決してそれは、楽しいだけの仕事ではないのも事実ではあるのですが……
魔界でうんざりしながら、ルシファーは二人の悪魔の言い分を聞いていた。
玉座についてこういう話を聞くのも、ルシファーの仕事だし。
こういう風に座るときは、六対も無駄についている翼が邪魔で仕方が無い。
だが、仕事だから話を聞く。
頬杖をつきたい気分だが。
ともかく交互に話をさせ、聞く。
口論になると、一方的にまくし立てる輩が出てくるので。基本的に言い分を順番にいうようにさせている。
そういえば地上ではそれすら出来ない人間が多いのだっけ。
声だけ無駄にデカイ輩が出張っているのは、それが理由なのかも知れない。
口論をしているのは、インド系の悪魔と、中東系の悪魔だ。
両者ともに起源は同じなのだが。
魔界では領土が隣接していることもある。
今では犬猿の仲だった。
「ふむ、両者の言い分は分かった」
二体とも、そのまま行けば刀を抜きかねない状態だったが。
流石にベリアルとアザゼルが見張っている上、ルシファーの眼前でそれをするほどバカではない。
話を聞いている限り、どうやら部下が小競り合いをずっとしていたのは事実のようで。
ある時、それがついに殺し合いに発展した。
それでインド悪魔側の方が、多くの死者を出した。
それで頭に来たインド悪魔が、大軍を出して戦争を開始。
中東系悪魔の領地を焼き払った。
そして大軍同士が一度激突した後。
ついにルシファーが仲裁、という形で一旦停戦したのである。
だが、どっちも長年の因縁である。
このままでは、済みそうにはない。
こう言うときは、ルシファーが一応は独裁を強いているということが優位になるし。
何より魔界は際限なく広いのがいい。
「では両者共に転封とする。 そもそも魔界でそれぞれ領地を与えている高位悪魔でありながら、決め事である私闘を禁ずるという事を破った点は同じだ。 部下達もろとも、指定の領土にすぐに引っ越すように。 不公正がないように、それぞれがいた土地はしばらく直轄地とする」
文句を言いたそうにしていた両者だが。
そもそもルシファーには逆らえない。
本来1500年程度しか歴史がないルシファーが、大魔王をやっているというのも変な話なのだが。
まあそれは一神教の影響力が、それだけ無駄に大きいと言う事である。
不服そうな二体の悪魔を連れて行かせる。
これから大引っ越しだが。それについては部下にサポートさせる。まあ利害関係がない悪魔に喧嘩を売るほどあの二体もバカではないだろう。
これ以上魔界で立場が悪くなると。
もう居場所がなくなる、というのもある。
神々ですら、それぞれが一神教に脅かされて。苦労しているのが現実なのである。
それなのに悪魔ともなれば、なおさら肩身は狭い。
広大な魔界という、精神世界に起因した場所があるからまだ良いのだけれども。
そうでなければ、どれだけの苦労を皆がしていたかはよく分からない。
そもそも悪魔にしても、出自は様々。
一神教によって貶められたものだけでもない。
自然に対する恐怖が悪魔になったものだっているし。
疫病などの権化もいる。
また、悪魔でありながら神と紙一重の存在だって珍しくもない。
それらが全ているのが魔界で。
故に此処は懐が広い世界なのである。
「次」
「今回はこれで終わりにございます」
「分かった。 ではこれでお開きとする」
「ははっ」
ベリアルとネビロスが退出する。
執務室に戻り、後はしばらくアイスを食べて過ごす。魔界製のではなく、地上からわざわざ取り寄せたいいアイスだ。
ちょっと量が少なすぎるが、実にうまい。しばらくうまうまと満面の笑みでアイスを食べていると、ドアがノックされた。
慌ててアイスを冷蔵庫にしまうと、入るように促す。側近の一人であるアスラ王が入ってきた。アスラというのはインドにおける悪魔的な存在であるが。
これがまた色々厄介で。
宗教圏によっては神になるし。とにかく複雑怪奇な存在である。
ここにいるアスラ王は悪魔としての要素がもっとも強く出ている存在であるが。
そもそもインド神話は、あらゆる土着信仰を貪欲に取り込んだ結果、とんでもない残虐性を持つ存在を神にしている事も珍しくは無い。
だから、此奴も場合によっては神になっていたのかも知れない。
六つの腕を持つ赤い肌。三つの顔とまあ異形ではあるが。
一神教でも天使は古い時代ほど異形だ。
別に、不思議な事ではない。
「大魔王殿」
「アスラ王か。 如何した」
「どうも日本の方で、一神教の勢力が動き出しているようにございます」
「この間米国大使館のトールが沈んだからな。 それで色々とすることがあるのだろうよ」
ふっと鼻で笑う。
トールほどの大物が沈んだのだ。
分霊体とは言え、である。
当然それによる混乱は決して小さくない。
この間、ベルゼバブがぶちぶち文句を言ってきたのは、その後始末をしている途中にルシファーが遊んだからで。
彼奴の言う事にも一利はあるのだ。
「分かった、貴殿も日本に出向いてくれるか。 ミカエル辺りが出てくると面倒だろう」
「分かりました」
ミカエルか。
一神教でも特に重要とされる天使だ。ルシファーの双子とされる事もある。
ムスリムでは最高位天使はガブリエルなのだが、キリスト教ではミカエルが最高位天使である。
だが元々設定が整理されていない一神教だ。
九段階ある天使の内、最高位の熾天使に属していたり。下位二位の大天使に属していたりと。
その辺りの設定はぐしゃぐしゃである。
まあ神学なんていったもの勝ちの世界だ。
それもまた、ありなのだろう。
ミカエルはそこそこの実力者だが、本人は一神教の信仰に当てられてはっきりいって狂信的な所がある。
燃えるような正義の心を持ってはいるのだが。
一方で神がやれと言わない限り絶対に人を救わない。
力があるのなら使えよ。
前に何度か交戦した時の一回。そう言ったことがある。ミカエルは、この力は神だけのものだと返してきた。
つまり、神の言う事を執行するためだけの力であって。
人々を救うための力では無いと言う事だ。
なんのための信仰なのだか。
人を救ってこその宗教だろうに。
その眷属だろうに。
その辺りが、ルシファーにはおかしくてならなかった。
鈴を慣らしてルキフグスを呼ぶ。
老人の姿をした悪魔は、多分アスラ王とすれ違ったのだろう。用件は、だいたい理解しているようだった。
「閣下、先のアスラ王陛下は日本での件ですか」
「今アスラ王を向かわせたのだが、あの王は少しばかりやり過ぎる。 監視役をつけておくように」
「分かりました。 確かにアスラ王は原初の神格。 下手をすると、力を得るために街一つ丸ごと食いかねませんからな」
「そうなると全面戦争になりかねない。 現在戦力的には唯一神側の方が上だと言う事もあるし、開戦は可能な限り避けろ。 機会はいずれ巡ってくる」
頷くと、ルキフグスは部下を手配する。
やれやれ。
大魔王という仕事も大変だなと思う。
本来だったら、バアルが此処で仕事をすればいいと思う。
中東における最も重要な神。一神教の最大の敵にて。それでいながら一神教にもっとも大きな影響を与えた存在。
至尊の座に唯一神がついているのなら。
魔界の総元締めはバアルがやればいいのに。
バアル信仰は現在では失われてしまっていることもある。まあ流石に大魔王にはなりづらいのだろう。
バアルの力の一部であるベルゼバブやバエルですらも、相当な実力者である事を考えれば。
まあ其奴らが一つになって、バアルに戻ればいいような気がするが。
それはそれで、可能性としては面白いか。
腰を上げると、部屋の外にいた護衛に地上に出向くことを伝える。
今回は誰かを救うためでは無い。
今後のために、布石を打つためだ。
地上に出る。日本、山手線圏内だ。
この辺りは、凄まじい可能性が集中している。ルシファーが大好きな場所である。
世界最大のメガロポリスと言う事もあるのだが。
元々此処は、東洋の最果てという立地にありながら。世界最大のメガロポリスに成長した奇蹟の都市。
それは可能性も集中するとは言える。
此処で、幾つも歴史は分化する。
今の時点で、この世界のルシファーは。人間がだらだらと腐敗して滅びていくのを見ているだけだが。
別の世界のルシファーは、もう破壊的な世界の変革を見て。
それで色々と忙しく動いているのかも知れない。
まあそれについてはどうでもいい。
地上に出ると、場所が場所と言う事もある。
すぐにベルゼバブが飛んできた。黒服の護衛もたくさんいるが、全部中身は悪魔である。
「閣下、また急なおいでですな。 またお仕事ですか?」
「今日は普段のとは違って……まあ理不尽に虐げられる可能性を見つけたらその時はその時だが。 おほんおほん。 ちょっとお前達の様子を見に来た」
「分かりました。 いつもそうしてくれると有り難いのですが」
「……」
若干ベルゼバブの言葉にとげがあるが。
まあそれはどうでもいい。
クーラーが効いた事務所に案内してもらう。今日は、小さな女の子の姿をしているので。周囲は何だろうと視線を最初は向けていたが。途中から警戒解除の結界を展開して、視線を逸らした。
事務所のソファに座ると。
まずは書類を見せてもらう。
「この国の天津神は相変わらず元気な様子だな」
「元々独特の信仰体系を持つ国だと言う事もあります。 天使達も相当に手を焼いているようです。 特に高位の天津神には、大天使でも手が出せない様子です」
「ならば、干渉は必要ないか」
「彼らは我々も敵視しています」
まあそれはそうだろう。
実は天津神のトップである天照大神には、何度か取引を持ちかけに行ったのである。
一神教は基本的に他の宗教の存在を認めない。
いずれ日本も無理矢理支配して、天津神は滅ぼされるだろう。
だから傘下に入れ。
そうでないにしても連合を組め。
そうすることで、天の使いを気取る連中や、唯一絶対を気取る阿呆と対抗しようと。
だが、あっさり断られた。
新興宗教の新参悪魔ごときが。我等が土地に土足で踏入り、挙げ句傘下に入れとは何事か、と。
確かに最高神天照大神の名にふさわしい威厳だった。それに、言っていることも正論ではあった。正論なら退くのが筋だ。それくらいの節度はルシファーも持ち合わせている。
その後も交渉は地道に続けてはいるが。
なかなか関係改善には至らないのが現状だ。
「女神殿も頭が少しお堅いな。 今欧州では、思想の自由を否定して、「正しい思想」とやらの押しつけが始まっている。 一神教徒としてはその方が都合がいい。 その悪しき波は、日本にも来ているだろう。 それから守ってやろうというのに」
「それが余計なお世話なのでしょう」
「確かにこの国の文化は多様だ。 だが既に荒廃の度は目を覆う次元だと思うのだがな」
「……そうですな」
ベルゼバブは視線を落とした。
どちらにしても、ベルゼバブだって仕事をしているのだ。
葛葉をはじめとする対魔組織だって、いつ悪魔が余計なことをしないかで目を光らせている。
その上位組織である八咫烏とやらもだ。
それらとの折衝が上手く行っているのも、周囲全部を敵に回したらやっていけないからだというのは分かっているだろうに。
それなのに神そのものが頑なではどうしようもない。
ため息をつくと、他の資料を見る。
強い可能性を持っている者のリストだ。
中々に面白い者達で、ついつい見やってしまう。
今後、歴史の転換点で。
この者達が動いて、そして歴史をダイナミックに変えて行くかも知れない。
そうでなくても、なかなか面白い歴史への関わり方をするだろう。
「この者は、結局歴史の転換点には関われなかったな」
「ペルソナ使いという異能者ですな」
「ああ」
ペルソナ使いというのは、何種類かあるのだが。
簡単に言うと己の中にいる別人格を悪魔の形で実体化させ、戦闘を行うタイプの能力者である。
極めて稀少な悪魔使いの一種と言える事もあり。
各国でも大事にされているそうだ。
この国では八咫烏や葛葉は存在を把握しているらしいが。
警察や公安では存在を把握できていないらしい。
今写真を見たのは、そんなペルソナ使いで。
歴史の転換点で、大きな活躍をできたかも知れない一人の写真だった。
今では社会人を立派にこなしている。
なおペルソナ使いは何種類かいて、成人すると駄目になるパターンやそうでないパターンがある。
色々と面倒くさい事もあって、戦力化がしづらく。
公的機関が目をつけていないのは、それが理由なのかも知れない。
「彼は充分に自立してやっていけるな。 今後も彼との関係は良好に保っていくように」
「分かりました。 此方としても、これほどの手練れを敵に回すのは得策ではないと判断しています」
「向こうに此方の正体は悟らせるなよ」
「いや、どうもとっくに気づいているようです。 それでいながら利用し合う……まあしたたかなものですな」
ふっと鼻で笑ってしまった。
確かにそうだ。
悪魔より人間の方がしたたかなのは、古今東西いつも代わらない。
ベルゼバブだってそれは理解していると言う事だろう。
他のリストも見る。
バアルの力が噴出する可能性が、実は存在していた。
その時は普及しているゲーム機を利用して悪魔召喚プログラムをばらまき。それで可能性の変転を見ようと思っていたのだが。
どうもその可能性も、この世界ではおきないらしい。
おきていた場合は、バエルとベルゼバブ、それにベリアルも出そうとは思っていたのだけれども。
まあおきないならいい。
この可能性の子は、今はしっかり社会人をしている。それもかなり面白い仕事をしている様子だ。
別の写真を見る。
この可能性も、困難の時代に花開くことはなかった。
別にそれはそれでかまわない。
というのも、この可能性が芽吹いていたら。他の可能性が大量に押し潰されていたのは確定だからである。
可能性が芽吹けば嬉しいが。
逆に言えば、それで潰れてしまう可能性もある。
それについても、重々ルシファーは承知していた。
他にも何人かの写真を見る。
いずれも潰れてしまうことも無く、上手くやれているようだ。最年少のものは五歳くらいだが。
大きな可能性を秘めているようで。
小物の悪魔が余計なちょっかいを出さないように、周囲を見張るようにベルゼバブに指示してある。
なお唯一神側はなんの興味も無い様子だ。
信仰心を集め。
自分に忠実な人間を増やせれば、それでいいと思っているのだろう。まあなんというか、法治主義を掲げる割りには帝国主義的というか。
色々と思うところはあるが。それについては黙っている。
最後の写真を見て。
それぞれの報告を受ける。
流石にベルゼバブも最高位悪魔だ。スペックは人間なんかとは比較にもならない。全てのデータについて、正確に応える事が出来た。
まあそれだけ出来れば満足だ。
「アイスを頼もう」
「またですか。 閣下も好きですな……」
「実際にうまいのだから仕方があるまい」
「そんな格好ばかりしているから舌も子供になるのでは」
痛烈なベルゼバブの皮肉だが、苦笑するだけで流して許す。
そのまま高級アイスが来たので、楽しむ事にする。
ついでに茶も淹れさせる。
アイスには紅茶の方が合うので、紅茶を。茶葉については、世界最高級の品である。まあこのくらいの贅沢は良いだろう。
しばしアイスと紅茶を楽しむが。
やがて居心地が悪くなったのか、ベルゼバブが咳払いした。
「それで、今日は後はどうなさいますか」
「アスラ王は上手くやれているか」
「はあ。 流石に辣腕ですな。 ただ天使共もそれでにわかに殺気立っているようでありまして……」
「サポートはそなたがしてやれ。 それでも魔王の一柱だろう」
渋面を作るベルゼバブだが。
そんな事は知った事では無い。
指を慣らして、次の書類を持ってこさせる。
各国の状況に関してだ。
紅茶を楽しみながら、さっと目を通していく。
魔界に運ばれてくる報告書は、どうしても時間差が生じてしまう。魔界すらデジタル主流の現在でもそれは変わらない。
それでわざわざ地上に来て、前線を視察しているのだ。
世界的に見て、どんどん夜闇は弱くなっている。
日本でもまだまだ都市伝説は現役だし、欧州では悪魔の存在を真面目に信じる人間は相応にいるが。
それでも古くほど人は夜闇を怖れなくなった。
同時に信仰も明らかに昔とは形が変わっている。
人知を越えた存在に対する敬意や崇拝ではなくなってきている。
これは一神教をはじめとして、宗教が基本的にはどれもこれも支配体制を強固にするために用いられてきたからで。
結果として、一神教は世界中に拡がり。
他の国でも宗教は今でも力を持っているものの。
当の神も悪魔も困惑する事態になっている、というのが実情だ。
このため、古い時代とは神も悪魔も、人間に対するアプローチを変えるようにしてきている。
天使の中には、人間の金持ちの中に入り込み。
それらを管理する事で、信仰を担保させられないか模索しているようなものもいる。
面白い話で、同じように悪魔も似たような事をしていて。
ビジネスの場では天使と悪魔が殺し合いをせず、むしろ互いに玉虫色の合意をしたりするケースもある。
ルシファーも思わず苦笑いしてしまうが。
それで天使が咎められることはないようだ。
「中東関連が荒れているな」
「一神教側でも制御不能のようです。 信仰が暴走すると手に負えないのは昔から同じですが……」
「石油資源だって有限だ。 人間が地球からいなくなるとそれはそれで困るのは我々も同じだ。 さてどうするか……」
「一応、幾つか案は考えてあります。 近々魔界に戻った際に報告させていただきたいと思います」
じっとベルゼバブを見るが。
ベルゼバブは自信満々の様子だ。
此奴はスペックは高いものの、あんまり応用能力はないというか。
基礎的な処理能力は高い。事態に対処する力も高い。
だが工夫が足りない。致命的に。
それで今まで何度も失敗しているし。挙げて来る報告書はどれもこれも面白くないのだが。
それを本人はどうも理解出来ていないようだった。
「分かった。 ただしアスラ王と緊密に連絡を取って、報告書を作成するようにな」
「はい、それはもう。 悪魔としての格は殆ど同じですので、ないがしろにするような真似はいたしません」
「頼むぞ」
「お任せください」
その自信は一体どこから湧いてくるのか。
多少呆れてしまったが。まあいい。
此処はここまでだ。
次は、別の場所に、仕事をしに出向くことになる。
空間転移の魔術を多用して、移動する。
現在アスラ王が本拠にしている場所にだ。
アスラは超古代の神格だが、インドで大発展し。日本にも強く影響を与えている。主に仏教を通じて、だ。
アスラ系統の神々は多く、その中でも阿修羅は有名だが。実際にはそれ以外にも多数の仏教系神格がアスラ系統の神々の流れを汲んでいる。
中でも大日如来はアスラ系の流れを汲む神格。まあ仏教では「仏」だが。まあ兎も角アスラ系としては最大出世した一つだろう。
言う間でも無く最高神アフラマズダもアスラ系である。
それだけ、強大な存在だと言う事だ。
その強大さはバアルほどではないにしても、それに近いものがあるだろう。
本来ルシファーなど鼻で笑う程度の古代神格であるのだが。
信仰がこうも散逸化して。
各国で悪魔にされたり神にされたりすると、信仰は逆に普遍化して、弱体化してしまうものらしい。
今、訪れたのは廃寺の一つ。
アスラ王が日本に腰を据えるために、根拠にした場所だ。
わびしい場所だが、霊的な場所としては最適に近く。アスラ王は文句をいう雰囲気はない。
いうまでもないが、アスラ王はそもそも魔界にいるように、本来はダークサイドのアスラの面を集合させたような存在である。
故に仏教の最高信仰対象である大日如来等とは同じ神格でも仲は最悪に近く、本来は寺を根拠地には出来ないのだが。
この寺は、密教系の廃寺。
密教は古代仏教の影響を強く受けている仏教の一派で、どちらかというと異端に近く。
しかもこの廃寺は仏教で禁忌とされる性行為を信仰に取り込んだ立川流の廃寺である。
そういう意味で、アスラ王には相性が良かったのだと言える。
人払いの結界が展開されているので、基本的に人は寄らないが。
ただたまに葛葉や八咫烏が、悪しき者が来ていないか様子見には来るようだ。
今の時点では来ていない様子だ。
それを、廃寺を見まわして、ルシファーは確認していた。
「よくおいでなさいましたな」
「ああ、アスラ王か」
「此方へどうぞ」
寺の境内の一角。まあ寺そのものはボロボロで、仏像もボロボロなのだが。
境内の一角に空間の穴が開いたので、其処を通って異空間に。
内部には強烈な生命エネルギーが満ちた空間が存在していて。
其処にアスラ王がいた。
座禅を組んでいるアスラ王。
インド系の神格と言う事もある。インド系のヒンズーまでの信仰では、神も悪魔も修行して強くなるという不思議な傾向がある。
仏教などのヒンズー以降に生じた宗教ではそうでもなくなるのだが。
ともかくアスラ王も、修行して力を蓄えているようだ。
「護衛を侍らせていないようだが、大丈夫か」
「いえいえ。 夜叉も羅刹も既に信用できる者は殆どおりませぬゆえ」
「連中としても信仰を得られる方が得だと判断しているわけか」
「その通りにございます」
仏教系の天部。毘沙門天などが有名だが。元ヒンズーなどのインド神話系の神々が転じた存在。それに明王や神将などの戦闘を担当する存在は。
眷属として夜叉や羅刹。インド神話における悪鬼を従えているのが普通だ。それも数千単位で。
夜叉や羅刹はヒンズーの思想では悪鬼とされる存在で、強いモノになると神々を脅かすほどの実力者がいる。
だが現在ではその原型がよく分かっていない。
まあヒンズーにインドの信仰が統合されていく過程で、失われてしまったものなのだろう。
ともかくこの夜叉やら羅刹やらをも取り込み。悪鬼ですら悔い改めれば救われるとしたのが仏教の思想だ。
また、金剛夜叉明王などという存在がいるように、一部は神格化すらしている。
つまりは普通に信仰を得られると言う事で。
今更夜叉や羅刹を怖れる人間なんかいないのだし。
まだ手を合わせてくれる信仰対象や、その配下になった方がマシ。
そう考える夜叉や羅刹は多い。
勿論悪鬼としての夜叉や羅刹も魔界にはいるが。
それらは所詮、上位の悪魔の使い走りに過ぎない。
彼らの中にも、いっその事と仏教側に寝返る者は後を絶たないそうだ。
「それでそなたはどう見る」
「文字通り終焉の時代ですな。 飽和したものと腐敗しきった時代。 インドのヒンズーの思想も腐敗しきってもはや面白くも何ともありませんが、この国も大して変わりはしませぬ」
「そんな中にも可能性はあるのだがな」
「大魔王殿はお優しゅうございますな。 余にはそのようなものは目に入りませぬが」
ふっと鼻で笑う。
アスラ王も凄惨な笑みを浮かべる。
さて、嫌みの応酬はここまで。
此処からは仕事の時間である。
順番に、現在の状況について説明をしていく。まずはベルゼバブとの連携について、である。
ベルゼバブとアスラ王はだいたい同格くらいの立場だが。
あえてそういう存在を此処に派遣したことで、仕事に柔軟性を持たせる意図がある。
これを何体も派遣してしまうと、文字通り船頭が多すぎて船が山に登ってしまうのだけれども。
まあベルゼバブとアスラ王の二柱くらいなら大丈夫だろう。
「何度か打ち合わせはしましたが、どうにも柔軟性に欠ける輩ですな。 もう少し色々と柔軟にものを考えるべきだと、大魔王殿から言うべきでありましょう」
「まあそれについては何度も指摘している」
「指摘して治らないのなら無能と言うことです。 余が此処を引き受けましょうか」
「いや、それは困る。 そなたの事だ、事故を装って街一つを食い尽くしたりとかしかねない。 私の知らない所で一神教勢力との開戦の口実を作られたりしたら困るのでな」
そういうと、渋面を作るアスラ王。
頭がいたい。
こういう所はベルゼバブとそっくりだ。
此奴は確かにベルゼバブより柔軟性に富んでいるかも知れないが、その一方でやり口が過激すぎる。
やはり掣肘し合うように配置しておいて正解だったなと判断。
似た者同士だから、丁度牽制し合うようになる。丁度良いと言える。
「天使共が活気づいているという話だが」
「ミカエルが既に来ているようです。 向こうとしても開戦するつもりはないようで、今は使いの下級を飛ばしては様子を窺ってきていますが」
「ほう。 信仰心を集める事以外に興味が無さそうなのに、珍しく勤勉だな」
「設定的には双子という事になっているのに、随分と酷評していますな」
そんな設定は後付だ。
そもそも報告書の誤解から出現したのがルシファーである。
しかも流行り始めたのは歴史的に見てつい最近。
五世紀くらいまでは、サタンの方が余程有名だった。
そのサタンにしても、そもそも「敵対者」という意味くらいの存在で。要するに悪さをする天使の総称。
強いていうなら大物の悪い天使、くらいの意味でしかなかった。
それがいつの間にか魔界の大将となり。
ルシファーと同一化されたりしているのだから、神学が言った者勝ちのいい加減な代物である事がよく分かる。
いい加減な思想をまとめているから、もはや一神教の魔界で一番偉いのは誰かすらもよく分からない状況で。
ルシファーがなんか格好いいので一番偉い、くらいの状況なのに。
知名度があるから悪い意味での信仰があつまり。
結果として大魔王となっているのが現状なのである。
馬鹿馬鹿しい話だが。
都市伝説の発生理由がだいたい馬鹿馬鹿しいのと同じで。
ルシファー自身も、自分に本来カリスマなんてものが無い事くらいは良く分かっている。
吸血鬼が近年やたらと強力に描写されるようになって来たのと同じで。
悪魔なんて、そんなものなのだ。
「いずれにしてもミカエルは何をしてもおかしくない。 油断だけはするな。 それと此方からは絶対に仕掛けるな。 まあちょっかいを出してきた使い魔を焼くくらいならかまわないが、騒ぎには発展させるなよ。 葛葉が出てくると厄介だ」
「余も倒されたことがあります。 時空を越えて現れるから本当に厄介ですなあの者は……」
「厄介だと言う事がわかっているなら気を付けよ」
「は。 今は力と情報を集め、やがて天使どもを掣肘すべく、順番に手を打っていきます」
それでいい。
頷くと、ルシファーは異空間を出る。
それにしても強烈な生命力に満ちた空間だ。
仏教でも、東南アジアなどに拡がる原始仏教では。立川流のように性行為を神格化しているものが珍しく無いし。
悟りに至るとかよりも、明王や天部などのどちらかと言えば戦勝を約束してくれる軍神への信仰が強い。
本来は仏教はそんな思想ではないのだが。
一神教にしても、隣人愛と赦しの思想を放り捨て。原罪とかいうものを作りあげて民衆を恐怖で統制する道を選んだのだ。
まあ他人のことは言えない。
とりあえず後は、日本にいる何名かの有力な悪魔に声を掛けに行く。
どいつもこいつも色々と面倒な性格をしているのだが。
それでも、ルシファーに嫌みを言ったり文句を言ったりはするが、最終的には従ってはくれる。
ただ近年は、魔界から独立して活動しようと目論んでいる連中が色々と動いているらしい。
一神教の統制力が乱れてきた影響だ。
それはそれで面白いので、別に手を出すつもりは無い。
可能性が生じれば、それでいいのだから。
一日がかりで日本中を回ると、後はおきにのアイス屋に出向いて、アイスを存分に楽しむ事とする。
まあ実際に美味しいし。
周囲の客は結界のおかげでルシファーをかまわないしで、居心地がいい空間だ。
魔界にこのアイス屋の支部を作りたい所だけれども。
まあ流石に厳しいか。
ただ、良い思いつきではある。
ベルゼバブに言って、今度考える事としよう。
では帰るとする。
なんだかんだでやる事は幾らでもあるのだ。大魔王は、部下に色々文句を言われようと。仕事を幾つも抱えているのだから。