自らの名を呼ぶ怒声を聞いて、ロシェルは「ひゃっ」と首をすくめた。
それを見てネルグル・ガロは警戒を強め、背後にロシェルを庇うように人影の前に出た。
「知り合いかの?」
「はい。たぶん、うちの村長さんです……」
そして、ロシェルの言を聞いて、ようやく警戒を緩めた。
しかし、走り寄ってくる男の方はと言えば違う。ネルグル・ガロがロシェルを隠すように動いたことで「てめえっ」と勢いを強めて駆ける足を速めた。
「てめえ、うちの娘を攫おうったってそうはいかねえぞ、おい。爺だからってなめんなよ」
そして、ネルグル・ガロの前まで来ると一息で呼吸を整え、手にした鉈を向けて威勢よくそう言い放った。
武器を向けられた、敵意がある。けれども怯えているわけではない。ならばどうするべきだろうか。
そうネルグル・ガロが考えていると、彼が魔法を使うより先にロシェルが「アルさんっ!」と大声を出しながら二人の間に割って入った。
「違うんですよ、そんなんじゃないです! ネルグルさんはただ森に入って迷っちゃっただけで、私がここまで道案内してたんです。攫うとかそんなんじゃないですよ!」
「あぁん?」
ロシェルの言葉にアルと呼ばれた老人は訝し気に顔をゆがめる。
そして鉈は構えたまま、じっくりとネルグル・ガロを観察する。
疑わしそうな表情からは怒りが少し抜けていて、敵意が薄れているのが分かる。ロシェルが説得に回った以上、すぐに殺すこともないだろうか。
そう考えてネルグル・ガロは咄嗟に構えた左腕を下げたが、それでも老人はネルグル・ガロをじぃっと眺めている。
なんだか見覚えのある顔をしている。
この老人と会ったことがあるというわけではない。ただ、この老人がするような表情に見覚えがあるだけだ。恐らくは最近のこと。つまるところ、あの大湿原で見た兵士の表情。
それがどんな時に浮かべていた表情だったかを思い出そうとしていると、老人は舌打ちをひとつして鉈を下げた。
「……ほんっとうに攫われたってわけじゃあねぇんだな?」
「そうですよ。私、知らない人に簡単について行ったりしません!」
ロシェルの言葉を聞いて、老人は「はんっ」と鼻で笑った。
彼女の言葉が信憑性に欠けることくらいは、ネルグル・ガロにも理解できた。
「でもまぁ、そうか。縛られてるわけでもなけりゃ、逃げようって感じでもねぇな」
「なんで私いま鼻で笑われたんですか……?」
「それはの、ロシェル。短い付き合いの儂でも分かるくらい、おぬしの人が好いからじゃよ」
「ってか『迷った』とかいう言葉をまんまと信じて背中さらしてる時点で警戒心がたりてねぇだろうがよ」
「えっ、いやでも、人助けは大事な事ですし……」
しおれた声音で言い募るロシェル。
老人二人はそんな彼女の頭上越しに視線を交わす。
先に視線を逸らしたのはアルと呼ばれた老人の方だった。彼は目を閉じ溜息を吐くと、鉈を持たない手でガシガシと頭を掻きむしった。
「わぁったよ。悪かった。あんたがうちの里のもんを攫ったってのは、俺の勘違いだった。許してくれや」
「おう、よかろう。儂もロシェルには世話になった身。そのロシェルの身内と事を構えるのも本意ではない」
「そうかい、そいつぁありがてぇが……あんた、随分偉そうっつうか、変な喋り方してんな? 南から来たんかい?」
「ふむ。まあ、色々じゃ。直近だと、北から来たってことになるかの」
ネルグル・ガロのぼんやりとした言い方にアルは胡散臭さを覚えたが、せっかく自分の早とちりが手打ちになった手前、それを言葉にして指摘することはしなかった。
話し方といい、肌の色といい、なにより『ネルグル』という名前といい、目の前の男はおよそ怪しい人物と言えよう。ロシェルが警戒していない以上、同行している中で不信感を買うような真似をする人物ではなかったらしいが、そもそも判断基準がロシェルなのでそれも根拠としては弱い。
アルはもう一度ネルグルと呼ばれた男を眺めたが、ネルグル・ガロはと言えばやはりその視線の真意が分からず首を傾げるばかりだ。
アルは諦めた。諦めて溜息を一つ吐き、計画を変えた。
すなわち、『ロシェルの身に危険がない』場合にして『ロシェルに同行者がいる』場合、加えて言えば『同行者に信頼が置ける』場合。
「そうしょげるな。お主の言う事にも一理ある。実際、儂は助けられたわけじゃからな」
「そう、ですよね。私、悪くはないですよね……?」
信頼が置けるかはやや疑わしい。だが、ロシェルに対する態度を見る限りでは悪人だとも思い難い。悪足掻きをするように睨むような目つきで二人のやり取りを眺めてから、アルは「しゃあねぇなぁ」と頭を掻いた。
「ロシェル。帰るぞ」
「あ、はい。いや、待ってください。アルさん、ネルグルさん竜都まで行きたいらしいんですけれども、記憶が……えっと、何て言うか――いろいろとっ、用意が足りてなさそうと言うか、何か力になってあげられないかな、なんて……」
背中を向けたアルに、ロシェルは縋るように、けれど懸命に頼み込む。
ロシェルからすればネルグルは目的地だけがあり、記憶も旅の道具もない男だ。このまま放っておいてしまうと遠からず命を落としてしまうのではないかと言う危惧があった。
されど、ロシェルやアルが住む村は、ロシェルが村だと思っている里は、余所者を好まない。住民はみな優しいが、それでも閉鎖的な雰囲気をロシェルは感じ取っていた。
旅の支度をさせてあげたいと思っても、それは難しいだろうと察するほどには。
「ああ。そいつぁ丁度いい」
「え?」
「じゃあ、あんた。ネルグルっつったか? けったいな名前だが、まあいい。ネルグル、あんたも里まで付いて来い」
だから、アルの言葉にロシェルは目を丸くした。
予想外の言葉にロシェルが目を丸くしていると、すかさずネルグル・ガロが困り顔で口を開く。
「む。しかし儂は竜都とやらに」
「わぁってるって。でもよ、あんたえっちらおっちら徒歩で行く気かい? あの竜都まで?」
そう言って指差された溪谷は、空の端がぼやけて見せるほどに遠く、森の中で散々徒歩に苦しまされたネルグル・ガロは言葉に詰まった。
「あと数日もすりゃあ、うちの里にも行商のやつが来る。そいつが竜都まで行くかは知らねえが、まあ歩いて行くよかマシだろう。元々うちから一人乗せてくれとは前回話を付けてある。あんた一人増える分には、まあいいだろうさ」
「そいつは助かるが、良いのか? 悪いが礼などできないぞ?」
「気に病むようなら精々、うちからの同乗者に良くしてやってくれや」
「ありがとうございます、アルさん! ネルグルさん、良かったですね!」
事態はロシェルがお願いしたかった以上に良い方向へと転がった。
アルの口振りからすれば、いつもの行商人の男性が来るまでの滞在も許してくれそうで、旅の準備もその間に多少は出来るだろう。
ロシェルは自分のことのように嬉しそうに微笑み、ついでに脳裏を掠めた疑問を口にした。
「けど、私初耳です。誰か村からお出かけするんですか?」
「ああ、お前がな」
「えっ?」
アルは事も無さげにそう口にした。
ネルグル・ガロが覗き込めば、ロシェルは疑問・咀嚼・理解・驚愕ところころと表情を変えて。
「――私、初耳なんですけどっ?」
そうして、ロシェルは今日一番の大声を出した。
縦書きで書いたものを横書きで投稿してます。
どういう改行が読みやすいんでしょうね?