「多分って何それ、自分のことじゃん! 此処のことも、鈴谷たちのことも、まさか分かんないなんて言わないよね!? ねえ!!」
「鈴谷?!」
月明かりの差し込む廊下。名前を問われ「恐らく」と枕詞を添えて最上と名乗った少女に対して、鈴谷はより大きく声を上げる。既に冷静さを失っているのか、黒髪の少女が恐怖心から小さく瞳を揺らした事にも気付かず、彼女はその小さな肩に掴みかかる。
「ま、待って……!」
「鈴谷はもうずっと待ってたんだ、これ以上待たされるなんて絶対嫌!!」
慌てて鈴谷を抑えようと腰を上げた曙の背中を、ひやりとした冷たい空気が撫ぜる。慌ててそちらに意識を向けた時には既に遅く。彼女と、最上を問い詰めようとしていた鈴谷の二人は、それぞれ別の人影に組み伏せられていた。痛みに顔をしかめ、うつ伏せになったまま鈴谷の方を窺えば、彼女は合わせて当身を貰ったのか瞳を閉じて倒れており、その身が動く気配はない。
「……制圧完了だ。天龍、深雪の方を頼む」
「了解、長門の姐さん。龍田も鈴谷の方ちゃんと見とけよ?」
「大丈夫よ、鈴谷ちゃんならお休みしてるし、このままなら朝までは起きないから~」
「な、なんでアンタ達が……」
混乱している様子の曙にちらりと視線を向け、彼女を組み伏せたまま。長門は態とらしい溜息を吐いた。
「なんでも何も、あれだけの騒ぎで誰も気付かないとでも思ったのか、お前達は」
「それは……」
「話は後だ。最上、済まないがそこの龍田と一緒に病室まで戻っていてくれ。色々話もあるだろうが、ひとまずは落ち着いてから、という事にしたいんだ」
「は、はい」
「それじゃあ最上さん、私と一緒にベッドまで戻りましょうか」
龍田に促されて、黒髪の少女はゆっくりとその場を離れる。やはり二人の様子が気になるのか、時々此方を気にするように振り返り、その度に龍田に軽く急かされて、という繰り返しを経て暗闇の中へと姿を消した。それを見て安堵の表情を浮かべ、長門は再び天龍へと声をかける。特別何かをしなければ押さえていられないという点をとっくに過ぎてしまっている故か、その意識は曙の方へは向けられていなかった。
「深雪の方はどうだ?」
「さっき明石さんを呼んだけど、結構ヤバい感じです。出血もそうだけど何か様子が変なんだ、呼吸も荒いし痙攣を起こしてる」
「……そのまま深雪を頼む。何かあってはまずい、明石の指示に従うようにしてくれ」
「……了解っす」
深雪から視線を外さず答える天龍に礼を言い、長門はゆっくりと腰を上げる。少しの間を置いて身体の自由が得られたことを確認したか、小さく息を吐くと共に、スカートの埃を払いながら少女が立ち上がる。恐る恐るといった様子で二人に視線を向けるが、どちらも彼女を気にする様子はなく、天龍は深雪に視線を。長門は依然気を失っている鈴谷の身体を抱えて此方に振り返るところであった。
「……」
「どうした、曙」
「いえ」
「……そうか。お前も一緒に来い、少し話がある」
その小さな声には、押し隠しているような怒りの色が微かに見えていて。曙は断ることも出来ず、ただ言われるままに首を縦に振るしか無かった。そのまま長門に促されて歩き始め、その場に残った二人の姿が見えなくなる辺りで、数人分の足音と切羽詰まったような明石の声が微かに耳に入った。
そのまま暫く、二人連れ立って廊下を歩く。鈴谷を抱えたまま長門は言葉を発することも無く、曙は声を掛ける事も出来ず。ただただ沈黙を引き摺り、二人は仄暗い廊下を歩き続けた。
どれほどの時間歩き続けていたのか、そう考え始めた辺りで、長門はある扉の前でぴたりと足を止めた。釣られて歩みを止め、長門の視線を追った先にあったのは『食堂』の掛札。思わず首を捻る少女に、彼女は小さな笑みを浮かべて語る。
「こんな時間に食事をとる者も居ないだろう?」
「……そう、ですね」
曖昧に言葉尻を濁し、少女は促されるままに無人の食堂へと足を踏み入れた。それを確認し、後ろ手にドアを施錠、長門はそのまま近くの椅子に鈴谷を座らせ、自らもその傍の柱に背中を預ける。彼女の表情に気圧されるように、曙は鈴谷の向かいの椅子へと腰掛けた。
「単刀直入に聞くぞ。何があった」
「それは……」
一際強い語勢に怯み、曙は視線を左右に彷徨わせる。そしてゆっくりと口を開き、深雪と最初話していたことを伝え、少女は再び黙りこんでしまう。そんな中、わずかに鈴谷に視線を向けたことに気付いたか、長門はその切れ長の瞳を更に細めた。
「……鈴谷、か。深雪の事は落ち着いてから伝えようと考えていたんだがな」
「どうして、ですか」
「聞くまでもないと思うが。……まあいい」
小さく溜息を吐き、未だに目を覚まさないままの鈴谷の肩を人差し指で叩く。薄らと目蓋を開く様を確認し、次の瞬間大きな音を鳴らし立ち上がった鈴谷をその腕で制する。万力の様な力で肩を押さえつけられ、鈴谷は抵抗を早々に諦めたか力なく背もたれに身体を預けた。
「……ビッグセブン様が鈴谷に何の用がある訳」
「抵抗の出来ない人間を砲塔で殴り付けるのは楽しかったか? まだやり足りない、という顔をしているが」
「なっ……!」
「確か、熊野とは実の姉妹だったな。戦火で家族を失い、妹のお守りをしている内に自分が持たない姉に焦がれたか、それとも姉であることを辞めたかったのか?」
「それは」
言葉を詰まらせた鈴谷を省みること無く、長門は話を続ける。
「そうやって妹という立場を望むお前を、最上は苦手としていたよ。嫌っているという事はもちろん無かったが、何処かで理想を押し付けようとしている事を感じ取ってはいたんだろうな」
「……そんなはずない、最上姉ちゃんがそんな事考えるわけない」
「事実は事実だ」
「嘘だっ!!」
「……曙。これで理由は分かっただろう?」
返事をすることは出来なかった。鈴谷は、艦娘として、艦艇として姉に当たる最上に依存していると、長門はそう言っているのだ。だから最上を撃ったのが深雪だと伝えるつもりがなかったと。そして曙にしても、彼女が深雪の姿を見ていたと知っていれば、曙を彼女と引き合わせないように動いていただろう。だが、曙は知ってしまっていた。紫子に対しての怨みや怒りを糧としてレ級が戦っていたことを、その巻き添えで最上はその命を危険に晒し、記憶を奪われてしまったことを。
その誤算が、今のこの状況を呼んだ。曙の怒号で鈴谷は姉の仇敵を知り、そして、彼女が深雪を赦した、その事実を許すことが出来なかった。
「……起こってしまった事はもうどうにもならんさ。無かった事になど出来ない以上、気持ちの整理は必要だ」
「……ごめん、なさい」
「だから、はいそうですかって。手を取り合えって、そう言うわけ? ……そんなの死んでもゴメンだよ」
長門は答えない。何事かを考え込むように顎に手をやり、黙りこんでいた彼女は不意に聞こえた電子音に耳を傾ける。二人には長門の聞いている音が何なのかは分からなかった、しかし、みるみる内にその表情が険しくなっていく様に、ごくりと何方ともなく喉を鳴らした。
「だったら二人揃って死ぬか?」
そして、十数分の沈黙の後、そう問い掛けた言葉に感情は無い。ただ事務的に、機械的に。艦娘『長門』は死刑宣告を口にした。
「何を」
「今しがた明石から連絡が入った、複数回の頭部への殴打で深雪は重態だそうだ。良かったな、お前達の仇敵は望み通り死に体だ」
「……ま、待って下さい。どうして」
どうして? あからさまな侮蔑の表情を浮かべ、長門は問い返す。説明が必要か、と。恐怖を隠せず、ただ首を縦に振る二人に対して告げられた言葉は、これまでに聞いたことも無いほど、冷たいものだった。
「天龍が興味深いものを見付けたのさ。外装しか構築されていない、不完全な艤装の一部をな。……曙、お前は天龍から聞かされていた筈だな、彼女が艤装に拒否反応を示したこと、無理に艤装を扱おうとすればどうなるかを」
底冷えするような声を受け、喉が一気に水分を失う。長門はあの場所に居て、曙の言葉も、天龍の話も、全てを目の当たりにしている。もう、彼女に出来る反論は無い。長門から向けられる侮蔑も、怒りも、それらは生まれるべくして生まれた感情なのだ。小さな少女は、ただ悔しさと後悔で唇を噛むしか出来なかった。
「やけに歯切れの悪い話し方をしていたから妙だとは思ったよ。答えろ、お前は何と言って深雪に艤装を使わせた? 自分の手を汚す覚悟すら放棄して、お前のような者が何をっ、誰を赦すなどと言える!!」
「ひっ……!?」
「直接……手を上げたのは、鈴谷、だよ……」
「それがどうした、言われなくともお前も同罪だ! 他人を庇う暇があるならどうやって罪を償うかを考えろ!!」
恐る恐る声を上げた鈴谷の方を省みること無く、長門は曙へと向けて声を荒げる。彼女が怒鳴り声と共に掌を打ち付けた天板にはヒビが生じ、そのテーブルの損傷が怒りの程度を如実に表していた。
椅子から腰を上げ慌てて後退る曙の襟首を捕まえ、そのまま近くの柱へと押し付けるようにその腕を振るう。背中を強打し呻き声を上げるのも無視して、怒りに染まった瞳を長門は向けた。
「負い目から反抗のできない相手に自刃を迫るのはそんなに楽しかったか? 拒否反応を示していた艤装を無理矢理に召喚する姿はそれほど滑稽だったか!? そのお陰で今彼女は生死の境目を彷徨ってるんだ、さぞかし気分が良いだろうな!!」
「ちが……違、う……っ!!」
「何が違う! お前がやったのはそういう事だと言ってるんだ!!」
違う、違うと、大粒の涙を溢れさせ、ただただひたすらに首を横に振り続ける。長門の言葉を否定することは出来ない。曙は、引鉄を引けず膝を付いた深雪の泣き顔に罪の意識を感じ、鈴谷の直接的な行動を見て、ようやく自分の行いに気付いただけだ。天龍に殴られ、司令官に諭され、それでも周りを見直すことが出来ず、還ってきたことを喜ぶ相手が居る深雪に嫉妬して。
彼女は取り返しの付かない事をしたのだ。
「……提督の手を煩わす迄も無い。苦しまないよう楽に眠らせてやる、覚悟を決めろ」
「う、あ……」
「……」
呟く長門の声は、深い哀しみの色に染まっている。その瞳を見るだけの気勢すら失った曙は、彼女の感情が揺れたことにも気付けず力なく俯く。長門を制することも、曙を庇うことも出来ずに立ち尽くす鈴谷の瞳が、長門の目尻に雫が光るのを見た時、それは別の輝きに覆い隠された。それが戦艦長門の艤装だと気付いた時、彼女の身体は反射的に動いていた。
「……お休み」
「だ、駄目っ!!」
「お前ッ……!?」
砲口に身体を被せるように飛び込んできた人影に慌てて後ろへ飛び退く。その手が曙を離し、体勢を整える間もなく少女は強かに腰を打ち付けた。指を掛けていたはずの引鉄を引くこともなく、砲口を二人に向けたまま、長門は低い声で問う。
「何のつもりだ、鈴谷」
「撃たせないよ。……長門さんは、鈴谷達の所に来ちゃ駄目なんだから」
長く苦しい沈黙を経て、曙の前に立ちはだかったまま動こうとしない鈴谷から砲口を外し、大きな溜息と共に長門は大きく首を左右に振った。
「……気が削がれたな。どちらにしろ、そう簡単に片が付く話じゃないんだ。解体処分も覚悟しておくことだな」
「……分かりました」
「……はい」
身を寄せ、声を上げる事無く涙を流す二人を見ること無く踵を返し、背負っていた艤装を仕舞い扉の向こうへと長門は歩いてゆく。後ろ手に扉を閉め、それに背中を預けて彼女はまた、大きな溜息を静寂に向けて吐いた。
「……皆揃って貧乏くじを引いてばかりだよ。なあ、提督」