プロキシ兄妹の事情   作:nifrec.

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7.満たされて

 

 雑貨店141には何でもある。

 

 新発売で人気急上昇中なお菓子も、

 ちょっと切らしてしまった定番の日用品も、

 料理の途中で突然必要になった食材や調味料も、

 

 必要なものは何でも揃ってる!

 

 ……でもどれもちょっと高い。

 

 食材を買うのなら、少し遠出して大型スーパーに行った方が安いんだけれども……

 ただ車で行く為のガソリン代を考えれば(または地下鉄で行く場合の切符代を考えれば)、近くてすぐ手に入るここで買った方がお得、という結論に至ることが多々あるのだ。

 

「でもやっぱりちょっと高い~、お財布が痛いなぁ」

 

 冷蔵庫の中の食材や飲み物が少なくなってきたから買い物に来たんだけど、全部買った場合の合計金額の高さに一旦持ち帰ってお兄ちゃんと話し合うことにした。

 

「はあー、今月も節約しないとだからなぁ……もー、Fairyめぇ。電気代食い散らかして~」

 

 項垂(うなだ)れて店を出る。

 夕方、学生たちには放課後でもあるこの時間帯は六分街も例外なく学生たちで賑わっている。とぼとぼと歩みを進めていると、ふと<COFF CAFE>のテラス席に見慣れた顔がいることに気が付いた。

 

「あれぇ、エレンだ! お友達とお茶してるなんて青春だね~」

 

 にこにこしながら寄って行ってみれば、エレンは何も飲んでおらず、代わりに棒付きの飴玉を口から離した。

 

「ん、何してんの?」

「ちょっとお買い物ー……と思ったけど、買わずに帰るとこ」

「ふぅん?」

 

 エレンと一緒にいるお友達のうち一人が、エレンに耳打ちした。

 

「誰~?」

「えっと知り合いの…………………ビデオ屋の、店長」

「えっ、ビデオ屋ってそこの? わ、こんにちは店長さん! 私よくそこでビデオ借りてるんです!」

 

 前髪を上げた女の子はそう言うと先日借りたビデオについて語り始めた。好みにドンピシャだったらしく、借りてからもう三回は見てるという。

 

「ほんと~? 嬉しいな。またビデオ借りに来てね!」

「はーいっ! あ、店長さんも一緒にお茶しませんか!?」

「ええ? んー、まあちょっとだけなら?」

 

 節約しないと! とさっき雑貨店を後にしたくせに、コーヒーを買うのは躊躇わない。こういう現象、なんて言うんだろうなぁ。ま、難しいこと考えないで買っちゃお。

 中でティンズ・スペシャルを購入すると、テラス席へと戻ってくる。椅子を近くから拝借して、女子高生たちに混ざって座った。

 

「店長さんって、二人いるんですか?」

 

 エレンの友達の茶髪の女の子に聞かれてコーヒーを一口飲んでから「うん」と頷いた。

 

「お兄ちゃんと私で店長やってるよ。見たことない? グレーの髪の……」

「見たことあります! あの細いイケメンさんですよね! 妹さんは逆に可愛くってなんか羨ましいな~」

「あはは、若いのにお世辞が上手いなぁ」

 

 へらへらと笑って、ビデオ屋の方に目を向けてみる。滝湯谷があるから見えないけれど、多分今頃お店の中ではお兄ちゃんがくしゃみをしてそうだ。

 

「お姉さんだって若いのに、店長ってすごいですよね。どうしてビデオ屋を?」

 

 大人しそうな眼鏡の女の子に聞かれて、「うーん」と考えるフリをしながらコーヒーのカップに口をつける。

 

「趣味が高じて、かな? 私もお兄ちゃんも映画とかテレビ番組とかそういうの好きだから」

「「「へえ~」」」

「……私そろそろもう行こうかな! やっぱりお友達でいるところに邪魔するのも悪いし」

「ええっ、そんなことないですよ~!」

「そうそう、あ、ほらお菓子もあるし! 食べよ食べよ」

「こら、別の店で買ってきたお菓子を出すのはちょっと悪いよ」

「あ、あはは……」

 

 さすが女子高生とでもいうのか、何も怖いものなんてない! というような雰囲気にリンはちょっと気圧されてしまう。

 

「あ、お姉さんって彼氏いるんですか!?」

「え、ええ?」

 

 唐突な質問。

 興味津々な目が6つ。

 エレンも遅れて私の方を見た。

 

「いんの?」

「い、いないよ~! 仕事がその、忙しいし」

「でもでも、彼氏欲しい~! って、なりません?? 私なんかずーっと欲しいなって思ってるんですけどできなくて」

「あんたはがっつき過ぎなのよ」

「ええ~!」

「あ、あははは……」

 

 女子高生のパワフルな元気についていくのはやっとだ。

 自分も随分と大人になってしまったんだなぁと気づかされる。

 

「彼氏欲しいってならないんですか??」

「えーと、ならないかな……?」

「なんで!?」

「え、ええ……? なんでかな、えーと、必要じゃない、から?」

「必要じゃない……」

「わお」

「お店経営してる人はやっぱり違うんですね、自立しているというか」

「あ、あはは、まあね~! じゃ、学生諸君は自立した大人になる為頑張って勉強してね! ばいばーい! エレンもまたね!」

 

 どうにも居心地が悪くなって席を立ち、彼女たちに手を振ると、急いでうちの店へと帰っていった。

 女子高生って元気だよね、私も前はあんな感じだったのかな?

 別にすごく大人になった実感なんてないんだけど、うーん、でもお兄ちゃんから言わせれば「まだまだリンは落ち着きが足りないと思う」なんて言葉が飛び出てきそう。

 

「彼氏ねぇ~……」

 

 ぼそりと呟きながら店の扉を開ければ、数人お客さんがビデオを選んでいた。「いらっしゃいませー」とBGMにまぎれる程度に声をかけながら従業員専用部屋へと入り、お兄ちゃんの姿を確認する。

 

「お兄ちゃん、買い物やめて帰ってきたー」

「そう。……で、その手に持ってるコーヒーカップは?」

「うっ……これはー、女子高生とお喋りをする為に」

「女子高生?」

 

 お兄ちゃんは目をぱちぱちとさせると、少し眉間に皺を寄せた。

 

「無駄遣いには気を付けるようにね、リン」

「お兄ちゃんに言われたくないよ~。あ、だから何も買ってきてなくて、どうしようあとでスーパーまで買い物行く?」

「そうだなぁ……明日でもいいなら、車で行こう」

「オッケー」

 

 ポケットに入れていた買い物リストを作業台の上に置くと、私はホールへとまた出た。ちょうどお客さんが帰るところだったので「ありがとうございましたー」と、声かけをしながら18ちゃんに近づいた。

 

「18ちゃん、私受付するから休憩してきていいよ~」

「ンナ!」

 

 嬉しそうにぴょんと飛び跳ねると、18ちゃんは私に飛びついて、それからずるずると床へと降りていった。

 18ちゃんが今まで乗っていた台をちょっとずらして、今度は私がそこに立つ。ビデオを熱心に選ぶお客さんを見ながら……さっきの会話を思い出していた。

 

 

 彼氏が欲しいなんて、考えたこともなかったな。

 だって彼氏がいないとできないことって、なくない?

 美味しいもの一緒に食べるのも

 面白い映画を隣で見るのも

 ちょっと危険なことに手を出すのも

 癒されたい時に優しくしてくれるのも

 

 全部お兄ちゃんがしてくれるから。

 

 そっか、彼氏って、私にとって不要なものなんだなぁ。

 

 世の中の彼氏が欲しい人たちってのは、やっぱり満たされてないからそう思うってことだよね。

 

 満たされてない

 

 満たされてないなんて、私は思ってない。

 でも、お兄ちゃんはどうなんだろう。

 私にたくさんのものをくれるけれど、

 私はお兄ちゃんに何かしてあげられてるのかな。

 お兄ちゃんは彼女が欲しいとか思ってんのかな。

 ある日綺麗なお姉さんや、はたまた可愛らしい女の子なんかを連れてきて

 

『リン、紹介するよ。僕の彼女だ』

 

 なんて言うんだろうか。

 

 …………。

 

 想像して、ちょっと笑っちゃった。

 だってお兄ちゃんだよ?

 ふふ、お兄ちゃんが、

 私以外の女の子に優しく微笑んで、肩なんか抱いちゃって、

 そんなの

 ……そんなのあるのかなぁ。

 だってお兄ちゃんは――

 

 BGMが遠ざかっていく。

 静かすぎる空気に、頭の中が冷えていく。

 時間が止まったみたいで

 なんだか

 よくないな。

 

 まるでスローモーションになったみたいな世界が速さを取り戻して、

 

「これお願いします」

 

 一人の女性客がビデオをカウンターに置いた。

 

「会員カードはございますか?」

「はい」

「ありがとうございます。旧作一本で、……ディニーです。……貸出は一週間となっております。どうぞ。……ありがとうございましたー!」

 

 いつもの手慣れた作業。

 たとえ思考が停止していてもできる。

 この暮らしにも慣れたなぁ。

 もうとってもとっても長い間ここで暮らしてきたみたい。

 お兄ちゃんと二人きり。

 これまでも、

 これからも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こら、カウンターに肘をつかない」

 

 ぴしゃりと隣から注意されて驚いて背筋を伸ばす。

 

「わわっ、お兄ちゃん! いたなら言ってよ~」

「今来たんだよ」

「脅かさなくたっていいじゃない」

「脅かしたんじゃなくて、注意したんだ。お客さんがいないからってだらしないだろう」

 

 見れば客はもう一人もいない。

 外も暗い。

 時間だって、うん、あと五分もすれば閉店だ。

 

「すみませんでした~」

 

 反省の声を上げれば、お兄ちゃんはすぐに許してくれる。

 昔から私にすごく甘いんだ。

 こんなに甘やかされて育ったんだもの、お兄ちゃんがいればいっかってなるのも当たり前じゃない?

 

「……お兄ちゃんがいれば、人生安泰だもん」

「え?」

 

 店内BGMが流れてる。

 それだけが、今聞こえる音。

 私もお兄ちゃんも何も言わなくて、

 次第に自分がいかに恥ずかしいことを言ったのか思い知らされる。

 

 

「……なんでもないですぅ」

 

 ずるずるずる、と座り込んで膝を抱えた。カウンターに隠れてしまって、もう外からは私の姿は見えないと思う。

 

「リン」

 

 降ってくるお兄ちゃんの声。

 

 怒ってるのかな。

 呆れてるのかな。

 

 なんとなくお兄ちゃんの顔が見れなくって、膝に顔を埋めて表情を隠した。

 

「……何かあった?」

 

 ぽん、と頭を撫でられる。

 大きくて、優しい、お兄ちゃんの手。

 

「……ううん」

 

 ふるふると首を振れば、お兄ちゃんの手は止まって、それからまたゆっくりと私の頭を撫でてくれた。

 

「悩み事?」

「ううん」

「お腹減ってる?」

「……違うもん」

「疲れた?」

「疲れてない」

「んー……」

 

 お兄ちゃんの手が離れてく。

 やめないで、なんて言えなくて、じっと体を強張らせた。

 するとお兄ちゃんはどこかへ歩いて行ったかと思うと、すぐに帰ってきた。

 

「もう店は閉めてきたよ」

「………」

 

 お兄ちゃんは静かに私の横に座って、二人ともカウンターの陰に隠れちゃった。

 何にも言わないお兄ちゃんが気になって、少しだけ顔を動かして隣を見てみる。

 目が合ったお兄ちゃんは真顔だった表情を崩して、少しだけ笑った。

 

「子どもの頃みたいだね」

「え?」

「かくれんぼ、よくしてただろう?」

「……近所の子たちと?」

「そう。リンが、どこに隠れたらいいかわからなくていつも僕と同じ場所に隠れるんだ」

「そうだったかなぁ~」

「すごく狭い場所に隠れる時も、二人で縮こまっているものだから、すぐに苦しくなって声を上げて見つかっちゃったり」

「あはは、そうだったかも」

「ここならきっと見つからないよってリンに隠れ場所を教えてあげたのに、結局僕にくっついてきてね」

「……嫌じゃなかった?」

「嫌なわけないじゃないか。可愛い妹がお兄ちゃんと一緒じゃなきゃ隠れられないって言うんだから」

「何それ~、恥ずかしいなぁ」

「……こうやって隠れてる時に、よく内緒話をしたりしたよ」

「内緒話かぁ……」

「……ない? 内緒話」

「んー……とね、なんだか私、甘やかされてるなぁって」

「ええ? 僕がリンをかい? ……結構厳しくしてきたつもりだけど」

「あはは! 嘘でしょ~!? お兄ちゃん私に甘いもん。他の人にも優しかったりするけど、そういうのじゃなくてさ~……結局何でも、許してくれるもん」

 

 膝に頬を押し付けて、むくれそうになった表情を隠した。

 お兄ちゃんは私を見つめたままで、何も言わずにいる。

 

「ぜーんぶ許してくれるから、私、このままでいいのかなーって思ったり。このままがいいなぁとも思ったり。でもお兄ちゃんは、このままじゃ嫌かもしれないなって、思った」

「僕はこの暮らしに不満はないよ? ビデオ屋の経営も面白いし、プロキシの仕事もまた軌道に乗ってきた、この街に来てから新しい友人だってたくさんできたし、リンだっていつも傍にいてくれる。何も嫌なことなんてないよ」

「…………」

 

 黙り込んで、ちょっとだけ笑った。

 お兄ちゃんがそう言うなら、いいのかも。

 うん、何か困ったことが起きたとしてもその時はその時だ。

 あんまり気にしなくってもいいよね。

 

「……変なこと言ってごめんね、お店片付けちゃおっか」

「ああ」

 

 お兄ちゃんがすくっと立ち上がる。

 でも私はちょっと足が痺れてしまって、「お兄ちゃ~ん」と泣きまねをしながら手を伸ばした。

 

「仕方のない妹だ」

 

 いつもの、呆れた笑い顔。

 お兄ちゃんの手が私の手首を掴んで立ち上がらせてくれた。

 痺れた足のせいでもつれて、「わわっ」と思わず声を上げる。

 体勢を崩した私をお兄ちゃんが抱き留めてくれた。

 お兄ちゃんの細い体に身を預ける。

 全然運動しないくせに、それでも私より筋肉がある。

 胸板に頬を押し付けてしまい、「ごめーん」と顔を上げればそこにはいつものお兄ちゃんが――

 

 

 

 

「……っ、あ、ぇ」

 

 

 

 私を抱きしめる腕に力が入る。

 それからお兄ちゃんの右手が私の後頭部を撫でて、

 そのまま耳を伝って、

 頬に触れられた。

 お兄ちゃんの表情は読み取れなくて、

 何を考えてるかわからない。

 ただ、その瞳の奥に揺れる感情が

 いつも感じることの無いものだと私にさえわかった。

 

「んっ、おにいちゃ……」

 

 お兄ちゃんの親指が、私の唇に触れる。

 

 低体温のはずのお兄ちゃんの手が

 熱い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――全く、何してるんだ? ほらしっかり立って」

「え、……え?」

「人に運動しろって言うくせに、自分も運動不足なんじゃないのか?」

「そんなこと、ないけど……」

「今日はリンが夕飯担当だろ。片付けは僕がやっておくから、そっちやってて」

「あ……うん、わかった」

 

 お兄ちゃんが何でもないように離れていき、店内の掃除を始めた。

 何が起こったのかわからなくて私はしばらくの間茫然としていたけれど、今の数秒間はきっと、夢だったのかもしれないと思い直した。

 

 夕飯、何作れるかな。

 冷蔵庫の中、全然ないんだけど。

 

 ドッドッと脈打つ心臓の音は気のせいだと思うことにして、

 

 私はお兄ちゃんに背を向けた。

 

 

 




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