貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之拾陸-エピローグ-

「明石さん、ちょっと時間良いか?」

 

 医務室。テーブルに向かい合い資料を見つめる少女の背中に、ノックと、遅れて彼女を呼ぶ声が聞こえる。視線を外さず承諾し、扉を開けて天龍が部屋に入った所でそちらに視線を向けた。後ろ手に鍵を掛ける動作にひそめた眉を直ぐに戻し、何事もなかったかのように笑顔で彼女を迎えた。

 

「どうしたんですか天龍さん、顎なんて押さえちゃって」

「いや、俺もよく分かってないというか、長門さんと話してたら急に意識失ってさ。気になるし見て貰おうかと」

「……は?」

 

 思わず声のトーンが一段低くなる。先の戦闘でも大きな怪我をしておらず、船酔いに罹った形跡もない。艦娘としては健常そのものである彼女が、平時に突然意識を失ったと言うのだから、天龍を診ていた明石からすれば恐怖にも似た感情が芽生えることもおかしくはないだろう。

慌てて腕を掴み少女を診察台へと寝かせ、天龍が押さえていた顎を調べた辺りで、彼女の瞳は恐れから呆れへとその色を変えた。

 

「殴られたんですよコレ。まったく、長門さんに何言ったんですか貴方……」

「なるほど道理で! ……いや、全然心当たりねーんだけど」

 

 じとり、と明石の翡翠の瞳に睨まれ、渋々といった様子で身体を起こし、記憶の糸を手繰る。深雪の居る病室に足を踏み入れ、珍しく私服姿であった長門と座って話し始めた所までは思い出せたが、話題が途切れ、長門が何かを手に取った辺りからの記憶が判然としない。それをそのまま明石に伝えれば、彼女はなるほどと一人得心がいった様子でそれ以上を聞こうとはしなかった。

 

「……今のでいいのかよ」

「恐らく割と失礼なことを言ったんだろうなあ、というのがわかったのでまあ」

「俺が思い出せてないんだけどなぁ」

「まあ、迂闊なことを言って殴られたくらいの認識でいいんじゃないですかね」

「……そういうもんかね」

 

 そういうもんです。そう言って明石は笑みを浮かべる。小さく溜息を吐いた天龍は、施錠された扉にちらりと視線を向け、その後再び明石の方へと、正確にはその背後の机の上、ある一点を見つめる。明石の表情は変わらない。

幾つものファイルの間に無造作に挟まれた書類を見て、今から口にしようとしているのも彼女が言う『迂闊なこと』なのだろうな、と内心溜息を吐いた。

 

「どうしました? 私の顔に何かついてます?」

「いや……なあ、明石さん」

「……?」

「三特艦なんだろ、お前」

 

 この一言の為に、明石と二人きりになるタイミングを作ったのだ。なるべくなら直接的な証拠を突きつけられる状況を作り上げたかったし、内容上他者に効かれる可能性を排除しておきたかった事もあり、偶然の産物とはいえ明石一人の医務室に立ち入る用事が出来たのは、天龍にとって非常に都合が良かったのだ。

 三特艦。正式名称を『第三特殊艦娘部隊』とする、海上以外の任務に従事する艦娘を集めた部隊であり、艤装を用いた戦闘は元より、その外見を活かした諜報や潜入など、彼女等の戦場は様々な場に存在している。

 例えば、『重要人物の監視、有事の際の処理』なども。

 

「……や、やだなぁ、三特艦って大本営直轄の精鋭部隊じゃないですか。そこの艦娘がわざわざこんな所で医務やら整備やらやってませんよ」

「明石さん、確か提督着任からずっと一緒だったよな? それにアイツは『艦娘推進派重要人物の孫娘』で『深海棲艦化しかけてる元艦娘』だろ、今にして思えば監視の目がない方がどうかしてるぜ。それにあのファイルにしたって普通持ってる筈がない資料だ」

「……」

「反論はあるか?」

 

 天龍の問い掛けには答えようとはせず、少女はゆっくりと視線を外す。自分達の上官を監視、或いは処分せんとしているかもしれない相手と向き合う緊張からか、思わず大きく息を吸い込む。遅れて明石が息を吐き、とんとん、と靴を鳴らした音に意識を向けた一瞬を、その直後、彼女は後悔することになる。

 

「なッ!?」

「ちっ」

 

 小さな風切り音に慌てて床を蹴りつけ、上体を大きく後ろに倒す。崩れ落ちないように座面の両脇をがし、と掴んだ。驚愕に見開かれた視線の先を、バタフライナイフを握る明石の右腕が通り抜け、その手首が今度は、『それ』を逆手に持ち替え重力に従い落ちてくる。

 地面と平行になっていた身体をそのまま右方向に捻り、床を転がりながら先程まで腰掛けていた椅子を明石に向けて投げ付けた。

 

「てめえッ……!!」

「この……!」

 

 左腕でそれを防ぎ、一足飛びに距離を詰めてくる桜色の髪を、その腕を注視。横薙ぎ、続けて返す切っ先を正確に払い除け、それに合わせて意図的に上体を軽く崩して見せる。狙いは対面している少女の焦り。

 そして、その餌に釣られて再び、彼女は初めに天龍を狙った際と同じ突きを繰り出した。

 

「ちったぁ、頭冷えたか馬鹿野郎!」

「えっ、ぐうっ!?」

 

 伸びきった右腕を両手で掴み取り、右足で大きく踏み込まれた明石の足を身体の内側に向けて払う。バランスを崩した少女はそのまま、天龍に仰向けの状態で引き倒された。慌てて起き上がろうとした彼女の鼻先には、紫掛かった光を放つ剣先が突き付けられている。

 腕の力を抜いてそのまま倒れこんだ少女に向かって、天龍は大きく鼻を鳴らした。

 

「ふんっ、戦闘艦なめんじゃねえ」

「はあ……降参です。すいません、色々考えが纏まらない状態だったので、つい」

「ついじゃねえよ……ったく、エンブレムといいコレといい、判断力鈍ってきてんじゃねーか?」

「エンブレム?」

 

 呆気にとられたような明石の問に、天龍は懐から一つのワッペンを取り出す。盾型の枠の中に描かれた錨、その左右にはそれぞれ『3』『§(セクションサイン)』の文字が刺繍されている。それは紛れも無く明石の、彼女が籍を置いている三特艦を示すものであった。

 

「どうして」

「前検査受けたろ、あの時落としてたのを拾ったんだよ。他の奴に見つかったら困るだろうと思ってな」

 

 やれやれと首を振って語る天龍を見つめるのは戸惑いに揺れる明石の双眸。そこまで気付いていて、何故、と言外に問う。

 

「イヤ、あのな、そもそもなんで俺がお前と敵対する必要があるんだって話なんだが」

「……えっ?」

「えっ? じゃねえだろ」

 

 

 

 時を同じくして、とある病室。京香は、彼女の元を訪れた川内をそのまま招き入れ、他愛もない話に花を咲かせていた。川内がやって来た用事そのものは然程大したことではなく、彼女が指揮を任されている水雷戦隊の近況報告くらいのものであった。

 それ故早々に事務的な話を済ませ、手持ち無沙汰になった少女に対し、茶くらいは飲んでいけと京香は引き止め、何かしら思う所があったようだが、断ること無く川内はその誘いを受けた。

 

「この前は悪かったわね、あんなのいきなり見せちゃって」

 

 怖かったでしょ? と自嘲気味に司令官の少女は笑う。

 

「……此方こそ、ごめんなさい。全然気持ちの整理付かなかったから」

「ま、タメ口で話してくれるようになったしあんまり気にしてないわよ。ていうか、アレ見ただけでどういう物かってのは教えてないんだったっけ?」

 

 ええまあ、と曖昧に言葉を濁す。事情が事情故に、ある程度内容を知る天龍や明石なども彼女の問に明確な回答を用意できず、川内自身、艦隊を離れる事はしないまでも未だに凝りは抱えたままであった。

京香が彼女を呼び止めたのも、自分に可能な範囲でそれを取り除けないか、と考えたが故の行動である。全てではないにしろ、疑問に思っている点が明らかになりさえすれば、気休め程度にはなるのではないかと。

 

「詳しい話はちょっと出来ないんだけど、概ね想像してる通りよ。私の身体は、少なくとも一部が深海棲艦化してる。今の所は自分の意志で制御できるから、伊豆の時みたいな事も出来るってわけよ。今回病室で引き篭る羽目になった理由もコレね」

「あの、深雪ちゃんのことも大まかな話は聞いたけど、やっぱり、深海棲艦と艦娘ってそういう……」

「どうかしら。相互に行き来できる辺り何かしらの関係はあるんだろうけど、こっちもよく分かってないから」

「詳しい話が出来ないっていうのも?」

「それもあるけど、そっちはそっちで重要機密だからねー」

 

 意地の悪い笑みを浮かべ、少女は膝の上に置いていたファイルに目を落とす。釣られて視線を向けた川内の頭上に疑問符が浮かび上がった。

 

「提督、それは? 入ってきた時読んでたみたいだけど」

「ん? ああ、天龍の持ってきた報告書。鈴谷のと深雪の経過報告とね」

「……深雪ちゃん、大丈夫なの?」

「……分かんない。体の方はもう何とも無いんだけど、未だに眠ったままだってさ」

 

 京香の言葉に、少女は微妙な表情を浮かべ、眉間に皺を寄せた。とは言え彼女が司令官に向けて言える言葉も無く、ただ瞳を伏せるのみ。それを見て思う所があったか、ベッドの少女は小さな笑みを零し、川内に向かって一つ、質問を投げ掛けた。

 

「そういえばさ、曙……じゃなかった、実莉は今どうしてるの?」

「え? ああ、大淀さんに色々聞きながら書類仕事とかやってるよ。元々艦娘だから最低限の運用は知ってたし、飲み込みも早くて助かってるってさ」

 

 そこまで言い掛けて、はた、と首を捻る。そういえば目の前の提督の苗字は何と言っただろう、と。その疑問は無意識の内に口をついて出ていた。

 

「そういえば、なんであの子、提督と同じ苗字にしたの?」

「んー」

 

 態とらしく考え込む素振り。川内自身、彼女の話や外見上の特徴などから大凡の当たりをつけた上での問いかけであるため、それが見せかけである事には気付いている。

 駆逐艦『曙』は、揃いも揃ってそういう奴ばかりなのだ、と。

 

「ま、他人事に思えなかったし、ほっとけなかったのよ」

「……提督も曙だったから?」

「……そんな所」

 

 そう言って二人は笑い合う。疑念や恐怖心というものが完全に消えたわけでは無かったが、それでも、それまで自分が従ってきた提督であることには変わりないと思える程度に、彼女のことを知ることが出来た。

しかし同時に、機密と称して隠している部分を知ることは叶わないだろうという事をそれまでのやりとりの上で理解出来てしまったことが、なんとなく寂しく感じる。所詮いち艦娘の持つ権限など、その程度に過ぎないのだと。

 

「提督、ちょっと深雪ちゃんの所行かない? 絶対安静、とまでは行かないんでしょ?」

 

 だから、気を紛らわそうと、彼女は無機質な病室を出る事にした。

 

「あら、結構いい時間になってたのね。じゃあちょっと顔見てから晩御飯にしようかしら」

「快気祝いには早いけど、たまには元気なトコ見せないとみんな心配するよ?」

「……皆、ね」

 

 何の気なしに言った言葉に引っかかりを覚えたか、ぽつりと少女は呟く。川内はそれに気付かず、扉を開けて既に部屋を出る準備は万端、といった調子だ。小さく肩を竦め、京香はベッドからゆっくりと抜け出す。椅子を支えに立ち上がろうとしたその時、膝ががくん、と力を失う。

突然姿勢を崩し、膝を着いて倒れかけた少女に駆け寄り、川内は声を上げた。

 

「て、提督大丈夫!?」

「へ、平気平気。ちょっと力上手く入らなかっただけだからさ」

「ごめん、肩貸そうか?」

「……ああうん、お願い」

 

 肩を貸して歩いている内に、幾つかのことを聞かされた。出自を問わず、艦娘は『身体側にあるコネクタ』によって身体機能を大きく助けられていること。実莉が平然としているのは、コネクタや扱者として紐付けされた主機の機能停止が済んでおらないため、補助を受けたままである、つまりは『未だに艦娘である』のが理由であるということ。

逆に主機を失った良は徐々にコネクタの稼働率を落とし、補助を切る段階に既に入っていること。

 そして、京香の身体に備え付けられたコネクタは、強制的な冷却により抑制できているだけで、未だに機能停止も出来ないまま深海棲艦化が進行し続けているということ。

 

「……ごめんね」

 

 悲しげに笑う彼女のそれは、既に『艦娘』と呼べる存在のものではなかったのだ。

 

 

 

「……」

 

 灯りの消えた別の病室。桔梗に染まり始めた空を、栗色の瞳がぼんやりと眺めていた。


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