『今日はホロウに関する特別授業です。専門家の先生が来てるから、みんな失礼のないように』
高校に入学してからすぐのことだった。なんでも新エリー都の治安局はホロウに関する説明義務がある云々…要するに全校集会でホロウの注意喚起が行われたのだった。
『まずホロウとは…みなさんご存知だと思いますが、超自然災害であり、旧エリー都壊滅の原因となった大変危険なものです。ホロウは突如発生し、ドーム状の亜空間を形成します。この内部では空間の座標が不安定であり、
『すみません、話が逸れました。ホロウ内部はエーテルという物質で満たされています。エーテルはエネルギー資源として極めて重要である一方で、人体に有害な物質です。ホロウに長時間滞在すると、エーテル侵食によって肉体は結晶化し、やがてエーテリアスと呼ばれる化け物へと変貌します。そして、人を襲うようになるのです』
『みなさんの中には生まれつきエーテル侵食耐性が高い人もいるでしょう。しかし、完全な耐性を持つ人間はいません。ホロウに留まれば、いずれ皆エーテリアスとなるのです』
『みなさん、くれぐれも遊び半分でホロウに入らないように。治安局やホロウ調査協会のお世話になってはいけませんよ』
「みんな走って!早く!」
最悪だ。まさかこのメンバーとホロウに呑まれるなんて、想定外もいいとこだ。幸運なのは発生したてのホロウであることだろう。生まれたてのホロウは小さく、空間の乱れも少ないため、一定方向に進み続ければ脱出は容易だと聞く。実際に脱出した人がインタビューを受けていたのを、テレビで見た覚えがある。
「ひっ、あ、あれってエーテリアス?」
ただし、そう簡単には脱出出来なさそうだ。3体のエーテリアスが道を塞ぐように佇んでいる。所詮は雑魚だし、底辺ホロウレイダーでも対処は可能な相手だ。ただし、脇を素通り出来はしないだろう。
「どうする?ちょっと遠回りだけど迂回する?」
「でもそっちにも居たらどうするの」
「…私に任せて」
「エレン?」
まずは装備の確認だ。
いずれも問題なし。
「フッ!」
足の筋肉を爆発させてエーテリアスの懐まで駆ける。その勢いのまま前蹴りを放ち、隣の敵は回し蹴りで吹き飛ばす。最後の一体は回転して勢いをつけた尻尾で破壊した。
「エレンすごい!こんなに戦えたなんて」
「別に…バイトで慣れてるだけだから」
「慣れてるって…あんたのバイトって一体なんなの?」
「いいから。早く進むよ」
4人は道沿いにまっすぐ進んでいく。駅前から大通りに入り、誰一人いないスクランブルスクエアを渡る。信号は赤だったが咎める人などここにはいない。
駅前がホロウの中心だとすれば、この辺りはちょうど出口までの中間点に当たる。ざっくりとした計画だったが、このまま行けばホロウの外縁部にたどり着けるはずだ。
「ねぇ、私たちここから出られるのかな」
「大丈夫。今ごろ治安局とホロウ調査協会が救助活動してるでしょ」
これらの組織はホロウ災害の初期対応を行う。周囲の封鎖や交通の制御、そしてホロウに飲み込まれた人々の救出が任務だ。最近では救出部隊の到着速度は、一般的な救急車に劣らない早さだ、なんて治安局は宣伝していた。これも市政選挙に向けたアピールなのだろうか。
「ともかくあと10分も歩けば外だよ」
「いや〜頼りになるなあ!」
「なんか大したことなかったね」
「ね!ホロウってもっと怖いものだと思ってたけど」
4人の雰囲気はだいぶ明るくなっていた。ちょっと気を抜き過ぎだが、恐慌状態になるよりはマシだろう。
「ほら、油断しない。まだ距離は…危ない!!」
「え?」
咄嗟にモナを突き飛ばす。直後、体に衝撃が走る。吹き飛ばされたと気づいたのは、壁に叩きつけられたあとだった。
「カハッ…」
「え、エレン!!」
「ッ…大丈夫だから!早く!逃げて!」
頭がクラクラする。額を切ったのか、目尻をつたって血が地面に落ちた。
「置いていけないよ!」
「いいから逃げろ!庇いながら戦う余裕はないの!」
「…っ絶対!あとから追いついてよね!!」
3人は躓きながらも走り去っていく。その背中が建物に遮られて見えなくなって、ようやく一息つく。ふと目の前のエーテリアスを観察してみれば、それは長剣と身が隠れるほどの大盾をもつ人型だった。長身痩躯の姿は、スタイリッシュな騎士を想像させる。
「上級エーテリアス、デュラハン。なんでこんなところに」
おそらく裂け目を通って別のホロウから入ってきたのだろう。どう考えても生まれたてのホロウには不釣り合いな存在に、つい舌打ちする。撃破は…武器なしでは厳しいか。
「とにかく時間を稼げばこっちの勝ち」
5分か、10分か。それくらい耐えればみんなは脱出できるだろう。そのあとは建物に隠れながら離脱する。よし、これでいこう。
こちらの出方を伺っていたデュラハンが動き出す。突進し、引き絞っていた右手の剣が突き出される。咄嗟に横にステップし、相手の盾で視線を切りながら懐に踏み込む。
盾のさらに外側から、胴体に向けて蹴りを放つ。ガン!と音を立てて表皮が割れ、結晶の欠片が地面に落ちる。
「かったい!」
みたところ大して効いてなさそうだ。鉄板なしのローファーじゃ威力はたかが知れている。しかし気は引けたらしい。
袈裟斬りを躱し、突きを左に避け、横一閃はスウェーで回避する。踏み込んでの振り下ろしに対して、逆に体を近づけて剣の間合いの内側に入り、爪を引っ掛けて装甲の一枚を引っ剥がした。
「グルオォォォオオオ!!!」
どうやら完全にキレたようだ。暴れるような連続斬りは大きくバックジャンプして回避し、呼吸を整える。攻撃は問題ない。普段のヴィクトリア家政での活動に比べたら、余裕で対応できる範囲内だ。しかし問題なのは
「エネルギー切れする前に引かなきゃ」
エレンは自他共に認める短期決戦型だ。高威力の攻撃力と引き換えに、カロリー消費は莫大で、燃費はすこぶる悪い。このペースなら限界活動時間は10分くらいだろうか。
それからは無心で攻撃を避け続ける。時折蹴りを入れて気を引き、ヘイトの管理も忘れない。
「もう、大丈夫かな…」
これだけ時間を稼げば充分だろう。そろそろエネルギーも切れそうだし、潮時だ。制服のブレザーを投げつけて一瞬の目眩しをし、みんなが向かった方角へ走る。よし、これで…
「あ…」
それに気づいたのは偶然だった。誰かの落とし物だろうか、ピンクのボンプのぬいぐるみが地面に落ちていた。洗濯タグには『えりな』と可愛らしい文字が書かれている。ああ、この子は無事に逃げられただろうか。
戦闘中にあってはならない一瞬の油断。それは上級エーテリアスの前では大きな隙になった。
「ッらぁ!」
気づけば迫っていた剣を蹴りで弾く。まずい、気を取られていた。すぐに離脱しようとして足に違和感を感じる。これは骨折まではいかないが、ヒビくらいは入ったかも。この足じゃ…走って逃げても追いつかれるだろう。なら取れる手段はひとつ、攻撃を避けながら出口まで向かえばいい。
「…大丈夫。やれる」
薙ぎ払いを避け、斬り上げを躱し、突きで伸び切った腕を殴りつける。しかし反撃のシールドバッシュで吹き飛ばされた。しかも出口とは反対側に。
とっくに10分の大台は過ぎていた。眠気が体を支配し、足の痛みで覚醒するのを繰り返す。大丈夫、あと5分は戦える。あと1分は、あと10秒、あと、あと…
不意に足がもつれる。躱しきれなかった斬撃が脇腹を裂き、血が流れて一気に体が冷えてくる。そんな自分を嘲笑うかのように、しとしとと雨が降り始める。傷口に雨が入れば感染症の危険があるし、何より血が止まりにくくなる。状況は悪くなる一方だった。
出口までは100mを切っていたが、絶望という文字が頭を支配する。諦めてしまおうか、なんて考えた瞬間、ヴィクトリア家政のみんなの顔が思い浮かぶ。
そうだ、まだ死ぬ訳にはいかない。モナたちが脱出したのか、それすらも確認できていないのだ。それに最後の晩餐がうなぎパフェなんて、笑えない。
ああ、そういえばアイツ、元気かな。紹介したカフェが原因で死んだって聞いたら、きっと自分を責めるだろうな。気にすることないのに。
「…次はもっといいお店紹介してよね、アルス」
「エレン!?無事か!」