貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之拾肆-エピローグ-

「まったく、艦娘の大半が戦線復帰したと思ったら次は貴方か、提督」

 

 ベッドで身体を起こす少女に向かい、諭すような口調で話しかける長門。提督と呼ばれた彼女はバツが悪そうに苦笑いを浮かべ、視線を逸らした。病室で安静を言い渡された次の日の朝の出来事である。

 

「過労って事らしいから、とりあえず二週間ほど休んでろってさ。一応叢雲と大淀に執務を引き継いでもらってるから、何か気になることがあったらそっちにお願い」

「ああ、心得ている。それより聞いたぞ、曙と鈴谷の処分も決まったそうだな」

「気が早いわね……懲罰房から出すのも来月の話。曙は書類の準備なんかもあるからちょっと遅れるかもね」

「余り無理はするなよ。過労で倒れたばかりだろう」

 

 テーブルに置かれていたバスケットから徐ろに林檎を一つ手に取る。それを見せ「食べるか?」と問いかけられた視線に気付き、少しだけ、と司令官は左手で示す。満足気に頷いたかと思えば、その数分後には綺麗に切り分けられた紅い兎が六羽、小皿に並べられていた。

膝の辺りに設置されたテーブルに小皿を置き、長門はフォークを手渡す。そのまま彼女はナイフを片付け、素手で一羽の兎を手に取った。

 

「へえ、器用なもんね」

「私はこういう単純な切り方くらいしか出来ないんだ、褒めて貰っても困る。……ん、それに陸奥や榛名らの方が器用だぞ。鳳翔達には敵わんが大体の飾り切りができるしな」

「マジで?」

「マジだ。というより、林檎の兎程度ならそれほど難しくもないだろう? 皮剥きで一本の皮にするよりは簡単だと思うが」

「いやー、実は私包丁使うの苦手なのよね。林檎の兎とかもあんまり上手く出来なくて」

 

 指を切ったり、皮剥きで身を削ぎ落としたりというのはざらにある、と苦笑いを浮かべる少女に相槌を打ちながら、二人は着々と兎の数を減らす。やがて最後の一羽、というところでふと少女が声を上げた。

 

「二人のこと、色々気を使わせちゃってごめんね」

「ん? ……ああ、どちらかから聞いたか」

 

 明確に口には出さないが、恐らく二人を糾弾した夜のことを言っているのだろうと、その言葉尻から察する。あの後自室で陸奥を相手に愚痴を吐く程度に気にしていたせいか、二人が『用済み』として処分されない事に安堵していたのは長門も同様であった。

 眉をひそめる彼女を見て心配するような視線を司令官は向ける。それに気付いたか、取り繕うように長門は笑みを浮かべて最後の一羽をその口に入れてしまう。少女が反射的に小さな声を上げたのは見なかったことにしよう、と頭の端で考え、空になった口を開く。

 

「あれは私が冷静さを欠いてしまっただけだよ。……曙が深雪を殺そうとするなら直接手を上げるだろうという事は分かっていたんだ」

「……曙には私の方からちゃんと言っておくわ」

「そこまで提督に頼るのも、なんだが」

「部下の関係に目を向けるのも上官の務めだからね」

 

 程々に頼むと長門は笑い、自らが空にした皿をそそくさと片付け始める。慣れた手付きで飲み物などの準備を済ませてベッドの傍へと戻ってきた。グラスに注がれた水で喉を潤し、少女は小さく息を吐く。暫しの沈黙、時間を刻む秒針が九の文字を指したその時、けたたましいサイレンが施設内に鳴り響く。遅れて聞こえてきたのは叢雲の怒声。どうやら緊急事態ということらしい。

 

『南東一五キロ地点、レーダーに反応あり! ルートを見る限り大島の連中の撃ち漏らしらしいのが接近中、第一艦隊出撃準備なさい!』

「……やれやれ、もう暫く暇を持て余せると思ったんだがな」

「……長門、」

 

 言い掛けた言葉をスピーカーのノイズが遮った。

 

『敵の数は三、艦種の特定には時間が掛かりそうだし第二波の可能性は捨てきれないわ、念の為に第二艦隊も戦闘態勢で待機ね! ああ、一応言っとくけど司令官は病室から出るんじゃないわよ!』

「そういう事だ。提督は先ず体を治すことから考えてくれ」

「……そうさせてもらうわ」

 

 手を振り足早に部屋を後にする彼女を見送り、少女は大きなため息を吐いた。少し重く感じる背中を預けるようにベッドへ仰向けに寝そべり、右腕を天井に向けて伸ばす。感じるのは微かな震え、そして、敵意にも似た視線を向けられたその腕は黒い甲殻を表出させた。

深海棲艦の物と変わらぬそれを見る目は冷たく、そして悲痛な色を浮かべていた。

 

「まだ、疼く」

 

 

 

「叢雲、敵の反応はあるか?」

『……もう無いわね。大島からも撃破成功の打電が来てるけど、警戒を怠らないで帰還して』

「了解した」

 

 潮風に髪を揺らし、長門は答える。結局最初の三体以上の撃ち漏らしも無く、第一艦隊はそつなく迎撃を済ませて帰路につくこととなった。同艦隊の赤城や榛名等の表情にも過度な緊張は見られず、その後も遭遇戦などが発生することもなく彼女等は無事に帰還を完了する。

 伊豆諸島奪還作戦から久々の出撃であったものの、一つとしてブランクと呼べるものを見せることはなかった。

 

「第一艦隊の皆さんお疲れ様です、負傷された方は先に傷口を洗ってから医務室、入渠ドックの方へお願いしますね」

「ああ、助かる……ところで明石」

「はい?」

 

 先程まで少女らが装備していた艤装のチェックを始めようと道具を持ち出す明石の背後、引き止めるように長門は佇む。その声が少し震えている事を知ってか知らずか、明石は視線をそちらへ向けようとは決してしない。少しの沈黙を経て、長門は改めて彼女に問い掛けた。

 

「どうして、お前は提督の名前をあの時聞いたんだ」

「……特にこれといった理由は有りません。深雪さんや曙さんの事であちこち走り回っていたので、ひょっとしたら、と思っただけです」

「他に理由は」

「……いえ、ありません」

 

 明石は依然として此方に振り向こうとはせず、黙々と手入れを始める。苛立ちを言葉の端々に滲ませる長門をあしらい続け、幾度かの押し問答を経た後、やがて諦めたように彼女は首を横に振った。

 

「……分かった。この話はやめにしよう、すまなかったな」

「すみません」

「此方が詮索しようとしたのが悪いんだ。……お前や天龍、叢雲程ではないとはいえそれなりに提督の信頼は得ているつもりだったからつい、な」

 

 自嘲気味に呟く長門に少女は答えない。小さく溜息を吐き、その場を後にする彼女を見送ること無く、明石は手を動かし続ける。そうして艤装の手入れが一つ終わり、からん、と乾いた音が彼女一人きりのドックに虚しく響き渡る。手にしていた工具を取り落とし、桜色の髪を吹き込む風に揺らして、少女はぽつりと呟いた。

 

「そういう事じゃないんですよ」

 

 長門を信用していない、という事は無い。最上と曙の件について事情を知っていたことを考えれば、寧ろ艦隊内でも特に信用されている人物の一人に上げられるだろう。しかし、司令官の身体の事はそういった次元の話ですら無いのだ。彼女がシグであったこと、何より公式に死亡したとされている一人目の被験体であることは、もう誰にも知られてはならない。

 天龍に資料を見られただけでも手落ちであるし、何より、既に数名が深海棲艦化に限っては気付いている。この上、彼女が『失敗作』である事が公になってしまえば、この鎮守府のみの話では済まなくなってしまうのだ。そうなれば彼女の末路は自ずと定められる。

 

「……上等。墓場まで持って行ってあげようじゃないですか」

 

 呟く声はそのまま、誰に届くでもなく風に掻き消された。その後も彼女は一人黙々と作業を続け、出撃していた艦娘等の艤装点検を完了させる。大きく腕を上げ、一段落ついたと伸びをしていると、背後から一人分の足音が聞こえてくる。振り返るとそこには、迷いが見える様子でマグカップを二つ手に佇む少女の姿があった。

 

「もが……良さん。どうかしましたか?」

「えっ。いえその、手持ち無沙汰になってしまったので鳳翔さんに何か手伝うことはないか聞いたら、明石さんに差し入れを持っていくように、と言われたので」

「そうでしたか。丁度一通りのチェックが終わったところですし助かります」

 

 明石の手招きに応じ、少女はドックの縁に腰掛ける。良からマグカップを受け取り、白く立ち上る湯気を吐く息で飛ばして、彼女はまだ熱いココアに口付けた。

 

「熱。……まだ此処には慣れませんか」

「……そう、ですね。名前も、まだあんまり馴染まないですし」

 

 既に良と名前を変えた少女はそう言って苦笑いを浮かべる。何でも、会う人会う人が先ず『最上』と口にするせいで、結局そちらの名前の方が直ぐに馴染んでしまったのだという。困ったように話すその口振りに相槌を打ちながら、彼女は胡桃色の熱湯もとい飲み物と格闘を続けている。ちらとそちらに視線を向け、意外なものでも見るようにその瞳を見開いた。

 

「あの、もしかして猫舌でした?」

「ええまあ……極端に苦手というほどではないんですけど」

「あの、良かったら交換しましょうか? 氷を入れてもらったので少し飲みやすいと思います」

「いやいや、それには及びませんよ」

 

 ぶんぶんと手を振り明石が笑う。特に食い下がることはせず、少女は自分の手に収まったマグカップに視線を落とした。どちらから声を掛けるでも無く、波の音を聞きながら黙々とココアを飲む二人。やがて思い出したように明石がその口を開いた。

 

「そういえば、身体の調子は如何ですか? その様子だと特に不具合なども無いようには見受けられますが」

「あ、はい。今の所特には……時々、身体が重く感じる事があるくらいです」

 

 小さく考え込むような仕草を見せたが問題は無いと判断したか、明石は笑顔を見せて良に答える。その反応に安心したか、少女は顔を綻ばせた。

 

「なるほど、でしたら心配することもなさそうですね……少し経過を見つつ、コネクタの稼働率を落としていきましょうか」

「わかりました」

 

 そうして再びの沈黙。いつの間にか空になったマグカップを揺らし、明石はその底に何を見るわけでもなく視線を落とす。最上、藤村良の『やり直し』は順調に進み始めた。提督の言葉や彼女の資料、曙の反応から考えても、恐らく深海棲艦化は無いと判断できるだろう。経過の観察は必要だが、彼女に重きを置く理由はこれでほぼ無くなったと言っていい。

 

「それでその、深雪……さんのことなんですけど」

「深雪ちゃん位フランクに呼んであげた方が彼女も喜びますよ」

 

 茶化すような言葉遣いだが、その声に軽さはない。

 

「……怪我は順調に快方に向かっていますが、目を覚ます気配は有りません。船酔いに関して此方でも調べてはいますけれど、待つしか無い、というのが現状ですね」

「そうですか……それに、提督が倒れたって聞いたんですけどそちらは……」

 

 明石の表情が明らかに歪む。何度か声を出そうとして止めて、とを繰り返し、やっとの思いで吐き出されたのは明確な嘘。

 

「単なる過労ですよ。安静にしていれば早い段階で復帰できると思いますよ」

「本当、なんですか」

「やだな、嘘を吐いた所でメリットがないじゃないですか。ここ最近色々あって、その疲れが一気に来たんでしょうね」

 

 不摂生なんてするもんじゃない、と呟き、その後彼女は一度も口を開こうとはしなかった。

 

 

 

 それから一月余りの時が流れて。司令官が待機するように明石から言伝られている病室。呼び出しを受け、叢雲より改めて自室での謹慎を言い渡された鈴谷は、反抗すること無くそれに従い、熊野の監視の下で生活を続ける事となる。

 そして、入れ違いになるようにもう一人の少女が病室へと足を踏み入れる。菫色の長髪を揺らし足を止める彼女は、掌に掛かる白い袖を気にするように手首を抱えて司令官を呼んだ。

 

「……これでいいんでしょ、クソ提督」

「ふふ、結構似合ってるじゃない」

 

 曙は、『華見 実莉(はなみ みのり)』と書かれた名札を胸に下げた少女は。

 

「じゃあ、改めて処分を言い渡すわ。第五艦娘駐屯地所属、駆逐艦曙改め華見実莉兵曹長は秘書艦を解任、以後は同駐屯地での執務補佐を命じる」

「……」

「表向きは拘留処分、という形よ。殺傷沙汰にならなかっただけ司令官に感謝しなさい」

「……解ってるわよ」

 

 眉間に寄せた皺を崩さず、ふんと一つ鼻を鳴らした。


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