次回は四人で首絞めイチャラブハッピー回にする予定。
「なんか、最近赤姉とジャックの距離近くない?」
昼食どき。親指姫はフォークの先で葉物野菜を突き刺しながら、どこか不機嫌そうにそう呟いた。
「ほらジャック観念しろ! 口開けろ! あ──ん!」
「ちょ、ちょっと待ってよ赤ずきんさん! みんな見てる前だよ?!」
「……そうよ。ジャックが嫌がっているのだから遠慮してほしいわ」
細められた目付きの先には、別のテーブルでそれは楽しそうに食事を取る男女が三人。赤ずきんはジャックに手ずから食べさせたいあげたいのか、スープを含んだスプーンを彼の口元に差し出していて、アリスがそれを強く静止している場面だった。
単なる日常のひとコマ、と片付けるには親指姫の中では引っかかるものがあった。
長年の苦難を一緒に助け合いながら生きてきたアリスがジャックに重い好意を向けるのは分かるが、同じくその横ではしゃいでいるのが赤ずきんとなると少し不思議だ。
同年代の男友達というのは極めて少ない。黎明では比較的年のいった者が多く、かといって街に出ても特別知り合う機会というのは稀だ。赤ずきんがそういう出会いを求めているかはともかく。
だからその分、数少ない気軽に接することのできる男友達としてジャックに好意が集中するのは分かる。親指姫としても、気軽に話せる男と言ったらジャックくらいしかいないのだから。
しかしながらそれを踏まえたとしても、あのスキンシップは些かいきすぎているようにも見えた。
赤ずきんとしては揶揄っている部分もあるのだろうが、自分がついさっきまで使っていたスプーンを他人に……ましてや異性に差し出すなんて、どういう意味を含むかくらいは分かっているはずだ。実際、アリスはそれを危惧しているところもあって苦言を呈しているのだろう。
赤ずきんはみんなのお姉さんと宣うだけあって面倒みが良く、仲間に対してかなり好意的に振る舞うが、それにしてもあれは距離感が近すぎると思うのだ。
「そうですねぇ。そういえば、この前一緒に寝ていたところを目撃したんですよね?」
ノンビリとサンドイッチを頬張る白雪姫はこの三人についてあまり深くは考えていないようで、むしろ微笑ましそうにその様子を眺めていた。
この間の事件についても、深刻に気にしてはおらずあくまで話の流れから出しただけだった。
「えぇ。満足気な顔でぐっすりよ。たまたま夜中会って話が盛り上がってそのまま寝落ちしただけ、とは言ってたけど、あの様子を見るとどこまで本当なんだか……」
あえて疑うつもりはないが、少し当てつけめいた言い方をしてしまう。
三人仲良く手を繋ぎながら寝ていたら、その真ん中にいたジャックが実はとんでもない寝相の持ち主で動かないように拘束していた、とかそんなふざけた理由でもない限り意味深長に見えてしまうのは仕方ないだろう。
二人きりならまだしも、独占欲と貞操観念の強そうなアリス含めた三人ならそう変なことはしていないと思うのだが、それでも仲睦まじい男女が同衾しているとなれば多少の疑念は抱いてしまう。
別に、赤ずきん(やアリス)がジャックと深い仲になっていたとしても、それを咎めたり追求したりはしない。任務に支障をきたさない範囲ならそこら辺は自由だろうし、親指姫がそれを縛る権限を持っているはずもないから。
でも、二人が楽しそうに笑う度に胸の深い部分で突っかかる小石が出来てしまうのは何故だろうか。
今は分からないが、少なくとも不愉快に感じている自分がいたのだ。
「笑顔、増えた……」
「増えたといえばそうね。赤姉、前よりも更に元気になったというか、まぁもともと元気すぎるくらいなんだけど……」
「仲良しならそれで良いじゃないですか。アリスさんも調子が戻ったようですし、多分、白雪たちが知らないところで楽しいことがあったんですよ」
仲が悪いよりかはずっとマシだし、実質的にジャックを中心に動いている血式少女隊の結束が深まることは歓迎すべきことなのは承知している。
そう理解しているはずなのに、彼の笑顔を遠くから眺めることしかできない自分に妙な苛立ちを感じてしまっていた。
(
それを少しでも沈めるために、今は何も見ないように聞かないようにしながら、追加でドレッシングをぶっかけてまたフォークの先にサラダを突き刺したのだった。
※※※
ジャックは夜風に当たるため、黎明本部の屋上で一人空を見上げていた。
ここから見えるのは禍々しい監獄塔くらいなものだが、薄っすらと差す月明かりとどこか悲しげな風が今のジャックの心境を慰めてくれていた。
眼下に望む解放地区は冷めきった空気とあえかな灯りだけが占め、守衛と思しき人影が寂しく街路や門の前に佇んでいる。
やはり、自分は狂っているのかもしれない。
その闇に向かってジャックは内心で今日何度目かの自虐をし、ため息を吐きながら手すりに軽く頭を打ち付ける。
最近、自身の醜い衝動が発生してしまう回数が明らかに増えている。
最初のほうはせいぜい週に一、二回程度だったが今やほとんど毎日のように赤ずきんやアリスの部屋に通うところまで来ている。このおよそ一ヶ月の間に、だ。
自分でもどうにか抑えようと我慢しているのだが、夜、その瞬間が来ると衝動に苛まれてしまうのだ。
まるで満月を見てしまった狼人間のように。
なんとか抑えきろうと試みても、脳内に二人の首を絞めている光景が何度もフラッシュバックして、あの苦しそうな顔、絶えかけた吐息、こぼれ落ちる涙、そして赤黒く染まった首をもう一度自分の手で再現してやらないと、おかしくなりそうになる。
食欲とか睡眠欲とか性欲とか。そんな欲求よりもよっぽど爆発的にジャックの理性や思考を破壊していくのだ。自分の優しい部分までどんどん加虐嗜好に染められていくあの感覚は、どうしようもなく恐ろしい。
あの欲求を抑えきれたことは一度もない。幸いにも、ジェイルの探索中に発生したことはないが、この傾向だとこれから先どうなるかはわからない。
もしもそうなってしまえば、自分は血式少年として、血式少女の生命線としての使命を果たすことはできなくなるかもしれないし、血式少女隊の結束に大きなヒビを入れることになる。
そうなれば、脱獄など夢話になってしまうだろう。もしも、自分のせいで希望が潰えてしまったら──。
現在、博士と視子が薬などで抑制できるか、また原因の特定を急いでいるが成果はほぼ出ていない。当の本人ですらよく分かっていないのだから尚更だ。
血式リビドーの類ではないとか、辛い監獄生活や戦いのストレスで発芽した精神的な疾患である可能性も指摘されているが、それすらも所詮は予想に過ぎない。
あれから一ヶ月以上経つが、未だに対処法は赤ずきんやアリスを頼るしかない状況だ。
赤ずきんは新たな扉を開き、アリスは自分を悦ばせてやれることに幸せすら感じているようだが、それでも、女の子を傷付けてしまうなんて男として最低だと思うのだ。
しかも、相手は幼馴染のアリスと自分を牢屋から出してくれた恩人である赤ずきん。二人は受け入れてくれてるけど、罪悪感を感じるなというほうが無理だろう。
自分は、自分が思う以上に恐ろしい人間なのかもしれない。
いや、化物なのか?
ジャックは手すりを掴み、そこから上半身を乗り出して一番下を見た。
そこは暗く、何も見えない。十数メートルはあるだろうか。もしも血式少女ほど頑丈ではないジャックがここから飛び降りれば、たちまちに血肉を飛散させた死体が出来上がるだろう。
……そんなことはしない。今は。
しかし、衝動と同時に湧いて出てくるこの罪悪感が増え続けていけば、とうとう正気をも制御出来なくなる日がくるかもしれない。
それまでに、どうにか自分を抑える方法を見つけなくては。
いっそ、自分の首を絞めることで満足できないだろうか?
おもむろにヘッドホンを外して手すりにかけた。
周りに誰もいないことを確認して、ゆっくりと己の致命へと手を持っていく。
視界の中の両手が大きくなる度に、別に本気でやるわけではないのに若干の怖じ気を感じてしまう。分かっていてこうなってしまうなら、赤ずきんやアリスはもっともっと怖かったはずだ。
だから、敢えて止めることはしなかった。ある種の自罰行為なのだろう。彼女たちが受けた痛みや苦しみをあえて味わいたかった。
「っ……ふ……」
自分が許せなかった。
ほとんど無意識のうちに仲間たちを傷付けてしまう自分は、とにかく痛い目にあうべきだ。
決して堅牢ではない首へと指が這いまわると同時に、ギュッと力を強めた。いつもやっている以上に。
最中は半分くらい記憶が吹っ飛んでしまうが、快楽と感覚は幾らか残っている。それを頼りに、思い出して沿うように脈を締めていく。
息が拙くなっていく。苦しい。なんら気持ちよくなんてない。
耳が遠くなるような気がする。誰かがこちらに叫んでいるような気がするが、三途の川というものだろうか?
視界が醜く歪んでいく。監獄塔の怪しい光が、自分を憐れんでいるようにすら見えた。
息が出来ない。二人は一応呼吸は出来ると言っていたが、自傷が過ぎているのだ。自罰に駆られたジャックは首全体を完全に圧迫してしまっていて、自らとどめを刺そうとしていた。
「…………ごめ……ん……」
薄れゆく意識の中で、最期に皆に謝れたのは幸福なのかもしれない。
なんだか、色々と忘れていたことを思い出せたような気がした。
顔はあまり覚えていないが、相棒のように振る舞ってくれていた子やその子をずっと隣で支えていたあの女の子。どこから芽生えた記憶なのかは分からないけど二人は今も幸せにいるだろうか、なんて気にしてしまう。
例えすべてが終わりに近づいていたとしても。
「ジャック!」
その絶叫の後、身体に強い衝撃を受け、抵抗する間もなくその場に倒れ込んでしまう。
事態を把握するためにあたりを見渡そうとすると、目尻に涙を溜めた赤髪の少女──親指姫と目が合う。彼女はジャックの腹に抱きつき、押し倒していたのだ。
「アンタなにやってんのよ!」
「お、落ち着いて親指姫……」
「落ち着けるわけないでしょ! まさか死のうとしてたんじゃないでしょうね?! 辛いことでもあったの?! 言いなさいよ!」
怒涛の勢いでまくし立てられると、言えるものも言えなくなってしまう。
傍から見れば自殺しようとしているように見えただろう。そうでなくても、大切な仲間が屋上でたった一人首を絞めていたとなれば気が気ではなくなるはずだ。
「赤姉とでも喧嘩したの?! それともアリス?!」
「そ、そこでなんで赤ずきんさんとアリスが出てくるの?!」
「えっ、い、いや……別にいいでしょ!」
一瞬だけ勢いを失ったがすぐさま声の調子が戻る。理由はよくわからないもののその様子を見て、ジャックは反論の隙を見つけることができた。
「と、とにかく! 親指姫が気にすることじゃないよ! これは自分の問題なんだ! 見なかったことにして忘れてほしい!」
「は、はぁ……? な、なにそれ……」
親指姫の瞳が大きく揺れると、ジャックは己の放った言葉に幾分の愚かさを含んでいたことを確信した。
自分の弱いところとか、後ろめたい部分を知られたくはなかった。ゆえにジャックははぐらかすような、それでいて強く突き放すような言葉を選んでしまったのだ。
本気で心配し、可能であれば解決してやりたいと思っていた親指姫に対して、暗にお前では役に立たないと言ってしまったようなものだ。
「どうして……どうして、私じゃジャックの力になれないって言うの……?」
「ち、違うんだ親指姫……でも、本当に自分だけでどうにかしないといけない問題なんだよ……」
親指姫はそっとジャックから身体を退かし、向こうを向いた。振り返る瞬間、顔の端から大粒の涙が地面に落ちていくのをジャックは見逃さなかった。
こんなふうに突き放されれば怒りだすと思っていたのだが、予想に反して親指姫の声は小さくなっていった。
傷付けてしまったのだろう。やっぱり自分は誰かを傷付けてしまうばかりなのか、とジャックは内心で自虐する。
しかし言えるはずもない。真実を打ち明けたところで首絞めジャックの犠牲者が一人増えるわけだし、そもそもすんなりと受け入れてもらえるとも思えない。
でも、このままでは親指姫は胸に違和感を覚えたままこれからを過ごすことになり、それは血式少女隊に不和を生みかねない。
秘密にして欲しいと頼んでも、ここまで深刻に受け止めている状態ではどこかで他の血式少女に今回の事件を話す可能性もあるだろう。その場合でも要らない疑いが生まれたり、ジャックの衝動がバレてしまうかもしれなくなる。
どうすればよいのか──。
「おーい、ジャック!」
「ジャック、探したわよ」
その時、赤ずきんとアリスがこちらに駆けてくるのが見えた。
最初は明るい表情をしていたが、親指姫とジャックの様子を見てどんどんそれは曇ったものになっていく。
「なにがあったの?」
赤ずきんは二人にそう優しく声をかける。親指姫は泣き顔が見られたくないのか、俯いたままだった。
僅かに沈黙が走る。だが、黙ったままではいられないと声を出したのはジャックだった。
「……親指姫は、僕が自分の首を絞めていたところを見たんだ。それを止めてくれて、心配してくれたんだけど……でも僕はそれを無下にするようなことを言ったんだ」
「……自分だけが悪いように言わないで。私も強引に聞こうとしすぎたわ……。そうよね、自殺しようとするなんてよっぽど辛いことがあったんでしょうし……言いたくはないわよね」
彼女は未だこちらに振り向こうとはせず、自虐めいた言い方だった。
「っ……」
「うーん……深刻だね」
困った赤ずきんはアリスと顔を見合わせようとしたが、彼女の視線はジャックにのみ向かっていた。
仮にそこにどのような意味が含まれていたとしても最愛の人が自殺未遂と聞けば気が気ではなくなるだろう。親指姫が嘘をつくとは思えないし、ジャックの様子からも実際にそれが行われたのは明白だ。
それでも駆け寄れないのはショックが大きすぎるのか、変に刺激したリしないほうが良いと考えて逸る想いを抑えているのか。
どちらにせよ、少なくともこの場を穏便に収められそうなのは赤ずきんしかいなさそうだった。
「……一旦、あたしの部屋行かない? ここに居ても風邪ひいちゃいそうだしさ」
※※※
四人は赤ずきんの部屋に集まり、各々、お互い少し離れた位置に座った。
先程のセリフもあって冷たい空気が辺りを支配していた。最悪なのは、その理由にある程度当たりの付いている赤ずきんとアリスに対して、怯えるように体育座りをしている親指姫は何も知らないということだ。
十中八九、ジャックは己の異常さに愛想を尽かしたのだろう。常々気にしていたことだし。
だが、それが自殺に繋がるとは思いもしなかった。実際は罰を与えたいだけ死ぬつもりはなかったのが。
赤ずきんとアリスはどこから触れればよいか悩んでしまう。
問題は二つ。ジャックの異常性を彼自身が受け入れてやれるようにすることと。親指姫に現状をどう説明するか、あるいはどう騙すかだ。
よほどうまく調理しなければ、同時に解決してやることは不可能に思える。
もしくは……。
「ねぇ、ジャック、アリス。本当のこと話しちゃわない?」
その言葉に驚いたのは、何もジャックだけではない。それまで居心地悪そうに俯いていた彼も、アリスも親指姫も彼女のほうを向いた。
「でも……」
「受け入れてくれるかどうか……」
「ほ、本当の事ってなによ。まさか三人で何か隠し事でもしてるって?」
アリスはジャックへの愛ゆえに、その異常性を受け入れた。親指姫とジャックの絆もそう脆いものではないとその隣でずっと見続けてきた赤ずきんは思うのだ。
それに、なぁなぁで済ませてしまっては三人と親指姫の間に深い遺恨を残す可能性がある。
疑念を放置していた結果、戦闘時含めアリスのパフォーマンスが落ちてしまったことは記憶に新しい。更に、親指姫が妹二人にこのことを相談すればますます事態の収拾は困難になる。
だから、アリスの時と同じようにこちら側に引き込む──それが赤ずきんが導き出した最適解だった。
「そう。隠し事してた。この三人、皆に内緒で」
「赤ずきんさん……!」
ハッキリと断言すると、ジャックは静止しようと掠れた声を上げた。
ジャックとしては、もちろん知られたくないことだ。赤ずきんとてその気持ちは理解している。
「知られたくないのは分かるけど、でももうあとには引けないと思うんだ」
「話してちょうだい。多分、さっきのジャックの行動に関することだとは思うんだけど、仲間が何か悩んでいるなら放ってはおけないわよ……」
それゆえにタックルまでして助けてくれたのだろうし、親指姫の覚悟は固いように思えた。
「待って。ジャックの気持ちはどうなのかしら。本人の意志を顧みずに秘密を暴くなんて」
「……ううん、いいんだ、アリス。話そう……」
「……良いのね?」
「うん。こうなったのは元はといえば僕のせいだからさ……」
赤ずきんの言う通り、ここまで来てしまったら隠し通すのは不可能だ。
なら、男らしく曝け出してしまうほうがずっとマシに思える。
自分の過ちを精算するのは今しかない。
親指姫に今までの経緯、発端、そして現在のジャックの胸の内について話した。
彼女は割って入ることなく静かにそれを聞いていた。
決して茶化せる内容ではなかったし、ジャックのことを思うと下手に突っ込んでよいか分からなかった。
しかし、最初は暗く沈んでいた表情も、徐々に神妙ではあるものの納得したような顔に変わっていったのは確かだ。
「……つまり、ジャックのあの……
あの光景を見てしまっただろうか。
ジャックのその倒錯的な嗜好について、そう複雑になることなく納得してしまった自分がいた。
こんなクソみたいな世界、というのもあるのだろうか。個人が変わった趣味趣向を持つことにそこまで違和感がないのだ。血式リビドーがあるから抗い難い衝動に関しては同情の念が湧く、というのもあるかもしれない。
どうにせよ、赤ずきんが妙にジャックに構う理由が知れたのは僥倖と言えた。
自分も“そこ”に入る余地があることも知れたのだから。
「あのさ、あたしは別に気にしてないし、苦しいとも思ってないよ? ジャックのそういうところも含めてす、好きなんだから、あははっ……」
「……ジャックがどんな怖い一面を持っていようとも、私にとってジャックはジャックなの。自分を責めたりしないで……」
「そうだよ、もし嫌だったらとっくにぶん殴るなりしてるしさ。ジャックってば幸運だよ、こんな良い理解者に巡り会えたんだから」
「私は傷付いたっていいの。貴方が傷付くことと引き換えにできるなら、なんだって……」
顔を赤くして話す赤ずきんに対抗してか、アリスは語気を強くして言った。
二人から発せられる、ドロドロとした粘り気を帯びた熱視線。単にジャックを慰めるために言っているにしては、なんだか物騒だ。
その光景を見て親指姫はにわかに感じてしまった。
どちらがジャックを愛しているか、理解してあげているかの、マウントの取り合い──。
「ごめん、皆……気を遣わせて」
「いいんだって! 不安ならさ、今夜一緒に寝ようか?」
「今のジャックを一人にするのは怖いわね……」
だが仲が悪いわけではないようだった。
ジャックを助けたいという目的は一致していて、その上でお互い競い合っている。そう親指姫は分析した。
それと同時に火がついた。自分も負けていられない、と。
この三人の仲は親指姫の想像以上に深いようだ。これに食らいつくには、少なくとも自分も同じ“位置”にいく必要がある。
「……ジャック、あたしもあんたを肯定してあげるわ」
「親指姫……」
「だから、私の首を絞めなさい」
「えっ……?」
ジャックの顔が安堵から驚愕へと変わる。
二人に追いつくにはこれは必須だ。
自分だけが見てみぬふりをしたらますます赤ずきん達の独壇場になってしまうだろう。
他の血式少女よりも何歩もリードすることもできる。これを逃したらもう次はない。
確かに怖いという感情もある。メルヒェンやナイトメアとの戦闘でもっと過酷な目にあってきたとはいえ首を絞められことなんてないから。
でも先駆者二人はこうやって生きているし、むしろ活き活きとすらしている。
予想ほど痛いものでもないのかもしれない。今はいくらでも希望的観測をしてもよいはずだ。
「なによ、したいんでしょ? アリスと赤姉にもやってるんだから私にだけ出来ないとか言わないわよね?」
「いや今日は珍しく衝動が起こらない日で……そういう気分じゃないんだ」
「はぁ?! こっちの善意を無下にしようっての?!」
善意、というのは些か不適切な表現かもしれないがこちらは焦っている。
自分の致命を捧げるなんていう随分を言い切ったのだ。今更ブレーキをかけられても困る。
「あ、あんまり楽しいものじゃないと思うよ? 苦しいし痛いだけかもしれない」
「うるさいわね! い、いいからやってみなさいよ! そうしたほうがお互い割り切りがつくってもんでしょ!」
「ま、まぁ今までの傾向から言ってやってみたらスイッチが入るかもしれないけど、親指からそんなふうに言うなんて予想外だったよ」
「ライバルが増えるのね……」
結局親指姫の熱量に押され、ジャックは親指姫の上に跨ることになった。
とはいっても膝立ちでいつものような乱暴な格好ではない。
まるでジャックが親指姫を押し倒したような様子になっている。少女漫画的な構図になっているが、これから行うことは残念ながらそこまでロマンチックなことではない。
「いくよ……」
「勿体ぶらず、一思いにきなさいよ……」
赤ずきんとアリスが見守る中、二人よりも細いそこに両手が迫っていく。
今は明らかに理性が勝っているためどこかぎこちなく、躊躇うような動作だ。
親指姫視点、手が徐々に迫ってきて視界を覆っていく光景は心理的な圧迫感と恐怖を与えてくる。だが、あえて目は瞑らなかった。
首を絞めているとき、ジャックがどんな顔をするのか見てやりたいからだ。
「ん……く」
キュッと首が圧迫される。もうあとには戻れない。
ジャックの手は意外に大きい。親指姫の小さな首全体を絞めるのに充分なほど。
呼吸は出来ているものの気道を絞められているため徐々に脳が酸欠状態に陥る。どんどん周囲の音や景色が遠のいていくような感覚に苛まれ、一方でふわふわとした未知の体験にも包まれる。
それは存外心地よい。不思議とそんな感想が湧いてきた。
相手がジャックだからだろうか。きっと優しくしてくれるはずだし、そこまで恐怖を感じないのだ。
むしろ、この背徳的行為に感じてしまっている自分がいる。
(ボーッとして……気持ちいい……?)
酸素の足りなくなった脳では何も考えられなくなり、ただ浮ついたように目の前の彼を見つめることしかできなくなる。
潰えかけた脳はひたすらに快楽物質を生成して己を慰めることしかできなくて、それを与えてくれる彼への愛情へと変わってしまうのだ。
今なら、赤ずきんやアリスが彼に構いすぎる理由も分かる気がした。好きな相手にこんなことされてしまえば、少しばかり依存してしまうのも仕方ない気がした。
「っ……はぁ」
しかし、それは長く続かなかった。
酸欠状態に達した最も心地よいところに行く前に、彼は手を離してしまったのだ。
赤ずきんやアリスが合図を送ったわけではない。単に彼が持つ恐怖心がそうさせた。このまま続けたら目の前の少女は死んでしまうかもしれない、と。
パッと手を離すと、そこにはクッキリと痕が残っていた。
ジャックは知らないうちに、かなりの力を込めていたらしい。
それが血式少女にとってはどれほどのものかは分からないが、少なくともそこにある赤黒い首輪は、ジャックに再び罪の意識を喚起させるのに十分だった。
しかし。
「ジャック……あんた、楽しそうに笑ってたわよ」
「え、笑ってた……?」
「うん。なんだか気持ちよさそうにしてるよ、ジャック? 気付いてる?」
「目がとろんとしてるわ……可愛い……」
スイッチが入っていないはずなのに、無意識の中で女の子の首を絞めることに悦びと快楽を感じていたのである。
アリスが指摘しているように、ジャックの瞳は快楽に更けたように濡れており、血色の良くなった顔にうっすらとした笑みを浮かべていたのだ。
それに気付かされると、ジャックの良心と甘い快楽がすれ違う。
自分は思った以上に堕ちたところにいたようだ。
「スイッチ入ってないみたいだけど、気持ち良かったの?」
「え、あ、あの……う、うん……。衝動が起きているときほど強くないけど、じんわり広がっていくような感覚が……」
「ジャック……初めて見るわ、そんな顔……」
絶頂にも似たあの感覚とは違って、徐々に心の奥のほうまで蝕まれるようなこの感覚はそれはそれで病みつきになってしまいそうなものだ。
むしろ、危険かもしれない。欲求を一瞬で解消してそれで終わりなあちらと違い、こっちは望めば望むだけ快楽が手に入るのだから。
「へぇ、本当にこんなことして気持ちよくなっちゃうのね」
「うぅ……」
揶揄うように言うと、彼は申し訳なさそうにしながらも顔を真っ赤にした。
そんな顔をされてしまうと、つい甘えさせてあげたくなってしまう。
「それがジャックの本性ってやつなんでしょ? もうやりたいなら好きなだけやったら? 私は受け入れるから」
「無理してない? 僕の性癖を肯定するために……」
「まぁ、確かに慣れないところもあるけど、なんかふわふわして気持ちいいし。ジャックも同じならお互いウィン・ウィンじゃない」
「ジャックはもっと甘えるべきだわ。貴方は衝動を辛く感じてしまう部分もあるけど、心地良く思っている部分もあるはずだから……」
「そうだよ。気分としては自分のこと受け入れられないかもしれないけどさ、あたしたちを狂わせた責任は取ってよね?」
赤ずきんの言うとおり、自分で自分のことを受け入れるのはまだ難しい。
でも、同時にこの甘い悦楽に虜になりそうになっているのも認識していた。
自分は本当に愚か者で、もう這い上がれないところまで堕ちていたのだ。
「ジャック。こっち見て。ほら、私を溺れさせて」
親指姫はその手を取って、自ら首元へと誘導する。
「あは……またそんな顔して……。そうやってあんたは気持ち良くなってればいいのよ」
今はその微笑みに導かれるまま、貪ってやった。
罪悪感と残った理性すら、快楽で塗りつぶすように。