もしも綾小路清隆が◯◯の前で撃たれたら 作:せご曇(せごどん)
前半の『』の台詞は、0巻の台詞をそのまま用いています。
もしも綾小路清隆が一之瀬帆波の前で撃たれたら①
人生最大の幸福は、愛されているという確信である。自分のために愛されている、否、もっと正確には、こんな自分なのに愛されているという確信である。
Le suprême bonheur de la vie, c'est la conviction qu'on est aimé; aimé pour soi-même, disons mieux, aimé malgré soi-même.
ヴィクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』
Les Misérables
色。視界に広がる色。
一番最初に記憶するものは等しく、一面に広がる「白」だった。
一番最初の記憶は、ホワイトルームと呼ばれる白世界の天井。飾り気は無い。生活感も無い。乳幼児を置くにはあまりにも無機質な空間。
オレは生まれた時から、ホワイトルームの中で生きていた。周囲には子供たちも大勢いた。皆、オレと同じ年齢の子供たちだ。
オレは彼ら、彼女らに対して特別な感情を何一つとして持たなかった。ただ、同じ空間にいる人間。同じ空気を吸って、同じ学問を学び、同じ武道を学ぶ。それだけの関係。
その数は年々減っていき、いつしか二人になった。残った子供は男の子で、名前は「
恐らく、彼はカリキュラムを最後までやり通す能力を備えていた。オレより実力では劣っていても、抜群の「センス」は磨けば光る。史上最高難度と言われる「βカリキュラム」の修了者として、ホワイトルームで重宝されただろう。
だが、志朗はそうしなかった。彼はある日、オレにこう言った。
『俺はこの施設を出ることにした』
オレは言っている意味がよく分からなかった。それに意味はあるのかとオレは問うた。
『あるさ、自由が欲しい』
自由?、と問い返すオレに、志朗は続けて言う。
『俺は自由になりたい。友達が欲しい。そんな感情を持つのは普通じゃないのか。周りを見ろ。残っているのは俺と清隆だけ。こんな状態があと10年以上続くんだぞ』
それの何が問題なのか。むしろ、無能な子供がいない分、学習の効率は上がる。自己を高めるためには良い環境が整っているのではないか。
『おまえは外の世界に興味ないのか? いや、そもそもこの苦痛に耐えられるのか?』
苦痛とはおかしなことを言う。オレは外の世界に興味を抱いたことも、この空間を苦痛だと感じたこともない。
『おまえは俺と同じだと思ってた。いつか外の世界に出たいと思ってるはずだと』
オレは一度もそのようなことを思ったことはない。生涯ホワイトルームで過ごすだけの人生だとしても、何も不満を抱かない。
その後、志朗はオレの説得を諦め、こうとだけ言い残した。
『さよなら清隆』
それが、最後の会話だった。
それから数年後。
オレは世の中でいうところの中学2年生の課程を終える年齢に達していた。
その時、ホワイトルームプロジェクトが外的な要因で一時凍結となり、子供たちは外部の施設に一時的に移されることとなる。そこで、オレは人生で初となる外の世界を経験していた。
父親に車で連れられて向かった先は、とあるカウンセリングクリニック。
そこである人物に会うように命じられた。
その人物とは──────────。
『清隆……!』
随分前に脱落した四期生の少女───雪。
オレの姿を見ると、直前まで浮かべていた暗い表情が一転して、明るいものとなる。あれは………そう、「笑顔」だ。
『会いたかった……ずっと……ずっと会いたかった!』
どうやら、彼女はホワイトルーム生であったが、同時に父親がホワイトルームの出資者でもあり、外の世界に出たオレと引き合わせるよう
オレとずっと話をしたかったという雪。
だが、ホワイトルームから脱落した者とは、話が出来ない。同じ場で学んでいないのだから、建設的な話など出てくるはずもない。
オレは早々に彼女との話を切り上げ、その場を後にした。
『いやあ! いや! 清隆! いやああ!』
去り際に発される少女の泣き声は、オレの耳の奥には届かない。
そんなものに興味は無い。
────────そう、普段のオレならば判断しただろう。
何故だろうか。
やけにその泣き声が耳に残ったのは。
クリニックを出たオレは、父親の待つ車に乗り込む。
そこには、変わらぬ仏頂面を浮かべた綾小路篤臣が座っていた。車が発車し、オレは窓から外の景色を眺めている。
『初めて見る外の世界はどうだ』
ふいにそう問われる。
『何も』
オレは短く返した。
好奇心はある。バーチャルで学んだ世界と大きく異なるかと問われれば違うと答えるが、それでも生肌で感じる世界というものには一定以上の関心を寄せていた。
だが、それでも「感情」と呼ばれるようなものが動かされる感触は無い。感情そのものが無いのか、極端に冷え切っているのか、その区別は曖昧だが。
そう。
その両者の区別に、オレは最大の関心を寄せていた。
今、隣に座るこの男がオレに向ける視線。この男はオレを息子としては見ておらず、単なる道具だと考えている。道具に特別な感情を向けることは稀有なはずで、オレに対する視線にも感情は宿っていない。
そして───────先ほど、オレが雪に向けていた視線も、この男の視線と同じであった。
オレは彼女に対して、微塵も感情などこもっていない視線を向けていた。そもそも、今のオレには「感情」と呼べるものはない。
だが、その時彼女はどう思ったか。感情を露わにした。「不幸」だと感じ、それが涙という形となって外に表れた。
だが、何を「不幸」だと捉えるかは人それぞれだ。
実際には貧しくとも、徹底的な情報統制により外部の世界の生活水準を知らずに、自分たちは「幸福」だと考えていた人々がいる。東南アジアのとある小国の話だ。今ではインターネットの流入により、自分たちの貧しさを自覚して「不幸」になったという。
オレも似たようなものだ。あの白い世界では、外界との交流は遮断されていた。外の世界の情報を知識としては有していても、それをリアリティのあるものとして真摯に受け止めていた訳ではない。
だが、オレと彼らとの間には、違いが一つある。
彼らは、自らの暮らしを「幸福」だと考えた。今では違うのだろうが、貧しくもそれが当たり前であったかつては、紛れもなく「幸せ」だった。「幸せ」だから、「不幸」を嘆くのだ。
オレは、ホワイトルームでの生活を「不幸」だと捉えたことは無い。一方で「幸福」だとも捉えたことは無い。だが、雪や志朗は「不幸」だと捉えていた。少なくとも、彼らはどこかのタイミングで「幸せ」だと思った瞬間があるのだ。
あの二人には、「感情」があった。
この違いは何なのか。オレに感情がそもそも無いからなのか、ホワイトルームでの経験は感情を起こすに足らないものだったのか。
オレはその答えが知りたい。
いや、正確には─────オレは自身の感情の存在を証明したい。
「幸福」も「不幸」も、感情を動かす原動力となる。感情があれば、「幸福」や「不幸」を感じ取れる。
ならば、オレは────────。
オレは─────「幸せ」になってみたかった。
高校1年生の春休み。高度育成高等学校での生活も、そろそろ一年が過ぎようとした3月30日。
オレは雨に濡れた女子生徒────一之瀬帆波を部屋に招き入れていた。
衣服は水で濡れており、所々肌が透けて見える。こういうのを俗世間では「セクシー」というのだろうか。オレも、全く惹きつけられるものが無いと言えば嘘になる。
一之瀬は、オレの貸したタオルを使い、肌に滴る雨水を拭っていた。
「綾小路くんって、意外に強引だよね……」
「自分の部屋には帰りたくなさそうだったからな」
一之瀬は、寮の前で立ち尽くしていた。雨も降っていて、暖かいとは言えない今日の天気。
物憂げなその表情を見たオレは、彼女を部屋に連れてきたのだ。
「私が弱ってる時……いつも綾小路くんが側にいる気がする……」
先日行われた学年末試験。
一之瀬は龍園のクラスと戦った。
その結果は、大敗。龍園の策によって成すすべもなく敗北してしまった。
彼女はそのことで、自分の在り方に疑問を感じ始めたのだろう。
このままのやり方で、この先戦っていけるのか、と。
「もし良かったら、また弱音を吐いてくれても良い」
「ダメだよ………私、綾小路くんに頼りっぱなしだし……これ以上図々しく話すなんて……かっこ悪すぎて出来ないよ」
オレに迷惑をかけたくないからこその言葉のようだ。
「信用出来ないか?」
「それは無いよ!」
オレの言葉を、即座に否定する一之瀬。
「私は多分……今、誰よりも綾小路くんを信頼してる……」
オレから目線をそらし、どこか恥ずかしげな表情を浮かべながらそう語る。
随分とオレに入れ込んでいるようだ。その言葉に嘘は無いだろう。
「違うクラスの敵同士でもか?」
「……安易に敵だなんて言いたくないな」
少し声を低くして尋ねても、その姿勢は変わらない。
「味方じゃない………だけど、信頼出来る人」
「……………………………」
その瞳を見て、オレは頭の中の考えを纏めることが出来た。
どうしようかと迷っていた二択。どちらかを取れば、もう片方の選択肢は取れない。ある意味、ギャンブルの要素を多分に含んだ決断。
オレは一之瀬にコーヒーを出して、彼女の側に立った。
「…………この前、堀北さんと話して痛感したの」
おもむろに、彼女は口を開いた。
「彼女はこの一年で凄く成長してる……」
それはオレも同意する。入学当初と比べて、堀北は明らかに変わった。
「それは龍園くんや坂柳さんだってそう………。どのクラスのリーダーも、どんどん強くなってる」
なのに自分だけ取り残されている。そんな含みのある言葉だった。
「私は、この先勝てるのかな…………」
俯く一之瀬。表情がみるみる内に曇っていく。
「怖いよ………」
目元を押さえて、首を横に振る。
「どうしよう…………どうしよう……………」
先ほど、弱音は吐かないと言った。これが弱音ではなくて何なのか。
だが──────だからこそ、オレは良いと思った。
変に強がらない。辛い時は辛いと言う、悲しい時は悲しいと言う。
良くも悪くも、自分の感情に正直だ。出会った時から腹芸の出来るタイプではないと思ってはいたが、それは一年経った今でも変わっていない。
仲間を守るための嘘はつける。そういう立ち回りは度々見てきた。
しかし、自分を偽ることは出来ない。隠そうにも、感情が漏れ出る。
それは全て、彼女が掛け値なしの善人であるからこそだ。社会では確かに、そういった善人は希少だし、食い物にされる。都合良く利用され、最後にはボロ雑巾のように捨てられる。
歴史を見ても、熾烈な競争社会で上にのし上がった人物に、本物の善人など存在しないだろう。
それではダメだ。
いかに優れていようとも、類型が多数いるようでは、オレが学びたいと思っていることは学べない。
そのような人間など、世の中にはごまんといる。堀北も、龍園も、坂柳も。今後の成長には大いに期待できるが、いずれも唯一無二のキャラクターではない。単に能力が優れていただけ、とも言えるだろう。
だが、一之瀬帆波は違う。
彼女は唯一無二の存在だ。偽りのない本物の善の心を持つ少女。その人間性そのものに価値がある、学びがある。彼女の学力や身体能力などの能力は、オマケのようなものだ。
オレは一之瀬の頰にそっと手を添えた。
「……………!」
少し驚いた表情をするも、抵抗するような素振りは全く見せない。
「一之瀬」
「う、うん…………」
「今から、とても真剣な話をする」
とても真剣な話。意味にも響きにも重みを含んだ言葉に、表情が固くなる。触って確かめはしないが、きっと胸の鼓動も速くなっていることだろう。
「オレはこの一年間、お前のことを見てきた。入学当初から明るく笑顔を忘れないお前の振る舞い、敵クラスであっても友好的に接するその姿勢。オレにはそれが魅力的に映った」
「え…………」
「そして──────いつしかオレは、一之瀬帆波という人間を好きになっていた」
一之瀬の顔が固まる。呼吸も止まっていた。
少し間を空けて、息を吹き返すと、目を大きく見開いて後退した。
「えぇぇぇっ!?」
顔を真っ赤に染め、これまで見たことが無いほどに取り乱す。
「す、す、好きっ、て!?!?」
「そのままの意味だ。オレは一之瀬帆波に恋をした」
「はわわぁっ!?!? ちょっと待ってぇ!?」
脳が理解に追いついていないのだろう。激しく慌てふためき、口をわなわなとさせている。
「えぇっ!? なん、どうして、え、え!?」
「少し落ち着いてくれないか。流石に、隣の部屋に聞こえるとまずい」
「あっ、えっ!? ご、ごめん……!」
口を手で強く押さえて、無理矢理気持ちを落ち着かせようとしている。
今はまともに話が出来る状態では無さそうなので、オレは彼女が落ち着くのを待った。
3分ほどは興奮状態が続いていたが、何とか会話が出来るまでには落ち着きを取り戻す。
「ご、ごめん………あんまりにも、びっくりしたから………」
「いや、オレも突然だった。嫌だったか?」
「い、嫌だなんて………私は………別に………」
赤面のまま目をそらす一之瀬。その反応からも、オレに対してどのような感情を持っているかは明白だろう。
ここからはそう難しくはない。
「オレは一之瀬に恋をしている。人間は大なり小なり、悪の心を持っている。誰かに自分は根っからの善人だと言われても、普通は信じないだろう。だがお前は、悪の心を持っていない。善一色の綺麗な心を持っている。オレはそれに惹かれていった」
「ぜ、善なんかじゃないよ。私だって、悪いことはしたから………あの時だって、万引きを………」
「それは妹のためにやったことだ。お前は、私利私欲のためには悪事を働けない。そんな人間が世の中にどれぐらいいると思う」
「……………………………」
俯く一之瀬。だが、先ほどまでとは違い、目に光が宿っている。
「オレの気持ちは変わらない。オレは一之瀬が好きだ。だが、お前の気持ちは聞けていない。もし良ければ、聞かせてくれないか」
「……………………………」
すぐには返答が来ないが、それは想定内だ。彼女から言うのを待つ。
「私は…………」
そして、ようやく口を開いた。
「私、も………綾小路くんのことが、好き…………」
御託はない。ただ、純粋な気持ちを口にする。
「入学してから、何かと関わる機会が多くて………最初は、好きとかそういうことは考えてなかったんだけど………」
顔を上げて、オレの目を見た。
「でもあの時………噂が流れた時………私の側にいてくれた。本当に、救われた。あの時から、私は綾小路くんのことが気になりだしたの」
「最終的に立ち直ったのは一之瀬の力だ」
「ううん………綾小路くんがいなければ、立ち直れなかった。だから、私はあなたのことを信頼してるの」
一之瀬もオレを「好き」と言った。つまり、これは「両想い」ということになる。
後は、締めだけだ。
「一之瀬。オレはお前と比べると、遥かに心が汚れているかもしれない。善人とは程遠い人間かもしれない。だが、そんなオレでも良いというのならば───────オレと付き合って欲しい」
「…………!」
一之瀬の目が丸くなる。ほどなくして瞳は潤み、頰を赤らめる。そして、オレのもとに寄ってきて───オレの背中に手を回した。
「私こそ……………よろしくお願いします………………」
生暖かい少女の体温とシトラスの香水の香りが、オレに直に伝わってきた。
オレが迷った選択。
それは、軽井沢恵と一之瀬帆波のどちらと付き合うか、ということ。
軽井沢恵は既にオレに依存させてある。想いを告げれば、間違いなく首を縦に振るだろう。
だが、彼女と付き合ってどうなるのか。お互いに恋愛は未経験だろうが、きっと彼女の側にいれば、恋愛とは何かをよく学ぶことができるだろう。ホワイトルームでも学べなかった貴重な経験だ。
だが、それは恵でなくても良い話だ。
軽井沢恵という人間は一人だが、彼女の類型は他にもいる。
それこそ、恵と仲の良い佐藤麻耶と付き合っても、同じような経験は出来ただろう。
それでは、オレは「幸せ」になれない。
そもそも、普通の人間ではあり得ないほどに感情の起伏が無いのだから、普通の人間と交際しても化学反応は見込めない。それで何か起きるのなら、オレは今感情の何たるかを知っているだろう。
だが、一之瀬帆波は違う。
この学校において、間違いなく唯一無二のキャラクター。彼女の替えは絶対にきかない。
断定的なことは言えないが、そのレベルの人間でなければ、オレに何かを起こすのは難しい。いや、もう断定する。不可能だ。
だから、オレは一之瀬帆波に期待した。「幸福の教科書」としての役割を。本心から他人の幸福を願う彼女の側にいれば、「幸せ」とは何かが分かるはずだ。
他人のことなどどうでも良い。そう考えてきたオレと
そのオレが、例えば彼女が危険に陥った時に、身を犠牲にしてでも彼女を守りたいと思えるようになれば─────オレは「幸せ」になっているのだろう。
次は誰の前で撃たれて欲しい?
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天沢一夏
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軽井沢恵
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龍園翔
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長谷部波瑠加
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その他