大学構内で友田と遭遇するのはこれが初めてのことであった。
私は二限目を終えて、食堂へ向かっていた。我が校は学食がとても安いのが特色の一つであるのだが、如何せん私の財布は酒のせいで中々に軽い。ワンコインでガッツリ食べられるがっつり定食は夢のまた夢だ。
ならば何故食堂へ向かっているのかというと、端的に言うと水を飲みに向かっているのだ。私調べによると、食堂のウォーターサーバーの水が一番美味い。次点で運動場の水飲み場だ。
無論ただ水を飲みに向かうのではない。私は今、水筒(ペットボトル)を持っていた。今日の飲み水の確保も兼ねているのだ。
食堂の入り口から少し離れたところに友田がいた。どうやら待ち合わせをしているらしい。声をかけようか迷っていると、一人の男が現れた。なにやら会話をした後に、友田へ何かを手渡した。ここからではあまり見えなかったが茶封筒のようなものを渡していた気がする。そして友田が紙切れを渡すと、男はそれを大事そうに懐にしまい込んでその場を後にした。
私は男が去ったのを確認してから友田へ声をかけた。
「友田、今のは?」
「ん?ああ、志田君か。なに、ただの取引さ」
友田は「気にすることはない、さあ飯にしよう」と食堂へ向かっていった。私はその様子から金の匂いを嗅ぎ取った。友田に口止め料としてがっつり定食を奢ってもらおうと後を着いていった。
私がウォーターサーバーから水を汲んで席に着いてがっつり定食の唐揚げを食べていると、友田がおもむろに話し出した。
「実はな、俺は探偵のバイトをしているんだ。さっきのも依頼人で、報酬を受け取っていたところだったのだ。ところで志田君、金に困っていないかね」
「金には困っているが、その探偵業とやらは稼げるのか」
「無論」
「なるほど。それで、私にどうしてほしいのだ」
「今度の依頼がこれまた厄介な曲者でね。協力して欲しいのだよ」
報酬があるならば協力しよう、と私は頷きがっつり定食を完食した。
私の協力を取り付けた友田は、この話はここまでといった風に話を変えた。
「ところでだが、我らが盟友樋口君は女性と隠れて逢引しているという噂が流れている」
「なんと!それは由々しき事態だ」
「時に志田君や。ここに樋口君のバイト先を知る男がいるが、どうかね」
「答えるまでもない」
私達はそのバイト先へと行軍した。
「なんだここは」
私は困惑した。何せ私が想像していたバイトとやらは炎天下の中汗水垂らして労働に勤しむ類いの物だったからだ。なのに黄色いヘルメットを被り地面を均している樋口の姿はどこにも見当たらない。
何故か。ここは喫茶店だからだ。
「ここは男装▪︎女装喫茶『狐と狸』。樋口君のバイト先だ。なに、怖じ気づくことはない。我々は客なんだ、樋口君に文句は言わせないさ」
「そんなことを聞いているのではない」
「ならば何を聞いているのだね、志田君。ここには珍しい酒があるという噂のことかね」
「それは興味深い」
酒が飲めるとなると話は別だ。私は意気揚々と店へと入った。
「いらっしゃいませ」
「二人だ」
友田が言う。
我々は空いている席に案内された。軽く店内を見回してみたが、私の部屋と比べるのも烏滸がましい程に清潔感が漂い高級感がある。当然のことだろうと素晴らしいものだ。
「ところでこの店に樋口という者はいるだろうか。ああ私は彼の学友の志田というのだが、近くに寄ったので顔を出そうと思って来店したのだ。いや樋口が世話になっているところがどんなものか気になっていたのだが、とても素敵な店だ」
「樋口君ですね、かしこまりました」
女性は店の奥へ向かっていった。
「えらく饒舌だったじゃないか、志田君」
「やかまし。私はいつも饒舌だ」
「はたしてそうだったか、俺は記憶力に自信がなくてね」
ふいに可愛らしい声が割り込んできた。
「おまたせ」
クラシカルなメイド服を着た黒髪を靡かせた美女がやってきた。誰だととまどったが、漂わせる雰囲気から樋口だと判断した。
「二人とも、来るなら先に連絡してよ。本当にビックリしたんだから」
樋口はどうやら怒っているらしかった。見れば眉がつり上がっているし、頬を膨らませている。
「凄い目立ってて見てる僕の方が恥ずかしかったんだから」
「目立つ?我々のどこが」
樋口が言った。「服とか」
「志田君言われてるよ。今時詰襟は流行らないってさ」
「馬鹿言え。古ぼけた浴衣を来ている貴様のことだろう。よりジジイに見える」
「二人ともだよ」
三人で談笑していると、スーツを着た黒髪のイケメンがやってきた。短く切り揃えられた髪はウィッグではないだろう。恐らくキャストだから女性だ。しかしどこかで見た覚えがあるな。
「やあ、君たちが樋口君の友達?」
イケメンが言った。私は「いかにも。樋口の学友である」と答えた。驚いたことに声も聞き覚えがある。
そのイケメンが自己紹介をしかけたところで、私は彼女のことを思い出した。
「あぁ、深月か。久しいな、高校の卒業式以来か。その後息災であったか」
「……!?はて、どこかでお会いしたことがあったかな」
「私の友はどうやら皆記憶力が低いようだな。ならば思い出話をしようではないか。あれは高校一年の時だったな、深月が転校してきてすぐの頃だ」
「ああ、ああ、思い出した思い出した。志田君かいや元気そうで何よりだよ私も元気にしているともだからその話はまた別の機会にしよう」
「そうか、ならば今度飲もうではないか」
「そうだねそうしよう」
何やら焦った様子の深月と飲み会の約束を取り付けた私に対し、樋口は冷やかな視線を送っていた。友田は他のキャストと話をしていた。
「志田、深月先輩とどういう関係なの。……あとついでに先輩方の昔の話教えて」
樋口がドスの効いた低い声で私に問いかけた。こんな声も出せるのか、と樋口の芸達者ぶりに感心しつつ私は質問に答えた。後半の声は辛うじて聞こえた。
「深月とは高校の頃の学友でな。当時私が一番親しかった人物だ」
「ついでに言うと、彼は当時からこんな感じだったね」
「そちらは随分と様変わりしているな。まさかこんな男前になるとは驚きだ」
朗らかに笑う深月を私は見たことがあまりなかった。しかし今の彼女は、心の底から笑えている。その笑顔を見ているだけで、幸せに過ごしているようだと安心する。なんだか父親みたいなことを考えてしまう私だった。