この正しい世界を歪ませたい 作:全部武力で解決
『
チェルノボーグは源石が完全に呑み込み、面影を一つも遺すことはなくその周辺を禁足地へと変えた。源石の墓場となった彼の地にて、彼は深い眠りについた。
その日を境に鉱石病の悪化は止まった。アーツの使用による悪化にも目を瞑れるほど穏やかになった。この現象が私達の周辺だけに起きたものなのかは分からない。しかし、彼の言う通り、我々は時間を得た。鉱石病の治療法を確立させるまでの……多大な時間を。それだけは疑いようのない事実だった。
たった一人の喪失でロドスが止まることは許されない。
「ケルシー先生……」
「アーミヤか。こんな時間にどうした?」
「ケルシー先生はまだ寝ないのですか?」
「私はもう少し研究を続ける。アーミヤはもう寝なさい」
私に止まっている暇は無い。彼は時間さえあれば私達に出来ると判断した。私は彼に託されたんだ。彼が命を捧げた価値ある明日を作る義務が私にはある。
私は彼を殺す選択をした。
彼の遺した研究資料を片手にコップを傾けて、既に冷めたコーヒーを飲み干していたことに気付いた。もう一杯入れるのは手間だと考えてコップを机の端に置く。
「しかし、他のオペレーターからもケルシー先生を心配する声が上がっています」
「そうか」
「……アリストパネスさんもこうなることは望んでいないはずです。ケルシー先生、休んでください。このままでは体を壊してしまいます」
「わかっている。…………眠れないんだ。目を閉じれば彼の姿が瞼の裏に浮かぶ。まだ動いていた彼の心臓を刺した感触が襲ってくる。……もう少しだけ続けさせてくれ。それに……」
彼は最期までまともに眠れなかった。その事に気付けなかった私がどうして安眠を得られようか。彼が私達の安寧を願っていたのは知っている。しかし、私自身が許せなかった。
「イディアのことは私が一番理解している」
この苦しみから早く抜け出したい。何か行動していないと、全てを投げ出してしまいたい衝動を抑えられなくなりそうだった。早く、早く、あの場所へ行きたかった。
「頼む、研究を続けさせてくれアーミヤ。お願いだ……」
アーミヤは何も言わなかった。彼女に教えていた立場だったのに今では私が彼女に縋りつく。駄々をこねる子供のように我儘を通そうとしている私は惨めだろうか。
「お願い……だ……」
今の私を君が見たらどんな顔をするだろうか。
――
『どうしてっ! なんでよケルシー先生! 私達は彼を殺す為にここで戦ってたんじゃない。少なくとも私は彼を連れ戻す為にここに来た。今度こそ死なせないように。私は彼に生きて欲しかった!!』
人体の負傷は自然として備わった機能によって修復されていく。後遺症にでもならない限り、私は痛覚を通じて自身の愚行を再認識することは叶わない。……もうブレイズに殴られた頬の痛みを感じることは出来ない。彼女が私を赦すことはない。
『ケルシー先生……アリストパネスは家族じゃないの?』
ロスモンティスの記憶障害はいち早く彼の記憶に手をかけた。記憶は無くとも彼女は涙を流しながら毎日、私に彼のことを聞いてくる。私に彼女を導く資格は無く、この手で彼を犠牲とした私には全てを脚色なく語ることしかできなかった。
『ケルシー……本当にこれでよかったのか?』
言葉にするつもりはなかったのだろう。発言してしまったことを咎めるように口を隠したAceに、私は何も言わずにカルテに視線を落とした。Aceは飲酒を辞めたと聞いた。彼は酒飲みじゃなかったが、Aceと飲むのを好んでいたはずだ。理由はもはや……語るまでもないだろう。
『ケルシー先生。……私は大丈夫です。私はこの大地と戦い続けます。あの人がしてきたように……私にしてくれたように、助けを求める人に手を差し伸べ続けます』
アーミヤ……、彼女は本当に強く育った。彼の死を二度経験してなお折れず、リーダーとして皆を導こうとするその姿は私には少し眩しく感じるものだった。外見や言動の様子は未だ幼さが残っているが、内面的な精神性はリーダーの器として成熟を終えている。実はもう彼女に私という存在は不要ではないかと思う。
ドクターの記憶喪失の真偽は定かではないが、私の個人的感情を抜きに見て彼はロドスのオペレーターの信頼を得ていると言っていいだろう。彼がドクターに任せたように、私ももう任せられると感じた。私が居なくとも二人は必ずその信念を諦めたりしないだろう。
意思が睡眠を嫌うならその分研究を、手術や書類仕事に合間が発生すれば研究を、……間に合わなくなるのは論外だ。源石の脅威が鉱石病のみでないことは既知としているが、私にはもうこれ以上の生き苦は耐えられなかった。
「……ん」
自分が地面に倒れ伏していたと気付くのに数秒を有した。いつの間に気を失っていたか把握出来ていない私にとって時計の針は信用に値しないものだったが、窓の向こうの光量が今が明け頃だと報せてくれた。
「……」
方舟の駆動音だけが耳の中まで響いてきて、人の気配はない。これはひとりきりの朝、明日だ。
傍にあどけなく眠る彼の寝顔は無い。あれは夢の産物だ。惨めな私が見たかった偶像の記憶だ。
彼が居ない朝を何度も数えて、彼が望んだ明日を幾度も越えた。あの日の感情が、彼の顔が、声が、体温が、爛れた肌のように剥がれていく。簡単な不可逆の忘却は波音もなく、潮のように私を風化していく。
「……ぁ」
今更、開けた穴から零れ落ちた。硬く閉ざしたはずの処から止めどなく何かが溢れる。今は何の変哲もないもののはずだ。彼が居ない日常の一つのはずだ。一体何がきっかけとなったのか理解できなかった。
「ぁ……あぁ…………」
この胸の苦しみは喪失感からくるものだ……。頭ではそう思考しても……この両手では服に皺を増やすことしかできなかった。
「うう……ああぁ…………」
体が息を拒絶して、何かを吐き出そうと躍起になっている。この心臓を潰しても出てくるのは血液だけだというのに、私の手はそれを掴み潰そうと爪を立てる。
「いでぃ…………あ……」
名前を言ってしまった。もう、終われなかった。ただひたすらに涙と嗚咽を垂れ流す。これは向き合うなんて勇敢な行いではない。独りで哀しみに耐えきれなかった心の自慰行為。何も生まない無価値な無音の叫び。私は疲れ果てるまで、独り後悔した。
もう……疲れた
――
源石の都市は数年の月日が経ち、風に運ばれた石や砂が堆積している。この大地に馴染んできたと言える変貌は、私達のこともいつか忘れられることを教えてくれている。
「やっと……戻ってきた。なあ、イディア……」
源石に満ちた禁足地の中を歩く。もしこの地を非感染者が踏めば鉱石病に罹るのは避けられないだろう。治療法が確立し、脅威ではなくなったとはいえ源石に対する忌避は健在だ。
二人だけの都市は、静寂に包まれていた。
建物は曖昧な形状でのみ判別を可能としていたが、あの日の記憶を頼りに私の歩は止まることはなかった。
「……憶えているものだな」
ある建物に入り、階段を上がる。源石とはいえ普通の階段だが、私の足は軽く上がらず、昇る度に重力が加重されている錯覚を覚える。
疲れた。
最上階に辿り着いた感想は何とも草臥れたものだった。階段を昇るだけで息を切らすのは初めてのことだったが、これは運動を怠ったツケなのかもしれない。
源石の絨毯に導かれるように歩いた先に、それは居た。
「寂しかったか?」
「私は寂しかったよ」
「もう、独りは嫌だ」
彼を前にした途端、我先にと口から言葉が漏れ出る。懺悔でも後悔でもなく、自身の孤独を吐くあたり相当入れ込んでいたんだと思う。
「あれから色々なことがあったんだ。時間はある。ゆっくりとだが、聞いてはくれないだろうか?」
彼の傍に腰掛ける。いつか私自身が源石に呑まれて、その存在が泡沫のように消えようとも、彼の傍に居ると感じるだけで許容できる気がした。
「死がふたりを分かつまでと言うが、私達はどうなのだろうな?」
彼の記憶は源石の中に内包されている。なら私の全てが彼である此処の源石と同化すれば、私たちはまだ共に居ると呼べるのか。知覚も認識も出来ずとも、人が魂と呼ぶ概念に縋るならばそれは共に在れるのか。
「ああ、いけない。……眠くなってきた」
まだ彼と話したいことが沢山あったのだが……。これまで潜めていた分の睡魔に陥れられる。空は曇天だが、彼の体温なのか少し温かい。昔、彼を抱き枕にして寝たことがあったな。あの時の彼は寝れていただろうか。今更知る術もないが、今の彼は安らかに眠れている。ならば、安心して私も睡魔に肉体を明け渡せた。
「おやすみ………………イディア」
源石の都市に二人、静寂の中で眠りにつく。人の世の問題から手を置き、最も親愛なる者の傍で、瞑った目はこの正しい世界を映さず、遠のく意識は夢境へ旅立つ。
彼女は夢を見る。のどかな暮らし、使命を背負わない平和な生活を。もう目覚めることのない幸せな時間を得た。託したと騙って残ったものを投げ捨て、残される者の気持ちから目を逸らした。
「…………………………ごめんなさい」
これは、正しい結末。
世界の壊滅を待たずに、ロドスが鉱石病を治すことに成功した世界。
源石による脅威を排除する前にケルシーが途中で折れてしまった世界線。
これが、彼が望んだ終幕。
ケルシーが選んだ世界線。
そして……
「……なに間抜けな顔して寝てんのよ」