多分もう少しで完結します。
「おはよう、リン」
「おはよ、お兄ちゃん」
朝の洗面所、顔を洗っていたアキラが後からやってきたリンに挨拶をした。お互いに昨日起こったことなど何も覚えていないかのように普段通りの表情。アキラがタオルで顔を拭いていると、リンが隣で歯磨きを始める。
「おにいひゃん、ひょうひあんひょふまへいはなひゃなんらへろ」
「リン、大事な話なら歯磨きをしながら話すんじゃない」
「んん~~」
「今日は治安局に行かなきゃいけないって?」
「ほう!」
「そういえばそうだったな。じゃあ僕が……ああ、いや、悪いけどリンが行ってきてくれないか? トラビスさんから頼まれて買うことになってたビデオを取りに行かなきゃいけなくて。ルミナスクエアとは真逆なんだ」
歯ブラシを口から出し、べぇ、と泡を吐き出したリンがキラキラとした顔でアキラを見る。
「それって、治安局までおつかいに行ったらそのあと遊んできていいってこと!?」
「そうは言ってないけれど……まあ、別にダメとは言わないかな」
「やったー! じゃ、今日は早く仕事終わらせちゃお!」
「治安局はあまり遅くなると開いていないからね」
「わかってるってば! その為にちゃちゃっと終わらせて行くの!」
ぶくぶくと口内を水ですすぐと、リンは鼻歌を歌いながら洗顔フォームを泡立て始めた。アキラはその様子を尻目に、洗面所を出ていく。
着替えをしないままに一階へ降りていけば、6号と18号が返却済みビデオを処理して、店頭に並べているところだった。
「ありがとう、ふたりとも」
「「ンナナ!」」
イアスがいないところを見ると、きっと外の掃き掃除をしているんだろうとアキラは窓の外を覗いた。その通り、イアスが箒で葉くずを払っている。一時手を止めたが、どうやら隣からエンゾウが出てきて挨拶をしているようだった。
「――僕も外に出て挨拶したいところだけれど、寝間着姿じゃさすがにね。っと、ゴミをまとめておかないとか」
エンゾウが朝早くに外に出ている理由が『今日が可燃ごみの収集日であるから』だとわかり、アキラは慌てて奥の部屋へと引っ込んでゴミ袋を引っ張り出した。
『マスター、おはようございます』
テーブルの上や床に置かれたゴミを袋に詰め込んでいると、この部屋の住人であるFairyが挨拶をしてきた。
「おはよう、Fairy」
『今日は可燃ごみの収集日です』
「ああそうだとも、だからゴミをまとめてるんだ」
『昨夜も教えて差し上げましたが、マスターは心ここにあらずといった様子で聞いていませんでした。あの時きちんと聞いていれば、今マスターは部屋中のゴミを拾い集めることなどしていなかったはずでしょう』
「そうだねFairy、でも別に収集時間に間に合わないわけじゃないんだからいいだろう?」
『肯定。では昨夜マスターが心ここにあらず、であった件についてお聞かせください』
「え?」
『昨日の助手2号との熱い抱擁は、人間のごく一般的な家族的行動ですか?』
Fairyの問いかけに、アキラは一瞬だけ手を止める。
そしてすぐにゴミ袋を持ち上げてH.D.Dの方に向き直った。
「……ああ、そうだよ。だからそれについては特別話をしないでほしいな」
『かしこまりました』
「あと、今日は僕もリンもあとで出かけるから、できる限り消費電力を最小限にしてくれると嬉しい」
『否定。それは私の活動の妨げになります、マスターの要望は却下致しました』
「却下しないでほしいんだけど……」
アキラは苦笑しながら部屋を出ると、今度は二階のゴミを集めに階段を上った。
***
午後の昼下がり。
ルミナスクエアのリチャードティーミルクは休憩時間の会社員たちによって列を成しているが、その列に加わることができずにいるリンは苦虫を噛み潰した顔をしていた。
「ぐぬぬぬ、飲みたい……でもまずは治安局……」
「――ギリギリと歯軋りをしながらリチャードティーミルクを睨みつける様、それはさながら
「へっ!?」
すぐ隣を見れば、リンを覗き込むようにして立つ青衣がそこにいた。
「どうやら店長どのの恐ろしい面を我は垣間見てしまったようだな? はたまた、更なる意外な面があるやもしれぬ。どれ、ぬしの顔をよく見せてみよ」
「なっ……なーに言ってるの青衣! 意外な面なんてないない!」
「ほう?
「暇なんて持て余していませんよ、先輩」
後ろから声が聞こえてきて、リンはぱっと振り向くと顔色を明るくさせた。
「朱鳶さん! こんにちは!」
「こんにちは、リンちゃん。もう、先輩が怠けるから私ばかり事務仕事が増えるんですよ!」
「怠けてなどおらぬ。今もこうして店長どのに“訪問サービス”をしておるではないか」
「訪問サービスはもう先輩の管轄ではありませんよ。ほら、言い訳はいいですから行きますよ!」
「ああ、朱鳶、無理にそう我を引きずらずとも……ああ~」
駄々を捏ねる子どもを連れ帰るように朱鳶は青衣の両脇を抱えるとずるずると治安局の中へと引きずって行った。あんな風に乱暴に扱われても玉偶というのは丈夫なんだな、とリンは思わず感心してしまった。
「はっ、違う違う。さっさと書類出してこないと! っていうか元はと言えばお兄ちゃんがこないだ治安局に行った時にまとめてやってきてくれればぁ~……」
げんなりとした表情のリンもまた、治安局へと吸い込まれて行くのだった。
***
一時間後、リンはティーミルクを片手にルミナスクエアの歩行者エリアを歩いていた。
「全くも~。書類を提出するだけだっていうのに、治安局はいつも人でいっぱいなんだから。並んでただけでもうこんな時間だよ。でもあとは遊んで帰れるし♪ こないだ来た時はあんまり楽しめなかったし♪ ふふふん、いっぱい遊んで帰ろ~っと! ……手持ちが少ないからお金はあんまりかけれないけど。……ん?」
近くのニューススタンドに、見知った顔が見えることにリンは気が付いた。
「こんにちは、ライカンさん!」
「おや、これはこれはプロキシ様。今日はお一人ですか?」
気が付いたライカンが、姿勢よくリンに向き直る。
手には今買ったばかりのニュース紙が握られている。
「うん。ライカンさんこそ、一人?」
そう聞きながら、リンは辺りを見回す。
特に連れがいるようには見えない。
「いえ、カリンと二人で買い出しへ来ていたところなのです。とはいえ、カリンは今マッサージ店で指導を受けているところなのですが」
「デュイのおやじさんの?」
「ええ。通りかかって店主と少し話をしていたところ、カリンの腕を是非試したいというお客さんが来まして。カリンは最近耳かきだけでなく、全身マッサージも習得中なのです。今頃指導されつつお客様へ渾身のマッサージをしていることでしょう」
「へぇ~、私もカリンのマッサージ受けたいなぁ~」
「私どものサービスをご所望でしたらいつでもヴィクトリア家政までご連絡ください」
「あ、でも今節約中だから頼むのはちょっと厳しいかなー。あはは……。あ、そうだ。それなら私もマッサージ教えてもらおうかな! 簡単なの!」
リンが両手でティーミルクのカップを挟みながら『お願い』のポーズを取ると、ライカンは「ふむ……」と考える素振りを見せた。
「全身マッサージであればそれなりに力も要りますし、もしかするとプロキシ様は習得にお時間がかかるかもしれませんね」
「ええ~。あ、それじゃあ肩もみは? それくらいなら上手くできるようになるかな?」
「そうですね、全身のコリをほぐすよりは……肩もみを習得して、どなたにされるのですか?」
「もちろんお兄ちゃんだよ! お兄ちゃん、最近ゲームのしすぎで肩凝ってそうだから~。私が肩もみをしてあげれば、お小遣いがもらえるかもだし♪」
「左様でございますか。それであれば、カリンでも私でもお教えしましょう」
「ほんと!? あーでも、こんな道端で肩もみ教室なんて始めちゃったら、何かと思われるよねぇ……」
「それでしたら、私どもの事務所までお越しいただくというのはいかがですか?」
その時、一仕事終えたカリンが二人に気づいて駆け寄ってきた。
「こ、こんにちはプロキシ様!」
「こんにちは~、カリン。マッサージしてきたんだって?」
「は、はい! 初めてのお客様でしたが、カリンのマッサージを喜んでいただけました。少しだけ自信が持てて、カリン、とても嬉しいです」
「良かったね~。私もカリンに全身マッサージしてほしいなぁ……じゃなかった、私肩もみをマスターしたいの!」
「肩もみ、ですか? ぶ、不躾でなければ、カリンがお教えします!」
「では、私が肩もみをされる役を買って出ましょう」
「ライカンさんありがと~! それじゃ、ヴィクトリア家政の事務所へレッツゴー!」
「すすす、すみません! プロキシ様、カリン、まだ買い物の途中でして……」
「あれぇ? そうだったの? いいよいいよ、じゃあ私が荷物係するね!」
「ええ!? い、いえ! プロキシ様にお手伝いいただくわけには……」
ちらり、とカリンがライカンを盗み見る。それに気が付いたライカンは少し考えるようにして――
「では、ご友人としてお手伝いをお願いしてはどうです。カリン」
そう提案すると、カリンは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「友人……はい、あの、少しだけ、本当に少しだけでいいので! 持っていただけたら、とても嬉しいです」
「まっかせてよ! じゃ、行こ行こ! どこに買い物行くの~?」
「ええとですね――」
カリンがメモを取り出しながら行先を話し始め、リンが相槌を打ちながら聞く様子を、ライカンは後ろから優しく眺めていた。さながらそれは子どもとその友人が仲良くする様を見て親心を覚えるようで……ライカンは一つ咳払いをするとその考えを隅に追いやった。
***
用事を終え車から降りると、段ボール箱を片手に駐車場側から店内へと入った。店番中の18号が「ンナ!」と僕に向かって声を上げた。
「ただいま、リンはまだ戻ってないのかい?」
「ンナ~、ンナナナ」
「そうか……僕より先に出たから、もう帰って来ていてもおかしくないのに」
時間を確認する。治安局の受付はもうとっくに閉まっている頃だろう。とすれば今は遊び歩いているということか。
「連絡は入ってないけれど……まあ、そのうち帰ってくるよな」
段ボール箱をカウンター横に置き、トラビスさんに泣きつかれて仕入れたビデオを確認する。段ボール箱の中全てがそうというわけではないけれど……急な出費にため息が出た。
「確かにあまり人気の作品ではないからな……あとで僕も観てみよう」
その時、ビデオ屋の扉が開いて数名の女子高生が入店してきた。その中に見知った顔がいることに気づき、目が合うと「やぁ、いらっしゃいませ」と声をかけた。
「あれ、いたんだ」
少し意外そうにそう言ったエレンに、僕は首を傾げる。エレンは一言二言友達に何か言うと、こちらへ近づいてきた。
「さっきカリンから連絡があって、リンがうちの事務所に来てるって」
「えっ?」
「夕飯も一緒に食べていくかもしれないって言ってたけど……聞いてない?」
「いや……聞いてないな」
「あ、そう。てっきりあんたもそっちにいるんだと思ってたんだけど」
「エレンもみんなと一緒に夕飯を食べるのかい?」
「ううんー、今日はあの子らとご飯行くから」
あの子ら、と言って見たのはエレンが一緒に入ってきた女子高生たちだ。そうか、と相槌を打つと僕はどうしたものかと腕を組んだ。
「アキラも行けばいいじゃん」
「えっ?」
エレンの提案に僕は驚いた。僕が驚いたことに、エレンは驚いたみたいだけれど……すぐにいつもの少しむっとしたような顔に戻って僕と同じように腕を組む。
「どうせ一人増えたくらいじゃ困んないって。行って一緒にご飯食べてけばいいじゃん」
「ええーと……いいんだろうか」
「いいって、連絡してみなよ」
エレンはそう言うと、友達の輪へと戻ってしまった。僕はしばしの間考え――結局、ライカンさんへノックノックで連絡を取ることにした。
「帰りは遊んでくるって言ってたけれど……それがなんでヴィクトリア家政のところへ?」
疑問を胸に、再度出かける準備を始めた。
***
「まあ。いらっしゃいませ、ガイドさま」
前に一度だけ来たことのあるヴィクトリア家政に辿り着くまで多少道に迷いはしたものの、どうにかインターホンを鳴らすことができた。出てきたのはリナさんだ。
「今日の夕食は賑やかになりますわね」
「すみません、急に」
「大丈夫ですわ。ガイドさまたちお二人の来訪は、ヴィクトリア家政の誰もが嬉しいことですから。今妹さまはカリンちゃんと――」
事務所、というよりは屋敷と表現する方が正しいだろうヴィクトリア家政の事務所内は前に来た時と同じように綺麗に掃除されている。置かれている花瓶の中の花は多分前とは違うのだろうけれども、綺麗に咲いていることは変わりないはずだ。リナさんに案内された先から声が聞こえてくる。部屋の中を覗けばリンがいた。
「リ……」
「ええっと、こ、こうです、こうするともっと力が入って――」
「う、ううーん、こうかな!? どう!? ライカンさん!」
「はい、先ほどよりも心地が良いです」
「良かったですね、プロキシ様!」
「はあ~~、でもライカンさんの肩じゃ大きすぎるよ。肩もみ大変すぎる~」
「それはそれは、申し訳ありません」
「お兄ちゃんの肩はもっと細いからさぁ、きっとこんなに力入れなくっても」
「で、では今度はカリンがされる役をやりますので……!」
わいわいとした雰囲気の中で、声をかけるのをやめた。
楽しそうにしているリン。
何してるんだい? と、いつものように声をかければよかったのに。
にこやかに笑うリンが、ライカンさんの肩に手を添えている。
僕ではない男に触れている様に
僕は、急激に頭に血が上っていくのを感じた。
「……っ!」
「ガイドさまっ?」
後ろに立っていたリナさんを押し退けて、慌てて玄関まで引き返す。
バタンと扉を閉めて外に出れば、玄関を灯す明かりの下で僕はしゃがみこんだ。
顔を両手で覆い、そのまま髪をぐしゃりと潰すように掴む。
――何をしているんだ。
ゆっくりと呼吸するも、震えて上手く息が吸えない。
――何をしているんだ。
吐き出した息が喉につっかえるようで、泣きそうになる。
「何してるんだ、僕は」
明らかに嫉妬だ。
ライカンさんに触れているリンを見て、激しく嫉妬した。
怒りを覚え、
引き離したい気持ちになった。
そうする権利など自分にはないのに。
自分が恐ろしくなって逃げ出した。
こんな姿を、こんな兄の姿を妹に見せたくない。
「――ガイドさま、いかがなさいましたか」
いつの間にか隣に立っていたリナさんに、問いかけられた。それでも僕は顔を上げることもできず、黙り込む。
「何か訳がおありのようですね」
「……リンは何か言っていたかい」
「いえ、まだガイドさまが到着されたことに気づいておられません。今頃ライカンが夕食の支度を始めているので、それについていったことでしょう」
「そうか」
そう言うと、長く、長く、息を吐いた。ふと、背中を撫でられる。
「ご気分が悪いようでしたら、少し横になられますか?」
「いや、大丈夫。少し、外の空気を吸っていたらよくなるさ」
「そうでございますか。それでは、良くなるまでこのリナがお供しますので、何かあればお申し付けください」
「何か……」
髪の毛を強く掴んでいた手を緩め、掌を見つめる。それから真っ暗になってしまった空を見上げた。
「あの」
「はい、なんでしょう」
「僕は時々、おかしくなるみたいなんだ」
「おかしく、でございますか?」
呼吸を整えて、頭の中を整理する。
口に出してもいい言葉はどれか、選んだ。
「リンが、どこで何をしていようとかまわないはずなのに、怒りにも似た感情を覚えてしまう。リンは小さな子どもでもあるまいに、こんなんじゃ、兄失格だ」
「さようでございますか」
「さらに言えば、僕は、時々リンに対して持っちゃいけない感情まで……本当に、時々……。いいお兄ちゃんでいなきゃいけないのに、これじゃダメなんだ」
「いいお兄ちゃん、で、ございますか」
「……リンを傷つけたくない」
「ガイドさま……」
僕の背を摩っていた手が止まり、隣に座っていたリナさんが立ち上がると、僕の目の前に腰を下ろした。
「これはリナの憶測でございますが……」
「……なんだい?」
「もしかするとガイドさまは、とてもとても長い間ご自分に暗示をかけてらっしゃったのかもしれませんわね」
「暗示?」
暗示――無意識下の操作・誘導。そういうものだろうか。一体何故、どんな暗示が、そんなことを考えるも、ぼんやりとした頭では何もまとまらない。
「いいお兄さんであろうとしたことが……その昔、あったのではないでしょうか。ガイドさまたちの過去に一体何があったのかは、わたしにはわかりかねます。ですがその結果今ガイドさまは、苦しんでおられるのかもしれません」
「……僕が、僕に暗示をかけたってことかい?」
「ええ、過分な憶測に過ぎませんが。ですが、『いいお兄さんであろうとする』暗示ならば……それは、妹さんの幸せを願ってかけたものかもしれませんわね」
「……うん、そうだ。僕はいつだってリンの幸せを願ってるよ。だからこそ、こんなふうに身勝手な感情に振り回されちゃいけないんだ」
「ですがガイドさま」
「なんだい?」
「ガイドさまも、ガイドさまご自身の幸せを願って良いはずですわ」
リナさんは僕に手を差し伸べた。
「人間というものは、かくも身勝手な生き物でございます。しかしその身勝手さも、他方から見れば違ったものになる場合も、あるかもしれないのです」
「どういうことだい?」
「人間、幸せになる為にはまず対話が必要ということですわ」
「対話……」
僕が手を取ると、リナさんは僕をゆっくり立ち上がらせてくれた。
「さあ、ガイドさま。いい匂いがしてまいりました。きっともうすぐ夕食の時間になります。中へ戻りましょう」
再度扉を開けてくれたリナさんに続いて、僕はヴィクトリア家政の事務所へと入っていった。
***
「はぁ~、ライカンさんの作ったご飯美味しかったね~」
我が家に帰って来るなり、私はお兄ちゃんの部屋のソファにどっかりと座った。お兄ちゃんの部屋はいつも驚くほど片付いてるから、まるでホテルかのようにくつろげる。お兄ちゃんはというと、机に置きっぱなしになってたペットボトルの水を喉に流し込んでいた。
「あ、そうだ! お兄ちゃんはやくはやく!」
「ええ? ああ、うん」
私は部屋に来た理由を思い出して慌ててソファから立ち上がった。それからお兄ちゃんをソファに座らせる。
「ふふん、カリンとライカンさんに教えてもらったこのスキルで、しっかりお兄ちゃんの肩のコリをやっつけてやるんだから!」
そう言って体重をかけて肩をもみ始めると、お兄ちゃんの「イタタタタ」という声が聞こえた。しばらくの間お兄ちゃんは痛みに耐えるように肩を強張らせていたけれど、次第にほぐれてきたのかリラックし始めた。
「肩もみスキルさえも完ペキに身に付けるなんて、さすがは僕の妹だね」
「へへーん、もっと褒めてくれてもいいんだよ♪」
「お小遣いを期待してるのかい?」
「それは~……まあちょっとは?」
お小遣いはもちろん欲しい。けど、今はお兄ちゃんにしっかり満足してもらわないと。2回目からはもちろんお金を取らないとね~……なんて考えていたら、ふと昨日のことを思い出した。
『キス、ってしたことある?』
自分の言った言葉が脳内再生されて、恥ずかしさに震えそうになる。お兄ちゃんはどんな気持ちで聞いていたんだろうか。想像して、わからなくなった。
「ねぇお兄ちゃん」
「ん?」
「昨日のことだけど、さ……」
私がそう言うと、お兄ちゃんの身体が少し強張った。
知らないフリをして、話を続ける。
「あのね……その、急にごめんね。気にしないで! 私もなんであんなこと言っちゃったんだろ~、あはは……」
「……うん、わかったよ。気にしない」
気にしない、のかぁ。
って、ちょっとだけ残念に感じている自分がいる。
なんだろう、このもやもやした気持ち。
わからないのが悔しくって、肩をもむ手に力をこめる。
「――ああいや、でも答えさせてくれ」
「えっ?」
急に話し始めたお兄ちゃんに、私は驚いて手を止めた。
「僕はその、キスなんてしたことないんだ。いい年だってのに笑っちゃうよな。彼女もいないしね」
「彼女ほしいの!?」
思わずお兄ちゃんの肩に手を載せて身を乗り出す。
私の声がうるさかったのか、お兄ちゃんはちょっとの間耳を塞いでいた。
「……いや、欲しくないよ。彼女がいなくたって…………そういうリンこそ、彼氏が欲しいなんて言葉、今までに聞いたことがないな。独身至上主義かい?」
「そーゆーんじゃないってば。ただ今は……満たされてる、っていうか」
「満たされてる?」
肩もみを再開した。
そうしながら、自分の考えを再度まとめてみる。
「うん。なんていうかさ、寂しいから、彼氏が欲しいってなるわけでしょ? 私にはお兄ちゃんがいるし。彼氏とできることなんて、お兄ちゃんとだってできるじゃない。一緒に出かけたりご飯食べたり映画見たりー……」
「……でもリン」
「ん?」
「さすがにその、恋人とするようなこと、は、僕にはできないんじゃないだろうか」
「恋人とするような?」
「キスとか、そういうことだよ」
「……あ」
言われて、気づく。
恋人とするようなこと。
出かけたり、
食事したり、
映画を観るなんてのは序の口で。
手を繋いだり、
抱きしめ合ったり、
キスをしたり、
肌を重ね合ったり。
その瞬間、わっ……と、全身が熱くなった。
あ……
そっか。
私、昨日、お兄ちゃんとキスしたかったのかも。
「そ、そっかー! あは、あははは、そうだよね、あはは~……」
私が曖昧にそう返すと、お兄ちゃんは私を振り返って笑った。
「僕はこれまでも、これからも、リンのお兄ちゃんだからね」
「うんうん、お兄ちゃんはこれからも私の……お兄、ちゃ……」
これからも、私のお兄ちゃん。
そう口にすることで、何かが頭の中に見え隠れした。
幼い頃のお兄ちゃん。
お兄ちゃんの目の前にいるのは、私。
二人ともひそひそ声で何かを言っていて、小さく笑う。
これは幼い頃の記憶。
私、何かお兄ちゃんと約束した気がする。
「……リン?」
お兄ちゃんの問いかけに気づくまでに、数秒かかった。
私のこの、お兄ちゃんに対する気持ちの解析にはもう少しかかりそう。