどう映るだろうか。
親指姫や眠り姫は錯乱したかのようなジャックをどんな手を使ってでも必死に引き剥がそうとするだろう。
白雪姫やラプンツェルは恐怖と驚きを感じながら泣いて、やめてくれと叫ぶだろう。
シンデレラやかぐや姫は自分ではこの状況には対処しきれないと判断し、誰かに助けを求めるかもしれない。
グレーテルは血式少女が死ぬ瞬間を目撃する貴重さと、赤ずきんの死という戦力の低下と周囲の影響を天秤にかけて、止めるだろう。
ハーメルンは訳が分からずとも場の異常性を察し、止めに入るに違いない。
そしてアリスは……最愛のジャックが人殺しを。それも今まで共に戦い抜いてきた唯一無二の仲間である赤ずきんを殺そうとしているその瞬間を目撃したら、絶望のあまり暴走してしまうかもしれない。
部隊の精神的支柱を殺すことによって他の仲間達が悲しんだり、怒り狂ったり、最悪関係性が崩壊してしまうという予想は、感受性や共感性のある彼なら容易に想像出来たはずだ。仮にそうじゃなくても正常の人間なら分かる。
だが、それでもジャックは赤ずきんの首を絞めている。どこか嬉しそうに。ほんのりと恍惚とした表情で人殺しを行っているその姿は、普段様子を知っている者が見れば、明らかにおかしいと思うはずだろう。
ではジャックは狂ってしまったのか──いや、彼は至って正常だ。
ついさっきまで、最近のちょっとしたこととか、他愛もない世間話をしていたくらいだ。何かに操られているわけでもないし、ジャックリッパー化したわけでもない。
つまり、ジャックはこれを自分の意思で行っている。少し嬉しそうな顔をしながら。
「ぅ……ぁ……」
目じりに涙が浮かんでいる赤ずきんの意識が朦朧とし始める中、ジャックは気道を絞める力を弱めなかった。
目の前に苦しんでいる仲間がいるというのに、その仲間が苦しんでいるのは自分のせいだというのに、心優しいはずのジャックは何ら行動を起こさない。
むしろ、徐々に死へと向かっている少女を間近で眺めて楽しんでいるふしすらある。
ジャックは無言で、赤ずきんの苦痛に歪んだ顔や濃い圧迫痕が付いているであろう首、その儚げなものを今まさに締めている自分の細い両手を目視した。
両手で覆うようにして握り、喉仏の両側面辺りと首全体を強く圧迫している。
ギリギリと音が鳴るみたいに、赤ずきんの透き通った綺麗な首を支配する。いつでも殺せるし、今殺してる。お前は私のものだと言い聞かせ、証明し、服従させる。
赤ずきんの顔が涙に濡れ、息の出来ない苦しさに悶え、顔をぐしゃぐしゃにして口を開け少しでも、どうにか呼吸しようと抵抗する可愛らしい姿を見ると、背筋がゾクゾクと震える。
息の出来ない苦しさは、呼吸をして生きる生き物である人間なら誰にだって分かる。ジャックだってそうだ。故意に息を止めればいとも簡単に体験出来るし、以前窒息しそうになったことがあるから、呼吸が出来なくなる苦しさはよく知っている。
だからこそだ。
ジャックは共感性や感受性があり、なおかつ優しいから他人の痛みがよく分かる。喉が踏みつけられているような感覚も、また理解出来る。
だからこそ。
親友以上と言っても過言ではない赤ずきんがそんなに苦しい目に遭っているのだと思うと、興奮するのだ。
しかも、現在自分の手でその苦しみを与えているのだと思うと、つい顔がトロンとしてしまうのが抑えられない。
息が出来ない苦しさがどれだけ大きいかが分かるからこそ、その苦しさに悶えている彼女に愛しさを覚える。
友人であるはずの赤ずきんにそんな酷いことをし、それで興奮を得ている自分は最低だと思うと、何故か脳から快楽物質が止めどなく出てくる。
だから、ジャックは首を絞めることをやめられなかった。
苦しんでいる表情を見るととても気分が良い。窒息の恐怖に怯えているんだと思うと更に気持ちよくなる。首を絞めている自分を貶す度に脳にスパークのようなものが走る。そして彼女を生殺権利は自分の手の中にあるとすれば、おまけ程度に征服感も得られる。
もしも、このまま殺してしまったら、一体どうなってしまうのだろうか──
ジャックは最高の快楽を得られるだろう。
人を殺すという禁忌を犯す。それだけで絶頂してしまいそうだ。
冷たく、もう動かなくなった赤ずきんに「苦しかったね」と言いながらキスをしたくなるくらい愛を感じて、それをみんなに見つかって人殺しと散々に罵られたら、快感で頭がおかしくなってしまうかもしれない。
そのまま怒りのあまり親指姫辺りに殺されてしまうかもしれないし、アリスにゴミを見るような目で見下されながら延々と涙を流されたりしたら、真の畜生だと明確に感じて笑いが止まらなくなるしれない。
あぁ、それもいい……。
「じ……っぁ……もぅ……じゃっ……く……」
目の前で意識が消失しつつある赤ずきんを放っておいて、妄想の世界に入り浸っていた。
しかしそれは長くは続かず、自分の腕を赤ずきんが手で何度か叩いていることに気付くと、彼は少し名残惜しそうに、ゆっくりと両手をその首から外した。
すると赤ずきんは狭い箱から開放されたように、新鮮な空気を精一杯肺に送り込もうと努力する。
ジャックは暴れるように呼吸をしようとするそんな彼女を見て、ますます愛おしさを感じた。それが異常なのは分かってるからこそ、更に興奮する。
腹部から隣へ移動すると、ベッドにぐったりとしている彼女の息が整うのを、見つめながら待っていた。
通常の人間を遥かに上回る身体能力を持つ血式少女だからか、整うのはあっという間だった。
「はぁ……。どうだった、ジャック……?」
まだ少しだけ息が上がっていて髪の毛が汗でベッタリとくっついており、ほんのりと顔が紅潮している今の状態で熱に浮かされたように色っぽく言われると、オスとしての本能が刺激されてしまう。
さっきまでその本能を剥き出しにして赤ずきんを襲っていたのだから、尚更だった。
「とっても良かったよ。……その、ごめん……」
少しだけ笑顔を見せながら言う赤ずきんに対して、ジャックは顔を俯かせながら申し訳なさそうに言った。
行為に及んでいる最中は夢中でやっていたからどうでも良かったが、やはり人の首を絞めて遊ぶなど外道と言う他なかったからだ。
首の気味悪い赤黒さを見ると、いっそうと後ろめたさが増してくる。血式少女ゆえの回復力があるからか一晩も経てば消えてしまうのだけど、これは自分がつけたという事実は決して消えない。
「いいのいいの。謝らなくて。ジャックがそれで少しでも気が楽になるっていうなら、あたしは構わないし」
赤ずきんは本気ではないとはいえ殺されかけていたというのに、白い歯を見せて言った。
本当に申し訳なく思う。大切な仲間を犠牲にしてまで欲を吐き出して、あまつさえそれを赦してもらうなんて。
嫌われたりしても仕方ないし、報復を受けても文句は言えないのに。
「でもビックリだよ。ジャックがこんな変態な趣味持ってたなんて」
「あはは……。うん。自分でも変だとは思うんだ。僕の中で僕じゃない何かがいるみたい……」
変だとは思うのにやめられない。ダメだとは思うのだが、心の中の別の自分に命令されているのか、やめることが出来ない。
赤ずきんの言葉に、ジャックは力なく笑う。半ば自虐だった。
そう。これは遊びだ。ジャックの“人の首を絞めてみたい”という願望を、赤ずきんが叶えてやっているだけだ。
何故、そんな猟奇的なことをしてみたいのかは本人も分からない。だけど、アリスの今にも折れてしまいそうな首。ラプンツェルやハーメルンのまだ未発達なそれを見る度に、衝動を抑えきることが難しくなる。
窒息させたい。折ってみたい。壊してみたい。苦しむ顔が見たい。涙を見てみたい。必死に生きようともがく可愛らしい艶姿を目に焼き付けたい。
そんな暗く陰湿でサディスティックな願望が日に日に増していって、気が付いたらジャックは赤ずきんの首を絞めていた。
標的が最も精神的に近しい存在であるはずのアリスではなく赤ずきんだったのは、どこかでアリスだけは傷付けてはならない、守らなくてはならないと強く感じていたからだろうか。
だから、その次に仲の良かった赤ずきんを狙ったのかもしれない。でもそれは無意識で本能的なことだったから、どうして赤ずきんにしたのかは分からないままだ。
突然ジャックに襲われた赤ずきんは驚愕のあまり動けずにいた。
どうせ誰も来ないし来ても返り討ちにしてやるから問題ないと寝る際に部屋の鍵をかけなかったのが、大きな過ちだった。仮にその時にかけていたとしても、ジャックはどこかで襲っていたのだろうが。
あの優しすぎて心配になるくらいのジャックが。弱っちいけど漢気があって信頼出来るジャックが。いつも自分よりもみんなのことを第一にして動くジャックが自分を殺そうとしている事実を脳が受け付けてくれなくて、声も出せないし身体を動かすことも出来ずにいた。
狂人は何も言わなかった。だけどとても獰猛な、嬉しそうな表情を浮かべていた。まるで圧迫から解き放たれた時のように。
その形相を見た時、赤ずきんは戦慄した。もしかしたら彼はジャックではない、限りなく似た別の誰かかと思ったくらいだ。
この世界の歪さを考えれば、“限りなく似た別人”が現れても、何ら不思議ではない。
少しずつあの世が見えてくる中で、ようやく赤ずきんは身体の動かし方を思い出した。
少しだけ力を込めてジャックを振りほどき突き飛ばして、ベッドから降りて距離を取った。いつでも逃げられるように扉を背にして、ベッドから落ちたジャックと相対した。
そのまま逃げなかったのは、もしかしたらジャック(あるいはジャックに似た存在)が何者かに操られていて、逃げてしまったら他の血式少女に被害が広がるかもしれなかったこと。そして赤ずきんはジャックを信じていたから。どうしてこんなことをしてしまったのか、話し合おうとしたのだ。
赤ずきんは血式少女の中で最年長。みんなのお姉さんとして率い、面倒を見る権利と義務がある。ジャックも例外ではない。
だから、ジャックがこのような行為に及んだ理由を聞いて、理解して、次はこうならないために解決してあげたかった。理性が残っていたらの話だが。
もし仮にジャックが理性を失っていて戦うことになったとしても、殺さずに捕えられる自信があった。もう何年も戦い続けてきた経験というものがあるし、何よりジャックは血式少女と違って身体能力は普通の人間と変わらない。
戦いたくはないがその時はその時だ。身構えていると、ジャックはゆっくりとこちらに目をやった。
まさかまた襲ってくるのかと背筋が張るような思いになった次に、赤ずきんは驚いた。
ジャックはとても悲しそうな目をしていたからだ。それでいて、怯えているようでもあった。さっきのケダモノのような表情など、とうに消えていた。
その姿を見て、赤ずきんは彼に敵意が無いことを察することが出来た。冷静になって何があったのかと聞いてみると、ジャックは恐れるようではあったが、自分の奥底に眠る危険な欲望をぽつぽつと話してくれた。
それを聞いた赤ずきんは当然、驚きを隠せなかった。根っこの方まで甘くて柔らかいと思っていたジャックが、狂気的な欲を飼っていただなんて。
赤ずきんは悩んだ。ジャックの中では今でもその望みを叶えたいと本能が疼いているらしく、別の誰かを襲ってしまいそうだというのだ。
もしも別の少女を襲ってしまったとなれば、大変なことになるのは想像に難くない。もしも抵抗出来なさそうな白雪姫辺りを襲ってしまったら、一体どうなることか。赤ずきんですら最初は何も出来なかったのに。
どうにか堪えられそうにないかと言ってみたが、ジャックは無理そうだと呟いた。こうやって赤ずきんと話している今も衝動を抑えるのに精一杯らしい。
そうなると、赤ずきんはその欲望を発散してやるしかないと結論付けた。
いわばジャックのその欲望は人間の三大欲求と同じなのだろう。解消しなくては気が気ではなくなるし、正常な生活と精神を保つためには解消しなくてはならない。
このまま放っておいて大惨事になるくらいなら、今の状態に留めておく方がよっぽど賢明な判断だ。
内容が内容だから他の人にも話しにくい。視子にはこっそり話をしておく方がいいだろうが。
今のところ、それ以外の解決策は思いつかなかった。
赤ずきんも文字通り自分の首を絞める苦渋の決断ではあったが、ジャックの本当に辛そうな顔と罪悪感を感じている表情を見て、助けになってやりたいという気持ちがないわけではなかった。
だから、その日からジャックの異常性を受け入れる日々が始まったのだ。
「どこか気分悪くなったりしてない? 今回は結構長めだったから……」
「大丈夫だって! 血式少女だもん。身体はあんたの数倍は頑丈だからね」
そう言ってやると、少しホッとしたような表情を浮かべた。
行為に及んでいる最中は彼が彼でなくなってしまうが、それが終わった後は普段の優しい彼に戻ってくれる。
“危なくなったら手で叩く。そしたらやめる”という命を守るため取り決めたルールも、きちんと守ってくれる。最低限の理性と判断能力は残っているのだろう。
視子によると、ジャックのその衝動は幾らか病的な部分を含んでおり、薬も無く、治療法もよく分からない現在治すことは難しいらしい。赤ずきんには苦しい話ではあるが、我慢させて致命的な爆発を引き起こすよりかはマシな方法を取るしかないらしかった。
ジャックは衝動が突如発生する時やスイッチが入る前後についてはよく覚えていないらしく、発生メカニズムが分からないゆえに予防策も講じられない。唐突な衝動が訪れた際の対応方法も理性で無理やり押さえつけ、早急に“赤ずきんの部屋に行く”以外に無いと結論づけられた。
「で、どうかな? 気持ちは治まった?」
「あ、えっと……」
「うーん? その様子だと、まだやり足りないみたいだね」
「ご、ごめん。さっき……凄い興奮しちゃったから、まだ抑えが効かなくて……」
モジモジとしている彼を見て、「あぁ、この子は本当にケダモノさんだなぁ」と、ある種の同情のようなものと、若干色の着いた感情を催しながら赤ずきんは言う。
「じゃあ、もっとやりなよ。ジャックの思う存分、好きなだけさ」
「い、いいの……? 赤ずきんさんが苦しいだけだよ?」
「あたしはいいよ。……実はさ、あたしも、あんたに首絞められて、ちょっと気持ちよくなってるんだよね……」
「えっ……?」
「そんなドン引きするかな! 言っとくけど、変態度はどっちもどっちって感じだからね!」
赤ずきんの発言に引くような顔と声を出したものだから、弁明をするように言葉を張った。
実の所、最初こそ当然の反応として苦痛にしか感じなかった赤ずきんだったが、最近は新たな扉を開いてしまったようで、心の奥ではこの時間を楽しみにしていたりする。
首締められて悦んでますなんて他の子達に言ったらどんな顔されるか。しかしジャックに対してなら言える。何故なら既にジャックの異常な性癖を知ってしまっているのだから、おあいこだ。それに、自分をこんなふうにしたのは、目の前にいる優男なのだから。
「本当に危なかったらちゃんと合図送るし、いいよ? あたしをもっと苦しませても」
「そうすると興奮するんでしょ?」と、どこで覚えたのか妖しい笑みを浮かべる赤ずきんに我慢出来なくなったオオカミは、もう一度腹の上に乗って、この上なく乱暴に、自分の欲望を思う存分解放させるのだった。