もしも綾小路清隆が◯◯の前で撃たれたら   作:せご曇(せごどん)

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「でも不便じゃないか? 雪が積もってると」
「もちろん歩行効率は著しく低下します。ですが心配は無用です。修学旅行ではここよりもハードな状況で経験を積めましたし」

自信を覗かせた坂柳が、積雪下での杖を使ったレクチャーを始める。

まるで戦略をお披露目するかのような、嬉しそうな、楽しそうな、そんな口調だ。

だが傍で見ている分には非常に危なっかしい。

そう思った矢先、坂柳が雪に挿した杖を引き抜こうとした瞬間、上手く抜けなかったのかバランスを崩しそうになる。

予めフォローを考えていたオレが、大事に至る前に肩口を押さえて転倒を止める。

「危ないぞ」
「フフ」

転びそうになって動揺しているかと思ったら、坂柳は可笑しそうに笑った。

「綾小路くんはそういう人です」
「ん?」

こちらが理解していないことが、更に坂柳を喜ばせたのだろうか。

「上手く歩ける自信はありました。が、確かに無茶をすれば転倒のリスクが上がる。ですが、失敗してもあなたが助けてくれると予測していました」


(2年生編9.5巻 P168より引用)



9月11日、後半6600字を大幅に変更しました。





もしも綾小路清隆が坂柳有栖の前で撃たれたら⑤

 

 

今日は、「生存と脱落の特別試験」の当日です。

 

私は、この学校に入学して初めて、特別試験に対して緊張を覚えていました。

 

試験のルールそのものは単純な部類に入ります。身体能力も求められることはなく、普段の私であれば難なく優位に立つことが出来る試験でした。

 

ですが……………………。

 

今の私は、間違い無く不調です。

 

真澄さんを思い出さない日はありません。今でも、ずっと胸が痛みます。どうしようもない程に。

 

その痛みを和らげるために綾小路くんの顔を思い浮かべると、それとは違った痛みが私を襲います。

 

最近は、綾小路くんに助けを求めることが出来なくなりました。

 

今の綾小路くんは、むしろ他の生徒の皆さんから心配されている立場です。以前よりも、彼を囲う人たちの数が増えてきました。

 

そして…………あの口づけの日から、綾小路くんが少しずつ私を拒絶するかのような態度を取るようになったのです。

 

私は、綾小路くんの考えていることが分かるので、感じ取ってしまいました。

 

徐々に、徐々に綾小路くんが私から離れていく。私への興味を、失っていく。

 

それが、何よりも恐ろしいです。

 

なので、この試験では何が何でも結果を残さなければなりません。4クラスで1位を取り、私がまだ衰えていないことを証明する必要があります。真澄さんの死を乗り越えて、いつかはあなたと再戦を果たす女だと認識して貰う必要があります。

 

ですから、綾小路くん。

 

私のことを、置いていかないで下さいね………………?

 

 

 

 

 

 

 

生存と脱落の特別試験。

 

オレはこの試験では何の役にも立たなかった。この試験ではサブカル系の知識も必要とされており、その方面に疎いオレは脱落にリーチをかける失態を見せたのだ。

 

そのせいで堀北には「レッサーパンダ」とからかわれるわ、かなりの道化として映っただろう。

 

だが、それらも含めてオレを元気づけようというクラスメイトたちの計らいを感じ取れた。

 

オレを中心に、以前よりも結束が強まっている気がする。これまでのクラスメイトたちの成長に加え、今回の事件による追い風。

 

中々に強いクラスとして仕上がってきている。それだけに、クラスを離れることになるのが残念だな。もう少し側で見ていたい気分もまたあるのだ。

 

だが、オレが離れたとしても、お前たちのクラスのこれまでの成長は無くならない。それを糧に、オレとの直接対決を果たし、その結果オレを打ち破ってくれることを期待しよう。

 

さて、今回の特別試験の順位だが、堀北クラスは3位というあまり良くない結果に終わる。一之瀬クラスは2位、龍園クラスが1位を獲得した。序盤は最も不利と思われた龍園クラスだったが、最後には逆転を果たして1位に躍り出た。

 

そして、坂柳クラスは─────────最下位、4位に終わった。

 

………やはり、今の坂柳では勝てなかったか。

 

何故勝てなかったのか。その原因を探ってみると、実は橋本による裏切り行為が原因だと発覚する。

 

龍園が裏から手を回し、橋本が坂柳を裏切ったようだ。

 

橋本は元々信用出来ない男として名が通っている。常に有利な側に良い顔をし、他クラスとの交流も頻繁に行ってきた。それは坂柳の側近であるからこそ出来たことでもあるが、その側近が主人に反逆した。

 

通常ならば橋本が悪として切り捨てられなくもない。しかし聞く所によると、橋本の裏切りも考え無しではない。

 

つい先程、橋本がオレの部屋を訪ねてきた───。

 

 

 

 

 

生存と脱落の特別試験。

 

この試験で最下位となったクラスは、「脱落」した生徒の中から1人を退学させなければならない。

 

坂柳は、脱落となった生徒たちの能力に差は無いと言い、くじ引きによる退学者の決断をした。

 

その結果、退学者として選ばれたのは──────坂柳の懐刀である山村美紀。

 

生来の影の薄さを買われた彼女は、密偵役として坂柳に使役されていた。これまでも坂柳に密かに他クラスの情報を渡すなど、確かな働きを見せる。

 

だが、今の坂柳は弱っていた。

 

外部には見せないでいたが、クラスメイトたちに歩み寄ろうと考え始めていた矢先に、特別試験での最下位。

 

彼女は、歩み寄るよりも前に切り捨てることを求められていたのだ。

 

そして、切り捨てることへの忌避感から誰かを直接退学者として名指しすることを避けた坂柳は、くじ引きによって退学者を決定することを決めた。

 

その結果、選ばれたのが山村だったのだ。

 

山村は戸惑いながら、そしてこれまでのように覇気の無い顔のまま、Aクラスの教室を去って行った。

 

「………………………………………」

 

その様子を、橋本は無言で見つめていた。

 

 

 

 

 

退学者が決定した後、坂柳は橋本を教室に呼んだ。2人きり、他に生徒のいない状況でだ。

 

教室の扉が開き、橋本が姿を見せる。

 

「……………………………」

 

橋本の表情は心なしか固い。坂柳はそれを、裏切り者を糾弾する場に招かれたからだと考えた。

 

実際には、糾弾するつもりはなかった。ただ純粋に彼と話し合いをしようと考えていた。どうして裏切ったのかを聞き、今後のクラス運営に繋げようとした。

 

「待っていましたよ、橋本く」

 

「なあ、何で山村ちゃんを退学にしたんだ?」

 

坂柳が言葉を言い終える前に、橋本が先に坂柳に質問をした。

 

これまでには見られなかった、橋本の態度。それに少し戸惑いを覚えながらも、坂柳は静かに口を開く。

 

「脱落者には、能力的な差はありませんでした。ならば、最も公平と思われるくじ引きで退学者を決定するのが、皆さんに納得していただける方法だと」

 

「おかしいだろ」

 

またも、坂柳の言葉を遮る橋本。

 

「山村ちゃんは、偵察役としてこれまであんたに情報を提供してきたんだろ? OAAの数値がどうだとか、そんなのは関係無い。何か一芸を持ってるんだから、何も持ってないやつを消してでも残すべきだったはずだ」

 

橋本の言葉には、どこか苛立ちの色が表れていた。これまで基本的には服従してきた相手の坂柳に対して、強気な物言いをする。

 

だが、論理的に的外れという訳ではない。だから、坂柳は言葉を詰まらせた。

 

「あんたのことだからもう見抜いてるんだろ? だから言ってやる。俺が今回の試験の裏切り者だ」

 

橋本は特に隠しもせず、坂柳に裏切り者であることを告げる。

 

「随分あっさりと認めましたね。もう少し粘るかと思ったのですが」

 

「あんたに対して失望したからだよ」

 

「失望………………?」

 

坂柳は首を傾げる。今回の特別試験での敗北を言っているのだろうか。

 

だが、負けた理由は橋本の裏切りにあって、それが無ければ坂柳は1位を獲得出来ていた。橋本の発言は、一種の逆非難にも映った。

 

「俺が何故今回の特別試験で裏切ったか、分かるか?」

 

「何故でしょうか」

 

「Aクラス……いや、あんたへの警鐘としてだよ。俺が冬休みに、綾小路の優秀さについて調べて、あんたに何度も引き抜くように言ったのを覚えてるな?」

 

「あなたの熱弁は嫌と言うほど聞かされましたからね」

 

「そうだ。俺は本気だったんだ。本気で、Aクラスで卒業するため、綾小路の引き抜きはマストだと考えたんだ。だがあんたは、俺の言葉には耳を傾けようとはしなかったよな?」

 

「綾小路くんを引き抜くつもりはありませんでしたから」

 

「それがおかしいって言ってんだ。あいつの優秀さは示したはずだ。あいつは人畜無害に見えて、実際にはとんでもない力を隠してやがった。そんなダークホースをみすみす見逃す手は無いだろ」

 

橋本の表情から伝わってくる、Aクラスで卒業することに対する熱意。

 

これまではクラスメイトを知ろうと思ってこなかった坂柳だが、今でははっきりと彼の本気が伝わってくるのを感じた。少し、内心では戸惑いを覚えている。

 

「あいつだって、Aクラスで卒業出来たほうが良いだろ。実際にAクラスで、しかも他でもないあんたと組めるって話だ。断る理由も無いだろ?」

 

だが、同時に苛立ちも覚えていた。目の前の男が、よく知りもしない、人伝の情報で綾小路のことを評価し、自らの前で語ることに。

 

唯一綾小路の過去を知る、自分と綾小路の2人だけのテリトリーを土足で踏みにじられた不快感を覚えていた。

 

「彼を随分と高く評価しているようですが、それが妄信的な発言だとはお気付きですか?」

 

「妄信的? 俺の伝えた話じゃ信じられないってか? あんたには悪いが、綾小路は間違いなくこの学年で最強の────」

 

「あなたが綾小路くんの何を知っていると言うんですか」

 

坂柳は、持っていた杖の先端を地面に叩きつけた。カン、と鋭い音が鳴り、それが怒りを示していることに橋本は気付く。

 

肩を一瞬震わせる橋本。坂柳の感情的な行動は、今まで見たことが無かった。

 

だが──────────。

 

「お前こそ、綾小路の何を知ってるってんだよ」

 

橋本が怯んだのは一瞬。

 

次の瞬間には、先ほどよりも険しい表情で、坂柳のことを睨みつけていた。

 

「綾小路と同じ小学だったのか?同じ中学だったのか?それとも、近所で一緒に住んでたってのか?」

 

「それは………彼とは幼馴染のような関係だと考えています」

 

勿論、ホワイトルームのことは口が裂けても言えない。

 

坂柳は、ホワイトルームで綾小路の幼少期の姿を見ている。

 

「ハッ」

 

橋本は短く、嘲るように笑った。

 

「なんだよ『ような』って。幼馴染でもないのかよ」

 

「そんなことはどうでも良いのです。私が言いたいのは、彼はAクラスで卒業することに興味を示していない。そして私はそれを知っている。彼を引き入れる理由はありません」

 

「おかしな話だ。Aクラスに興味が無いってのは。だが、仮にそれが正しいとするよ。で、じゃあ何でお前は今日山村を退学にした?」

 

「それは…………」

 

そこで、坂柳は再度言葉を詰まらせた。

 

言えない。退学者を直々に指名したくないから、くじ引きを行ったなど。

 

明らかに、坂柳の心の弱りに起因する判断だ。

 

「適当に理由付けて、他の奴を退学にすれば良かっただろ。実際、山村はまだ使い道のある奴だった。お前の判断は、明らかに間違ってる」

 

「そこまで私の判断に不満がありますか?」

 

「ああ、あるね。俺が裏切った理由はさっき言った通り、そして次には山村を退学させたこと。この2つが、あんたに失望した理由だ」

 

しばしの間、沈黙が続く。どちらも何も言わない。この重苦しさに、坂柳は胸の痛みが広がるのを感じていた。

 

その後、橋本が口を開いた。

 

「お前、本当にAで卒業する気あるのか?」

 

「……………………………」

 

その問いに対する答えは、これまではNO。

 

坂柳は、好敵手………この学年では、綾小路との戦いを望んでいた。Aクラスであるのはたまたまで、その立場にこだわりは無かった。言わば、クラスは私物で、綾小路と戦うための道具でしかなかったのだ。

 

だが、神室の死をきっかけに、少しずつだが外部にも意識を向け始めた。Aクラスを導く者としての自覚と責任を持ち、それに相応しい振る舞いをしようとした。

 

しかし。

 

「とてもそうは思えない判断だぞ。裏切ったのを棚上げしてと思うかもしれんが、今回のお前の行動を見て確信した。お前は、Aクラスであることに本気じゃない。俺たちのことを、真に導こうとは思っちゃいなかったんだ」

 

「それは……」

 

違う、とは言えない。

 

自覚を持ったのは良いが、今回の判断は坂柳の私情が混ざっている。

 

リーダーとしては公私混同をすべきではないので、それも含めて客観的には適切な判断だとは言えない。

 

坂柳とはいえ人間なので、ミスの1つや2つはあるが、今回はタイミングが悪過ぎた。

 

「なぁ坂柳。最近、俺はお前が怖いんだよ」

 

「え………」

 

「神室が死んで、俺はこれでもショックだったんだぜ? 何で神室がって思ったよ。なのにお前はケロっとしてやがる」

 

「…………………………!」

 

「駒だと思ってんのは知ってるけどよ、本当にそれとしか見てなかったんだな。クラスの奴らも、お前のこと怖いって言ってたぞ。あんなに近くにいたのに、何も感じなかったのかって」

 

先日の男子生徒たちの言葉を思い出す。

 

リーダーとして気丈に振る舞ったのが、かえって逆効果となってしまった。

 

坂柳は、人との距離の詰め方を知らない。どうすれば、クラスメイトに頼れるのか、頼ってもらえるのか、親近感を覚えてもらえるのか。その方法を知らなかった。

 

「ち、違います……!」

 

「何が違うって言うんだよ」

 

「私は……真澄さんのことを………!」

 

「悲しんだってのか? そうは見えなかったぞ」

 

橋本は、より非難の色を込めて坂柳を睨んだ。

 

「Aクラスの卒業にも興味がない。一番側に置いてたクラスメイトの死もどうでもいい。人でなしかよ」

 

「っ……………」

 

坂柳は傷付いた表情を浮かべるも、橋本は坂柳の気持ちを見ていない。

 

これまで、坂柳が彼らの気持ちを見てこなかったように。

 

「俺は正直、お前の下で動くのが怖い。何されるか分かったもんじゃないからな。そして多分だが、俺以外も同じ気持ちだ。俺はもうお前にはついていけない」

 

橋本は坂柳に背を向けて歩き出した。

 

「お前の側近は、これで鬼頭だけになった。裏切り者の俺を、鬼頭に命じてボコボコにするか?見せしめに出来れば皆奴隷になるかもな」

 

「そ、そんなことは……!」

 

「いいって。もう覚悟してるから。だが、俺はもうお前の下では動けない。元々Aクラスは一芸特化がいなかったんだ。お前が不安定になれば、特別試験での勝率も期待出来ない。山村も消えて、本当に層が薄くなった。苦しくはなるが、他の道を探すことにするよ」

 

橋本はもう話すことは無いとばかりに扉を開け、教室を去った。

 

その場にはただ一人、俯いた坂柳が立っているだけだった。

 

 

 

 

 

橋本くんの裏切りには、理由がありました。これからの先行きの見えない戦いに備えての、私への警鐘。綾小路くんを引き入れる様子を見せなかった、私への警告。

 

橋本くんは本気でした。本気でAクラスで卒業することを望んでいました。

 

考えてみなくても当然のことです。Aクラスで卒業しなければ、この学校の特権を利用出来なくなる。将来への道が、閉ざされてしまう恐れがある。

 

特権を得るために、特別試験などという通常の学校では行われない試験まで経験させられるのです。退学のリスクもあるのに、それぐらいの見返りが無ければ割に合いません。

 

クラスのリーダーとは、クラスの皆さんの人生を背負うことになる。リーダーが無能では、リーダーが頼りなければ、皆さんは不安になります。

 

今回、くじ引きで山村さんを退学させてしまったのは、私の心の弱さが原因でした。山村さんは、偵察に関して能力があった。他の方を直接指名してでも、残すべき生徒だったはずです。

 

しかし、私はそれが恐ろしかった。これから皆さんとお近付きになろうとした矢先に、退学者を自分で決めなければならないことになり、また皆さんから避けられてしまうのを恐れてしまった。

 

完全に私情です。私情で、クラスの強みを一つ消してしまったのです。

 

橋本くんは明日から、裏切り者としてクラスでは嫌われるでしょう。

 

ですが、私には彼を責める権利はありません。

 

結局、私はクラスのことを本気では考えていなかったのです。

 

綾小路くん………。

 

あなたは、こんな私をどう思っていますか………………?

 

 

 

 

 

 

 

橋本の話を聞き、何故橋本が裏切ったのかを聞いた。

 

どうやら、坂柳と龍園は学年末試験である契約を結ぶことにするらしい。

 

負けた方が、この学校から退学するという契約を。

 

既に無人島試験の時に決まっていたことのようだ。何かを2人で決めていたのは知っていたが、具体的な内容までは分からなかった。

 

なるほど、それが橋本が裏切る切っ掛けになった訳だな。それをもとに、龍園のクラスに移動する気であったと。

 

やたらとオレにも移籍を勧めていたのは気になったが、そこは一旦置いておく。

 

だが………そうだな。

 

どの道、オレの計画には修正が必要だったようだ。

 

この契約が結ばれる以上、4クラスによる四つ巴の状態での3年生進級は不可能だ。

 

誰かが潰れなければならなくなる。

 

坂柳か、龍園か。

 

そのどちらを取れと問われたとしたら、オレはどう答えるだろうか。

 

どちらにも消えては欲しくない。まだ可能性を秘めている両者だったからな。

 

しかし、どちらかが消えなければならない。どちらかを残さなければならない。そう決まっているのならば。

 

オレはこの問いに対して、明確な答えを持ち合わせていた。

 

オレが残ってほしいのは───────。

 

 

 

 

 

 

既に1月も下旬になりました。

 

もう真澄さんがいなくなって、1ヶ月が経ちます。

 

私の胸の痛みは、日に日に強まっていました。真澄さんとの日々が離れていくにつれて、彼女の記憶がより鮮明に蘇ってしまいます。

 

そして、綾小路くんに頼りそうなのを必死に自制すればするほどに、彼へのこの胸の想いも膨張していって、もう破裂しそうなほどに息苦しくなっています。

 

もう…………限界です。

 

「綾小路くん……………」

 

私は気付けば、彼にチャットでメッセージを送っていました。

 

『夜分遅くに申し訳ありません。直接会ってお話がしたいのですが、お時間をいただいてもよろしいですか?』

 

久方ぶりに送ったメッセージ。

 

数分して、彼から返信がありました。

 

『分かった。だが、雪が積もっているぞ。足場が悪いんじゃないか』

 

雪………。

 

そうですね。先日から雪が降って、今では地面に雪が積もっていますね。

 

ですが、そのようなことは重要ではありません。

 

今は、とにかくあなたに会いたい。あなたの声が聞きたい。あなたの温もりに、触れていたい…………。

 

『問題ありません。では、今から──────』

 

「はぁ…………」

 

こんな時に、側にいてくれる友達が1人もいない。

 

何とも………寂しい人生ですね…………。

 

 

 

 

 

私たちは寮の1階で待ち合わせをしました。

 

今日はとても寒い。外に出ている方は殆どいません。今は、辺りに人の姿が全く確認出来ないほどです。

 

私にとっては好都合でした。

 

「坂柳」

 

振り返ると、そこには綾小路くんが立っていました。

 

「突然お呼びして申し訳ありません……」

 

「いや、良い。ここでは話し辛いだろう。もっと人気の無い所に移ろうか」

 

「…………はい」

 

ああ、綾小路くん。

 

直接触れている訳ではないのに、あなたが温かく思えます。私の側には、誰もいませんでしたから。

 

あなただけが、最後の頼りです────。

 

 

 

 

 

街灯が照らすだけの雪道を、私たちは2人で歩いています。

 

お互いに、まだ何も話していません。ただ、黙々と雪の上を歩いているのです。

 

どう話をしようか。私は頭を回転させて、そのことだけに意識を集中させていました。

 

「っ……」

 

その時、私は雪に挿した杖を引き抜くのに失敗してしまい、バランスを崩しました。

 

そして、雪の上に膝と手をついた。痛くはありませんが、冷たさが膝に伝わってきます。

 

………綾小路くんは、そんな私を支えてはくれませんでした。

 

「大丈夫か」

 

そう言って、綾小路くんは手を差し伸べてくれます。

 

「すみません……ありがとうございます」

 

その手を取って立ち上がりますが、それを確認した綾小路くんはもう私から手を離しました。

 

……………………………。

 

「あ、綾小路くん………」

 

既に人気はありません。誰も………私たちのことを見ていません。

 

「何だ」

 

話が始まると思った彼が、私の目を見てきました。まっすぐと、私を射抜くかのような視線。

 

彼は促すことなく、次の私の言葉を待っていました。

 

胸が、これ以上に無いほどに高鳴っています。熱くもない、運動もしていない、それでも高鳴るのです。

 

「私は…………」

 

「………………………………」

 

そして、これこそが………この感情こそが───────。

 

「私はあなたが好きです」

 

「……………………………………………………」

 

遂に、私は口にしました。

 

綾小路くんへの想いを。

 

あなたと再会して、あなたと一度競って、その末に胸に宿ったこの想いを。

 

「これは人間としてではなく、異性としての感情です」

 

「………………………」

 

綾小路くんは、何も答えてはくれません。

 

答えが知りたいとは思っていませんでした。あくまでも、気持ちを伝えるだけ。

 

そもそも、彼には現在、軽井沢さんという恋人がいます。本当に愛しているとは思っていませんが、形式上は私の告白を受け取る訳にはいきません。

 

ただ、この不安でいっぱいな心を、日々膨らみ続ける恋心を、そのままには出来なかった。このままでは、様々な感情に絞め殺されそうになってしまった。

 

私は、こうするしか無かったのです。

 

「……………………坂柳」

 

綾小路くんは、ようやく口を開いてくれました。

 

それと同時に、私の足は勝手に動いていました。足場の悪い雪の中であるはずなのに、今までの私では考えられない程に早く、彼のもとへと。

 

「ん………………」

 

私は──────気付けば、彼に抱きついていました。

 

「私は、あなたのことを誰よりも知っています」

 

彼に続きを言わせないように。その先の言葉を聞きたくないと思っていたのか、私の口は言葉を紡いでいました。

 

「軽井沢さんよりも、一之瀬さんよりも、堀北さんよりも。私はずっと、ずっと前から、あなたのことを見ていました。………あなただけを、見ていました」

 

「………………………」

 

「あなたの生まれも、あなたの才能も、あなたの実力も、他の皆さんが知らないことを、私は知っています。私だけが、あなたを理解しています」

 

気付けば、饒舌になっている自分がいました。

 

頭で考えている訳ではない。感情から溢れた言葉が、理性というフィルターを通さずにそのまま口から発されていました。

 

「あなたを愛しています………きっと、この世界の誰よりも」

 

「………………………………」

 

綾小路くんは、何も言いません。私を引き離すこともせず、黙って私の言葉を聞き続けています。

 

「……………あなたは、昨年の無人島試験で私に『借り』がありましたよね」

 

「…………そうだな」

 

「ならば、今返して下さい。私を助けて下さい。私を…………一人にしないで……………」

 

吹けば飛んでしまうような弱々しさ。

 

私は、彼に縋り付くことしか出来なくなってしまった。

 

それでも、今はこうしていたい。彼の側で、このまま、ずっと……………。

 

 

 

 

 

坂柳が、オレの胸に顔を埋めた。伝わってくる彼女の震えは、寒さのせいではないだろう。

 

小さく漏れる嗚咽を耳に入れながら、オレは坂柳をどう『介錯』しようかを考えていた。

 

まさか、これほどまでに弱るとは。友人………いや、親友とも言って良いか。親しい人間が死ねば、あの坂柳ですらこうなってしまうんだな。

 

無人島で七瀬が言っていたことを思い出す。

 

『会えなくなってしまったら、大好きな人に会えなくなってしまったら。好きだというその想いを伝えることは二度と出来なくなるんです……!』

 

あれは恋愛話の文脈での発言ではあったが、これは友人に置き換えても同じだろう。

 

坂柳は神室を友人だと言ったことは無いはずだ。だから、もう二度と本心を伝えることが出来なくなってしまい、これ程後悔しているし、傷ついている。

 

だが…………何とも歪んだ光景だ。その悲しみの原因がオレにあるというのだから。

 

これ以上は見ていたいとは思わない。見る必要性を感じない。

 

やはり、ここは──────────。

 

そう思った矢先、人の気配を感じた。

 

数は─────やたらと多いな。20人………すぐそこまで来ている。

 

こんな雪の夜に、20人も集まって何をするつもりだ。

 

オレたちの近くには、男たちがいた。正面に20人。穏やかでは無さそうだな。

 

「坂柳」

 

オレは坂柳の肩を掴み、オレから引き離した。

 

「っ……! 綾小路……くん………」

 

坂柳は、潤んだ瞳でオレを見た。不安の色が強く見て取れる。見た目も相まって、本当に小さな子供のようだ。

 

「『借り』を返せ、と言ったよな」

 

「………………………」

 

「今この場で、お前を助けることで返させてもらおう」

 

「え………?」

 

坂柳が、オレの視線をなぞるように20人の男たちに目を向けた。

 

「……………!? 彼らは………!?」

 

「分からない。だが、男たちの手に握られているもの。明らかにただの通りすがりじゃないな」

 

男たちの手には、警棒、ナイフ、バット、様々な凶器が握られている。あの数に襲われれば、間違い無く死亡は免れない。

 

ただ一方的にやられるのであれば、だが。

 

「お前は足が悪い。走ってここから逃げ出すことは出来ない。運動も禁じられているから尚の事何も出来ない。だがオレがお前を置いていけば、お前は男たちに嬲り殺しにされる。警官隊を待つ時間など残されていない」

 

「っ………………」

 

坂柳が一瞬身震いした。死の恐怖、だけではないな。「死」というものが神室の記憶を呼び起こし、二重の苦しみを生んでいる。

 

「ならば、オレが男たちを撃滅するしかない」

 

オレは右の拳を握って左の掌で軽く押した。ボキボキ、と骨の鳴る音がする。それを逆の手でも行い、ウォーミングアップを済ませた。

 

「あ、綾小路くん………」

 

今の動きだけでも、坂柳にはちょっとした恐怖心を植え付けただろう。お前は、暴力などとは無縁の人生を受けてきただろうからな。

 

オレは違う。

 

日々、暴力は当たり前だった。教官から、同期生から、時には外部から招かれた刺客から。

 

「オレのことを知っている、と言ったな。坂柳」

 

「えっ……………?」

 

「ならば、これは知っていたか………」

 

オレはそう言うと、即座に雪を蹴って前に走り出した。

 

 

 

 

 

綾小路は、まず最前列にいた男の懐に素早く潜り込むと、左の拳でその鳩尾を抉るように殴る。

 

「ぐほっ……」

 

男はうめき声をあげるも、それに負けじと警棒を振った。

 

綾小路は警棒を掴む手を無言で受け止めると、手首を捻って男の手から警棒を落とす。そして、速い動作で警棒を拾い上げると、男を一度前に蹴り倒した。

 

綾小路の殴打は、決して生易しい威力ではない。成人男性であっても、一度受ければ身動きが取れなくなる程の威力が込められている。だが、男はうめき声を少し発しただけで、すぐさま第二撃へと移った。

 

耐久力だけは、並ではない。だが、武道に心得のあるような動きでもない。

 

そこのギャップに疑問は抱くものの、それに動じる綾小路ではない。警棒を構えると、再び男のもとへと駆けて行った。

 

「あ…………」

 

少し遠くから、その様子を眺めていた坂柳。

 

恐怖で足は動かない。動いたとしても、この雪が積もった足場の悪さでは、大して距離を離すことは出来ない。

 

そして、その直後に聞こえてきた、生々しく重々しい音。

 

 

 

ベキッ!!

 

「ひ…………………」

 

それは、綾小路の警棒が、男の一人の脚の骨を砕いた音であった。

 

初めて耳にする、人の骨の砕ける音。坂柳の心は恐怖の色に染まっていた。

 

続けて、もう1回骨を砕く音がした。両足を使えなくしたのだ。

 

「あと19人か」

 

綾小路は、特に声を乱すことなく平坦な声量で呟いた。幼い頃から、不利な状況下での戦闘は嫌と言うほどに経験させられている。この程度の力量の相手ならば、どうとでもなる。そう考えた。

 

「あ………あやの………こうじ……くん…………?」

 

一方で、綾小路の戦いを見ていた坂柳は、身体の震えを止められずにいた。

 

綾小路の動き。警棒を振り、男の足を粉砕する無駄のない動作。技術的に評価することは坂柳には出来ないが、一つだけ分かることがあった。

 

それは、あまりにも容赦が無さすぎる(・・・・・・・・・・・・・)ということ。

 

男の脚を砕く瞬間も、そして片脚が使えなくなった男のもう片方の脚を砕く瞬間も。

 

綾小路は全く躊躇しなかった。当たり前に、息を吸うように、何の慈悲もなく砕いた。

 

それが、男の苦しみを伴っていたとしても。全く表情を変えずにやってのけた。

 

バキッ!!

 

また骨が砕かれる音がした。今度は、他の男の肩を粉砕したのだ。

 

ボコッ、バキッ、ベキッ。

 

その後も、骨の砕ける音は何度も聞こえた。それだけでなく、綾小路は直接拳による打撃を顔面に食らわせたり、ナイフを振ろうとした男の手を警棒で叩き、痛みから身を屈める男の手をそのまま足で地面に踏みつけていた。

 

「ぐぁぁぁぁっ………」

 

男の苦しむ声が、坂柳の耳にダイレクトに入ってくる。坂柳は口もとを手で押さえ、ただただ震えている。

 

ある男の肩を踏みながら飛び上がると、大きく足を持ち上げ、そのまま男の頭に鋭い踵落としを喰らわせた。

 

「ぐおっ………」

 

そして、その後男を回し蹴りで後方に蹴り飛ばす。

 

男は、坂柳のすぐ側に飛ばされた。意識は既に無く、口から涎を垂らし、目をパカリと開けたままでいた。

 

「ひっ………!?!?」

 

偶然にも、男の目と目が合ってしまい、坂柳は思わず後方に下がった。

 

人生で味わったことの無い「暴力」。「知」によって相手より優位に立ち、様々な人間を操ってきた坂柳が持ち得なかった「力」。それが、今は目の前で存分に振るわれている。他でもない、想い人である綾小路清隆の手によって。

 

坂柳が見た、かつての綾小路清隆の姿。ホワイトルームの中で、チェスのカリキュラムをこなす白い少年。

 

その姿に憧れた。その姿に、人生を突き動かされた。いつかは倒すべきだと考え、気付けば恋をしていた。

 

そんな相手が、無感情に、黙々と「力」を振るっている。

 

それが、どうしようもなく怖かった。

 

「ど、どうし、て………………」

 

こんなはずじゃない。

 

綾小路清隆は、憧れた想い人は、こんな姿じゃ………。

 

そう坂柳が思う間にも、綾小路は次々と男たちをなぎ倒していく。

 

気付けば、その場に立つ男は誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

オレは男たちを全員戦闘不能にした。いや、正確には違う。

 

警棒を持ったまま坂柳へと歩いていく。

 

「あ……………」

 

坂柳は、腰が抜けたのか動けないでいるな。まぁ、その方が好都合だ。

 

「坂柳」

 

オレは彼女の名を呼んだ。いつも呼ぶのと変わらない、普通の声量で。

 

「あ、あやの……こうじ……くん………」

 

声が震えているな。

 

どうやら、予想以上に恐怖心を与えてしまったようだ。

 

「うぁ…………」

 

坂柳の近くに横たわる男。この男は、まだ意識がある。だから、止めを刺す。このまま動かれれば、もしかしたら坂柳にも危害が及ぶかもしれないからな。

 

オレは警棒を振り上げ、男の足へと振ろうとした。

 

「やっ……」

 

その時。

 

「やめてっ………!」

 

坂柳が、オレの腕に両腕を回してきた。動かないよう、ぎゅっと力を込めて。

 

振り解くのは簡単だ。坂柳の腕力は極めて貧弱。少し力を込めるだけでどかすことは出来る。

 

だが、何か言いたいことがあるようだ。

 

「これ以上やれば、死んでしまいます………!!」

 

この男の身を案じる発言のようだ。

 

殺すつもりは無いんだがな。もし死んでしまえば、流石に重い処罰は免れない。今回は、坂柳という足が悪く、先天性疾患によって逃げられない生徒が側にいて、かつ相手が極端に多勢であったから、オレはこうも動いた。

 

多少の処分はどうにだってなる。オレが何もしなければ、坂柳は死んだだろうからな。

 

オレは坂柳の瞳を覗き込んだ。

 

「っ…………」

 

一瞬身体を震わせた坂柳。だが、オレが腕を下げると、緊張が弱まるのを感じた。

 

「坂柳」

 

オレは坂柳の名を口にする。すると、彼女は肩を震わせた。オレに対する恐怖心が高まっているようだな。

 

無理もないか。

 

「お前には正直、失望した」

 

「……………………え?」

 

坂柳の目が、少しずつ見開かれていく。オレはそれに配慮することなく続きを口にする。

 

「お前が前回の『生存と脱落の特別試験』で最下位となった理由は、橋本から聞いた。橋本の裏切りに遭ったみたいだな」

 

「…………………!」

 

「橋本が直接オレの所に来て言ったんだ。今のAクラスでは、今後戦っていける気がしないと。クラスに残すべきだった山村を、くじ引きで退学にしたとのことだが、理解に苦しむ決断だ」

 

坂柳の瞳が揺れる。本人にも誤りであったという自覚はあるようだな。

 

だが、もう遅い。山村は学校を去り、もうここにはいない。

 

「お前は1人で生きていけるのか?」

 

「………………………………」

 

「無理だろうな。お前はただでさえ身体が弱く、自らの手足で情報を得ることは出来ない。他クラスのリーダーも全て自分の足で情報を手にしている訳ではないが、実際に自分でも出向けるとのそうでないのとでは天と地の差がある」

 

「それは…………………」

 

「つまり、お前は『頭』であって、身体は持たない。頭だけで動ける生き物がどこにいる」

 

坂柳の唇が、強く結ばれていた。

 

「自分一人では何も出来ないというのなら、手足となる人間たちの感情には敏感になるべきじゃないのか。お前は人格的に優れている訳じゃない。お前が結果を残せないと分かった時には、誰もお前の言う事に従う義理は無くなる。鞭は必要不可欠だが飴もまた必須だろう」

 

これまでの坂柳のやり方は、言わば「鞭」だけを使ってきたもの。他を従わせるために、弱みを握り、脅し、利用する。だが、彼らに寄り添うことは全くしてこなかった。

 

当然、坂柳有栖本人に対する好感度というものは上がらない。

 

「その結果が、今回の裏切りだ。Aクラスで卒業するというのは、普通の生徒ならば当然目指すべき目標だ。いくらオレやお前にその気が無くとも、手足がそれを望むのならば寄り添う姿勢は見せなければならない」

 

あのAクラスでの卒業そのものには興味の無い龍園ですら、8億ポイント作戦というクラスメイト全員が得をする作戦を計画した。

 

そういった姿勢が、一部の生徒たちを惹きつける要素にもなっていた。

 

「オレはお前に再三告げたはずだ。周囲に目を向けろ、と。いくら心が弱っているとはいえ……いや、弱っているからこそ、周囲に頼るチャンスだったんじゃないのか」

 

弱さを見せまい、などというのは言い訳でしかない。むしろ、弱さが人を惹きつける切っ掛けにもなる。坂柳有栖も普通の人間で、友達の死を悲しむ1人の女の子だと分かれば、嫌でも同情と親近感を覚えるだろう。

 

「死」にはそれだけの力が秘められている。オレは最近の周囲のオレへの対応に、それを感じ取った。

 

「……………っ」

 

坂柳の目に涙が浮かんだ。まるで、親に叱られている子供のよう。

 

しかし、オレの前で泣こうとも何の意味も無い。オレはそれに何も感じていないからだ。

 

「ここで泣くぐらいならば、クラスメイトの前で泣くべきだった。それをしなかったのは、お前が神室の死から何も学んでいなかったからだ」

 

オレはひとりすすり泣く坂柳を置いて、そのまま歩き出そうと足を前に出した。

 

「………っ! 待って!」

 

坂柳が、オレの腕に両腕を回してきた。

 

「そんなことをして何になるんだ。オレはお前に失望したと言っただろう」

 

「私は……………」

 

「………お前は、学年末試験で龍園と契約を結ぶつもりだったようだな」

 

「…………!!」

 

驚いた顔をする坂柳。

 

「橋本は事前に龍園にそのことを聞かされていた。それが裏切りの切っ掛けだ。負けた方が退学になる。初めはどちらにも消えて欲しくないと思ったが、今では違う。…………オレは龍園に残ってもらいたいと考えている」

 

「え……………」

 

「今の実力がどうかは関係無い。将来的に、龍園はオレの予想を上回る成長を見せ、オレに挑む。オレはそんな龍園の姿を見てみたい」

 

坂柳の顔から、血の気が引いていった。

 

つい先ほど、オレに告白をしておいて、そのオレから直々にいらないと言われたんだ。

 

精神的ショックははっきりと顔に表れていた。

 

「だから今後、お前がどうなるかはどうでもいい。オレの知ったことではない。もしかしたら、お前とは二度と会うことも無いかもしれないが、オレはそれでも構わない。借りも返したし、お前との繋がりはもう何も無い。………じゃあな」

 

オレは全く容赦をかけないで冷たい言葉を坂柳にぶつけた。

 

オレと戦うことを目的に、これまで学校生活を送ってきた坂柳だ。オレに不要と言われればここに残る理由も無くなるだろう。

 

だが、そんなオレの予想とは反して、坂柳は先ほどよりも強くオレの腕を引き止めた。

 

「嫌です…………」

 

「何がだ」

 

「あなたと離れるのは、嫌です………」

 

震える声で、そう口にする坂柳。

 

「私は、あなたのことを知っていると思っていました。あなたの出生も、あなたの考えも、あなたの実力も。しかし、私はあなたのことをまるで知りませんでした。あなたの一部分だけを見て、知った気になっていただけでした」

 

オレと男たちの戦いを見て、坂柳の中でオレに対する考えに変化が訪れたのだろう。

 

あれを見てもなお、オレと離れるのが嫌、か。

 

「私は、あなたのことを愛しています。それは今でも変わりません。あなたの顔を見ていたいのです。あなたの声を聞いていたいのです。ですから…………私を置いていかないで下さい。私を……1人にしないで………」

 

まさか、坂柳がこうも食い下がるとはな。

 

正直、驚いた。

 

理性的な部分がだいぶ強い生徒だったはずだ。機械のように冷徹に、合理的な行動を心がけていたはずだ。

 

その坂柳が、非合理極まりない行動を取っている。

 

これが………「恋」か。

 

恵は、元々冷静なタイプの人間ではなかった。だから、恋人になっても根本部分が変わっているようには見えなかったが………坂柳を見ていると、恋は人間を変えるのだと理解出来る。

 

ある種の「恋愛の教科書」と言えるかもしれないな。

 

だが。

 

オレの結論は変わらない。

 

もう坂柳に、以前のような成長は期待出来ない。

 

このままでいられても困るので、オレは最後の切り札を切ることにした。

 

「坂柳」

 

坂柳はオレの顔を見ずに、ただ縋ったままでいる。

 

「………神室の死の真相を伝えよう」

 

「えっ…………」

 

神室、死。その2つの言葉に、坂柳は反射的に顔を上げた。

 

目は見開かれていて、水晶のような綺麗な瞳がポロポロと透明な涙をこぼしているのが分かる。

 

「あの男たちとの戦いを見て、何か気付いたことは無いか」

 

「気付いたこと………?」

 

まあ、武道の心得が無い坂柳には気付く術も無いか。

 

「オレは男たち20人を1人で制圧した。男の1人が持っていた警棒を奪ったが、素手で戦っても結果は同じだろう。それ程の差があった」

 

「それは………………」

 

「………そんなオレが、素人の男の力に振り解かれると思うか」

 

「…………………!?!?」

 

坂柳が、オレから手を離した。一歩、一歩と後退りしていく。

 

「あの時、オレはあの男にわざと力負けした」

 

「やめて………」

 

「その結果、神室が死に、お前の成長に繋がると思ったからだ」

 

「やめて下さい…………」

 

「だが、お前は何の成長も見せなかった。つまり神室は、犬死に」

 

「やめてっ!!!!!!」

 

坂柳が、大声で叫んだ。

 

様々な感情が入り混じった、坂柳らしからぬ大声で。

 

そして、次の瞬間。オレの意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

「…………………え?」

 

坂柳は呆然としていた。鋭い音が聞こえたと思ったら、綾小路の額に風穴が空いていたのだ。

 

そして、綾小路はそのままドサリと地面に倒れた。頭から、血の海を広げながら。

 

「………………!?」

 

坂柳は振り返る。すると、そこにいたのは──────。

 

「………ハハハッ。綾小路先輩………僕の存在には気付けなかったみたいですね」

 

退学した元1年B組の男子生徒、そしてホワイトルーム5期生のトップ・八神拓也であった。

 

「ああ……いけないいけない。腕が良すぎて、額を一発で撃ち抜いてしまった………まだまだ……まだまだ楽しみたかったのに」

 

彼は、「憎悪のホワイトルーム生」。綾小路清隆と常に比較され、カリキュラムをトップの成績でこなすも人生で一度も褒められたことの無い男。

 

綾小路に対して、並々ならぬ「憎悪」の感情を抱いていた。

 

「おや………そこにいるのは坂柳先輩……ですね?」

 

すると、八神は坂柳に持っていた拳銃を向ける。

 

「ひっ……………!?」

 

「あなたも撃ち殺してあげましょうか…………っと。いけないいけない」

 

フフ、と嗤いながら、八神は銃口の向きをを坂柳から変える。

 

「一般の生徒は巻き込むな………教官からの命令でしたねッ!!!」

 

八神は坂柳から綾小路の遺体に向けた拳銃の引き金を何度も、何度も引いた。

 

「ハハハハハハハハッ!!!どうだっ!!どうだ綾小路ッ!!!ホワイトルームの最高傑作が、この僕に殺される気持ちはぁッ!!!!」

 

「あぁっ……………!?」

 

坂柳は腰が抜けて、その場に尻餅をつく。

 

八神の表情は狂気に、憎悪に満ちていた。

 

そして、拳銃の弾が空になってもその後数度引き金を引き、弾切れに気付いた八神は舌打ちする。

 

「チッ………もう終わりか。でも、最後に楽しめたかな………僕の人生は、この瞬間のためにあったんだ………フフ………フハハハハハハッ!!!」

 

坂柳の恐怖をよそに、八神は1人で舞い上がる。そして、再度弾を込め直すと、自身の顎に銃口を突きつけた。

 

「最後に楽しめた……満足のいく人生だったよ」

 

そう口にして、八神は発砲。即死した。

 

「あ…………………」

 

その場には、ただ身体を震わせる坂柳だけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

綾小路くんが殺されました。

 

20人の男性も、八神くんの登場も、全て繋がっていたのです。

 

世間的には、綾小路くんの死は高育の責任であるとして非難されていました。20人の男性は、元高育生。卒業後、希望の進路に進めず定職にも就かないで、人生に絶望していました。その過去が、高育でいじめられていたものと発表された。八神くんも同様に、高育内で悲惨な扱いを受けていたことにされていました。

 

高育は抗議しようにも、証拠を持ち出されており、かつこれまで学内の様子がブラックボックスであったこともあり、世論は厳しい目を向けていました。

 

………綾小路くんの死後数日して、全校集会が開かれました。

 

綾小路くんの死を悼むため、全校生徒で黙祷をすることになったのです。真澄さんの時と、同じように。

 

「ううっ…………綾小路ぃ………………」

 

「綾小路………くん………っ……!」

 

「きよぽん…………!!」

 

綾小路くんの死を悼む学年の多くの生徒たちが、彼の死に涙していました。

 

ですが…………。

 

私は、絶対に泣かないと決めていました。

 

真澄さんが死んだのは、綾小路くんのせい。綾小路くんが、面白半分に真澄さんを死に追いやったのです。

 

決して許すことは出来ません。

 

絶対に泣くものですか。

 

頼まれたって、涙を流したりはしません。彼の死は、自業自得です。

 

私は必死に歯を食いしばり、この集会が終わるのを待ちました。

 

…………その時です。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!!!」

 

とても、とても大きな雄叫びが、体育館中に広がりました。

 

「っ!?」

 

「龍園さん!?」

 

声をあげたのは、龍園くんでした。

 

あまりにも突然の出来事に、私は内心驚きを隠すことが出来ずにいます。

 

「ふざけるなッ!!ふざけるんじゃねぇぞ綾小路ッ!!俺に勝っておいて、そのままくたばったってのか!!!」

 

全学年、そして全教師たちの視線を一点に集めていました。

 

「ちょっ、龍園さん………!」

 

「Calm down, boss…………!」

 

石崎くんや山田アルベルトくんが、今までに無い龍園くんの豹変ぶりに戸惑いながらも、彼を落ち着けようとします。

 

「黙れ……! テメェらは悔しくねぇのか……!! 俺たちは綾小路に勝ち逃げされたんだぞ……!! 俺たちは、あいつに負けたままで終わるんだぞ………! テメェらは悔しくねぇのかぁぁッ!!!!」

 

「………………っ!?!?」

 

その時でした。

 

私の目頭に、熱いものが込み上げてきたのは。

 

「うぉぉぉぉぉぉッ!!!ふざけるなッ!!ふざけるなぁぁぁッ!!!!」

 

龍園くんの必死の叫び。普段は取り乱すことが無く、学年……全校生徒たちからある種の畏怖の視線を向けられていた龍園くんの涙。

 

それは、瞬く間に全生徒へと伝播していきました。あたりの泣き声の数は、より多くなっていきます。

 

そして……………。

 

「……………うっ……!」

 

「え…………?」

 

「坂柳……さん…………?」

 

──────それは、私も同様でした。

 

「ううっ………!うぁぁっ…………」

 

込み上げてきた涙は、もう止まってはくれませんでした。そのまま頬を伝って、ボタボタと地面に落ちていきました。

 

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁっ……………!!!!」

 

「えっ……坂柳さん………!?」

 

私は、子供のように声をあげて泣きました。周囲の目など気にすることもなく、声を震わせて泣きました。

 

「うううっ……うぐっ……あぁぁぁぁぁぁぁ………………」

 

彼は憎いです。

 

憎くて、仕方がありません。私の真澄さんを奪った、極悪人です。

 

でも………………。

 

涙は止まってくれません。

 

だって。

 

だって彼は………!

 

私の……………初恋の人………なのですから………っ……!!

 

「あああぁぁぁぁぁっ……………………」

 

 

 

 

 

あれから数年が経ち、私たちは卒業を迎えました。私たちは何度かAクラスから落ちてしまうこともありましたが、何とか最後の特別試験を制して、最終的にはAクラスでの卒業を果たせました。

 

私の涙は、クラスの皆さんとの距離を縮めた。私も、ただの人間。1人では生きていけない、弱さを持った人間。

 

皆さんに、それが伝わったようでした。

 

そして。

 

今日は、雪の積もった冬のある日。

 

私は今、綾小路くんのお墓の前にいます。

 

私の隣には………堀北さんと一之瀬さん、それに龍園くんがいました。

 

卒業してもなお、私たちは縁を持ち続けています。クラスは違えども、私たちは共に同じ地に足をつけて戦った戦友です。

 

「綾小路くん…………」

 

一之瀬さんは、目に涙を浮かべていました。彼女もまた、綾小路くんに恋をした女性でした。

 

「………………………」

 

龍園くんは、何も言わずにお墓を見つめています。彼も、綾小路清隆という人間に惹かれ、成長していった人間の1人でした。

 

「綾小路くん………来たわ……」

 

堀北さんは、伏し目がちにお墓を見つめています。Aクラスでの卒業は叶いませんでしたが、今ではお兄様にも認めていただけるほどに、立派な人間となっていました。

 

そして………。

 

「綾小路くん………」

 

私もまた、彼のお墓に目を向けていました。

 

綾小路くんのことを思い出すと、真澄さんのことも思い浮かびます。綾小路くんが、真澄さんを事実上死なせた。

 

本当に、許せないことです。

 

ですが。

 

あなたに対する、温かいあの気持ちは、偽りではありませんでした。

 

私も、同い年の女性がするように、「恋」をしていました。

 

真澄さん。

 

今日だけは………どうか私を許して下さい………。

 

「綾小路くん、お父さんが総理大臣になったね…………でも、本当に喜んで良いのかな…………」

 

綾小路くんの死と、綾小路現首相の躍進。

 

私には、いえ。私たちには、それらが無関係だとは思えません。

 

「今、私たちはあの日の事件の解明をしようとしています。あなたがそれを望んでいるかは分かりません。私たちが、勝手にしているだけです………」

 

そう、彼に語りかけます。

 

「………必ず、あなたの死に報いてみせるわ。だから………それまでは、ここでまだ待っていてね……」

 

堀北さんも、遂に涙を浮かべました。

 

「………今日は、雪だな。あの日の夜と、同じでよ」

 

私たちは、空を見上げました。どんよりと淀んだ空。白い粒のような雪が、パラパラと降っています。

 

その時でした。

 

あの時の、綾小路くんの言葉が頭に思い浮かんだのは。

 

 

 

 

『そういえば、雪の歌があったよな。『雪やこんこ』ってやつが』

 

『ええ。童謡ですね。そのまま『雪』という題名です』

 

『坂柳、試しに歌ってみてくれないか』

 

 

 

 

………結局、あなたの前で歌うことはありませんでしたね。

 

「………? 坂柳さん………?」

 

「………………スゥ」

 

私は息を吸い、口を開きました。

 

 

『雪やこんこ 霰やこんこ 降っても降っても まだ降り止まぬ 犬は喜び 庭駈け回り 猫は火燵で丸くなる〜………………』

 

 

 

これが………あなたへの手向けの歌です。

 

どうか、安らかに………………。

 

 

もしも綾小路清隆が坂柳有栖の前で撃たれたら───完

 

 






ここまでお読み下さり、誠にありがとうございます。

9月10日に投稿しました⑤のエピソードを読み返した所、個人的な不満点があったため、後半部分を大幅に修正して再投稿いたしました。

坂柳の結末も、大幅に変更しました。

後半4400字程を削除し、新たに6600字程に書き直した形となります。

ここまで堀北、一之瀬、坂柳という3人のヒロインを取り上げ、物語を展開して参りましたが、このシリーズはここで一旦打ち止めにしようと考えております。

というのも、過去やこれまでの成長が細かく掘り下げられているヒロインは、現状この3名であると考えているからです。掘り下げがまだあまりされていないキャラクターの曇らせは、この3名のように生き生きとした存在として描くのが難しいと思い、この結論に至りました。

軽井沢恵に関しましては、次巻にあたる2年生編12.5巻にて、衣笠先生による直々の曇らせが期待されており、私が手を加える気力があまり起こりませんでした。

とはいえ、今後何か思いつきましたら、またこのシリーズとして新しいエピソードを投稿しようと考えております。

一応参考までに、次に曇らせが見たいと皆様が考えているヒロインについて、アンケートを実施したいと思います。

では、末筆ではございますが、また新しい曇らせを閃いたらお会いしましょう。

重ね重ね、お読み下さり、ありがとうございました。

次は誰の前で撃たれて欲しい?

  • 天沢一夏
  • 軽井沢恵
  • 龍園翔
  • 長谷部波瑠加
  • その他
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