もしも綾小路清隆が◯◯の前で撃たれたら 作:せご曇(せごどん)
坂柳編はちゃんと別にあります。
ブルータス、お前もか。
Et tu, Brute?
W. シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』
The Tragedy of Julius Caesar
夏休みは終わり、今日から二学期がスタートする。
オレはエレベーターに乗り、寮から学校へと向かおうとしていた。
エレベーターの扉が開き、オレは中へ足を踏み入れようとする。
「あら」
短くそう声をあげると、オレよりも20センチ以上低い身長の女子生徒、坂柳有栖と目が合った。
「おはようございます」
「おはよう」
オレは短く挨拶を返す。
エレベーターで一階まで降りると、オレは歩き出した。
「あら、か弱い乙女を置いて行く気ですか?」
坂柳にどこか意地の悪い声をかけられる。
「お前は歩くのが速くはないからな。遅刻はしたくない」
「まだそんな時間ではないでしょう? 少しお喋りでもしながら行きませんか?」
目を半分閉じ、どこか妖艶な笑みを浮かべながらオレを見据える。
別に置いていく分には構わないが、何か話がありそうな雰囲気を感じ取ったオレは、坂柳と共に登校することにした。
「夏休みはいかがお過ごしでしたか?」
「それなりに充実していた。ホワイトルームでは得られない経験も出来た」
「それは一之瀬さんとの恋のお話ですか?」
坂柳は妖しげな笑みを崩すことなくオレに尋ねてくる。
既に情報は漏れていたか。寮での生活を続けていれば、いずれは明らかになること。そろそろ隠し通すのも限界だと感じ始めていたので、オレは特に驚くことは無い。
「何を言っているのか分からないな。オレと一之瀬に何の関係があるんだ」
「フフフ………既にあなた方の蜜月はちょっとした噂になっていますよ? 夏休みだからと、少しハメを外し過ぎましたね」
噂、か。
そこまで広まっているとはな。橋本あたりが吹聴したのだろうか。
頃合いだと思っていたので、正直に言えばどうでも良い。
「綾小路くんは、一之瀬さんを愛していますか?」
愛している、か。
「ああ、愛しているぞ」
愛って、何だろうな。
オレは、それを知らない。
お前は知っているのか? 坂柳。
朝、学校の教室に向かうと、教室の前には人だかりが出来ていた。
よく見ると、坂柳さんのクラスや龍園くんのクラスの人が多い。
「よっ、一之瀬!! お熱いねぇ!!」
「綾小路とはもうヤったのか!?」
「南雲会長と二股してるってマジ!?」
「……………………………!?」
嘘……バレてる…………?
いつバレて…………。
「帆波ちゃん……」
私の後ろには、同じクラスの麻子ちゃんが少し戸惑った顔で立っていた。
「本当………なの? 綾小路くんと付き合っていたって………」
「それは………」
私が返答に迷っていると、そこに真嶋先生と星之宮先生がやって来て、その場は一時解散になった。
でも……これって、もうバレちゃってる、よね。
私たちのこと…………。
どうしよう……………。
クラスの皆には、正直なことを話した。
3月の終わりから、清隆くんとお付き合いしていることを。リーダーが他クラスの生徒と付き合うのはあまり良くないように思えるから、隠してきたことを。
皆は、全然気にしないって言ってくれた。むしろ、私が幸せそうにしてくれるならそれが一番だって。
男子の何人かは、泣いていたけど…………。
そしたら、スマホが振動した。チャットで誰かがメッセージを送ってきた。
送り主は─────坂柳さん。
お昼休みに二人きりで会わないかって言われた。間違い無く、私たちの関係の話だ。
どう………しよう…………。
このままだと、清隆くんにも迷惑を……………。
清隆くんを、巻き込む訳にはいかない。私は、坂柳さんと二人で会うことにした。
お昼休みになって、私は坂柳さんとの待ち合わせ場所に向かった。
前に、千尋ちゃんに告白された、あの場所。
「来てくれましたか」
私が着いた頃には、既に坂柳さんがベンチに座って待っていた。
「お久しぶりですね、一之瀬さん。しばらく見ない間に、随分と女の顔つきになったようで………」
「っ…………………」
「おや、否定しないのですね?」
坂柳さんは、いつも見せる微笑を浮かべたまま、私に語りかけてくる。
もう、私たちの関係は、全部バレちゃってるんだ。これから、何をしてくるか、大体想像出来る。
「こんな噂も立っているんですよ? あなたが、綾小路くんと身体の関係を持った、とか………」
「…………………!?」
どこでそれを…………!?
「おや? 図星だったのですか? 適当に言ってみただけなのですが、案外当たるものですね」
出任せ、だった………?
でも、もう顔に出てしまってた。こんな単純な罠に引っ掛かるなんて………私は…………。
「さて、本題に入りましょうか」
坂柳さんは立ち上がると、私に近付いてくる。
「一クラスのリーダーが、他クラスの特定の生徒に入れ込んでいる。これは感心できませんね?」
「それは…………」
「とはいえ、私たちは華の女子高生。恋の一つでもするのは当たり前……………」
ただし、と坂柳さんは続ける。
「それはそれ、これはこれ、です。ここは高度育成高等学校。弱みを見せれば、すぐに付け込まれます。私の言いたいこと……お分かりですね?」
「っ………………」
「さて、どうしたものでしょうか………綾小路くんを退学させてしまえば、あなたのクラスはもう上には上がれないかもしれませんね?」
「………!!」
「リーダーのあなたが没落すれば、クラスは総崩れ………あなたが彼に入れ込んだせいで、クラス中に迷惑がかかるのです。そのことをお分かりで?」
綾小路くんを、退学………。
坂柳さんは、確かに誰にでも容赦しない性格。
私のクラスの弱体化を狙って、綾小路くんを集中攻撃することも……。
「いや……」
「え?」
「違うよ、坂柳さん」
自分でも驚いた。口が勝手に動いたんだから。
「綾小路くん………ううん、清隆くんは、簡単に退学になったりはしない」
「何故、そう言い切れるのです?」
「だって、彼は誰よりも強いから」
はっきりとした声で、私はそう言い放った。
「理由になっていませんね…………。あなたが彼の何を知っているというんですか?」
坂柳さんが、少しだけムッとした顔をする。
もしかして、私の言葉にペースを乱されている………?
なら、ここが反撃のチャンスだ。
「あなたこそ、清隆くんの何を知ってるの? 彼の子供の頃の話………知ってる?」
「………………!!」
そこで、坂柳さんの表情が驚いた顔になった。
私だって、ただやられるだけじゃない。清隆くんに、頼りっぱなしではいられない。
「あなたは…………」
「何をしているんだ」
「!!」
私たちは、同時に同じ方向を見た。
そこに立っていたのは─────────。
「清隆くん………!」
「綾小路くん……………」
「二人も揃って、一体何を話してたんだ」
私は、清隆くんのもとへと駆け寄った。今、私はとても嬉しいと思っている。
清隆くんが、私のもとに来てくれたから。
「特別なことはお話していませんよ? ただ、あなた方の関係について、少しお伺いしていただけです」
「そんなことを聞いてどうするつもりだ。お前に何の関係がある」
「関係はありますとも………何故なら、私とあなたは幼い頃から、いずれ鎬を削り合う運命にあるのですから」
幼い……頃から…………?
「彼の秘密を知っているのが、あなただけだと思ったのですか?一之瀬さん。『ホワイトルーム』のことを」
「……………………!?」
嘘………。
坂柳さんが、どうして………?
「清隆くん………どういうこと………?」
私だけじゃないの………?
「……帆波」
清隆くんはそう言うと。
「…………!」
手を私の頭に置いて、少しだけ撫でた。
「後で説明する。だから、今は何も心配しないで欲しい」
「…………………うん」
清隆くんがそう言うなら、私は何も言わない。
「すっかり飼いならされてしまったようですね………彼にこれ以上入れ込むと、後で痛い目を」
「坂柳」
清隆くんは坂柳さんの名前を呼ぶと。
「っ…………」
彼女の目の前に立って、上から見下ろした。
「いい加減にしろ。人の彼女にちょっかいをかけて、オレが良く思うと考えているのか?」
低い。
清隆くんの声、低かった。ちょっと………怖い。
「な、何をその気になっているのですか? あなたにとっては、彼女もただの─────」
坂柳さんがそこまで言いかけた時。
清隆くんは腰を曲げて、坂柳さんの耳元に顔を近付けた。
耳元で何かを話している。私には聞こえない大きさで。
すると──────坂柳さんの目が見開かれた。そしてその後、徐々に青ざめていって………目に薄っすらと涙が浮かんだ。
「そういうことだ。もうお前と話すことは何も無い。オレたちの邪魔はしないでもらおうか」
坂柳さんは、何も言わなかった。抜け殻のようにぴくりとも動かない。
「行こう、帆波」
「え? ………でも、坂柳さんは…………」
「話は終わった。今後はもう手を出してはこないだろう」
そう言う清隆くんの顔は、いつもと変わらない真顔だった。
『分からないのか? お前の価値は帆波より低いと言ったんだ』
『お前から学べることは何も無い。オレの下位互換でしかないお前と戦うことに意義は無い』
『次に帆波に手を出してみろ。オレはいかなる手段を用いてでもお前を潰す。特別試験だろうと日常生活だろうと、徹底的にお前を追い詰めて、この学校から叩き出す』
『お前は、オレに必要とされていない』
「……………………………っ」
殺気と共に坂柳が耳打ちされたのは、綾小路からの暴言とも言える警告。
低く、温かみなど欠片もない声で紡がれる言葉の数々に、坂柳は胸を引き裂かれる痛みを覚えた。
最も彼女にとって傷ついた言葉は、「必要とされていない」という一言。
坂柳は、綾小路と真に戦う資格があるのは自分であると考えていた。
そのため、学年末試験においては、彼と戦うためには障害となる龍園と、敗北した方が退学となる契約を結ぼうとした。その先に待つ、綾小路を見据えて。
だが、その綾小路は自分のことなど見ていなかった。自分よりも、一之瀬の方に価値があると断定した。
あまりにも過酷で、残酷。
どれだけ天才だと自負していても、彼女はまだ子供であった。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁっ……………………」
最早杖で立つことさえ叶わず、膝をついて泣き始める。
「うぅぅっぐ………ぁぁぁぁぁぁぁ…………………」
外見の通りに、まるで小さな子供のように泣き始める。
いつしか彼女のいる通りにも人は増え始め、上級生下級生問わずに好奇の視線が寄せられていた。
「何やってんのよ坂柳は………」
いつまでも帰ってこない坂柳が気になった同じAクラスの神室真澄は、坂柳が向かうと言った先に足を運ぶ。
「…………………………!」
「あぁぁぁぁぁぁ………………」
だが、そこにいたのは一之瀬を舌戦にて圧倒した坂柳ではなく、目元を何度も拭いながら泣きじゃくる坂柳。神室は困惑した。
「ちょっ………何があったのよ!?」
「うぅぅっ…………どうして私よりっ………私より………っ………彼女………なのですかぁ……っ……!!」
過呼吸気味となった坂柳を何とか立たせて、一応は教室に戻ることが出来たものの、この涙の一件は瞬く間に学校に広がっていった。
敵対クラスの一部の者は動画さえ撮っていたという。
その日─────2年Aクラスは死んだ。
数日後、満場一致特別試験の説明を受けたオレは、遂に行動に出る。
帆波のクラスの帆波、そして神崎を呼んで、カラオケへと行った。勿論、歌うためではない。今後の話し合いをするためだ。
「綾小路、お前が一之瀬と付き合っているというのは構わないが…………それで万が一、俺たちのクラスに何かあれば……」
「いや、心配には及ばない」
「……?」
帆波も神崎も、不思議そうな顔を浮かべた。
「オレはお前たちのクラスに移籍することにした」
「なっ……………」
「えっ…………………えぇぇっ!?」
両者共に、驚きの声をあげる。無理もない話だ。
「どういう風の吹き回し………いや、一之瀬がいるからなのか……?」
「そうだ」
オレが短く答えると、帆波は徐々に頰を赤らめる。
「信じられん………プライベートポイントは?」
オレは携帯をつけ、所持プライベートポイントを画面に表示させて2人に見せた。
「6000万………………!?」
「南雲と夏の終わりの特別試験で賭けをした。オレが勝てば6000万プライベートポイントを貰う契約でな。これでお前たちのクラスへと移ることができる」
「だが………残りの4000万プライベートポイントは、どういう使い道を………」
「ああ。それは──────────」
満場一致特別試験当日。
オレは櫛田桔梗の過去をクラスメイトたちの前で暴いた。帆波のクラスに移る上で、邪魔な存在になるからな。
そのまま退学に賛成票を投じさせ、実際に退学させることも出来た。
だが、オレはそれをしない。
「……………………!?」
「どうして、票が一致しないんだよ………!?」
この試験の良い所は、満場一致せずに票が割れ続ければ、クラスポイントを300失う所にある。
300。それは、極めて大きな損失だ。
このまま堀北のクラスが300クラスポイントを失えば、Aクラスへと上がるのは絶望的になるだろう。
だが、それで良い。どうなろうと、オレの知ったことではない。オレの「楽園」は、ここにはないのだから。
オレは櫛田の退学には反対票を投じ続けた。だが、それは堀北も同じであった。
堀北はその後、櫛田の有用性を説き、OAAがクラスで最も低い佐倉愛里を退学者として推挙。
だが、それに綾小路グループは当然反対。特に波瑠加は、断固として反対票を投じ続けた。
結果、試験時間のリミット5時間を超えても、全課題について満場一致で課題を終了させられなかったため、堀北クラスは300クラスポイントを失った。
「どうして…………? どうしてこんなことに……………」
試験終了後、絶望した堀北が俯いたままボソボソと何かを言っていた。
頃合いだな。
オレは立ち上がり、クラスメイトたち全員に向けて言葉を発する。
「皆、聞いてくれ」
オレの言葉に、高円寺以外の全員が耳を傾ける。
「オレは今回の試験、全課題が満場一致で終了しないように動いてきた」
その言葉に、彼らの表情が変わる。勿論、良い表情をしている者は一人もいない。ニヤけた表情の高円寺を除いて。
どういうこと、何を言ってるんだ、どうしてそんなことを。
様々な言葉がオレに投げかけられる。
「あ、綾小路くん……」
堀北が、オレにゆっくりと近付いてくる。
「どうして…………」
「堀北。お前………いや、お前たちとも、これでお別れだな」
「えっ……………?」
「オレは、一之瀬帆波のクラスへと移籍する」
「……………!?!?」
「そのために、このクラスは潰しておく必要があった。300クラスポイントが失われれば、もう上がってくることは不可能に近い」
クラスメイトたちの視線に、負の感情の色が強くなる。主に恐怖心を濃く反映していた。
「そして、オレが帆波のクラスのリーダーになれば、それは不可能になる」
そう言い切った時の堀北の表情。
彼女はその時、どんな「感情」を抱いたのだろうか。
満場一致試験で300クラスポイントが失われたのは、堀北クラスだけじゃない。
坂柳クラス、龍園クラスも同様だ。
オレは事前に坂柳クラスの橋本正義、龍園クラスの金田悟に取引を持ちかけた。
自クラスを裏切る代わりに、2000万プライベートポイントを譲渡する、というものだ。
そしてその使い道は、オレが移籍する帆波のクラスへの移籍に用いる。
橋本も金田も、保身のための行動を心掛けている人間。特に橋本は、オレの実力に気付き始めていたことと、坂柳が実質使い物にならなくなったことを受けて、即座にオレへと乗り換えた。
そのような人間が仲良しクラスの帆波のクラスに移籍するのは歓迎すべきことだと手放しには言えないかもしれないが、もし妙な動きを見せれば退学させるだけだ。
さて、これで楽園の下準備は完了した。
これからは、帆波にはストレスの無い学校生活を送ってもらい、オレはその帆波から「幸せ」を学ぶとしようか。
清隆くんが、私たちのクラスに来てくれた。
本当に、本当に嬉しかった。これからはもう、お互いの関係を隠す必要も無い。特別試験で争う必要も無い。
とっても楽しい、新しい学校生活が、始まった。
クラスに来てから、清隆くんがクラスのリーダーになった。私も、神崎くんも賛成していたし、皆清隆くんの実力を見てからは、納得してくれた。
特別試験では、清隆くんの指示で皆動いた。そしたら、簡単に1位が取れちゃって………正直、驚いた。
清隆くんって、ここまで凄かったんだって。
10月になる頃には、私たちはAクラスに上がっていた。
10月20日は、清隆くんの誕生日。私は手作りバースデーケーキと、清隆くんが欲しがってた特製ヨーグルトメーカーをプレゼントした。
どうしてヨーグルトメーカー?って思うかもしれないけど、清隆くんはその辺が少し変わってるからね。
清隆くんはその時、初めて見せる笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。
嬉し過ぎて、死んじゃうんじゃないかって思った。
私、ちゃんと清隆くんを「幸せ」に出来てるんだって思うと、幸せになれた。
クリスマスには、ケヤキモールでデートをした。お互いにクリスマスプレゼントを交換して、ランチして…………寮に戻ったら、一緒にクリスマスケーキを作って、クリスマスカードを交換した。
その後、お部屋のクリスマスツリーの側で、最高に幸せな気持ちで、夜を一緒に過ごした。
お正月には、清隆くんの夢を見た。初夢が大好きな人の夢になって、今年は良いことが沢山起こりそうだって思えた。
清隆くんの部屋に行って、おせち料理をご馳走した。清隆くんは美味しいと言って食べてくれて、私の胸もぽかぽかになった。こんなに幸せな年明けは、初めてかもしれない。
バレンタインデーには、チョコレートを渡した。そう言えば、私が清隆くんを好きになり始めたのも、この時期だったなぁ。去年もバレンタインチョコを渡したのを覚えてる。
今年は、もっと愛情を込めて、何度も何度も作り直して、最高のチョコレートをプレゼント出来た。
幸せいっぱいの毎日。
卒業まで………ううん、卒業してからも、ずっとこうやって、一緒に過ごそうね…………!
オレは帆波から受け取ったチョコレートを食べながら、日記帳に筆を走らせていた。
甘い。─────────────ただ、それだけだ。
オレは感情と呼べるものが震える気配を感じていない。
帆波のクラスに移ってから、オレは実力を解放し、徹底的に他クラスを潰すことにした。
クラスポイントは、帆波のクラスが現在2000ほど。堀北たち他3クラスは、100〜150といった所だ。
10倍以上どころか場合によっては20倍のクラスポイントの開き。
卒業までにひっくり返すのは、もう不可能だ。他クラスの生徒たちの顔にはどこか諦めの色が表れており、堀北クラスの松下なんかはオレに直談判してクラスに移らせて貰えないかと頼んできたほどだ。そのためならば身体でさえ売る気だと。勿論、受けてやる必要は無いので断ったが。
帆波のクラスは、紛れもなく楽園。Aクラスでの卒業が実質確定しており、そしてもとより仲良しクラスで治安の良い環境だったため、存分に青春を謳歌出来ている。橋本も金田も、ここまで来ればもう裏切る必要性も皆無なので、素直にクラスメイトたちと日常生活を楽しんでいる。
さて、オレはどうか。
クラスを変えてから、帆波とは身体的にも精神的にも距離が近付いた。
毎日腕を組んで登校するし、毎日部屋に呼んでいる。夕食なんかは、一緒に食べない日の方が少ないぐらいだ。
帆波は純粋な人間のため、競う必要が生まれなければ生来の優しさを惜しげなく注いでくれる。
帆波の考える「幸せ」に包まれていることだろう。
─────────これが「幸せ」か?
特段、精神に波を感じない。夏の無人島で、月城と戦った時の方がまだ動きのようなものを認識出来た。
まだ「幸福の教科書」のページは残っていて、学びが浅いので「幸福」を感じていないのか?
いや───────────────。
『清隆くん……………私いま、最高に幸せ…………もう、これ以上は何もいらないってぐらい……………………』
違うな。
都合の良い解釈は止せ。
オレは最初から間違っていたのだ。
オレが読んでいたのは、「
もっと言おう。
読むも何も、初めから存在しなかったのだ。
何度も手を触れ合った。何度も愛の言葉を交わした。何度も唇を重ね、体を重ねた。
オレの誕生日も祝ったし、ハロウィンパーティもやった。クリスマスパーティもやったし、正月も共に過ごした。
それだけでなく、普段の何気ない会話のひとつひとつか、彼女にとっては幸せなひと時。
帆波にとって、オレとの生活は人生で最も幸福な時間だったのだろう。
だが。
彼女の「幸せ」は、オレの「幸せ」ではない。
彼女ほどの人格者と共にいても、オレの「感情」は引き起こされなかった。
つまりそれは。
綾小路清隆には、初めから────────。
バレンタインデーから数日経ったある日、帆波は体調を崩し、学校を欠席することになった。
オレは久々に一人で登校することに。
今日は少し冷え込む。この寒さが、帆波の風邪の原因なのかもしれない。
オレはエレベーターの到着を待ち、扉が開くと中へ入ろうと足を前に出した。
その時。
「あ…………」
エレベーターの中には、
「おはよう」
オレは朝の挨拶をする。
だが、堀北の方は。
「…………………」
オレからどこか気まずそうに目をそらす。少ししてから、ようやく「おはよう」と短く言った。
やはり、オレに対して好感情など抱くはずもないか。
エレベーターから下りると、後は学校まで歩くだけ。ここで堀北が駆け足で行くのであれば2人は特に会話も無く終わったのだろうが、どういう訳か歩く速さは同じであった。
「……………………」
互いに無言で通学路を歩く。
気まずい気はしないでもないが、こちらから話しかけるのは少々気が引けるというものだろう。
オレは何も話さずに、ただただ足を動かしていた。
だが、そう考えて少ししてから、オレはその考えを改める。
もしかしたら、これが最後の機会かもしれない。
オレは、彼女と直接話がしたかった。
「なぁ、堀北」
堀北は少し目を見開くと、オレに顔を向けた。
「なぁ、堀北」
彼にそう話しかけられ、私は内心で驚いた。
まさか、彼の方から言葉をかけるなんて、思っていなかったから。
「…………なにかしら」
無視する訳にもいかないので、彼の言葉に応える。一体、どんな話が始まるのかしら。
「オレのことを、恨んでいるか?」
「………………………!?」
恨んで…………?
予想外の言葉に、私は一瞬息をするのも忘れた。
どうして、彼の方からそんなことを聞くの?
その答えは………。
「…………恨んでいないわ」
あの時、満場一致で試験を終わらせることが出来なかったのは、私の力量不足。
綾小路くんの移籍だって、個人の自由。責められるものじゃない。
その後、櫛田さんの暴走をはじめ、クラスの乱れを整えることが出来なかったのも、私がリーダーとして未熟だから。
全部、私の責任…………。
「正直に言ってくれ。オレはお前の、本当の言葉が知りたい」
「……………………!」
そんな私の心を見透かすように、綾小路くんは私に視線を向けてきた。
その視線に耐えきれずに、私は俯く。
本当の言葉。本当の気持ち。
それは、とても醜いもの。口に出したくはない。人に聞かれたくない。
でも──────。
気付けば、私の口は動いていた。
「………恨んでいるわ」
「……………………………」
一度溢れた気持ちは止まらない。次々と、誰にも言えずに秘めてきた想いが込み上げてきた。
「あなたが、あの時満場一致になるように協力してくれたら。あなたがクラスを移籍しなければ。これからも、ずっと協力してくれたら。そう思わない日は無い」
情けない。
全部、私が不甲斐ないのに。綾小路くんのせいにしようとしている。
でも、これが私の気持ちだった。
「兄さんに褒められたかった………兄さんに誇れる自分でありたかった………でも、これじゃ、全然誇れないじゃない………………」
「……………………………」
何も言わない綾小路くんが恨めしい。否定してくれない綾小路くんが恨めしい。
お前の責任だ、お前が未熟だからだ。そう、兄さんのように厳しく言って欲しかった。
「どうして………どうしてなの、綾小路くん………」
気付けば、目には涙が溜まっていた。鼻がつんとする。唇が強く結ばれる。
情けない。人には見せたくないわ、こんな弱い姿………。
「どうして、あなたは一之瀬さんを………………」
「………………堀北」
綾小路くんが、おもむろに口を開いた。
やっと、否定の言葉が聞けるの………?
「本当にすまなかった」
「─────────────え?」
綾小路くんの口から出ていたのは───────予想だにしなかった、謝罪の言葉。
彼の言葉は、まだ続いた。
「オレの身勝手な願望のために、お前たちの人生を振り回した。本当に悪かったと思っている」
何を……………?
「何を………言っているの……………?」
「そのままの意味だ。オレのワガママでお前たちの心に傷を負わせたことを深く反省している」
「……………なんで」
また、感情が込み上げてきた。凄まじい激情が。
「なんで、あなたが謝るのよ…………!」
「…………………………」
「あなたは何も悪くないじゃない………。他のクラスが落ちぶれたのだって、全部あなたに実力があるからでしょう……? あなたは、好きな人と同じクラスに移っただけ。その人といるために、他のクラスを潰すのは何も間違っていないわ………!」
震える声で、次々と言葉が口から出る。
でも、彼は私の言葉を否定するように首を横に振る。
「違う。そんな大層な理由じゃない。オレはただ、感情が知りたかったんだ」
「え……………?」
感情…………………………?
「オレが生まれ育った施設では、感情は徹底的に排されて教育された。感情は己を高める上で不要なものだと見なされていたからだ」
突如始まる、綾小路くんの過去の話。
生まれ育った施設って………学校じゃないの………?
「だが、真の意味で感情を持たなかったのは、オレだけだ。いかに優秀な子供たちも、感情があるから消えて行った」
「何よ、それ…………」
「オレは少しして、感情とは何かを知りたいと思うようになった。オレの感情は、極端に冷え切っているというだけなのか、そもそも感情が無いのか。感情の証明をしたいと思うようになった」
「感情って………そんなの、あってとうぜ…………!?」
嘘をつくはずがない。
綾小路くんが、こんな場所で嘘をつく必要が無い。彼が言っていることは、本当のこと………!!
「オレは帆波と共にいれば、幸せになれると思ったんだ。この世で一番とも言える聖人の彼女とならば、オレは幸せになり、感情とは何かが分かると思っていた」
「………………………」
「だが、それはオレの思い違いだったようだ。だから今になって、オレの身勝手でお前たちに迷惑をかけたと思っているんだ」
綾小路くんはスマホを取り出すと、私に向けてきた。
「堀北、スマホを出してくれ」
綾小路くんは、そうとだけ短く言った。
「何を………」
「頼む」
まっすぐと、彼に見つめられて、私は何も言わずに出すしかなくなった。
「…………! これ………」
綾小路くんは、私にプライベートポイントを譲渡した。その額………2000万プライベートポイント。
「どういうつもり…………?」
「お前はこのポイントを使ってAクラスに移動しろ。もうあの差がつけば、卒業まで覆ることは絶対に無い」
「……………!?」
移動………って。
そのためのポイント…………!?
「どうして、私に………」
「そうだな………言うなれば、オレなりのケジメだ」
綾小路くんは、空を見上げた。
「オレはお前の成長に期待し、見守る気でいた。一年の頃は、お前にも随分と迷惑をかけた。何もせずに去るというのは、いくら感情の無いオレでも気が引ける」
「そんな………それこそ、あなたの勝手な気持ちの押し付けよ。努力しないで、おこぼれでポイントをもらって……Aクラスに上がって……………それで、私が喜ぶと思うの!?」
涙声になりながら、私は彼を睨みつけた。
「思わない。だから、これもオレのワガママ。最後のワガママだ」
綾小路くんは、顔を私に向けると、口もとを緩めた。
「寂しいな、堀北」
「え────────────」
「───────────もうすぐ、お別れだ」
綾小路くんが初めて見せる笑顔。
初めて見せた………哀愁。
私はその顔を、生涯忘れることは出来ないだろう。
その日の夜。オレは久々に一人で夜を過ごしていた。
そんなオレのもとに、一本の電話が入る。
「帆波か…………………?」
電話は非通知。誰が掛けてきたかは分からない。
無視しても良いが、何か重要な電話の可能性を感じ取ったオレは、通話に応じることにした。
「もしもし」
『─────もしもし。お元気ですか、綾小路くん』
相手は男。低い男の声だ。そして、オレはこの男の声に聞き覚えがある。
「月城元理事長代理が、一体何のご用で」
『特に驚きませんか。それは予想通りですが………その後はいかがです? ホワイトルームが恋しくなることはありませんか?』
ホワイトルーム、か。
「タイムリーな話題だな。オレはそろそろ自主退学して、ホワイトルームに戻ろうと考えていた」
『…………………ほう』
オレの返答は予想外であったのか、月城は少し間を空けてから口を開く。
『それは殊勝な心掛けです。やはり、一般の高等学校などあなたからすれば大したことはなかったと?』
「そういう訳じゃない。だが──────そうだな、もう疲れた」
それが、オレの純粋な感想だ。
『成る程。でしたら、その事はお父上にお伝えしましょう。送迎等の手筈に関するご連絡は、また後ほど…………』
そう言って、月城は電話を切った。
ホワイトルームで、人間が一生をかけても学び尽くせないほどの知識を得た。超人とも言える身体能力を身に着けた。
だが、感情だけはどうにもならなかった。それが高育に来れば学べると、オレは信じていたし、本気だった。
だが、もう良い。
今後、オレに成長は無い。
最早、ただの機械やロボットと変わらない。綾小路清隆という人間の限界は、ここだったというだけだ。
ああ、オレは───────────。
それから数日して、帆波の体調も回復した。今日は日曜日で、オレたちはケヤキモールで帆波とデートをしていた。
恐らく、あと僅かな回数しか残されていないデート。帆波の最後の思い出づくりに、今日は一日を満喫する。
ランチを終え、オレたちは噴水近くのベンチに腰を下ろしていた。
「美味しかったね、あのお店のパスタ!」
帆波がニコニコとしながら語りかけてくる。
「…………そうだな」
美味しかった。確かに、そうだ。
そう、それだけだ。
「………どうしたの? 清隆くん」
「何がだ」
「元気が無いような…………」
「そんなことは無い。いつもこんな顔だ」
「そう………? ………そうかも」
納得するんだな。感情があれば、傷ついたかもしれん。
「あ………清隆くん、アイスクリーム食べてみない?」
「アイス?」
帆波が指さした方向には、ソフトクリーム店があった。
「………そうだな」
ホワイトルームに戻れば、ああいった食べ物はもう食べられない。
今のうちに食べておこう。
「味はどうする?」
「帆波が好きな物を買ってきてくれ。オレは、それが食べたい」
「うん、分かった。ちょっと待っててね〜」
帆波は鼻歌を歌いながら、ソフトクリーム店まで歩いて行った。
ああ。
天井が無い。
空が青い。
世界とは、こうも美しいんだな。
人の気配がした。
5人。5人が、オレに近付いてくる。
オレは顔を下ろし、向かってくる者たちへと目を向けた。
男が5人。年齢は、20代後半から30代半ば、か。
一体、何の用なのか。
いや。
違う。
僅かにだが、殺気が込められている。
そして、彼らは───────拳銃を取り出した。
周りには生徒たちが沢山いる。その中で、オレだけを狙って来た。
オレだけを───────。
頭がチリチリする。何かが引っ掛かる。もう少しで掴めそうだ。
『送迎等の手筈に関するご連絡は、また後ほど…………』
──────ああ。
そうか。
そう言うことか。
月城、綾小路篤臣。お前たちの狙いは、
オレは、ホワイトルームに必要無くなった。
いや、正確には違う。
オレを消して、他を得るための道具に過ぎなくなった。自らがのし上がるための、踏み台に過ぎなくなった。
あの時、あの父親がオレに向けた視線は、今も変わることなくオレを突き刺していたのだ。
そうか。
オレは昔から、教官の命令によってのみ動いてきた。
それは今も変わらず、か。
『教官、命令ですか────────』
『─────────────命令だ』
死を受け入れろ、ということか。
けたたましい銃声が、神聖な学び舎に鳴り響く。
これが、もう成長することの無い男の─────徒花の死に様か。
次は誰の前で撃たれて欲しい?
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天沢一夏
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軽井沢恵
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龍園翔
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長谷部波瑠加
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その他