もしも綾小路清隆が◯◯の前で撃たれたら 作:せご曇(せごどん)
「抱いてよ」
部屋を訪れた恵の口から聞こえた言葉に、オレは一瞬耳を疑った。
「抱く」────────
もちろん、単なる抱擁という意味ではないだろう。つまりは、
だが、解せない。
何故突然、そのようなことを言い出したのか。
オレの予定では、その段階に進むのはもっと先のことであった。しかも、恐らくはオレから言い出すことになると予想していたんだが。
「………何かあったのか」
だが、こうして考えていても何も分かりはしない。
オレは恵から直接、何があったのかを聞き出すことにした。
「……………」
オレの問いかけに対して、恵は口を開こうとはしない。ただ黙って俯いたままだ。
追い打ちで何かを聞いても答えてくれそうにないので、このまま彼女の答えを待つことにした。
「…………………清隆、さ」
しばらく沈黙が続くと、恵が再び口を開く。
「クルーズ船で………笑った、よね」
「クルーズ船…………」
「無人島試験の帰り………」
無人島試験からの帰還。その時のオレの笑み。記憶を巻き戻してみると、すぐにその時の光景が蘇った。
『今………綾小路くんが、笑った………』
あの時ひよりに指摘された、オレの笑み。自分では自覚が無かったのだが、ひよりによるとオレは笑っていたらしい。
だが、そのことを何故恵が…………見ていたのか。少し離れた所から、オレとひよりが2人でいる場面を。
となると、恵がこうして押しかけてきた理由は────嫉妬か。
「清隆、あたしと付き合ってから一度も笑ったことが無かった…………あたし、ずっと清隆を笑わせてみようと思って、色々やってみた………でも……清隆は笑ってはくれなかった」
「オレが笑わないのは昔からだ。別に恵との時間が楽しくないからだとか、そういった理由では───」
「だったらっ!!!」
恵がオレの胸ぐらを掴みながら叫ぶ。
「だったら………何で……椎名さんの前では笑ったの………?」
「…………………………」
その問いに対する解答をオレは持ち合わせておらず、押し黙ることになる。
何故恵の前では笑わず、ひよりの前では笑えたのか。
考えても、その答えは浮かび上がってこない。
ここで下手な弁明をしても何の意味も無いことは、恵と過ごしたこの1年で理解している。
全身を押しつぶすような重苦しい沈黙が続くと、恵はオレから手をゆっくりと離す。
「あたし………清隆のこと、好きだよ………? 本当に………本当に………生まれて初めて、男の子のことを好きになったんだよ………?」
「………………」
「清隆は本当に………あたしのこと好きなの……………?」
「………当たり前だ」
それ以外、許される答えがあるのだろうか。
だが、当の恵本人にその言葉は届いてはいなかったようだ。
「……………あたし、帰るね」
「恵」
「冷静じゃなかった………ごめん…………また今度話そう…………」
恵は玄関の扉を開け、外へと出ていった。
その場にはただ1人、オレだけが立っている。
『清隆は本当に………あたしのこと好きなの……………?』
恵の言葉が、脳内で木霊する。
本当に恵のことが好きかどうか。
そもそも、「好き」とはどういう感情なのか。恋愛とはどういうものなのか。オレが恵を通して学ぼうとしていた感情が、その「好き」というものだ。
春休みの末、彼女に告白した時にオレはその感情を学ぶことを目的の1つに据えていた。
時間が経てば、自ずと分かってくるものなのか。ホワイトルームでは学べなかったその感情に対して、ある種の期待をしていた。
だが…………
「好き」を学ぼうとしていた恵の前では、オレは笑うことが出来ていなかった。対する恵は、オレと共にいる時間にはいつも様々な笑顔を浮かべていた。満面の笑み、柔らかな笑み、微笑み、悪戯な笑み。作り笑いではない、純粋な笑顔だ。形は様々だが、その根底にはオレに対する好意があったことに疑いの余地は無い。
オレはどうか。
意識的に表情筋を動かし、笑顔を浮かべた経験はホワイトルームの中で何度もしてきた。
しかし、それはあくまでも筋肉を自らの意思で操った末の現象。恵や他の人間が浮かべるような、無意識に形作られる笑みとは全く異なる。
では、この「無意識の笑み」こそが好意の表れなのだろうか。
もしそうだとするのならば、オレが「好き」だと思っている相手は軽井沢恵ではなく───────
夏休みももう終盤に差し掛かる頃。
無人島試験を終えてから私─────椎名ひよりは、再び図書室へと入り浸る毎日を過ごしていました。
夏休みというのは、学生たちの息抜きの時間。受験生でもなければ、多くの学生たちは活字からは離れて遊びに出掛ける日々を送っていることでしょう。
ですが、私はこうして制服を着用し、連日図書室に足を運んでいます。
私にとっては、読書こそが至福の一時。本に触れている時間が、私の人生で最も楽しいと思える時間です。
出来れば目の前に綾小路くんが座ってくれていればなお嬉しいのですが…………綾小路くんにも綾小路くんの夏休みがありますからね。
少し寂しいですが、1人で本を読むことにはもう慣れています。
さて、今日は何を読みましょうかね…………。
「……………あれは」
私の目に留まったのは、アガサ・クリスティの『親指のうずき』でした。既に読んだことのある小説でしたが、また読みたいと私の心が訴えかけてきたのです。
ですが…………
私の背では、手が届くか怪しい位置に置かれています。
困りましたね……………
「んん…………」
一応、手が届くか試しに背伸びをしてみます。爪先立ちになり、精一杯右手を上に伸ばしてみるのですが…………残念なことに届きそうもありません。
仕方ありませんね。脚立に乗ってから取るしか…………
「これか?」
「えっ……?」
聞き覚えのある声に、私の胸は一瞬高鳴ります。
そして…………
「…………っ!?」
次の瞬間には、その鼓動は更に強く、更に速くなりました。
その声の主の手と、私の手が触れ合っていたのですから。
「綾小路………くん…………」
「久しぶりだな、ひより」
「綾小路くん、今日はどうしてここに……?」
「どうして、か。最近来ていなかったからな」
綾小路くんは『親指のうずき』を手に取り、渡してくれました。
「それと………」
「……?」
「久しぶりに、ひよりの顔が見たくなった」
「…………!!」
「図書室に来れば、会えるんじゃないかと思ったんだ」
私に……………
駄目です………綾小路くんの顔を直視出来ません。
想い人に、そんなことを言われてしまうなんて…………。
「どうした、熱でもあるのか」
「い、いえ………お気になさらず…………」
私の胸の内をきっと知らない綾小路くんは、この赤面を熱のせいかと思い気にかけてくれました。
「不思議だよな」
「えっ?」
綾小路くんは図書室を見回すようにしながら口を開きます。
「無人島試験から帰ってきたのが、もう何年も前のことのように感じられる。本当はまだ3週間も経ってないのにな」
「それは……………言われてみればそうですね」
試験の最中には恋しく思えたこの図書室ですが、帰ってきてからはいつもと変わらない、お馴染みの空間として認識しています。
「この3年間の学校生活も、恐らく一瞬のことのように過ぎてしまうんだろう。何よりも、もう半分が過ぎようとしている」
「はい。とても名残惜しいことですが………」
「ああ。名残惜しい。過ぎて行って欲しくないと思える。だが………これは人間にはどうしようもないことだ。どんな手を使っても、過ぎ行く時間を止めることは出来ない」
「……………………」
どうしたのでしょうか。
今日の綾小路くんは、どこか哀愁を漂わせているような、いつもとは違う雰囲気を感じさせます。
「だからこそ……オレたちはこの瞬間を全力で楽しむべきなんだろうな。後悔が残らない学校生活を送る。Aクラスに上がるという分かりやすい目標がこの学校にはあるが、オレはそれ以上に楽しむことの方が大事だと思った。何歳まで生きるかは分からないが、仮に80歳まで生きるとしたら高校3年間は一瞬の出来事だろう。一瞬………そう、一瞬だ。一瞬だが、閃光のような3年間。そんな学校生活を送りたい」
「閃光……ですか?」
「オレには似合わない言葉かもしれないけどな」
「……………いえ、そんなことは無いと思います。とても大事な考えだと思いました」
この学校は特殊です。普通の高校では見られないような競争が当たり前になっている。
でも、どのような形であれ高校生活は二度とやって来ません。
今を楽しむ、それは浮かれているようで一番重要なことなのかもしれません。
「ひよりはオレといて楽しいか?」
「え?」
綾小路くんが、私を真っ直ぐに見つめてきました。恥ずかしくて逸らしそうになりましたが、あまりに透き通った瞳に私は魅入られて顔を動かせずにいました。
「…………楽しいです。今まで、こんなに話が合って………一緒にいて居心地が良いと言える人はいませんでしたから」
「………そうか」
嘘ではない、正直な言葉。私は綾小路くんといる時間が、とても楽しい。
「オレも、だろうな。この前、ひよりの前で笑ったそうだが、オレにはその自覚は無かった。自慢じゃないが、無意識に笑った経験はこれまでのオレには無い。どこか冷めていたのかもしれないが、ああして笑ったのは初めてのことだった」
「………………」
「きっと、オレの本心が溢れたのだろう。オレはひよりといる時間を楽しいと思っていた。つまり………オレの本心は、ひよりとの時間を過ごしたがっている」
「………………!!」
何、ですか。
そんなことを、言われたら……………。
「3年間の学校生活と言ったが、高校2年の夏休みも二度とやって来ない。ずっと1人で過ごすのも悪くは無いのかもしれないが、どうせ過ごすのならば楽しい時間を過ごしたい」
「……………………」
「残りの夏休み………一緒に過ごしてみないか。今回は図書室の中だけでなく、様々な所に行って」
…………………………。
綾小路くんが、そこまで私との時間を楽しく思っていてくれていたなんて。
嬉しくて、思わず笑みが漏れてしまいます。
「どうした」
「いえ………すみません。嬉しくてつい…………私の一方的な片想いならどうしようと思っていたので」
「片想い?」
綾小路くんが首を傾げます。そこで、
「ち、違います………私だけが楽しいと思っていたら、という意味です………」
「そうか」
綾小路くんは特に気に留めることもなく受け流してくれました。
………本当は否定せず、このまま想いを告げられていたらどれ程楽なのでしょうか。
「………私の方こそ、綾小路くんとの時間を過ごせるのならば願ってもいないことです」
「ならば、OK……ということか」
「はい。2学期が始まれば、またクラス同士での戦いが始まってしまいます。そうなる前に………思い切り楽しんでおきましょう」
高校2年の夏休み。
いつもとは違って、少し騒がしくなりそうですね。
「…………………………」
あれから、清隆とは連絡を取っていない。
あたしが一方的に押しかけて、一方的に感情をぶつけて、そのまま帰った。
清隆の方からは連絡し辛いのは当たり前だ。
だけど………それはあたしの方も同じ。
どうやって話を切り出せば良いのか、分からない。
清隆は確かに春休み、あたしのことを好きだと言った。
あたしも清隆のことを好きになっていたから、カップルになるのは当然だった。
でも…………
心のどこかでは思っていた。
清隆は本当は、あたしのことが好きじゃないんじゃないかって。
去年、あたしを巡って清隆は誰にも見せない裏の顔を見せた。
普段は人畜無害な陰キャを装ってるけど、本当は違う。あたしと同じ、闇を抱えた人間。だからこそ、あたしは清隆に惹かれていった。
同時に、その清隆が本気であたしを好きになるのかも、あたしは疑問に思っていた。思っていたけど、その疑問に取り憑かれたらただただ沼にハマっていくだけだから、考えないようにしてきた。
何でかな。
こうして考えると、清隆は本当はあたしを好きじゃなかったとした方が辻褄が合うように思えてくる。
そんな結末、あたしは望んでいないのに……………
「……………?」
佐藤さんからメッセージ…………。
『この何日間、綾小路くんとDクラスの椎名さんがずっと一緒にいるみたいなんだけど…………』
………………………!!
清隆と、椎名さんが…………………。
……………………………………………。
次は誰の前で撃たれて欲しい?
-
天沢一夏
-
軽井沢恵
-
龍園翔
-
長谷部波瑠加
-
その他