貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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追編之弐拾肆-エピローグ-

 天龍、長門の二人は、声の主をただただ見つめるしか出来なかった。金剛を含めた彼女ら四人は、京香が二度と目を覚ます事がないと知っていたのだから。事実、三特艦の面々が回収しに来た時点では血の気も引いており、その肌は冷たく、そしてその心臓は動いてはいなかった。

 

「……どういう冗談だよ」

 

 そう。端的に言って冗談としか思えないし、彼女の死を知る者からすれば悪夢と表現しても差し支えがないのだ。なのに、今こうして彼女は目を見開き、恐らく自身の意志で口を開いている。自嘲気味に笑うその声は、紛れも無く華見京香そのものなのである。

 口をついて出そうになる言葉を飲み込み、長門は大きく深呼吸をする。彼女が本物であるにしろ、三特艦あたりが『代理』として寄越した偽物であるにしろ、今この場で『華見京香の死』について声を荒げる訳にはいかないのだから。

 

「私に聞かれても、ね」

「……今問い詰める気は無いが、一つだけ聞かせてもらうぞ」

 

 長門の言葉に、ぴくりと眉を釣り上げる。怪訝な表情を見せる明石と京香の二人に視線を向け、顔を寄せて彼女は問いかけた。「お前は本当に華見京香なのか」と。

その問いに絶句する明石と、顔を俯ける京香と、目を細めたままの長門。その三人の様子を眺めていた天龍の耳に、小さなため息と、微かに動揺が伺える声が聞こえてくる。

 

「私は、私自身を本物だと思ってる。証拠らしい証拠もないし、それ以上の返事は悪いけど出来ないわ」

「……少なくとも、貴方は私が知っている提督のようだな。妙なことを聞いて済まなかった」

「そう持ち上げられても何も出ないわよ」

 

 ふ、と頬を緩ませ笑い合う二人に呆れたような視線を向け、天龍はわざとらしく肩をすくめた。それに気付いた明石と目を見合わせ、互いに乾いた笑みを浮かべる。そしてどちらともなく、他の皆を待たせるのは良くない、と京香の車椅子に手を掛け少女らの並ぶ雛壇へと押して歩いてゆく。

雪に細い轍を残し、ぎいぎいと軋む車輪の音を聞きながら、四人は進んだ。

 

「良く、お戻りになられました」

「全くです。制海権を確保したからといって無断で一週間強の休暇などされては、艦隊の子達に示しがつきません」

「あー、うん。流石にこれまで通りとは行かないけど、早い内に指揮に戻れるようにするから。赤城、加賀、もう少しだけ面倒掛けるけどごめんね」

 

 ばつの悪い表情を浮かべる少女にとんでもないと笑い返し、赤城はそのまま列に並ぶよう促す。他の艦娘等の反対も無かったため、明石はそのまま列の端に車椅子を停めて自身もその後ろで立ち止まった。直後、それを見ていた天龍が小さく吹き出す。

 曰く、提督が端っこに追いやられてちゃ様にならないだの、指揮官たるもの中央でどーんと構えて居るべきだ、などといった理由を述べてはいたが、要するに明石があまりにも自然に提督の車椅子を隅に押して行ったことが可笑しくて仕方なかったらしい。

呆れてものも言えん、といった調子でその後頭部をはたく長門や、天龍の言葉に同感だったのか叢雲の隣を勧める何名かの少女に気圧され、明石はやむなくといった調子で再び車椅子を押し始めた。インフルエンザなどで長期休養したあと登校する小中学生もこういう気分なのだろうな、とされるがままの京香共々下らない事を考えながら。

 

「……遅かったわね」

「一週間ちょっとでしょ、それより私のいない間に変なことしてないでしょうね」

「するわけ無いじゃない」

 

 ならいいけど、とお決まりの会話を交わし、二人は揃って正面へと向き直る。視線の先にはにこやかな笑みを浮かべ彼女らの準備が済むのを待つ男と、少女達の姿を残すためこちらに眼を向ける三脚に取り付けられたカメラ。

 少女の呼びかけに応じて、男は声を上げる。フレームに入る少女達はそれぞれに居住まいを正し、視線を一所へと向けてシャッターが切れる音を聞いていた。

 

 

 

『貧乏くじの引き方-追編之弐拾肆-』

 

 

 

「んじゃ、後はよろしく頼んます」

「はい。全員分の現像、という形になると数日ほど時間を頂きますがご了承下さい」

「あー、構いませんよ。取り敢えず揃い次第連絡くれりゃ取りに行かせますんで」

 

 全ての撮影が滞り無く終わり、雛壇や機材の撤去を始めている集団をよそに、天龍が男を呼び止める。メモ帳とペンを手に幾つかの事務連絡を済ませ、双方そこそこに礼を交わして数分の後二人は別れた。男を見送り、だんだんと姿を消してゆく雛壇を眺めながら、少女は小さくため息を吐いて大きな木に背中を預ける。

既に集合写真に参加していた艦娘達は思い思いにその場を離れ、幾つかのグループは営内へと入っていってしまっている。

 

「お疲れ、天龍」

「お疲れ様です。明石さんと提督は?」

 

 いつの間にやら近くを通り掛かった長門に声を掛けられ、同行しているものだと思っていた者達の姿を目で探す。その仕草に思い当たる所もあったのか、彼女は天龍と同じようにその幹に身体を預ける。

 

「ああ、あの二人なら営内だよ。何人かの艦娘に連れられてな」

「……大丈夫なんすか?」

「……大丈夫だろう」

 

 不安げな表情を浮かべる天龍に笑い返し、仕切っているのは金剛だと彼女は言う。その言葉を受け、なるほど、と天龍の顔色が変わった。彼女の性格からしても天龍が懸念しているようなことは起こらないだろうし、明石も付いている以上はそこまで迂闊な発言も飛び出さないだろう、と少女は考えた。

 

「それで、犯人は捕まりましたの? 艦娘だけならまだしも、紫子さんなどもおりますし……やはり不安ですわ」

 

 そして、長門らの考え通りとまでは行かずとも、京香、明石の二人とそれを囲む少女らの空気はある程度穏やかなものではあった。

 

「ああ、その点は大丈夫です。提督の怪我のあと徘徊している所を捕らえたと連絡がありましたし、大凡の容疑を認めているとの事です。証拠もある上、何より死者も出ていますから……厳罰が下ると思いますよ」

「……まあ、それなら良いのですけれど」

「しかし提督も災難でしたね、明石さんの迎えに出た先で通り魔と鉢合わせとは」

「あっはは。貧乏くじは引き慣れてる方だけど、流石に今回は焦ったわ」

 

 同じ死ぬ思いをするなら出撃中の方がまだ死に切れる、と苦笑いを浮かべる京香と、複雑そうに合わせて笑う明石。その意味を知っているが故に金剛も微妙な表情になるが、熊野の問いかけるような視線に何でもないデス、と強張った声が口から出た。

 そして、それを態々問い詰めるほど無神経でもなければ、少女はそこまでの興味を華見京香個人に持ち合わせてはいなかった。こちらを見つめる視線から目を逸らし、熊野は首をゆっくりと振る。

 

「……鈴谷のことも、暁達のこともあります。なるべく早くに戦線へ復帰できるよう努めて下さい」

「……急に耳が痛くなってきたわね」

「そのような使い方をする慣用句ではないですわよ。それに、何か言いたいことがあるようですけれど」

 

 私に伝言を頼むより、自分で直接伝えた方がきっと早い、そう微笑んで重い腰を上げる。思わず引き止めた明石に「用事がある」と返し、少女は一足先に輪の中から姿を消した。それを見送り、少女らは再び取り留めのない話に花を咲かせる。

やれ手術を受けたのか、犯人の顔は見たか、横須賀の医療機関に行っていたと聞いたがそこの居心地はどうだったのかなど、キリのない質問に答えつつも京香達の表情には少しずつ疲れの色が見え始めてくる。

 ある一面では十代の少女に近い感覚を持つ艦娘達が、人間のそれのように野次馬根性を見せるのも当然といえば当然であるのだが、複数名に同時に迫られるのは勘弁してくれと言いたいのが本音であった。

 

「ったく、そろそろ解散しろ解散」

 

 呆れたような声が、輪の外からため息とともに聞こえてくる。振り返ってみると天龍ともう一人、京香と同じ色の髪をした軍服の少女が並んでいた。

 

「クソ提督も病み上がりで疲れてるだろうし休ませてあげなさいよ、話なら明日明後日でも聞けるでしょ?」

「そーゆーこった。急ぎの話あるし提督借りてくぜ」

「実莉、病み上がりにいきなり仕事の話とかはちょっと遠慮したいんだけど、どうなのその辺」

 

 助けを求めるように明石や金剛に視線を向ければ、溜まっていた分やらなきゃいけませんからね、などと苦笑いを浮かべて首を振るばかり。やがて抵抗もむなしく、車椅子ごと少女は連れて行かれてしまった。

見送る二人は、片手を上げて歩いてきた長門と三人揃って、他の艦娘や京香達とは別の方向へと歩いてゆく。人気の無い廊下を抜け、三人きりの私室で思い思いに腰を落ち着ける。沈黙を最初に破ったのは長門であった。

 

「……で、どういう事なんだ」

「明石、私達にも聞かせてくれマスか?」

「……彼女は、確かに華見京香である事に間違いはありません」

 

 夕日に染まる顔を俯け、明石は口を開く。

 

「ですが、生命活動を停止し、深海棲艦化の進行も認められない今のあの人を何と呼べば良いのかは、私にも分かりません」

「待て、生命活動を停止しているならアレは何なんだ? 何故彼女は当たり前のように口を利くことが出来る?」

「仮定の話になってしまいますが、今の彼女は艤装のコアを取り込み、それを心臓代わりとして活動をしている状態だと思われます。見ようによっては、より『艦娘そのもの』へと近付いたと言って良いのかもしれませんね」

 

 淡々と語られた言葉を聞き、金剛の歯がぎり、と軋む。一縷の望みを掛けて吐き出された問い掛けは、呆気無く潰えてしまった。

 

「では、テートクは元には……」

「もう、人としての彼女は死んだんです。今はコアのおかげでああしていられますが、これから回復するかどうかも、何時また進行が始まるかも……いつ『最後』の死を迎えるかも分からないのが正直な所ですね」

「……やれやれ、三特艦は私達に不発弾の処理をしろ、とでも言うつもりか」

 

 ため息とともに吐き出された長門の言葉を受け、少女はゆっくりと首を振る。そして、確固とした意志を湛えた双眸が長門を射抜いた。

 

「いいえ。処理をするのは、私一人です」

 

 

 

 執務室。京香が不在の間も実莉や大淀の出入りがあり、代行であった叢雲の手入れもあって室内は埃もなく、よく片付けられている。車椅子を押して入る天龍と、それについて室内に足を踏み入れる実莉。室内をぐるりと見回し、少女は後ろ手に扉に鍵を掛けた。

 

「片付いてるわね」

「そりゃまあ、大淀さんや叢雲がきっちりやってたからな。それに、コイツも手伝ってたしよ」

「……それが仕事なんだから、当然よ」

 

 ふん、と鼻を鳴らす実莉に視線を向け、京香は小さく笑う。

 

「そっか、ありがとね」

「礼ならアンタの不在を預かってた二人に言いなさいよ、クソ提督」

「……それもそうね」

 

 執務机の傍に置かれたままの、使用者のいない椅子を片付けて天龍は車椅子をその場に寄せる。少しばかり机が高いか、と背筋を伸ばす京香を待ち、二人はその正面に並び立った。

こほん、と一つ咳払いして彼女は口を開く。突然鎮守府を空けたことに対する謝罪と、急な事態にもかかわらず艦隊そのものを瓦解させることなく維持してくれた事への礼。

 照れ臭そうに頬を掻く天龍と、当然のことだと言わんばかりに鼻を鳴らす実莉。そして、それを微笑んで見ていた京香は、直ぐに表情を引き締めて小さく息を吸い込んだ。

 

「天龍、急ぎの用事って言ってたけど」

「……ああ」

「私の身体の事、で良いのかしら」

 

 神妙な面持ちで頷く天龍を見、実莉は眉をひそめる。ただ通り魔に襲われただけなのに、何故そんな表情をするのか、と。その疑問に対する答えは直ぐに京香の口から語られる。

 

「今の私は、艦娘『曙』の艤装……そのコアを心臓代わりにする事で生きてる。心臓はもう動かないし、こっちがダメになったらホントにお別れ、って事になるわね」

「……そっか」

「何、それ」

「ごめんね、致命傷だったみたいでさ」

「残り時間は?」

 

 天龍の問い掛けに、分からない、とゆっくり首を振る。何処か諦めたような表情を浮かべる少女等を見る『曙』の視線は、酷く哀しげなものだった。

 

「……アンタの勝手で家族にされて、付けてもらった名前にやっと慣れたと思ったらいきなり居なくなって、帰ってきて始めに言うことがいつ死ぬか分からない体になったって、何なのよそれ」

「……だから、ごめんって言ってるじゃない」

「謝って済む話じゃ……!」

「その辺にしといてやれよ。……コレばっかりはどうしようもねーんだ」

 

 俯く曙の頭をぽんぽんと撫で、自分自身にも言い聞かせるように優しく口を開く天龍を見、すっと目を細める。残された時間がどれほどであろうとも、可能な限りはこの子の家族で居てあげようと。そう考えた京香の右手、その小指辺りに軽く爪を立てたような痛みが走る。

 ふと机に置いていた手を見てみれば、どこかで見たことのある、だが、彼女の知識には無い妖精の姿がそこにはあった。

 

「アンタ……」

 

 菫色の長髪をうなじで一つに結い、ミヤコワスレの髪飾りを着けた、何処と無く無愛想な表情の小さな少女。ふと目が合うと、その妖精は居心地悪そうに視線を外し、ぺたん、とそのまま座り込んだ。

 

「……人のこと言えないけど、随分と未練がましいのね」

「ん? どうした提督」

「なんでもないわ」

 

 ぎしり、とフレームを軋ませ背もたれに身体を預け、どうせならこのまま引き継ぎも済ませておきたい、と二人に伝える。妖精が見えていないのか、独り言に疑問符を浮かべながらも天龍は実莉を連れて部屋を退出した。一人きりの執務室、視界の端に映る悪夢に眉をひそめ、大きく息を吐き出す。

 

 叢雲達が来るまでの間、少し休憩でもしようか。そう軽く考え、彼女はゆっくりと瞳を閉じた。


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