貧乏くじの引き方【本編完結、外伝連載中】   作:秋月紘

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第五話

 水曜日、作戦開始前日の午前三時を少し過ぎた頃。二人は運悪く廊下で鉢合わせてしまった。

 窓から入る潮の香りが鼻腔をくすぐり、汗に濡れた肌をより一層べたつかせる。

 

「あ、曙。どうしたの、こんな時間に」

「……寝苦しくて、シャワーでも浴びようかと」

「……ボクとおんなじだ」

 

 ふん、と鼻を鳴らして早足に歩いていこうとするのを呼び止め、隣に並ぶ。

 

「……着いてこないで」

「ボクもこっちに用があるの」

「……」

「月、綺麗だね」

 

 ぴたり、と小柄な少女が足を止めた。恐る恐るといった様子で此方に向けられた顔には、なんとも形容しがたい、呆れや怒り、それとは別に笑いを堪えるような、色々な感情が入り交じった表情が貼り付いていた。

 

「……今時漱石って」

「えっ?……あ」

 

 どうやら素で言っていたらしい、と気付いた時には既に遅く。慌てて弁解する最上と、よりにもよって『そういう解釈』をしてしまった事を必死に誤魔化す曙の姿があった。

 

「……夢を見たんだ。それもとびきりの悪夢。だから目が醒めちゃってさ」

「……そんな事まで一緒だなんてロクでもないわね」

 

 ホントにね、と小さく笑う。だがその瞳は虚ろで、どこか遠くを見ているようで。

 

「……平気、なの?」

「大丈夫。明後日の出撃もちゃんとやれるから」

 

 悪夢が本当になってしまうんじゃないか、という恐怖が強くなった。

 

 

 

「うはー、皆さん大忙しですね」

 

 強い日差しから瞳を守るように手を翳し、慌ただしく人の行き交うドックを眺めるのは工作艦、明石。普段はこの鎮守府と横須賀本隊との物資のやり取りを仲介したり、入渠ドックが埋まっている際の艦娘の手当、艤装のメンテナンスを担当している。

 

「明石、此処に居たか」

「長門さん。どうしたんです、艤装に不具合でもありました?」

「いや、良好そのものだよ。それより武装についてなんだが」

 

 手招きに応え、軽やかにタラップを駆け降りる。桜色の髪を靡かせ、長門の眼前まで降り立った。

 

「……足を踏み外しでもしたらどうする。急ぎというわけではないんだ、もう少し落ち着いたらどうだ?」

「ヘーキですよ。慣れてますから。ところで武装がどうかしました?」

 

 やれやれ、と息をつく。

 

「いや、大した事ではないんだが、もう少し艦隊戦の支援が利く装備に変えられないかと思ってな」

「えーと、長門さんは43cm連装主砲と対空砲、対地攻撃用の改良型三式弾でしたっけ」

「ああ。少し懸念があってな、第一艦隊のフォローに私と日向達で当たろうかと考えているんだ」

「戦艦揃って、とは随分穏やかじゃないですね……船酔い関連ですか?」

「……知っていたのか」

 

 考え込むような仕草を見せ、困ったように笑う。

 

「まあ、噂程度ですが、本隊でもちらほらとKIAが出ているとは」

「……士気にも関わる以上、こちらから誰がとは言えんが、よろしく頼む」

「お任せください」

 

 

 

「……伊勢、どう見る?」

 

 水平線を臨む海岸、偵察から帰ってきたと思しき偵察機の残骸と、持ち合わせの救急キットで手当てを受けた小さな少女を手に、日向は呟く。

 

「この子、大島から遠征に出るはずだった妖精よね……利島で迎撃されたにしては帰還が早すぎるし、そもそもこっちに来るなんて、嫌な予感しかしないわ」

 

 意識を取り戻したのか、日向の手を叩き、胸元から書状を取り出す。

 

「……予感的中だ。作戦の繰り上げを進言した方が良さそうだな」

 

 日向が回収した偵察機が持ち帰った情報は、大島の駐屯地が攻撃を受け、防衛隊が押され始めていること、敵のおおよその規模、そして。

 

「見た事の無い深海棲艦が艦隊を襲っている、って悪い冗談だわ」

「悪趣味極まりないが、事実と考えた方が良さそうだな、提督」

「分かってる。……全艦隊に通達! 大島の防衛隊が深海棲艦の襲撃を受け劣勢、敵艦隊には未確認の個体が居るとの情報もある。出撃時刻を二時間後、本日一六〇〇に変更、各自準備を急げ! 榛名旗艦の第一艦隊、長門旗艦の第五艦隊を先遣隊として出す、当該艦娘は擬装のチェックを済ませておくように!」

 

 営舎中に響き渡る放送、遅れて慌ただしくなる艦娘達。マイクを仕舞い、伊勢らの方へ振り返る。

 

「……曙達の事、お願い。私も後で出るから」

「分かっている」

 

 

 

「聞いたな、陸奥。私は先に出る、フォローは任せるぞ」

「ええ。仮に撃ち漏らしがあったとすれば、だけどね」

「前衛に出るのは二隊だ、流石に全て処理は出来んかな」

 

 冗談よ、と笑い手袋の感触を確かめる。相変わらず冗談の通じない姉だと思うが、あれで気負うところがない辺りは流石といった所だ。こちらも不安なく送り出せるというものである。

 

「それじゃあ、行ってらっしゃい。また後でね」

 

 軽く手を合わせ、足場から離れる。長門が軽く地を蹴り、注水されたドックへ身を投げ出した。

 

「……」

 

 数瞬の時を経て爪先が水面に触れる。長門は水中へ没する事もなく、二本の脚でその場に立っていた。潮の香りが呼び起こす高揚感。私は此処に在るべきだ、そう感覚が訴える。深く息をつき、吐いた。

 

「戦艦長門、抜錨。出撃するぞ!」

 

 

 

「榛名ー、ハンカチは持った? 弾薬や燃料のsupplyは忘れてないデスか?」

「大丈夫です、お姉様」

「気を付けてね、特Ⅲ型で一番練度が高いっていっても駆逐艦なんだから、無理しちゃダメよ?」

「もちろんなのです! 心配はいりません!」

 

 第一ドック。出撃準備を進める艦娘を見送ろうと姉妹艦が顔を出す、いつも通りと言えばいつも通りの光景。しかし。

 

「……どうかした?」

 

 艤装を確かめる最上と、それを見る鈴谷の表情は硬い。

 

「なんでもないって。気を付けて、ね」

「うん。……ありがと、鈴谷」

 

 鈴谷、そう呼ばれた少女には、その言葉が本心からなのか、ただ反射として発せられたものなのかは分からなかった。それでも嬉しい言葉には違いなかったし、此方から距離を埋める方法を知らない彼女にとっては、当たり前の会話が出来るだけでも大きな一歩であった。シグ(Cyg)である彼女と、オリジナルである最上との距離は、余りにも遠い。

 ちりん。鈴の音が小さく響く。既にドックへの注水は完了しており、隣では潮が既に出撃準備を済ませ、榛名の声を待っていた。

 

「潮、大丈夫?」

「私は、大丈夫。曙ちゃんは?」

 

 平気よ、と返し、右足を水面に下ろす。少し、地面が沈むような感覚。それが直ぐに反発に変わり、水面を波が荒らし始める。『艦娘』は、沈まない、大丈夫、そう口の中で呟き、ハンガーから吊り下げられた偽装に背中を預ける。

 

「……っ」

 

 金属が擦れ、ガコンという音を鳴らし、小さな体を微弱な電流が走る。生じた唾を飲み込み、動作の確認。間違いなく動く。

 

「バカみたい」

「えっ?」

「怖いのなんて当たり前なのに強がっちゃって、自分で自分を追い詰めて」

 

 自虐なんてキャラじゃないのに、そうやって態とらしく笑いでもしなければ、悪夢は振り払えない。必死だった。

 

『第一艦隊、出撃お願いします!』

 

 だが、戦場は待ってはくれない。大きく息を吸い込み、そして吐く。

 

「……綾波型駆逐艦、曙。出撃するわ!」

 

 

 

「彩雲が索敵に成功! 第一攻撃隊発艦始め! 榛名さん、座標を!」

 

 言うが早いか、航空母艦『赤城』が足を止め、弓を引く。続けざまに放たれた矢は航空機の姿へと変貌し、遥か先の敵艦隊へと向けて飛び行く。

 

「はい! 第一第二主砲、距離、速度よし! 撃ちます!」

 

 揺れる視界の先、赤城の放った航空機の爆撃、雷撃に先んじて水柱が上がる。至近弾。

 

「航空機隊に合わせて二射! 最上さん、潮さんは左翼、曙さんは右翼で榛名に続いてください!」

「電さんは私の護衛を。両翼への航空支援を行います、敵をこちらに近づけないで下さい!」

 

 のんびりと思考を回す余裕はない。潮と視線を交わし、それぞれ両翼へと散る。身体を傾斜させ、海面を滑るように動く。途中数発の砲弾が近くに着弾したが、それが何だ。相手は此方の正確な位置を掴んでいない。

 

「沈める……絶対あのクソみたいな悪夢を終わらせてやるんだから……!」

「大丈夫。生きて帰るよ。……だから、そんな顔しないで、鈴谷」

 

 二回、三回と引き金を絞る。座標は赤城の放った彩雲が教えてくれる。大丈夫。譫言のように繰り返す。

 

「敵艦隊の沈黙を確認、進撃します! 各艦弾薬の確認を、先程の敵は運良く孤立していた様ですが、大島までの距離を考えると戦闘の激化は免れません!」

「こちら第一艦隊! 長門さん、そちらの状況を教えてください!」

『電か、此方は敵艦隊後方へ到達、既に艦隊の半数は横須賀からの増援と共に撃破した。後は』

 

 ぷつん。耳障りなノイズにより、長門の声は途切れた。

直前に笑い声のようなものが聞こえたのは、気のせいだったのだろうか。

 

「は、榛名さん……!?」

「聞こえていました。提督も準備の済んだ一次航空艦隊、第三艦隊を向かわせているとの事です……急ぎましょう」

 

 静かだった波は、徐々に荒れ始めていた。


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