「お兄ちゃん、さあ乗って!」
病院前に乗り付けた見慣れた車、運転席にはリン。
アキラはドアを開け、助手席に座った。
「も~昨日は大変だったよ~」
そうぼやくリンの横顔を見てアキラは苦笑いをする。
「お疲れ様、リン」
「お兄ちゃんこそ、お疲れ様」
――アキラがホロウ災害に巻き込まれたのが昨日の昼のこと。
助けに行った邪兎屋とイアスに同期したリンは倒れたアキラを見つけると、入れ替わりでやってきた治安局が彼を救助するのを見届けてホロウを後にした。邪兎屋だけであれば「ホロウ災害に巻き込まれた」ということにしてその場にいても良かったのだが、リンが同期しているボンプ――イアスは青衣や朱鳶に見られると質問攻めに合うことも考えられる。
その後感覚同期を解除したイアスは邪兎屋に任せ、リンは店舗兼自宅で治安局からの連絡を待った。しばらくして青衣から直接連絡が入り、アキラが市街にある病院へと運び込まれたことを聞かされる――。
「お兄ちゃんが無事だって電話口で聞いてほっとしたよ~。それまで生きた心地しなかったんだから!」
「あはは……ごめんよ」
――連絡を受け病院へと向かったリンは、案内された病室で意識の戻らないアキラと対面した。検査の結果、現時点で侵蝕は見られないこと、今は意識が戻るのを待っていることを説明され、リンはアキラが目を覚ますのを待った。看護師が去ってすぐ、アキラが目を覚ましたわけだが……。アキラとリンがキスをしていたことは誰にも見られていなかったとはいえ、その後リンが帰ったあと何人もの看護師から「兄妹で仲がとてもいいんですね」と言われることになる。
その日は様子を見て入院し、翌日再度エーテル侵蝕の検査を受けたアキラは、今後も経過を見るようにと医者から言われて退院することに――。
「とにかく、災害保険には入ってたから保険金が下りてよかったよ。病院代もなんとかなったし。……いくらかのお金は出てったけどね」
「邪兎屋に依頼料も払わなきゃだし?」
「そーそー。あ、でもそれは大丈夫なの。ニコがこれまでうちに払いきれてない依頼料からもらうわって。だからまあ、ほぼプラマイゼロって感じ?」
信号が青になり、車が動き出す。ビデオ屋まではあと二十分、というところだろう。
話の区切りがついたのか二人は口を閉じた。お互いに何を言おうか考えている。信号を二つ三つ過ぎた辺りで、先に口を開いたのはアキラだった。
「ねぇリン、子どもの頃かくれんぼしたの覚えてる?」
「え? えーっと、こないだもこんな話したよね。うん、ちょっとは覚えてるよ」
「大きいゴミ箱の後ろに隠れてさ」
「うん」
「結婚式をしたの覚えてる?」
「……け、結婚式??」
リンがひっくり返ったような声を上げると、車が蛇行した。
「ちょっ、リン! ちゃんと前を見て運転してくれ!」
「お兄ちゃんがいきなりそんなこと言うからでしょ!?」
どうにか舵を取り直し、リンはハンドルを両手でぎゅっと握り直した。
「……そ、それで? その、結婚式? って?」
「リンが言ったんだよ、大きくなったらお兄ちゃんと結婚したいって」
「……………あ、ああ~? なんか思い出してきたかも」
「大きくなってもお兄ちゃんと一緒にいたいからって」
「待って待って待って、すごい恥ずかしいんだけど!?」
「でも、兄妹で結婚できないって学校の子に言われたって」
「えー……うん。えっ、待って、思い出した! お兄ちゃんが私の嫌がること絶対しないって言ってたやつじゃない!?」
「そうだけど。大事なのはそこじゃないと思う」
「ええ~~?」
信号が赤になり、車を停める。アキラもリンも、進行方向を向いたまま。
「リンは、ずっと僕に好かれるようにがんばるって言ってたよ」
「……あはは、そんなこと言ってたのかぁ。あー、でも、ちょっと納得したかも」
「納得?」
「うん」
リンがアキラを見る。
アキラも目を合わせる。
リンは少し困ったように笑った。
「そのせいで私、満足してたんだと思う」
「満足って?」
「ほら、こないだ私、満たされてるから彼氏とかいらなーいみたいなこと言ったでしょ」
「うん……そうだっけ」
「そうだよ~。それってさ、ずっとお兄ちゃんといられるって思ってたってことだよね。小さい頃おままごとの結婚式をしたから、それで満足したのかなって」
「ああ……なるほど?」
「私、安心してたんだなぁきっと。お兄ちゃんはずっと私といてくれるから大丈夫って。でもさぁ……なんか今更気づいちゃったよね」
「何を?」
「もう何も知らない子どもじゃないんだって」
子どもじゃない――それは自分が悩んでいたことに近いとアキラは思った。
リンは前を向き、車を走らせる。
「私ね、この前お兄ちゃんとキスしたいって思っちゃったの」
「……えっ」
そう言われて、アキラは昨日の出来事を思い出す。
柔らかなリンの唇。
感触を覚えている。
急激に体が熱を帯びるのを感じた。
「普通、妹が兄に対して思うことではないなってすぐわかったよ。でも、お兄ちゃんに愛してるなんて言われて、我慢できなかった」
「リンはすごいね」
「え?」
「僕もたくさんリンに対していろんな欲を抱えてて、今までずっとそれをひた隠しにしてきたんだけど。……リンは自分の気持ちに真っ直ぐだ」
「もしかして馬鹿にしてる?」
「してないよ」
アキラが肩をすくめると、リンは「もう」と口を尖らせた。
「どうして急に愛してるなんて言ったの?」
リンの疑問。
アキラは口を開いて――しばらくしてから声を発した。
「……僕はね、幼い頃約束したにもかかわらず、リンに『嫌がること』をいつかしてしまうんじゃないかって怖かったんだ。今言ったように僕はずっと自分の気持ちを自分自身にさえ隠して、醜い欲を無いものにしてた。それがいつか隠し通せなくなって、リンの気持ちを無視して何かしてしまうんじゃないかって怖かった」
「………」
「僕の気持ちを伝えたら、拒絶してもらえるんじゃないかと思ったんだ。そうしたら、僕は
「……そっかぁ」
「………」
「言って良かったね?」
「……まあ、そういうことになるかな」
車内で音楽はかかっていない。
エンジン音だけが響く。
また二人は会話がなくなって――見慣れた景色が近づいてくる。
六分街はいつも通り。
ただ、今この車内の二人だけは、いつもとは少しだけ違っている。
ビデオ屋の裏にある駐車場に車を停め、エンジンが停止した。
静かになった車内で、二人はすぐ降りようとせずに座ったまま。
「……リン」
「ん?」
「手を握ってもいい?」
「こないだは聞かないで握ってきたじゃん」
「そうだったっけ?」
記憶にないと視線を逸らすアキラにリンは呆れたように笑う。
「はい、どうぞ」
リンは右手を差し出した。アキラはそれを左手で握る。
「はあ……」
ため息を吐いて、アキラはシートに頭を預けると目を閉じた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「……おかえり」
「うん、ただいま」
しばらく手を繋いだままで、ふたりは互いに沈黙を許した。
――昨日から今日にかけてビデオ屋は臨時休業。
外にビデオの返却用ポストを設けてあり、二人は帰って来るなりその中身の確認から仕事を始めた。
隣の滝湯谷のチョップ大将は、アキラの顔を見るなりほっとしたようにし「いつでも食べに来いよ!」と声をかけた。請け負った車の修理中だったエンゾウも声を聞きつけて、「おう」と嬉しそうに手を振る。アキラが被災したという話はこの小さな六分街ではあっという間に広まっていたらしい。アキラは少し照れ臭そうに彼らに手を振り、また他の人に声をかけられる前にとビデオ屋へと引っ込んだ。リンはくすくすと笑いながらその後ろをついていく。
「返却されたビデオは~……三本だね!」
「今日返却期限のビデオはあと何本かな」
「ンナンナ!」
二人が帰ってきたことに気づいて駆け寄ってきた18号が、「もうないよ!」と教えてくれた。
奥の部屋に入っていくと、H.D.Dの稼働音が少し大きくなる。
『マスター、おかえりなさい』
「ああ、ただいまFairy」
慣れた空気に安心したように、アキラはソファへと座った。
***
すべてが落ち着いた夜――遅くまで人通りがある六分街も随分と静かになった。
お仕事を終えたボンプたちを休ませ、アキラはソファに座ってタブレットを操作している。
「お兄ちゃん、まだ寝ないの?」
リンがドアの隙間から顔を出して声をかけてきた。
「ああ、もう寝るよ」
「早く寝た方がいいよ~、明日になってまたいつもみたいにニコがやってきて『パエトーン! 助けてほしいの!』なーんて展開があるかもしれないし」
「縁起でもないことを言うなぁ……」
アキラはソファにもたれていた体を起こし、立ち上がった。
「Fairy、私たちもう寝るからね。また明日!」
リンが声をかけると、『おやすみなさいませ、マスター、助手2号』と電子音が響いた。
リンとアキラが部屋を出ると、店側のフロアは暗くなっている。階段の明かりに照らされていくらか見える程度だ。アキラがそのまま階段を上がろうとしているところに、リンが服の裾を引っ張って阻止した。
「んっ、なんだい?」
驚いて振り返る。
リンは「んー……」と言いにくそうにし、困ったような表情をするとそのままアキラの服を引っ張って受付カウンターまで進んでいった。
「リン?」
アキラの問いかけに答えず、リンはカウンターの中でしゃがみ込む。アキラもその横に同じようにしゃがみこんだ。誰かから隠れるように、誰にも見えないように、二人きりになったその場所でリンは足を抱えて下から見上げるようにアキラを見る。
「……やり直そうよ」
「何を?」
「結婚式」
リンの提案に、アキラはぽかんとする。けれどもすぐさま「ぷっ」と笑いを堪え切れずにふき出した。
「ちょっとー、何で笑うの?」
「いや、ふふっ、子どもっぽいなと思って」
「ちょっと、全然子どもじゃないからね! もっとこう、ちゃんとしたいなと思って」
「ちゃんと?」
「小さい頃は、何もわかってなかったし」
むすっとして、頬を膨らませるリン。
アキラは微笑んでリンの頭を撫でた。
「それで? どうしたらいいんだい?」
「……ええとね、コホン!」
わざとらしく咳払いをし、リンがまるで神父か牧師かのように話し始める。
「リンの兄である、アキラは、これからも妹であるリンに、優しくし、甘やかし、生涯大事に愛することを誓いますか!?」
「!? ……いや、甘やかしって、それだとリンに都合のいいだけじゃないかい?」
「ほら! 誓いますか~?」
いたずらっぽい笑みを浮かべてリンが訊ねる。
アキラは少し背筋を伸ばして、
「誓います」
と答えた。
「ふふっ! 私も、お兄ちゃんに甘やかされて、大事にされて、それで、一生あなたを愛することを誓います」
「こんな誓いでいいのかな」
「いーの、私たちだけの結婚式なんだから」
「それで?」
何かを急かすようにアキラは顔を近づける。
「っ! それで……」
リンは驚き一瞬目を逸らすも、すぐにアキラと目を合わせた。
「……誓いのキスは、お兄ちゃんからして」
「昨日はリンからしてくれたからね」
「そういうこと言わなくていいの」
怒るリンの顔――それが愛おしく感じ、アキラはその頬を優しく撫でてやった。
「んっ……お兄ちゃんくすぐったいよ」
「リンがすごく可愛いから」
「そんなこと思ってたの?」
「そんなことずっと思ってたんだ」
アキラの手がリンの頬をすべり、肩に載せられる。
「これからも大事にするよ、約束だ」
「うん。……これからも、ずっと二人でいようね」
リンの言葉を聞くと、
アキラはそっとリンの唇に自分の唇を重ねた。
長く、
長く、
これまで足りなかったものを埋めるように。
「――誰に祝福されなくても、僕らはずっと一緒だ」
***
朝一番、ビデオ屋を開ける時間よりも早くそれはやってきた。
「パエトーン! 緊急事態よ!! 私の依頼主がこの前のホロウ災害でうちの大事な商品を――って、あれ?」
いつものごとく現れたニコだったが、いつもいるはずの部屋にパエトーンの二人はいない。恐る恐る階段に近づき、二階を見つめるニコ。
「……まさか上の部屋で二人よろしくやってるとかいう展開じゃないわよね……?」
階段をこのまま上ろうかやめようか思案していると、ひょこっとリンが二階から顔を出した。
「やっぱり来た! お兄ちゃん、ニコが~」
そう言いながらリンの声が遠のいていく。アキラの部屋へと行ったんだろうかとニコは少し待つことにした。するとすぐにアキラも顔を出した。
「いらっしゃい、ニコ。君はいつも僕たちに驚きを与えてくれるね」
「したくてしてるわけじゃないわよ! ほらパエトーン、早く降りてきて!」
「はいはい」
アキラが肩をすくめてみせる。
ニコはふんと鼻息を荒げるといつものH.D.Dがある部屋へ歩いて行った。
「――やっぱり来たね、ニコ」
「リンが昨日あんなこと言ったからじゃないかい?」
「私のせいじゃないもん~」
逃げるようにしたリンの手を取り、アキラは自分の方へと引き寄せる。
「もう少しこうしてたかったな」
「何言ってるの、時間はいくらでもあるでしょ?」
アキラに抱きしめられながら、リンはアキラの腕をぎゅっと抱く。
そのまま後ろを振り返って、軽くキスをした。
それからあっさりと体を離し、二人は階段を下りて行く。
「さあ、僕らの仕事を始めようか」
これまでと少しだけ変わった日常が――今日から始まろうとしていた。
<了>
ひたすら自分が読みたいプロキシ兄妹の話で、とても自己満な作品になってると思いますが、思っていたよりもたくさん読んでもらえてるみたいでとても嬉しいです。最後までありがとうございました。
また、誤字報告していただいた方々も本当にありがとうございます。誤字報告機能、すごい、とてもありがたい。
そして連載中評価や感想もらえて励みになりました。最後まで読んだよ!な感想ももらえると小躍りして喜びます。(もちろん一目見てもらえるだけで十二分に嬉しいです)
今後は書けたらプロキシ兄妹のいちゃいちゃ短編など上げてくと思います。
ではここまでお付き合いいただきありがとうございました。