貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之拾捌-エピローグ-

 空がすっかり朱に焼けてしまった。未だ疎らになる気配も無い雑踏を掻き分け、桜色の髪を靡かせ少女は歩く。時折道を確認するように首を振り足を止めるが、それも直ぐに止めて再び歩みを進めてゆく。何処へ行くとも知れぬ人の波は、明石の心情そのものであった。

 

「……どうすれば良いんでしょう」

 

 一言で言うなら、彼女は迷子になっていた。それ自体決して瑣末ではない大きな問題ではあったのだが、それ以上に、先程喫茶店で顔を合わせた『本来の上官』の放った言葉が明石の脳裏をずっと支配し続けていた。

『化物退治に発展させるな』これでも彼なりに直接的な言い回しを避けたつもりなのだろうが、報告書を渡している以上『華見京香』がどういう状態なのかは知っている筈である。

 それはつまり、明石に対して京香の命を背負え、と言うも同じなのだ。

 

「どれを選んだって、人殺しになるのは変わりないじゃないですか」

「久し振りに見たと思えば、随分と浮かない顔をしていますね」

 

 思いもよらない方向からの声に、はっと顔を上げる。二、三メートルほど先の正面には、明石より幾分か背の低い、薄紫色の髪に青い瞳の少女。休日の夕方近い街中でその制服姿は一際目に付きやすかった。

 

「……不知火さん、お久しぶりですね」

「区別は利くようで何よりです。その様子だと上司からセクハラでもされましたか」

「いやいやまさか」

 

 言い掛けて、明石は口を噤む。そして、考え込む素振りの後、彼女は神妙な面持ちで口を開いた。

 

「ええまあ、そんな所ですかね……」

「……少しお話でもしましょうか」

「そうですね」

 

 不知火と呼ばれた制服姿の少女は、明石の属する三特艦側での同僚であり、その名の通り陽炎型駆逐艦、不知火の艤装に適合した艦娘である。同型の艦娘と比較しても特に愛想のない個体で尚且つ、現在実戦配備されている艦娘でも珍しい『クローン』の一人だった。

 明石からしても、三特艦に配属されてから今の第五駐屯地へ異動命令が出るまでの短い期間しか付き合いはなかったが、そのつっけんどんな物言いと上官を上官と思わない司令官とのやりとりから、彼女は非常に強く記憶に残っていた。

 

「さて、とはいえあの男と話していたというのであればこれから喫茶店、というのも明石さんとしては好ましくありませんね」

「まあ二度目ですからねえ。じゃあどうしましょうか、ある程度腰を落ち着けて話ができると良いんですけど……」

「無難な所でカラオケなど如何ですか」

 

 え、と小さな声が返ってくる。不知火はどうやらそれを疑問に思ったらしく声の主に視線を向けてみれば、明石が「こいつは何を言っているんだ」とでも言うような表情を浮かべて此方を見ていた。何かおかしな事を言っただろうか、と少女は更に首を捻る。

 

「……不知火に何か落ち度でも?」

「い、いえ、まさか不知火さんの口からカラオケなんて単語が出るとは思わなくて……すみません」

「失敬な。不知火だって娯楽位は嗜みます」

「そ、そうですよね……」

 

 小さく頬を膨らませ、少女は不快そうに眉根を寄せる。とはいえ明石が頭を下げた時点でそれ以上とやかく言うつもりも無かったらしく、少し経ってしまえば先程までの無愛想な表情に戻ってしまっていた。内心それを残念に思いつつも、特に踏み込むことはせず不知火を促す。

 色々な意味で道に迷っている最中の明石ができるのは、落ち着いて物事を考えられる状況を作り出す為に、目の前に居る小さな先輩を頼ることだけであった。

 この辺りは自分の庭のようなものだ、と言いたげな態度をちらりと見せつつ足を止めること無く不知火は一メートルほど先を歩き続ける。人混みより頭ひとつ低いその背中を見失わないように追いかける明石の表情は硬い。一度はぐれてしまおうものなら、今度こそ自分は警察の世話にならなくてはいけなくなる、形式上成人している軍属の自分が、よりにもよって迷子などという理由で。

 そう考えると、不知火を追う足は自然と歩調を速めていた。

 

 

 

「さて、では手始めに何か一曲どうぞ。ドリンクバーを頼んでいますし、お菓子が来るまでは込み入った話もできませんので」

「……後半部分の理由から前半部分に繋がるのが理解できないんですけども」

 

 そうして二人連れ立って入ったカラオケボックス。慣れた様子で店員への注文などを一通り済ませ、話をするだけのはずが何故かカラオケ機器の機種まで指定して部屋へと案内される不知火と、呆気にとられながらもとりあえずその後ろをついて歩く明石。店員が部屋を出る際にも親しそうに会話を交わしていた辺り、彼女は此処に来たことが何度かあるのだろう、と思えた。

 

「カラオケに来たのだから歌うのは当然の事だと思いますが」

「……それはそうかもしれませんけど」

「……つかぬ事をお伺いしますが、ひょっとしてカラオケは初めてでしたか?」

 

 目を丸くして恐る恐る、といった様子で問い掛ける少女に対して、脂汗を浮かべて視線を逸らす。

 

「恥ずかしながら、生まれてこの方軍務に掛かりっきりでしたので余り娯楽の類は……」

「では映画や音楽などは」

「そ、そこまでではありませんよ。提督……ええと、今所属してる方の華見中佐ですね、彼女に連れられて外出したことは何度かありますし、その際に色々とおすすめの歌手やバンド等を教えてもらったりもしましたので」

「でしたら適当に教えて頂ければ後は不知火が」

 

 そう言いながら電子歌本の画面を見せ、最近好んで聞いている歌手や楽曲等を問う。カラオケがどういう場なのか、を忘れてその入力デバイスに食いつき、促されるまま楽曲を選択して機器へと送信、伴奏が流れてきた辺りで不知火から渡されたマイクに目を落とし、彼女はようやく自分が何をしたのかを悟った。

 

「ちょちょっと私が歌うんですかコレ!?」

「選曲したからには。ちなみに途中で中断することは出来ませんので」

「え、嘘、冗談ですよね!?」

「始まりますよ?」

「え、あぁっ!」

 

 画面に目を向けると、テロップが既に歌い出しの歌詞を表示しており、前奏も直ぐに終了してしまう、という所で。散々混乱した挙句、彼女は初めてのカラオケで『大サビを歌っている最中に店員が注文した料理を持って入ってくる』という通過儀礼をこなすことになってしまったのだった。

 

「余りお上手ではありませんね」

「……人前で歌うのなんて初めてなんですから仕方ないじゃないですか。そもそも鼻歌すら殆どないのに」

「とはいえ、大きな声を出すとスッキリしますでしょう。不知火はガス抜きという目的も含めて、この場所が好きです」

「……それには同感です」

「さて」

 

 コトリ、とマイクをテーブルに置き、少女の青い双眸が此方を射抜く。幾分か柔らかくなっていた表情も何処かへ消え去り、そこには戦闘兵器たる『艦娘不知火』の姿があった。小さく喉を鳴らし、明石は無意識の内に居住まいを正す。

 

「司令との話の内容というのも概ね察しはついていますが、華見京香中佐の処遇について、という話で間違いありませんか?」

「……はい。提督はそろそろ潮時だろ、と」

「別に好機でも何でもありませんが。とはいえ、明石さん自身時間が無いだろう、という事は当然ながら理解していますね」

 

 不知火の遠慮無い言葉に二の句を継げない。その後も反論を許すこと無く少女は言葉を続ける、深海棲艦化が進行している人物を軍籍に置き続けることが周囲にどのような悪影響を及ぼすのか、結果としてただ死を迎えるだけならまだしも、もし完全な敵となって牙を剥くことになれば、貴方が身を置く駐屯地の艦娘等はどうなるのか。

 そして万が一、自らの部下を手に掛けるという業を負い、人類の敵として京香が命を落とす事になったら、貴方はそれを招いた自分自身を赦せるのか、と。望む望まないに関わらず、明石は既に選択しなければならない立場に立っている、そう少女は締め括った。

 

「……不知火個人の感情としては、失敗作のシグといえど、同じ艦娘である以上可能であるなら深海棲艦化を食い止められれば、とは思います」

「ですから、時間はまだ」

「あるというのですか? あのような状態で、彼女がまだ、人間に戻れる猶予がある、と」

 

 息が詰まる。勢い良く伸ばされた右腕が明石の襟首を掴み、咳き込む彼女を気にもせずその額に自身の額を突き合わせる。此方を睨め上げる不知火の瞳を染めていた感情は、怒りだった。

 

「覚悟を決めなさい。……我々の前に人と出会った三笠や、彼女等オリジナル達が『バケモノに変えた』少女の命を背負うという貧乏くじを、貴方は引いたんです。今更、猶予が無くなったからといってそれを放棄することなど、不知火は決して許しません」

 

 直後、強い力で払われた腕が、行き場を失い力なく垂れ下がる。遠ざかる足音と、涙声で吐き捨てるように呟かれた『貴方なんかに聞かなければ良かった』という言葉が耳にこびり付いて離れない。その遥か遠くで、少女の心境には余りにも不釣り合いな明るい声が、これまた明るく前向きなヒットソングの紹介を続けている。

 紹介映像にちらと視線を向け、流れる曲に合わせて少女の口から零れる音は、酷くか細かった。

 

 

 

「お帰り、明石」

「……ただいま戻りました。出歩いていて、大丈夫なんですか、提督?」

 

 満天の星空。玄関先でコートを羽織り、寝間着姿の司令官が一人の艦娘を出迎える。優しい笑みを浮かべて此方に視線を向ける京香に、思わず目を伏せ問い掛けた。寒空に白い息を吐き出して、彼女は平気だと笑う。自分の体のことなどとっくに知っている癖に、何故そのような顔で笑えるのだろうかと、その日出会った二人の言葉を反芻する。

 明石自身、選択肢が複数ある時期などとうの昔に過ぎ去っていたことは分かっていた。だからこそ、直接の上官や先達の艦娘に縋りたいと考え、男の指示に従い助けを乞おうとした。当然ながらそれは許されるはずもなく、ただ、目の前に横たわっている選択肢一つを突き付けられただけでしか無かったのだ。

 

「それで、休暇はどうだった? と言ってもまだ初日だけど、二日酔いで出て行くのはちょっとキツかったんじゃないの」

「お陰様で、少し気が楽になりました」

「……」

 

 明石のおざなりな返答に、少女は小さく眉をひそめる。どうせロクな休みにもなっていないような振る舞いをしていることは分かっているが、一応の社交辞令として、そう返しておこう。そう、軽く考えたのがまずかった。

 

「デートは楽しかった?」

「なっ……」

 

 京香は、淡々とそう問い掛ける。その手から小さな機器と、そこから繋がるイヤホンをぶら下げて。考えの働かない今の頭でも、それが何なのかを彼女に問い掛ける事を必要とはしなかった。外出先の喫茶店で上官と話したことも、不知火に糾弾されたことも、筒抜けだったと分かりやすく少女は示しているのだから。

 

「……私、実は結構怖がりでね。鈴谷や暁と話した時とか、伊豆奪還戦の前、金剛相手に啖呵切った時とか、ひょっとしたら此処で死ぬんじゃないか、って内心ビクビクしてたのよ」

 

 執務室で結構物音してたのがそれなのよ、と金剛の話に少しばかりの補足を加え、彼女は自嘲気味に笑う。伊勢と日向が一歩遅れてたら執務室が火の海になってたわね、と。

 

「率先して、矛先を自分に向けようとするからですよ。今回は電さんや良さんが回復したからいいものの、もし、深雪さんの時みたいに……死んでしまったら、どうするつもりだったんですか」

「その時はその時、かしら。多分、直前まで振りは続けようとしたと思う。どこまで持つかは怪しいもんだけどね」

「……それで、その話が、デートとなんの関係がある、っていうんですか」

 

 途切れ途切れに紡がれる言葉に困ったような笑みを浮かべ、ううん、と京香は態とらしく首を傾げた。糾弾の意志はないと、命令ではなく、お願いしたい事があると、どう言えば正しく伝わるだろうかと。そうやって、一歩、また一歩と、ゆっくりと足を前に踏み出す。もつれそうな足で京香と距離を離そうとする明石の右腕が、反射的に自身の背中の方へと逃げる。

 距離にしていえばおおよそ五メートルにも満たない二人の立ち位置が、京香には余りにも遠く思え、そして、明石にとっては、余りにも近過ぎて。

 

「……言ったでしょ、怖がりなんだって」

「っ……!」

 

 来ないで下さい、そう言いかけた事を後悔した。口を開くその前に、見た目以上に軽い体重が、明石の左肩に伸し掛かる。その声は既に掠れていて、はっきりと聞き取れない程の声量でしか無かったが、耳元に寄せられた唇から、その言葉は明確に脳に届いた。

 

「もうちょっとだけ、私で居られる時間を頂戴」

 

 だが、それに対する明確な答えを明石は既に持っておらず。ただ、ごめんなさい、ごめんなさい、とうわ言のように繰り返すしか出来ない。

 その右手は、少しだけ、赤く染まっていた。


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