「これでよし、と。お疲れ様です、最上さ……ああいえ、もう藤村良さん、でしたか」
ドックの一角にある処置室。重傷者が第二ドックの前に運び込まれ、欠損した部位の縫合や傷口の消毒、弾丸の摘出等を行う部屋。病衣の背中を大きく開き、スカートを捲った状態でベッドに寝そべる最上の背中をポンと叩き、桜色の髪の少女がにこりと笑う。身体を走る微かな電流に身を捩り、少しの深呼吸の後、藤村良、と呼ばれた少女は上体を起こした。
直前に明石が触れていた部位には、黒鉄色のフレームと、それに囲われていた穴を塞ぐ様に嵌められた金属板。円形のその板は、周囲のフレームと幾つかの太い金属線で繋がれており、その継ぎ目には溶接の跡があった。
「有難うございます。でも、これで艦娘ではなくなったと言われても、あんまり実感が湧きませんね」
「艤装を繋ぐためのコネクタを塞いで、機能を制限しただけですからねえ。オリジナルでもシグでも摘出にはちょっと大掛かりな手術が必要ですし、艤装に頼っていた身体機能を慣らすのにリハビリも必要になっちゃいますので」
「そんなに艤装って大きな影響があるんですか?」
「まあ、軍艦の事を全く知らない人が、艤装を付けただけでその艦の事や扱い方を『解る』程度には、大きく人格に影響を与えますね。シグが非人道的だと言われる大きな原因でもあるんですが」
そんな物にも頼らなきゃいけない程度にオリジナルは貴重なんですよね、と明石は続けて自嘲気味に笑った。そんな事を言いながらも手は止まっておらず、明石から衣服を受け取り、少女は曖昧な表情を浮かべそれをただ聞いている。途中、促すような視線を受け、慌てて着替えを始める少女を見て明石はすっと目を細めた。
「すみません、この所ちょっと色々立て込んでましてつい。残りの処理については一通り片付いたら、落ち着いてやりましょう」
「あ、はい。それで、ええと……」
「着替えが済んだら今回の処置内容を纏めた物を貴方と提督のお二人にお渡しします。一度身体を動かしてみて、違和感や痛みなどがあればまた来てくださいね」
「はい……有難うございました」
「いえ。私はこれが仕事ですからね」
小さく頭を下げ、部屋を出てゆく少女を見送り。大きく一つ、彼女は伸びをして息を吐いた。
「しかし、提督もいい加減診察を受けてくれないと、何かあってからでは遅いんですけどね……」
『曙が艤装を解体される』その一言が鎮守府の艦娘達の間に広がるのはあっという間の出来事だった。入渠中、深雪に向けて砲撃を行ったという事は既に知れており、その後の経過を見た上で戦闘の参加は難しいのであろう、と大半の者は考えた。そして司令官にとってはその方が都合が良かったため、是正しようとはしていなかったのだ。
鈴谷、曙の両名に処分を言い渡した翌日。昼食を済ませ、執務室でいつもの様に大淀から書類を受け取り、幾つかの世間話を済ませた叢雲が扉を閉めて司令官の傍に歩み寄る。
「色々と噂流れてるみたいだけど大丈夫なの?」
「……深雪の昏睡状態の原因とは見られてないし、入渠中の事も懲罰房入りもそもそも隠しようが無いんだから仕方ないわよ。それに鈴谷に関しては別の噂を流してもらってるから深雪に手を上げた、とはなってない。おかげで昏睡は事故として見てくれてるわ」
「……何やったのよアンタ」
大きなため息。どうやら指示を出した当人にとっても愉快な話ではなかったらしく、明らかな嫌悪感が顔に出ている。書類を手渡し空になった両手に、また別のファイルが司令官から手渡される。そこに書かれていた文章に一通り目を通し、叢雲は呆れたようにため息を吐いた。
最上の負傷を理由に鈴谷が曙に対して暴言、曙はそれに逆上し、理由を得たとばかりに鈴谷が応える形で艤装を用いての戦闘を開始。偶然近場に居た天龍、龍田、長門の三名がこれを制圧したと、ファイルにはそう荒っぽい字で殴り書きにされていたのだ。
「鈴谷と曙が私闘、ね。曙が深雪を撃った訳を考えれば筋道は通るし鈴谷が手を上げる説明も付く、と。更に言えば嘘は言っていない、ね」
「悪趣味でしょ?」
「同感。で、コレに一枚噛むっていう新しい貧乏くじを引いたのは何人ほど居るの?」
「……」
暫しの沈黙の後、幾つかの名前を上げる。天龍、龍田、長門、日向、明石、熊野、潮、後は当事者三人くらいね、と彼女は冷めた笑みを浮かべた。それを見て、叢雲が肩を竦める。
「わお、大漁大漁」
「……似てないわね」
「……余計なお世話よ」
迂闊なことを言った、と叢雲が朱に染まる顔を背けるのを横目に、先程より温度の高い笑みを零す。ともあれ、二人の処遇も一先ずは決まり、最上は日常生活が問題なく可能な程度の回復は既に見せている。深雪の経過を見る必要はあるが、これで目下の問題ごとはほぼすべて片付いた、という事実に幾らか気分が休まった。それで、緊張の糸が切れてしまったのだろうか。ぐらり、と視界が揺れ、景色が霞む。
「う、ん……」
「な……」
直後、どさりという音に反応した叢雲が視線を向ければ、執務机に座していたはずの少女の姿は既に無く。慌てて駆け寄った彼女が見たのは、身体を支えることも出来ず椅子から崩れ落ちた司令官の姿だった。
「ちょ、ちょっと何してるのよ、寝不足? 私が引き継いでおくから部屋に……ねえ、京香?」
返事が無い事に訝しみ、身体を抱き起こした直後、その体温が非常に高くなっていることに遅れて気付く。身体を仰向けに抱え直し額に手を当てれば、その手が焼けるかと思うほどの高温。叢雲から内線越しに急かされ駆け込んできた明石の表情から血の気が引いたのは、それから数分後のことであった。
「叢雲さん、これは一体……!?」
「んな事私に聞かれても知ったこっちゃないわよ! 急に倒れたと思ったら凄い熱出してて……」
「熱?」
叢雲の傍に駆け寄り、明石は司令官の額に触れた右手を、直後慌てたように離す。ひらひらとその手を動かす様に違和感を覚えたのも束の間、少女の胸が跳ねた事に冷静さは更に欠けてしまう。
「こんな体温で生きてる人間なんて聞いたこと有りませんよ……担架も持ってきてます、とにかくドックへ!」
「う、うん!」
処置室に運び込まれた司令官の少女を仰向けにベッドに寝かせ、上着のボタンを戸惑うこと無く外していき、流れるように衣服を脱がせてゆく。露わになってゆく上気した肌に思わず目を背けた叢雲とは対照的に、明石の瞳は驚愕に見開かれていた。
「ちょ、ちょっとアンタ何を」
「熱ッ……ええと、背中と脇腹、太腿に外付けの大口径コネクタ……サイズも変に大きい上摘出も停止処理もされてない、まさかコレずっと起動状態だったんですか……!?」
「それって……」
「適合実験に失敗してから今の今まで、艤装の接続コネクタが放置されてた、ってことです。……肉体的成長を留める術も無かったらしいですね、露出部を皮膚が呑み込み始めてます」
続けた言葉に青褪める叢雲を他所に、うつ伏せに寝かせたその背中、艤装と身体を繋ぐ端子の周囲の肌を指でなぞる。ところどころで指に力を込め、肌と艤装の正確な境目を探る瞳が、再び動揺に目蓋を動かした。
「……叢雲さん、少し席を外して下さいませんか。それから、大淀さん達と提督が残している業務の引き継ぎをお願いします」
「嫌って言いたい所だけど、そんなにまずい状態なの?」
叢雲の問いかけに、数十秒ほど考え込む素振りを見せ、今はまだ断言はできない、と答える。
「詳しく見てみないことには分かりませんが、少なくとも今日明日の内に復帰とはいかないと思います。とにかく原因を突き止めないことにはなんとも言えませんね」
「そう……分かった。京香の事は任せるわよ」
「ええ」
逃げるように部屋を飛び出す少女。その後直ぐに扉を施錠し、明石は書棚から一つのファイルを取り出した。それは、目の前で意識を失う少女が受けた実験の記録。それと彼女の今の姿とを見比べ、綴られている文章に目を通し、明石は何度目になろうかという溜息を吐く。手術衣に身を包み、手袋の感触を確かめた。
心拍を把握するためのモニター機器、点滴と一通りの準備を早々に終え、痛み止めの充填された注射器を構えて呼吸を整える。
「金属部とも思えない感触……すみません提督、少し開かせて頂きます」
高い体温で赤くなった背中に針を刺し、続けてカテーテルを挿入。身体から力が抜けていることを確認した上で、コネクタのすぐ近くにメスを入れ始める。呼吸のペースに変化が生じない事に安堵の息を漏らすが、それすら気休めにならない程に、眼前の状況は酷い有様であった。
「この子を、私に殺せって言うんですか。三笠さん……貴女方の失策の尻拭いを、私にしろと……!」
皮膚の上から触れて気付いた違和感は、決して勘違いなどではなかった。背中にメスを入れ、目の当たりにするその時まで勘違いであって欲しい、と考えていた。金属のものとは明らかに異なる感触、皮膚や筋肉、脂肪のものとも違うその硬質な感触は、彼女の身体を今こうして蝕んでいる深海棲艦の物だったのだ。滴る赤い雫に紛れ、黒い甲殻が宿主とは異なるリズムで今尚脈動を刻んでいる。
「……プロトタイプ、か。もしかしたら、書面の通りに事故死していた方が幸せだったのかもしれませんね」
その後も思いつく限りの手を試しては見たが、深海棲艦化している部位のみを切除するには根が深すぎるため手が出せず、麻酔や劇物をその部位に投与しても殺すことは出来ず。
最終的に、冷却剤の投与により一時的に、深海棲艦と同質のものと化したコネクタ基部が稼働率を落とすことを確認できた。
そしてそれによって落ち着いた呼吸と体温をモニターで確認し、明石は一先ずの安息を得ることができたのだった。
切開したコネクタ周辺の縫合を一通り済ませ、最上に使用したものとは異なる金属製のプラグを持ち出す。冷却性能に劣る一部の艦娘に対しての応急処置として用意していた、身体側のための外部冷却装置だ。既に艤装を着用する機会が無いとはいえ、切除も停止も出来ないとなると対処療法以外の選択肢が存在しなかったのだ。司令官が目を覚ましたのは、縫合を終えてから五、六時間ほど後、既に日が沈みきっている時間だった。
「お目覚めですか提督。いきなり高熱を出して倒れるものだからびっくりしましたよ」
「……あー、うん。心配かけてごめんね。……で、あちこちが痛むんだけど」
「……すみません、緊急だったものでコネクタ周辺の切開と冷却剤の投与を」
「冷却剤?」
「ええと、言い難い話なんですが。コネクタの方も深海棲艦化が進行しているんです。どうやら身体の芯の方まで侵蝕が進んでいるみたいで、劇物の投与も試してみたんですが、効果を表す間もなく解毒されてしまって」
「……アンタ事情はともかくとして上官に毒物盛るってどういう神経してんのよ」
身体とは異なるリズムで脈動していたこと、身体に投与した麻酔が効果を見せなかったことから切り離されていると判断した、と言われ大きく溜息を吐く。文句の一つでも言ってやろうかと身体を起こそうとした所で、違和感が肉体を襲った。
「……?」
「ああ、艦娘用の冷却ユニットを使わせて頂きました。此方から直接稼働率を落としたり停止したりが出来なかったので、オーバーヒートだけでも、と」
「……それで腰が妙に重い訳だ」
「執務は叢雲さんと大淀さんが引き継いでくれています。提督は二週間、病室で経過を見て下さい」
「……了解」
「肩、貸しますんで」
明石に連れられ、一人部屋の病室へと足を踏み入れる。殺風景な白一色の部屋、窓の外には月明かりが波に揺れている。深雪が倒れてから既に三日。多少落ち着きつつはあるものの、未だに鎮守府内は平穏を取り戻す事は出来ていない。
介助を受けてベッドに腰を下ろす。何をするでもなく傍に佇む明石に、黒髪の少女は声を掛けた。
「……そういえば深雪は?」
「今の所はまだ、ですね。曙さんと鈴谷さんは何時頃懲罰房から?」
「来月には一旦出そうかと思ってる。処分内容自体はもう通達してるし、後は段取り組むだけよ」
「その頃には深雪さんも目が覚めていて欲しいものですね」
「……全くもって同感だわ」