01.
余人は誤解を抱いているが、実のところネルグル・ガロは殺害を好んではいない。
無論、嫌っているわけでもないが、かの竜にとって殺害は問題解決のための手軽な手段のひとつでしかない。
そのため勿論、憎悪や憤怒に燃えている訳でもない。
古い友から「命は簡単に奪うものではない」と怒られたことを理由に生物の往来に乏しい大湿原に籠る程度には、穏健・温和な竜であると言える。
ただ、命を奪うことを悪行だとも考えていない。ネルグル・ガロの思想は人の倫理観とは相いれない。ネルグル・ガロはそれを正しく認識している。だからこそ、どこか自身がいても問題とならない場所に行こうと考えたが、人々はあの大湿原にすらやってきた。ならば自分は何処へ行けば迷惑にならないと言うのだろうか。
ネルグル・ガロはその答えを持たない。人の世に疎いからだ。
だから、件の友を頼ることにした。
夜闇に紛れて大きな翼で空を飛び、東の空の端に白線が引かれる頃、ネルグル・ガロは森の中へと降り立った。
なんの頓着もしていなかったため、木々が大きな悲鳴を上げて倒れる。ネルグル・ガロは地面についてから「不味い事をしたかもしれない」と思ったが、すぐに仕方が無いかと自分の都合を優先した。
かの竜は友に会いに行く支度を始めた。友は人の世に生きているので、手始めに人に化けねばならない。羽をたたみ、体を縮め、大きな魔力を人の背丈に凝縮させる。徐々に徐々に巨躯の輪郭が小さくなり、やがて人の大きさほどになると、そこには四つん這いになった蜥蜴人がいた。
彼は立ち上がり、自身の両手を見た。そして「これは違うのではないか」と思った。
先の戦争に巻き込まれた時、参戦していた多くの人は平人であったし、もっと言うと蜥蜴人の姿は見かけなかった。このままでは目立ってしまうだろう。それに、爪も鱗も残したままでいるのは楽だが、果たして蜥蜴人にも角はあっただろうか?
少しだけ考えて、ネルグル・ガロはやり直す。平人の体のつくりを思い出しながら、蜥蜴人もどきの姿から再度の変化を試みる。
両目を瞑った蜥蜴人の顔が平人の顔になる頃には、角も爪も鱗も消えた。肌の色こそ竜であった頃に近しい褐色となったが、南に住む平人の肌は黒いと聞いたことを思い出し、大した問題ではあるまいとネルグル・ガロは考えた。
実際の所、褐色の肌はアーセオン大陸よりもっと南に住む人々の肌色であり、この近辺では見かけない目立つ色であるのだが、残念ながらこのことを彼は知らない。
それほど、人の世に疎いのだ。
おおよそ標準的な平人の男性に化けたネルグル・ガロは、しかしこのままではいけないことに気付いた。人は衣服をまとう生き物であり、竜は鱗で過ごす生き物であり、今の彼は竜から人に化けたばかり。つまるところ今のネルグル・ガロはその肢体を明け方の森に余すことなく晒していた。
「これは良くないな」と彼は思う。人の世に住む友は人の道理に口うるさい。竜の道理で裸のまま会いに行けば門前払いを喰らうだろう。さりとて衣服はどこで手に入れれば良いのだろうか。金銭を持たず、服の作り方も知らないネルグル・ガロが腕を組んで考え事をしていると、木の枝が割れ、草が揺れる音がした。
「……おい、そこの露出狂。てめえ、こんなところで何してやがる」
それは平人の男であった。より詳しく言うならば、この森に拠点を構える賊の一人であり、先程ネルグル・ガロの立てた轟音を聞いてやって来た、不幸な見回りであった。
「怪しいなぁ、てめえ。何しに来たんだ。あぁ?」
何が不幸かと言えば、彼が音を立ててネルグル・ガロに見つかったこと。そして賊の一味として侮られまいと恐怖をひた隠しにして刃物を彼に向けたこと。
ネルグル・ガロに「殺しても怒られない人間ではないか?」と認識されたこと。
なにより、彼は都合が良かった。
「おい! 黙ってないでなんか――」
言え、と。最後まで告げられなかったが、恫喝の言葉が彼の最期の言葉となった。
夜が形を持ったような黒い帯が賊の男の足元から伸びて、全身を包み込んだ。ネルグル・ガロの魔法、触れれば腐る死の帯だ。帯に包まれた賊は抵抗する事も無く全身が腐り、帯の中へと溶けてゆき、ネルグル・ガロが「ああ、しもうたな」と呟いて魔法を解いたころには衣服と白い骨だけをその場に残した。
「服が汚れてしもうたか?」
たどたどしく人の言葉を思い出しながらネルグル・ガロは言う。そして男の遺した衣服を手に取り、満足そうに笑みを浮かべる。
「ふむふむ。やはりな。ちょうど儂の背丈に近いと思うたんじゃ」
そう言って衣服に袖を通して、すぐに微妙な顔を浮かべる。腐った体の一部が衣服に残っており、粘着質な触感がネルグル・ガロに不快感を与えた。彼はすぐに残念そうな表情を浮かべて服を脱ぎ、その裏側を帯で拭った。
「ままならんのぅ」と唇を尖らせる男の姿に、竜の威厳などどこにもなかった。