貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之弐拾-エピローグ-

 華見京香は、艦娘化実験最初の被験体であり、その失敗作である。そして、今ベッドで横たわっているそれは、不完全な艦娘の成れの果てであり、艦娘にも、人間にも、そして深海棲艦にも成り損なった哀れな『バケモノ』である。

 天龍を問い詰め、無理矢理口を開かせた結果がこれだ。長門も金剛も、眼帯の娘の言葉が信じられず、何度か繰り返し問いただした。しかし、語る内容は変わらず、幾度聞いても、同様の答えだけが返ってきたのだ。

 

「……」

「……だから、そういう事にしといてくれって言ったんすよ」

 

 吐き捨てるような天龍の言葉に、長門は掛ける言葉も見つからずただただ立ち尽くす。今にも泣き出しそうな顔をしている金剛からマグカップを受け取り、そこに満たされていたココアを一気に飲み干したが、何の味も感じない。

 何をすればいいのか、何と声を掛ければいいのか、考えてみたところで答えも出ず、困ったように、呼吸の止まった少女の髪に手をやる。頬や髪に残っていた雪を払い、その冷たい肌に触れ、探るように首筋に手を当てて、数秒の後諦めたように視線を逸らした。

 

「私達は、どうすればよかったんだ」

「俺に聞かれても知りませんよ……一応、この事は他言無用でお願いします」

「No problemネ。ただ、一応明石にも話を聞いておきたいのデスが」

「……そうっすね」

 

 ゆっくりと腰を上げ、京香と異なり穏やかな寝息を立てる明石の傍に足を進める。起きろ、と頬を何度か叩くと、やがて小さな唸り声を上げて少女が身を捩る。薄らと開けられた目蓋と、そこから覗く瞳が眼帯の少女を映し、明確な覚醒を示すように見開かれた。

 

「ん……あ、れ、天龍さん」

「おう」

 

 ずきり、と痛む頬に手を当て、やっとの事で上半身を起こす。軽度の記憶障害か、自分の身や所持品を確かめるように手を自分の体に這わせていた明石は、胸ポケットのナイフと、隣で眠っている少女に気付き、やがてその顔面を蒼白に染めた。わなわなと震える手を取り、優しく語りかけた長門に視線を向けたその時、彼女の中で何かが決壊した。

 

「あ……」

「大まかな話は天龍から聞かせてもらったよ。……力になれなくて、済まなかった」

 

 返事をする事もできず、ただ呆然と少女は首を振る。私が殺したんです、私が全て悪いんです、そうやってまくし立てる彼女を止める術を持たず、長門も、金剛も、延々と続く明石の懺悔を聞くしか出来ないまま、ただ時間だけが過ぎてゆく。

 やがて喋り疲れたのか、小さく息を吐いた隙を突くように、長門は彼女に改めて問いかけた。

 

「何があった。なぜ、提督を手に掛けなければならなかったんだ」

「……それは」

「明石。私達にも、聞く権利はあるはずデス」

 

 二人の戦艦級の艤装を持つ艦娘に詰め寄られては、流石に口を噤み続けることもできず、しばらくして諦めたように明石の瞳が伏せられる。遅れてその口から語られたのは、工作艦として生まれ、艦娘として与えられた任を全うしただけの少女と、人として生まれ人として育ちながら、シグと呼ばれる艦娘の実験体として、その身を捧げた少女の話。

 

「お二人は、シグ、という物の生まれた理由を知っていますか?」

 

 

 

『貧乏くじの引き方-追編之弐拾-』

 

 

 

「人類が深海棲艦との戦いを初めて暫く、一向にそれらは姿を減らす気配を見せませんでした」

 

 くたびれた身体を鞭打つように、ゆっくりと居住まいを正して明石は口を開く。金剛、長門の二人も思わず姿勢を正して話に耳を傾ける。明石の言うとおり『一人目』である三笠との邂逅と、彼女の協力による深海棲艦の艦娘化が始まって、人類はようやく敵と同じ土俵に立つことが出来たのだ。

 

「そして、三笠さんと華見中将の指揮下で艦娘の戦力拡充が始まります。始めは海から、それこそ深海棲艦だったものを艦娘にする所からでした。ですがお二人も知っての通り、艦娘を生み出すための『資材』は、完全なものを手に入れるのが非常に難しかったんです」

「……確か、艤装と肉体と、それぞれに核が必要だったな。それに肉体側の核は特に希少だと」

 

 こくり、と少女は頷く。その後も彼女は続ける、艦娘が最低限戦力として成り立つ程の数に至るまででも一年以上の歳月を要したこと、局所的に艦隊運用を行ったところ、少なくとも頭数なりに一定の戦果を上げる事ができ、資材の回収に関しても一応の成果が出たこと。

 しかし、それでもなお絶対的な数の差を覆すには至らないまま、少しずつ制海権を失い続けていたこと。その焦りから、彼らは幾つかの案を立てた。

 

「一つは、無線制御による小型戦闘艇。艦娘同様の小回りの良さと、搭乗訓練や生命リスクを要さない水上戦力という意味で大きな期待を持たれていましたが、操縦における人的コスト、膨大な物量に対応する為の物的コストの問題から対深海棲艦用の量産は見送りとなっています」

「偵察に使っている隊を見たことがあるが、アレがそうだったのか」

「ええ。そして二つ目が、非生体ユニットを母体とした擬似艦娘。此方は肝心の艤装が反応しなかったこと、そして人類の技術ではオカルトに依存しない艤装を作り上げられなかったことから計画は頓挫しました。海上戦闘可能なパワードスーツ、という案もこれが原因で破棄されています」

 

 得体の知れないものに頼るより、自身が知る技術や武力などを扱う事を選ぼうとするのは、至極当然の話だと明石は話を打ち切る。そして、『理解できる』力で出来る事には限度があり、限界以上のものを求めんとすれば、『理解できない』何かの力を借りるしかないのも、また当然の帰結であった。

 

「だから、人間の少女を艦娘にしよう、と。そう考えたというのか?」

「此処に異動になる前、私はそう聞かされました。そして、中将の孫娘である彼女は、その一人目の被験体として志願した。提督がそうした理由については分かりませんが、少なくとも自身の意志による選択だった、とは聞いています」

「……孫娘?」

 

 金剛の口をついて出た疑問に、小さな溜息を返し天龍が答える。華見京香は、艦娘になり損なった日に死んだ事になっていて、今の京香は身寄りの居ない養子という扱いであり、身分を偽る事になった理由は深海棲艦化にあると。驚愕に彩られた二人の表情を見ることもなく、明石はその言葉を継ぎ、再び口を開く。

 

「艤装への適合実験失敗により船酔いを患い、深海棲艦化を隠して軍に入った彼女を監視するよう、そして、有事の際は私の手で処理するよう言われ、私は此処に配属されました」

「お前……」

 

 悲しげな笑みを浮かべた少女は、そのポケットから赤く染まったエンブレムを取り出す。医務室の机の上にそれを置き、それまでとは打って変わった凛とした声で、彼女はその身を明かした。

 

「横須賀第三特殊艦娘部隊所属、工作艦明石。それが、本当の私の名です」

「……有事、と言うのは」

「完全に深海棲艦化した、ということか……?」

 

 長門の科白に、明石と天龍の二人は言葉を失ってしまう。恐らく、彼女の隣で顔を蒼白にしている金剛も、同様の結論を得たのだろう。しかし彼女等の予想は半分誤りであって、明石は手遅れとなった時点で幕を引くことを選んだのだ。そして、表情から長門がそれを読み取るのに、然程時間は掛からなかった。

 乾いた音が、静かな部屋を引き裂く。自分の身に起こった事を理解できず、ただ目を見開く明石と、その頬を張ったままの姿勢で動けない長門。反射的な行いではあったが、彼女はその後を継ぐ言葉を持ち合わせていない。

 非戦闘員もいるこの施設内で京香が仮に深海棲艦化してしまったとしたら、そう考えるだけの理性は残っており。そして考えた結果、この桜色の髪の少女を糾弾するという選択は出来なかった。

 

「……済まない」

 

 誰のものとも知れない嗚咽が、四人しか居ない部屋で響き続けた。

 

 

 

 そうして医務室を空けることが、正確には、京香を一人にすることが出来ないまま、四人はそれぞれに時を過ごす。時折誰かが飲食物を取りに部屋を出たり、夜風に当たりたいと一人抜け出すことはあれども、結局日が昇るその時まで、彼女等は誰一人自室で夜を明かすことはなかった。

 その四人ともが疲れから眠りの園に落ち、それから暫くの時間が過ぎる。

 

「……ん?」

 

 時計の針が、静かな部屋で刻々と針を進める。短針が六を指したあたりで、右へ左へと寝ぐせの付いた頭部を上げ、天龍が小さく欠伸をこぼした。カーテンの隙間から差す光に日が昇り始めていることを確認し、まだ覚醒しきっていない頭で周囲を見渡す。誰も目を覚ましていないのを確認して、そのまま彼女は再び顔を伏せようとした。そしてふと、ある一人の姿が見えないことに気付く。

 眠気や疲れでまだ重い腰を上げ、ベッドの裏や、テーブルの下等、先程目覚めた場所からは見えなかった箇所を確認して、焦りか、不安からか、天龍は小さく息を飲んだ。

 

「あいつ、何処に行ったんだ」

 

 しかし、その疑問はすぐにノックの音とともに氷解する。静かに扉を開けて入ってきたのは、探していたその相手を含む三名の人影。一人は暁型の艦娘、響に似た姿の少女。銀色の髪や目付きは響のそれだが、天龍の知っている彼女より少し大人びて見える。彼女の帽子は、暁型のそれとは違い白く、そして特三型のそれとは異なるエンブレムが刺繍されていた。

 もう一人は、無精髭を蓄えた30代半ばに見える長身の男。ダッフルコートを羽織っているが、そこから覗く服は紛れもない海軍のそれであり、京香より恐らく一つか二つ上の階級のものと思われる袖章が見え隠れしていた。そして、二人に共通していたのは、昨夜身を明かす為に明石が見せたものと全く同じデザインをした部隊章を、その衣服に着けていた事。

 

「天龍さん」

「明石さん、そこの二人は……」

「はじめまして、と言うところかな」

「色々、うちの明石が面倒掛けたそうだな」

 

 白い帽子を脱ぎ、小さく会釈する響似の少女と、恭しく頭を下げる男。その口振りから、彼が明石の『上官』なんだろうな、と頭の端で考えながら少女は二人に合わせて頭を下げた。それを見て、男はばつの悪そうな笑みを浮かべる。どうやら眠っている内に大部分は終わってしまっていたらしく、二人揃って京香の横たわるベッド傍へと歩みを進めた。

 

「疲れて寝てる連中にも悪いし、さっさと片付けてお暇するつもりだったんだがね」

「そりゃ、ご苦労なことっすね。で、此処に何の用です?」

「態々聞くようなことでも無いと思うけど……」

「ヴェル、構わんよ。……華見京香中佐の遺体を引き取りに、な」

 

 予想通りの回答だったことを苦々しく思ったか、反射的に出た舌打ちに慌てて少女は口を隠す。それを見て、ヴェルと呼ばれた少女と男は目を見合わせて笑った。

 

「……気に掛けてくれる艦娘が居る程度にはよくやってたんだな、そこのお嬢ちゃんは」

「有能では無かったっすけどね。それに曙譲りの口の悪さも大概アレでしたよ」

「そうか? まあ後はウチの仕事だ、後任が来るまで養生するといいさ」

「彼女の遺体は責任を持って預かるよ。響のもう一つの名に誓って、ね」

 

 そうしてくれと呟く天龍に頷き、男が京香を抱え上げた後に残っていた赤く染まるシーツや帽子などの私物を抱え、『ヴェールヌイ』は足早に部屋を立ち去ってしまう。残された明石と天龍とを交互に見比べ、男は一段潜めた声で二人に話しかけた。

 

「すまないが、事情を知らん子らには大怪我をして搬送されたって話にしておいてくれるかね。最終的には通り魔の類として通達を下ろす予定なんだわ」

「はあ……」

「近隣で同様の被害が出てて、尚且つ目星もついてるらしいんでな、気の毒だがもう一つ罪状を背負って貰うことになった」

「……いいんすか、俺にそんな話して」

 

 天龍の問い掛けに、男はきょとんと目を丸くする。そして、少しの間も置かずに何度目かの苦笑いを浮かべて話し始めた。

 

「俺等と明石と見比べて察しがつく程度には事情は飲み込めてるんだろ? ……こう言っちゃなんだが、個人的な感傷としては知っておいてやって欲しいと思うところもあるんだわ」

「……」

「生体兵器を扱う軍隊ってんで、さんざ愉快な仕事をさせられてるんでね。……ああそうだ、天龍型一番艦。一つだけいいか?」

 

 去り際の問い掛けに対して肯定を返した天龍を振り返る事無く、良かったな、と。男はそう一言残して扉の向こうへと姿を消した。


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