貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之捌-エピローグ-

「外傷全ての完治を確認、脈拍も安定していますね」

「……本時刻を以って最上の一般病室への移動を認める、ってね。意識は戻らないみたいだけど、そろそろ毛布が恋しい季節よ」

「……それもそうですね」

 

 肌寒い第二入渠ドック。カプセルの中を漂う人影を見ながら、二人の少女が佇む。クリップボードに留められた資料を持った明石が、その文面と人影とを見比べて口を開く。提督が移動を許可したのは、少女からそれを受け取り、一通り目を通した後の事だった。

 

 

 

 電が意識を回復してから二週間、そして、最上が一般病室へと移動されてから更に三週間。電は補填された各部位の神経接続なども一通り完了し、戦闘は不可能なものの第六駆逐隊と行動を共にすることが許される程度には身体の方も快復した。彼女自身は深雪等と和解することも出来たようで、互いに遠慮はあれど会話や食事を同じ席で取れるようにはなっている。深雪の方は未だに負い目を感じているらしく、積極的に関わろうとはしないが、少なくとも電に関してはそれも時間の問題だろう。しかし、あくまでそれは電に関しては、であった。

 艦娘が死によって深海棲艦に成り得る事を知らない響や暁からは距離を置かれてしまい、また暁型の中では面倒見の良い雷にしても、深雪に向かって気にするな、などとは口が裂けても言えなかった。当事者である電や顛末を知る天龍が手を貸してはいるが、そちらも暫くの時間を要するであろう。

 だが、それでも。救われた以上、歩みを止めたくはなかった。

 

「……あの」

「何」

 

 夕食を終え、浴場へと向かう紫掛かった長髪の少女を呼び止める。髪を下ろしているせいか、その表情は普段にも増して大人びて見える。正確には、普段から仏頂面を崩さないせいで歳相応の子供らしさに欠ける、というだけであるが。

 明らかに不機嫌そうな声を出しながら、曙はゆっくりと振り返った。しかし、月明かりに照らされたその瞳には、怒りの色は然程見えない。

 

「その、ちゃんと謝っておこうと思ってさ……あたしのせいだから。本当にごめん」

「で?」

「で、って……」

 

 思わぬ反応に気圧され、戸惑う深雪を見、曙は呆れたように溜息を吐く。少女は悲しげに笑みを浮かべ、それでも平常を装い、ガシガシと頭を掻いて言葉を紡ぐ。

 

「……そう、だよな。味方の艦娘を死の淵に追いやっておいて、今更頭下げたからってどうこうなる訳じゃないもんな」

「じゃあ、アンタは命を張って償ってくれる訳?」

「……それは」

 

 ごくり、と息を呑む音が聞こえる。当然だろう、分かりやすい言葉で彼女に死ね、と言ったのだから。謝ったから、頭を下げたからなどと勝手に話を終わらせて、それで手を取り合いましょうなんてあり得ない。だから、態とらしく強い声で少女は再び問いかけた。

 

「出来るの? 出来ないの?」

「……」

「答えなさいよ」

 

 数刻とも思える静寂が二人を包む。潮風が髪を揺らし、遠く聞こえた波の音が耳を擽る。ずっと俯いていた少女が顔を上げたその頬には、大粒の雫が線を引いていた。

 

「分かった」

「……ッ」

 

 深雪が伸ばした右手に、見覚えのある光が見える。それは、艦娘が艤装を喚ぶ時の光。深海棲艦から自分を、周りを守るための光が、今は、不完全ながらも自身を殺すために輝く。驚く少女を他所に、その手に小さな連装砲を抱えて、彼女は態とらしく笑った。

 

「へへっ、深雪さまを舐めんなよ? こんなんでも、ちゃんとした艦娘だったんだ、あたしは」

「……そんなの、見れば分かるわよ」

「何で、こうなっちゃったんだろうなぁ。そりゃあ、確かに他と比べれば大層な理由じゃなかったけど、あたしなりに必死だったんだ。なのに、気付いたら、あっち側にいて、親友を殺そうとしてて……電ちゃんとか最上さんとか、色んな人に大怪我させてさ……!」

「……」

「……でも、やっぱ無理だよ」

 

 自分を恨んでるだろうって相手に背中を押されても、やっぱり死にたくないんだ。そう呟き膝を付く、自分よりも小柄な少女を見ている曙の目は、或いは彼女以上に哀しげに月の光を受けて煌めいていた。今も続く波の音が、泣きじゃくる少女の声を隠して夜半に響く。

 何故。どうして。幾ら考えても答えの出ない問いでしか無く『深海棲艦』として人や艦娘に牙を剥いた事実は、今尚抜けない棘として胸を刺す。いつか赦せる時が来るのだろうか。いつか、棘が抜ける日は来るのだろうか。だが。

 

「自分で死にたくないなら、鈴谷が代わりに殺してあげるよ」

 

 感傷に浸る時間は与えられず、深雪の背中から酷く明るい声が聞こえる。まるで、そうでもしないと言葉を発することが出来ないのかと思える程。彼女は、重巡洋艦「鈴谷」は、空々しい笑みを浮かべていた。

 

「うあッ!?」

「……何のつもり?」

「それはこっちが聞きたい位よ。深雪に突き付けてるそれを外しなさい」

 

 数瞬後。曙の足元に、先程まで深雪が抱えていた連装砲が、驚くほど軽い音を伴い転がってくる。深雪を組み伏せ、その後頭部に月明かりを受けて煌めく一対の円筒を突き付ける鈴谷と、反射的に鈴谷のそれより一回りほど小さな主砲を構え、彼女の眉間へと仰角を合わせて口を真一文字に結ぶ曙の姿が廊下にあった。

 

「嫌に決まってんじゃん。コイツさえ居なきゃアンタだって大怪我する事もなかったし、最上姉ちゃんがあんな目に遭う事だって無かったんだから」

「早いか遅いかの問題でしょ。……深雪じゃない誰かが、私達から誰かを奪っていく事だって十分あり得るわ」

「鈴谷はそんな話してないよ、どうしてコイツがレ級の中身だったって黙ってたの? アンタが騒いだ時に初めて知ったよ、深海棲艦だった奴が我が物顔でこんな所にいるなんてさあ!」

 

 鈴谷はそう声を上げ、砲身を深雪の後頭部へと二度ほど打ち付ける。鈍い、鉄の塊が頭蓋を砕かんとする音が、耳を引き裂く。悲鳴を上げないよう唇を噛み締め、瞳に涙を浮かべる少女を目の当たりにし、反射的に指が別の引鉄を引き絞る。左手に召喚した副砲が火を吹き、鈴谷の足元を掠め床板に直径五センチ程の穴を開けた。

 

「……もう一度言う、深雪を放せ」

「……だからさ」

 

 呆れたように大きな溜息を吐いたその時、恐怖からか、悲しみからなのか、瞳が微かに揺れたのを曙は見逃さなかった。これなら、と内心安堵した直後。三度、深雪の呻き声が耳を裂いた。

 

「なんでっ、アンタがコイツなんかの肩を持つわけ!? 姉ちゃんと普通に話せるようになってたよね、自分だって、コイツのせいで色んな物を失くしちゃうかもしれなかったんでしょ!? それにアンタだって深雪に死ねって言ったじゃん! なのにどうして!!」

「……殺意を向けられた事を理不尽だと言わなかった。少なくとも、その程度には自分のやった事を悔いてるなら、私はそれでいいと思っただけよ。許せるかどうかの話じゃないわ」

「それがポーズだったとかは考えない訳!? はっ、思ったよりおめでたい頭してたんだねアンタ!」

 

 明らかに不愉快そうに眉根を寄せ舌打ち、そして、足元に転がっていた深雪の連装砲を正面に向けて蹴り飛ばす。反射的にそれを手元の砲で撃ち抜いた鈴谷の瞳は、二つの理由により驚愕で見開かれる事となる。

 一つは、その連装砲が外側のみしか構成できていない、張りぼてと呼んで相違ない代物だったこと。そしてもう一つは、反動で跳ね上がった張りぼての下を潜り抜け、菫色に近い髪を月夜に煌めかせ、曙が此方に肉薄していた事。

 

「ぐあっ!?」

「……今ので分かったでしょ。艦娘の艤装は召喚時、内部機構から生成される。ガワだけなんて器用な真似は出来ない、知ってるわよね?」

 

 ごく短距離の助走から放たれた蹴りが、鈴谷を数メートル先へと弾き飛ばす。受け身を取り損ない、蹴りつけられた胸を押さえ、少女が吐き出した声は震えていた。

 

「……それが何。ソイツが艦娘に戻れないから、許してやれっての?」

「その程度で許せるんなら、私達は悩む心配も無くて良かったんでしょうね」

「だったら……!」

「アンタは!!」

 

 それまでの会話からは想像出来ないほどに大きく張り上げられた、悲鳴にほど近い声。以前、深雪や紫子を天龍諸共撃ったあの日以上にその声は鼓膜を揺らす。言葉の続きを待つ必要は無かった。その怒鳴り声一つで、曙の心中がおおよそ理解出来てしまったのだから。

 

「仲間を自分の手で撃った事が無いから……そうやって好き勝手言えんのよ」

「……」

「確か、シグだったわよね。……人間でいられる内に抜けた方が良い、深雪を手に掛けちゃったら戻れないから」

「……抜けたって行くトコなんて無いんだから、どっちにしろ一緒だよ」

「アンタまさか……」

「結局、身体が完治しても最上姉ちゃんは帰って来なかった! 鈴谷には此処しか居場所がないのに、あたしは家族を奪われたんだ!!」

 

 涙に声を震わせ、少女は右腕に持った主砲を再び深雪に向ける。接近して艤装を解除させるには遠く、正面に抱えたそれのみを撃ち抜ける位置に曙は立っていない。自分の居る位置の悪さに内心毒づきながら、咄嗟に彼女は深雪を庇う位置に立ちはだかった。視界に此方を狙う砲口と、鈴谷の顔が映る。

 少女のその瞳は、既に理性の色を失っていた。あの時の自分と同じ、目に見える誰かのせいにしなければ心を壊されてしまいそうで、その行為が生み出す結果全てから目を背けて、ただ怒りに任せて力を振るうことしか出来ない。引鉄に掛かる指に力が入る様に、曙はその唇を噛むしかなかった。

 

「駄目えっ!!」

「えっ……」

「なっ……」

 

 鈴谷の背後から、一人の少女が主砲を構える腕に飛び掛かる。その両腕は砲の射線を大きく変え、弾みで放たれた砲弾は窓枠を掠めて、遠く離れた海上に水柱を一つ立たせた。腰を抜かし座り込む少女に遅れて、重力に引かれ落ちる黒の長髪。曙からはその顔を伺えず、見覚えのある白いワンピース型の病衣に、心臓が一つ、大きく脈を打つ。鈴谷の方からは顔が見えたのだろう、その瞳はかつて無いほどの驚愕に見開かれていた。

 まさか、とは考えた。確かに、身体の傷は癒えたと聞いていたし、面会が出来なかったとはいえ明石などから殆ど眠っているだけに近いとは聞かされていたのだから、ふとした拍子に目が覚めたところで、それ自体はおかしな話ではないだろう。目の前で身体を起こした少女は、確かに知った顔付きをしている。だが。

 

「私は、詳しいことは知らないけど。……それでも、味方同士で武器を向け合うなんて、悲しすぎるよ」

「……誰なのよ、アンタは」

 

 他人の空似だと思いたかった。司令官に言われた覚悟はまだ出来ていないし、そんな事など考えたくもなかったのだ。しかし、その希望は容易く砕かれてしまう。他ならぬ『最上』本人の口によって。

 

「……名札、最上っていうのが、多分私の名前」


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