貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之拾-エピローグ-

 明くる日の朝。司令官の少女の機嫌は最悪だった。夕食、入浴と一通り済ませてさあ寝入ろうかという夜半に叩き起こされ、血相を変えて駆け込んできた明石と行動を共にしてみれば。天龍からは深雪が頭部から血を流して倒れていると言われ、長門からはそれをやったのは曙と鈴谷の二人だと報告を受ける。正直なところ、想定していた最悪の事態を簡単に口にされたせいでもう勘弁してくれ、と手を上げてしまいたかった。

 

「天龍」

「提督に明石さんか、状態は見ての通りだ」

「これを。……艤装に対しての拒絶反応も大きく、意識の混濁の原因は直接の殴打ではなく此方だと思われます」

「回復の見込みは?」

 

 それはまだ、と明石は言葉を濁す。ベッドに眠る深雪の頭部には包帯が巻かれ、その腕からは栄養剤のチューブが伸びる。その姿に小さく溜息を吐き、司令官はパラパラと明石から受け取ったファイルを捲った。外傷は幸いにも命に関わる程ではなく、脳へのダメージもほぼないと考えていいとの事。

 しかし、無理な艤装の召喚による記憶の逆流が少女を深い眠りへと突き落とした。本来、主砲一つの召喚程度であれば昏睡状態に陥るほどのフラッシュバックは起こりえない。だが、彼女には深海棲艦として味方や友人に銃を向けた記憶が、船酔いによって自身を飲み込んだ記憶が色濃く残っていたのだ。故に少女はその追い打ちに耐えられなかった。一通りの資料に目を通し、眉をひそめる司令官に天龍は問い掛ける。

 

「……どうするつもりだ?」

「どうって、考える時間を頂戴。一応、二人は懲罰房に入れておいて」

「提督。……こんな事、言いたくはありませんが。」

 

 言い掛けて、明石は小さく息を吸う。僅かながらの迷いを見せたが、彼女はそれでもハッキリと切り出した。

 

「艤装を下ろす事も頭に入れておいた方が、私は良いと考えます」

「……そうね」

 

 その言葉に肯定も否定もせず、ファイルを明石に返しそのまま司令官は病室から姿を消した。残された二人は顔を見合わせ、揃って何度目かの溜息。勘弁してくれと言いたいのは彼女等も同じであった。眠る深雪の布団を直し、軽く伸びをする天龍に明石は笑いかける。

 

「ともかく、天龍さんもお疲れでしょうし、軽くシャワーでも浴びて朝食にしませんか?」

「……そう、だな。龍田と長門姐さん辺りでも呼んでくるわ、ちょっと待っててくれ」

「はい」

 

 眠そうに瞳を擦り部屋を出る天龍を見送り、明石は深雪と、手元に残ったファイルとを見比べる。そこには、傍で眠る少女について記載された資料ともう一つ。重度の記憶の逆流に呑まれ、二年近く眠りに落ちた一人の少女の記録が纏められていた。

 時期は四年ほど前。建造による艦娘の戦力増強に翳りが見え始め、人間の少女を母体とした艦娘化、現在ではCyg『シグ』と呼ばれる分野の研究が実用段階まで秒読みとなっていた頃。その一人目の被験体となり、実験中の事故により死亡した、とされていた少女の記録。

 

 その被験体の名は『華見京香(ハナミキョウカ)』

 

 彼女等が成り損ないと称した、司令官と同じ名前がそこには記されていた。

 

 

 

 何度かのノック。返事があったことを確認して司令官は扉を開ける。殺風景な部屋の一角、シングルサイズのベッドに、上体を起こして此方に視線を向ける少女の姿があった。艦娘であった時より幾分か落ち着いた印象を受けるのは、その肩にまで伸びた黒髪が原因だろうか。

 

「起きてる?」

「あ、はい。ええと確か……」

「司令官とか提督でいいわよ。貴方には提督って呼ばれてたかしらね」

 

 身体に関しては既に完治していたこともあり、混乱状態にあった鈴谷と引き離す形で一先ずあてがわれた少女の私室。司令官の私室にほど近い一室が、記憶を失った最上の一人部屋として使われていた。

 

「それじゃあその、提督。私にどういったご用事で……」

「……大怪我から復帰した所でしょ、様子見というかお見舞いみたいなものよ。それで、長門や天龍から大まかな話は聞いてるけど、どれ位まで覚えてるの?」

 

 司令官の質問に、最上は小さく考え込む。その様子を見る限り、自己や艦娘に関しての大部分は覚えていないのだろう、そう考えた彼女の予想は的中していた。最上の口から語られたのはごくごく一部の、眼帯の少女と取っ組み合いをした事があるだとか、目の前の司令官に胃薬をねだった事がある等といった断片的な物でしかなかった。

 他の記憶や知識について話を進めていく内に判明したのは、失ったのはあくまで自分自身を観測する為の名や生まれといったパーソナリティ。艦娘、戦闘に関する知識といった限定的な記憶のみであること。生活する上で必要な記憶まで、全てがまっさらになってしまったという訳ではないらしい。それだけでも、司令官の少女にとっては僥倖だった。

 断片的な喪失であれば、刺激や知識によって必要な記憶を回復させることが出来るのではないか、忘れてはいけない相手を思い出すこと位は可能なのではないかと、そう思えたのだ。

 

「なるほどね。それでさ最上、貴方さえ良かったら改めて中の案内もするけどどうする?」

「……えっ? あ、良いんですか?」

 

 一拍遅れて反応する少女に違和感を覚える。どうやら彼女は、人名とは些か外れた自分の名前に馴染めないらしい。苗字ですらなく、最上という一単語で個人を示すのはやはり不思議に感じるのだろう。それがなんだか初々しくて、少し少女は吹き出してしまった。

 

「良いに決まってるじゃない。後で名前もちゃんと考えておくわ、もう艦娘じゃないのに最上って呼ばれるのもちょっと気持ち悪いでしょ?」

「そういう訳では無いんですけど、なんというか、中々慣れなくて……お願いします」

 

 扉を開いたままの姿勢で首を捻り、ふと何かを思い出したような声を上げる。それを不思議に思った少女が声を掛けるより先に、司令官は口を開いた。

 

「ああそうそう、言い忘れてたことがあるんだけどさ」

「……は、はい」

 

 元々艦娘という戦闘単位であったことは先の話で聞いていた。そして、今はそれに戻ることは出来ないことも、朧げな感覚ながら理解はしている。そういった点から、ひょっとしたら自分は此処から追い出されてしまうのではないか、という不安が胸を覆い、少女の表情を曇らせる。それとは対照的に、司令官の声は明るかった。

 

「ある程度此処の事覚えてもらったら、紫子達と一緒に食堂の手伝いとか雑用とかやって貰うことになるから。これからよろしくね」

「……え?」

「……なに間抜けな顔してんの? 働かざる者食うべからずって言うでしょ、艦娘じゃなくても例外じゃないわよ」

「……は、はいっ!」

 

 弾んだ声が返ってくる。直前の不安そうな表情は何処へやら、といった様子で最上は少女の後を着いて私室の扉を抜けたのだった。

 

 

 

 その後、司令官に着いて鎮守府内を歩く少女の表情は明るいもので、自己の記憶の大部分を失っているという不安は残っているが、自身の今後について取り敢えずの保障を得られたという事実が、彼女の足取りを軽い物にした。とはいえ、廊下を歩く途中、すれ違う少女等が驚愕や安堵といった感情の篭った視線を向けることに気付いて気まずいといった表情に変わるのも、それから直ぐの事だった。

 

「やあ、最上。怪我はすっかり良くなったようだな」

「え、あ……はい。ええ、と」

「お疲れ様日向、二人の様子は?」

 

 困惑していた様子の最上への助け舟。少々渋い顔をしながらも問われた二人、鈴谷と曙の様子について軽く報告を始める。その間に、最上は自分に声を掛けてきた彼女の名前が日向だという事を把握し、反芻する。勘付かれて困る、という事ではないが、自分から切り出さない内に理解され、残念そうな表情を見せられるのも、少女としては避けたいと感じていたのだ。

 

「……と、こんなところだ」

「もうちょっと時間は掛かりそう、と」

「まあ、そうなるな。それで、最上は平気なのか」

「は、はい。体の方はもう。それでその、私……実は、記憶が」

 

 気遣うような視線に、一先ず大丈夫だと判断したのか、おっかなびっくりという様子であるが、最上の口から自身の状況について語られる。異論や疑問等を挟むこともなく黙って話を聞いていた日向は、彼女の話が一通り済んだ後、優しい声で答えた。

 

「記憶を失っていようが、同じ艦隊の仲間である事に変わりはないさ。……お疲れ様」

「……ありがとう、ございます」

 

 ぽん、と癖毛のある頭部に手を置く。すっと細められた目を見て自然と顔が綻んだが、自我を取り戻したことをただ喜んでいられる状況でも無いことは日向も重々承知していたのか、適当な所で雑談を切り上げ、二人の様子を見てくると言って踵を返す。引き止めることもなくそれを見送り、司令官と最上は揃って廊下を再び歩き始めるのだった。

 

「……あの、提督」

「何?」

 

 食堂の方へと続く廊下。右斜め前を歩く司令官に向けて少女が声を掛ける。小さくそちらへ視線を向けるものの、足を止めずに彼女は次の言葉を促した。一つ迷って少女が口にした問は、彼女の置かれた状況を考えれば至極当然のものであった。

 

「どうして、私を此処に置いておこうと思われたんですか?」

「艤装を使えなくなった子は二三人いるし、今更増えたところで大した問題じゃないのよ。それに、艦娘だったアンタは立派な戦力だったからね」

「……そう、ですか」

 

 返事はするものの納得している様子ではなく、未だに最上は疑いの眼差しを司令官へと向ける。知識や経験からくる疑念というよりは無知からくる恐怖に近いその疑問に気付いたか、小さく溜息を付き、彼女は簡潔に答えた。

 

「機密を知ってる上に身寄りの無い人間を一人で野に放つ方がどうかしてるでしょ。監視って意味なら間違いなく手元においておく方が確実だわ」

「……ですよね。単純に厚意で置いてくれるなんて、虫が良すぎますもんね」

「無くはないけどね。……数少ない同類を他人の手に委ねられるほど、私は割り切れてないもの」

「同類?」

 

 最上の質問に、態とらしく考え込む素振りを見せる。その後、苦笑いを浮かべて少女は自分を指さし答えた。

 

「船酔いで記憶喪失。同じ境遇の娘が居ればちょっとは気楽になるし、記憶を取り戻すにもやりやすいでしょ?」

「は、はい」

「ま、細かいことは言いっこ無しよ。記憶をどうしたいのかも好きに決めればいいし、そのための時間は此処で用意するわ」

「有難うございます。……それでその、一つ、お願いがあるんです」

 

 続いた少女の言葉に、司令官は時間をくれと一言答え、それ以上は何も言おうとはしなかった。


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