貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之拾漆-エピローグ-

 医務室の扉を揃ってくぐり、廊下へと歩を踏み出す。暮れてしまった窓の外と時計とを見比べ、明石と天龍の二人は夕食を摂ろう、という事で意見が一致したのだ。

 

「……ホントにすみません」

「いやまあ、別に良いけどよ……大淀さんと提督にも連絡して休み取った方が良いんじゃねーかな、ストレスでハゲちまうぞ?」

「やめてくださいよ、考えたくない」

 

 うわあ、と思わず頭部、正確には自身の髪を確かめるようにその手を動かす。一気に抜け落ちる、という事は当然ながら無かったが、その指通りの悪さに溜息を大きく吐き、少女はその足を早めた。慌てて天龍がそれを追う。

 

「お、おい」

「決めました、今日はガッツリ食べて明日から一週間程休養を取ります!」

「イヤ決めましたって……はぁ、勝手にしてくれ」

「ええ勝手にしますとも。よくよく考えたら最近ろくに眠れてませんでしたからね」

 

 態とらしくそう笑いながら少女は歩き続ける。休め、と言ったのは確かに自分だが、まさか今日明日からとは思っていなかったらしく、天龍の頬がぴくりと引きつった。とはいえ、先の判断力低下を重く見て休養を勧めた手前止める事も躊躇われ、その結果。

 意気揚々とした明石の足取りを後ろから追いかけながら、なるようになれ、と呆れたような笑みを浮かべるのであった。

 

「あれ、川内さんに……提督?」

「出歩いてて大丈夫なのか?」

 

 突き当りに到達し、左右に伸びる廊下で足を止める。右手を見ていた明石の言葉に振り向いた先に居たのは、未だ体調が優れないように見える京香と、彼女に肩を貸して歩く川内の姿。声を掛けようとした天龍を制し、明石はもう少し様子を見てみよう、と告げる。それに対して否定を返すこともなく、二人の様子に注意を向け、彼女は気付いた。

 いつの間にか、距離を取ろうとしていた筈の川内が京香に向けて笑いかけていた事に。

 

「やれやれ、やっと踏ん切りついたのかよ。……遅えなぁホント」

「……心の準備もあったもんじゃありませんでしたからね、私達と違って」

「それもそうだな。おーい、提督!」

 

 手を振って二人分の人影に向かい声を張る天龍、それに反応して振り向いた二人が呆れたような苦笑いを浮かべて手を振り返す。天龍と明石は目を見合わせ、歩調を速めて京香達に追いついた。

 

「あんた達も夕飯?」

「おう。お前、病人なんだからあんま気楽に連れ出すなよ?」

「提督が平気って言ったんだよ。ご飯済んだらまた送ってくしさ」

 

 提督のせいにするのかよ、などと軽口を叩き合う内、一番後ろを着いて歩いていた明石が声を上げる。食堂は反対方向だ、何処へ向かっているのか、と。言われてみればそうだなと首を捻る天龍に対し、京香は笑って深雪の見舞いだと答えた。

 

「……もう一ヶ月以上経ってんだな」

「……そうね」

「深雪さんが目覚めてくれれば気兼ねなく休めるんですけどねー」

「その間のドックはどうするんですか?」

「指揮は夕張さん辺りにでも任せますよ。私睡眠不足なんで」

 

 他愛のない話を続けながら、少女達は廊下を歩く。途中、窓の外の満月に目を奪われたり、月明かりに煌めく水面に視線を落としたり。軍務から外れたほんの一時である故か、潮の香りがやけに心地よかった。

 ある者は休暇の予定にああでもない、こうでもないと思索を巡らせ、ある者は未だ目覚めることのない少女を思う。四人はそれぞれに、自身なりの区切りを朧げながら見出していた。

 

「……あれ?」

「どうした提督……ってアレ、紫子に長門さんじゃねえか」

 

 天龍が指差した扉から、二人の少女が連れ立って出てくる。長身の一人は柔らかな笑みをその顔に浮かべて、そしてもう一人は、大粒の涙をその瞳一杯に溢れさせて。京香達は、その意味を無意識の内に察し、彼女等に問いかけざるをえなかった。この希望的観測が正しいのだとしたら、こんなに喜ばしいことは無いのだから。

 早足で駆け寄ってくる四人に気付いた長門と紫子は、喜色を湛えた表情でその期待に答えた。

 

「長門。深雪は?」

「今はもう眠ってしまっている。……一時的なものかもしれないが、さっきまで彼女と話していたんだ」

「本当……ですか」

「嘘じゃない、です、ちゃんと、話せたんです」

「……良かったね、紫子ちゃん」

 

 栗色の髪に優しく置かれた手の暖かさに、少女は堰を切ったように大声を上げ、しゃがみ込んだ川内の胸に飛び込み、そのまま涙を流し続ける。それを遠巻きに見守るように佇む長門の傍に、天龍が歩み寄る。彼女の直ぐ側の壁に背中を預け、彼女は小さく息を吐き出した。

 

「……深雪、どうでした?」

「深海棲艦化を引き摺っている、という事は無さそうだ。主機からの切り離しがまだだが、それが原因でどうこうなる、という事はないだろう」

「……だと良いんすけどね」

 

 ぽつりと呟いた言葉は誰の耳にも届かず夜に消える。眉間に寄せた皺を指で解し、一向に泣き止まない紫子を宥めすかして、すっかり遅くなってしまった夕食のために食堂へ向かうのであった。

 そして食堂では、間宮は既に後片付けの為に下がっており、今日は鳳翔一人が彼女等を出迎える。万全とは言えずとも笑顔を浮かべる京香と、深雪が目が覚めた事を嬉しそうに話す紫子の姿に、彼女はその日一番の笑みと『ささやかなお祝い』で応えてくれた。

 

 

 

「うっす提督」

 

 その翌朝。長門に送られ病室で夜を明かした京香の元へ、昨日の酔いなど何処へやら、といった様子の天龍が訪れる。明石と川内は酒に呑まれて酔い潰れ、天龍に介抱された後を京香は知らない。

 

「おはよう。明石と川内は?」

「ん? ああ、ありゃ二日酔いコースだな。川内は多分部屋でダウンしてんじゃねーかな」

「……つーかアンタも川内も未成年でしょ、今回は大目に見るけど次やったら懲罰房入れるからね」

「シグならともかく、オリジナルに年齢とか関係無くねえ? 艦齢で言ったら二十三だぜ俺」

「関係あるの。アンタ雪風とか多摩とかがお酒飲んでるトコ見たい?」

 

 真顔で問う京香に、思わず『明らかに十代にしか見えない少女らが平然と飲酒喫煙を行う』光景を思い浮かべ、露骨にげんなりとした表情を見せる。確かにこれは嫌な絵面だわ、と呟く天龍に対し、何故か京香の反応は得意げだった。

 

「そこ得意げになるトコじゃねーだろ」

「まあそんな訳でオリジナルだろうと外見年齢基準よ。そもそも登録書類見なきゃオリジナルかどうかが分かりにくいんだから全解禁は無理だしね」

「まあなあ」

「ちなみに言っておくとウチ禁煙だから」

「いや、そっちはそもそも吸わねえから良いんだけどよ……あ」

「何?」

 

 艦齢の話で思い出してはいけないことでもあったらしく、反射的に口をついた声を慌てて飲み込む。不審に思って問いただしてみればそれは大した話ではなく、しかしながらあまり看過したいものでもなかった。

 

「川内のヤツ艦齢でも未成年だったわ……」

「……どっちにしろアウトじゃない」

「ちなみに明石さんって五歳無いんだぜ」

「そうなの?!」

 

 一通り雑談の内容も尽きたのか、何方からともなく会話がぴた、と途切れた。やけに乾いた喉を潤そうとコップに手を伸ばし、京香はそれに口を付ける。黙々と持ち込んだ菓子に手を伸ばしていた天龍が、ふと考え込むような仕草を見せて、数分ぶりに口を開いた。

 

「こっち来るついでに深雪と会ってきた」

「……どうだった?」

「……起きてたよ。平気そうな顔してな」

 

 声のトーンこそ低かったが、そこには隠し切れない程の喜びの感情が滲み出ており、そこを指摘すれば少女は気恥ずかしそうに笑みを浮かべる。深雪は既に明石による診察も済んでおり、後遺症の類は考え難い、とお墨付きを受けていた。当の明石は二日酔いで大丈夫そうじゃなかったが、とは付き添っていた長門の言である。

 念の為病室で様子を見る事になるとは言っていたが、身体的な問題が無いことは既にハッキリしていたため、一二週間程度で病室から出られるだろう。天龍が一通り語った状況からも、不安視すべき箇所はほぼ無いと判断できる。意識を取り戻したという事実からくる安心感に、少女は大きく息を吐いた。

 

「……これでようやく、全員生還か」

「……そーゆーこったな。祝賀会でもやるか?」

「それも良いと思うんだけど、今一つ時期外れな感じはするわね」

 

 京香の言葉に同意を返しつつも、これといった案が浮かばず天龍はううむ、と首を捻り、京香も同じ様に眉間に皺を寄せる。そうして二人分の唸り声が暫く続いたかと思うと、不意に京香が口を開いた。集合写真なんてどうだろうか、と。

 当然断る理由など天龍にはなく、余り大掛かりな準備をしなくて済むことや思う所のある者でも参加に対してのハードルが低いことなどから、少なくとも先に挙げた祝賀会よりは向きではないか、と同意を示す。その反応に、少女は満足そうに笑みを浮かべた。

 

「それじゃあ適当な所で段取り組まないとね」

「俺の方で叢雲とか大淀さん辺りに伝えとくから、提督は体調整えるのを優先してくれりゃあいいよ」

「……了解。写真屋だったらウチのお得意様が居るし、大淀に聞いておいてくれるかしら」

「分かった。予算とか大丈夫なのか?」

「ま、そんなに安くはないけど理由が理由だし平気よ。そういえば明石ってどうしてるの? 昨夜休暇届渡されてから見てないけど」

 

 テーブルから一枚の書類を取り、ぴら、とそれを天龍に見せる。殴り書きの申請理由と、楷書体で印字された休暇届の文字。長門のものと同じか、となんとなくそれに視線を向けた少女の瞳が、京香の手にあったもう一枚に意識を取られる。

 それは外出許可証。有り体に言って機密の塊である艦娘等が、鎮守府や海軍の所有地を出る際に発行される書類であり、もともと家族などを持つシグの里帰りであったり、オリジナルでも外食や映画といった娯楽に興じる為に出願される事が間々ある。そして、京香に声を掛けて見せてもらってみれば、そこには明石の名前と、慰安のためという端的な出願事由が彼女の筆跡で残されていた。

 

「昨日の今日で出てったのか? 二日酔いっぽいって長門姐さん言ってたんだがなあ」

「……慰安、ねえ」

「……提督?」

 

 なんでもないわ、そう言って少女は笑う。そんなわけないだろ、と思いつつも口には出さず、天龍は大人しく相槌を打った。

 

 

 

 同日、第五艦娘駐屯地の敷地を大きく外れた街中の喫茶店。桜色の髪を小さく揺らし、煌々と照る日差しに瞳を細め、窓の外を眺める。店員によって運ばれてきたソーダフロートを前に、その大粒の雫が現れ始めた器で冷たくなった掌を濡らし、溶け始めたアイスの表面をスプーンで削ぎ取る。

仄かに蒼く染まったそれを口に入れ、バニラエッセンスの香りとわずかに口腔を刺す炭酸に頬を緩ませた。

 

「んんー、冬場に暖房の効いた室内で冷たいフロートというのも乙な物ですねえ」

「……炬燵でアイスを食うようなもんか、俺には良く分からんね。みかんだろみかん」

 

 その向かいには、ベージュ系のダッフルコートを背もたれに掛け、態とらしくコーヒーカップから立つ湯気を吹く三十代半ば程の男が座っている。その顎に蓄えた無精髭を指でなぞり、彼は大きく息をついた。

 

「とりあえずだ、お仕事ご苦労さん」

「有難うございます。でもどうしたんですか、いきなり休みを取って外に出てこい、って」

「ん? 報告書は読ませて貰ってたが、お前さん働き過ぎじゃないかと思ってな。嬢ちゃんの着任からだからそろそろ一年ほどかね」

 

 春ごろの着任でしたからもうすぐですね。明石は素っ気なくそう答える。それを意に介した様子もなく、男はそのまま言葉を続けた。

 

「……で、だ。そろそろ潮時だと思うがな」

「……何の話ですか」

「聞きたいか?」

「いえ。……ですが、まだ、時間はあるはずです」

 

 震える唇を噛み、少女は瞳を伏せる。何の話か、を問う必要はない。彼は、彼女が本来所属する『三特艦』の司令官は手遅れになる前に京香を人間に戻すか処分しろ、とそう言っているのだから。

 そして、明石はそのどちらも選べずにいる。前者を選んだとして、深海棲艦化し身体の芯の方まで侵食している艤装を除去するには、大掛かりな設備と手術が必要になる上に、彼女の心身に対しての保証が無い。それこそ負荷で命を失う可能性もあれば、良くて脊椎の切削等からくる半身不随がいい所だろう。

機能を失わず、生命活動を独自で行う化物を取り除くというのはそういうことなのだ。

 

「……ウチに入って間もないお前さんを嬢ちゃんの所に送った手前、あんまり強くは言えんが、見誤るなよ」

「提督……」

 

 腰を浮かせて身を乗り出そうとした少女を制し、耳元に男は顔を近づける。身を引く暇も与えられないまま、告げられた言葉を噛み締め、少女は握りしめた拳に血を滲ませる事しか出来なかった。

 

「『化物退治』に発展させて嬢ちゃんの尊厳を奪うような真似だけは絶対にすんじゃねえぞ。これは上官命令だ」

「……は、い」


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