貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之拾伍-エピローグ-

 華見実莉(はなみみのり)という名前は、司令官である京香が考えたものである。元々が戸籍などを持つ人間であるシグとは異なり、オリジナルやクローニングによって生を受けた『元より艦娘であった少女』等は戸籍を、個を識別するための名前を持たない。

艦娘である間は多少の不便こそあれど大きな問題は無かったが、解体に伴い艦娘であることを辞めた時どうするのか、というのは戦線の拡大によって増えつつある艦娘達、全てに共通する問題として未だに明確な解決策は見えてこない。

 そして、曙の上官であり彼女と同じ艤装の記憶を持つ彼女は、少女を自分の家族とする事を選んだ。

 

「うっす」

「あら」

 

 司令官からの辞令を受けた二人は懲罰房を出され、それぞれの罰を課せられた。京香の意識喪失を受け、事情を知る艦娘らが鈴谷、曙両名の監督を買って出た事からの繰り上げである。お陰で曙の所属、名義変更に関しての手続きも早く片付き、司令官代理の登用も滞り無く終了したため彼女は休息に専念できる事となった。

 辞令を下してから一月ほど。既に明石の言う二週間を大きく越えて尚、ベッドで一日の大半を過ごす状態から脱せていない京香の元へ、扉をくぐり天龍が顔を出す。互いに軽く手を上げ、眼帯の少女はそのままベッドの傍に置いてある丸椅子へと腰掛けた。

 

「……まだ動けねえんだな」

「寝たきりって訳じゃないし軽く歩きまわる位は平気よ。流石にここまで長引くとは思ってなかったけどねえ」

「明石さんからある程度聞いてある。艤装ってかアレの侵蝕は抑えられそうなのか?」

 

 天龍の問いにううむ、と唸り声を上げる。しばらく記憶を辿り、やがて思い出したように首を振った。

 

「対処療法ではあるけど、鎮静化自体は出来てるわ。ただ、そのせいで身体補助の大部分が使えないから、そっちのリハビリが問題なんだってさ」

「あー、そういや紫子も艦娘辞めた時苦労してたもんなあ」

「そうね……最初はベッドから出ることすら嫌がってたし」

 

 どこか遠くを見るように、二人は瞳を細める。深雪を撃った日、紫子は電であることを辞めざるを得なくなり、良と同じ様に艤装の機能に鍵を掛けた。しかし彼女が良と違っていたのは、頑なにやり直すことを拒否していた点だった。寝たきりで居たがる少女と司令官等の戦いは熾烈を極めたが、最終的には明石達の説得に負けて人間として此処に居続ける事を選ぶ。

その結果、人間として帰って来た深雪と再会出来た点に関しては幸運と言っていいだろう。

 しかしそれも、無理な艤装の召喚、頭部への殴打によって意識を失った深雪がまだ目を覚まさないことを除けばの話であるが。

 

「それで、深雪の様子は?」

「経過は良好、怪我も治ったし何時でも病室からは出られそうだぜ。……目が覚めたら、の話だけどよ」

「……」

「ただ、明石さんが言うには精神的ショックで逃避行動をとってるから、声を掛け続けてやれば目を覚ます可能性は大きく上がるってさ。お陰で紫子も結構落ち着いてる」

「……そう」

 

 天龍の言葉に安心したように、少女はゆっくりと目を伏せる。波の音を遠くに聞きながら、眼帯の少女は再び口を開いた。彼女が語り始めたのは鈴谷と、彼女の姉という立場になった良の現状報告。長門の叱責が余程堪えたのか、良に対して過剰に依存を見せたりする事もなく、熊野の助けもあり安定している、と天龍は話を打ち切った。

 

「それなら大丈夫だとは思うけど、一日二日で簡単に変わる訳じゃないし、良の経過も気になるから目を離さないようにだけ気を付けててね」

「おう。そんじゃ俺は深雪の顔見てまた部屋に戻るから、何かあったら呼んでくれよ」

「レ級と陸棲型の撃破で制海権が取れたからって怠けないようにしなさいよ?」

「余計なお世話だよ。じゃあまた後でな」

 

 おざなりな返事をし、手を振り病室を出て行く天龍を見送る。力尽きたように身体を仰向けに倒し、天龍が置いて行った報告書に目を向ける。小さな文字の羅列に目を滑らせる内、睡魔が首をもたげたかというところにノックの音が三度響いた。思わず手を緩めたせいでファイルを顔面に取り落として悶絶する京香を他所に、一人の少女が扉を開け、白いマフラーを揺らしその顔を覗かせた。

 

「提督、起きてる……って何してんの?」

「……ちょっとね」

 

 

 

 モニター機器の置かれた病室。規則的に波打つ心電図は状態が安定している事を音と共に長門に知らせる。そちらに一度向けた視線を手元に再び戻し、二本の指が文庫本のページを捲った。紙の擦れる音を掻き消して聞こえる扉の音に振り向けば、小さな驚きの表情を浮かべた天龍が今まさに部屋に入ってきたところであった。

 

「長門の姐さん。来てたのか」

「……暇を持て余していたのでつい、な」

「提督にサボってんじゃないわよ、って言われちまいますよ?」

「その時はその時だよ。それに今はこの通り、休暇中だからな」

 

 そう笑って、長門はヒラヒラと一枚の紙を左手に取って揺らす。ああ、と頷いてから気付いたが、彼女は普段の格好とは大きく印象の異る私服であったし、艤装を身に着けてはいない。改めてその手元に目を向ければ、確かにそこには休暇届、の三文字が大きく印刷されていた。

用意がいい、となんとなく感心していた天龍だったが、ふとある事に気付き首を傾げる。それに同じ様に首を捻り、不審に思った長門が声を掛ける。

 

「どうした?」

「……いや、休暇届出してないなら意味ないんじゃねーかなー、と」

「控えの存在を忘れてないか、お前」

「あ、ああ! そういやありましたね!」

「……天龍、お前はもう少し書類の管理をキッチリとするべきだ」

 

 気を付けますと小さく呟き、気を取り直して長門の隣に椅子を持ち寄り腰掛けた。互いに何をするでもなく、モニターが規則正しく鳴らす音を聞きながら、ただ時を過ごす。深雪は未だに目を覚まさない。読んでいた文庫の本文がそろそろ終わりに近づいたか、というところで天龍が口を開いた。

 

「そういえば、それ何読んでたんです?」

「ん? 小説だが」

「そりゃそうですけど、どんな内容の本なのか気になるじゃないですか」

「よくある悲恋ものだよ。人である事をやめた少女と、人であって欲しいと願った少年の。……ごく有り触れた恋の話だ」

「……」

 

 長門の言葉は、何処か実感を伴う響きをしていて。その寂しそうな横顔に、思わず天龍は目を奪われた。夕日を受けて輝く黒髪がその美しさを殊更に際立たせる。

 

「……恋愛小説って意外と女の子らしい趣味してるんすね、てっきりバイオレンスものかと」

 

 しかし、彼女に気の利いた科白を吐ける程のセンスは無く。口をついて出たのはごくごく自然で、失礼な感想だった。丁度その後ろで扉を引く者がいた事にも、二人は気付かない。

 

「天龍」

「へっ?」

 

 一足で懐に飛び込み、腰を入れ、堂に入ったアッパーカット。女性らしい衣服に身を包んでいても、女性らしいと言われる趣味の本を読んでいようとも。やはり彼女は『戦艦長門』であった。薄れゆく意識の中で、長門と同じ頭飾りを着けたひよこが描かれた可愛らしい栞がふと目に入り、『雷があんなキャラクターのグッズ持ってたなあ』と天龍は思い出した。その直後、彼女の意識は一度途切れる。

 

「私を何だと思っているんだ貴様は!?」

「……長門さん、聞いてないと思います」

「……なんだ紫子、お前も見舞いか?」

 

 ええまあ、と曖昧な返事をし、すっかりのびてしまった天龍の傍へと歩み寄る。ぐるぐると目を回している少女の隣にしゃがみ込み、軽く頬を叩くと数分と経たない内に彼女は意識を取り戻した。

 

「つつ……お、なにやってんだ紫子。っていうか何で俺倒れてたんだ?」

「さ、さあ……」

「大方睡眠不足といった所だろう。少し明石に見てもらった方がいいんじゃないか」

「長門の姐さ……うっ」

 

 紫子に付き添われて身体を起こした天龍は、長門の笑顔を見た途端にその顔を真っ青に染め上げる。精神的なものか肉体的なものかはともかくとして、痛み出した顎に手を添え、唸り声を上げて俯いてしまった。

 

「あの、俺何か失礼なこと言いましたかね」

「何故そんなことを聞くんだ?」

「いえ、その、下顎に殴られたような痛みが……いえ何でもねーっす。ちょっと明石さんのトコ行ってきます」

 

 態とらしい非難の目を向けられ、逃げるように天龍が部屋を立ち去る。明石に手当を受けている内に記憶の方は戻るだろう、と深く考えず長門は大きな溜息を吐き、残された少女に視線を向けた。当の紫子はというと、状況が飲み込めていないらしく、未だに困惑した表情で丸椅子に腰掛けていた。

 

「……すまないな、少し騒ぎ過ぎたようだ」

「それは大丈夫なんですけど、何かあったんですか?」

「いや、その……だな。紫子は、私がこういった本を読むのはおかしいと思うか?」

 

 少し戸惑った様子で、黒髪の彼女は一冊の文庫本を見せる。駆逐艦らしき艤装を身につけた少女と、それと同じ年頃に見える少年が背中合わせに描かれた表紙。真偽はともかくとして、艦娘という存在が志願者を募る形で明るみになってから、こういった『それぞれの想像する艦娘』を題材とした娯楽作品などが雨後の筍の如く生産されるようになった。

長門が読んでいたのは、その中でもシグを題材としているらしく、その登場人物の関係性や描写の妙から艦娘達の間で流行している物であり、漫画化や映像化などの機会もあって一般的な知名度も同様に高い。

 とはいえ、余り小説という媒体に馴染みもなく、テレビや映画もそれほど見ない紫子は漫画化された所までしか知識を持っていない為、長門の知識とも幾分かずれがあった。

 

「私はおかしいとかは思いませんけど……その本、人気ですよね」

「ああ、陸奥から勧められて読み始めてみたんだが、中々面白い。だが、少し哀しい話だ」

「えっ、そうなんですか? 私、前線行きが決まった女の子を男の子が見送る所までしか読んでなくて」

「漫画版か。そっちはまだ前半なんだな、良かったら貸そうか? 前半部分は読み終えているしな」

「うーん、お気持ちは嬉しいんですけど、小説って私読むの苦手で……次の巻が出るのを待とうかと」

 

 此処で続きを明かしてしまうよりはその方がいいな、と二人は笑い合う。明石から聞き及んでいた事もあり、紫子の精神面について懸念もあったが、こうして話している限りでは、紫子が大きく気に病んでいるということも無いように見える。実際に、深雪の身体が完治していることや、教えられた通りに声掛けを続けており、此処数日で無意識的なものとはいえど反応を得られるようになった事などが紫子の精神を大きく助けていた。

 

「そういえば、その栞って艦娘ひよこ……ちゃんと長門さんなんですね」

「ああ、雷が少し前にくれてな。あの子は暁型全員分をコレクションしているらしい」

「金剛さんのひよこがつぶらな瞳で可愛くて好きなんです、私」

「ああ、金剛ひよこは良い具合に阿呆っぽいな。ウチのによく似ている」

「あー……でも、長門ひよこはキリッとしてますよね、凛々しいというか」

「私のひよこも、もう少し可愛いといいんだが」

「金剛さんが羨ましいんじゃないですか」

「そんな事はない」

 

 益体もない話をどちらともなく続け、どれほどの時間が経っただろうか。いつの間にか日が沈みきっている事に気付き、電灯を点けて時計に目をやれば、既に時刻は十八時を半ば程過ぎた所であった。持ってきていたハンドバッグに文庫本を仕舞い、丸椅子を片付けるように隅に寄せ、軽く息を吐いた後に長門が振り返る。

 

「……ふむ、結構いい時間になったな。そろそろ食堂にでも行こうか」

「そうですね。私今日はお休みを頂いているので、ご一緒してもいいですか?」

「ああ。そういえば良の様子はどうだ? ちゃんとやれているなら良いが」

「飲み込みも早いですし、追い越されちゃいそうでうかうかしていられないですね。最上さん、って呼んじゃうのが癖になってて、その度に困った顔をされちゃいますけど、良くお話させて貰ってます」

 

 そう言って『艦娘だった事のある少女』は気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。


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