エーテルの申し子   作:海老御飯

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遭難

 

 

『今日はホロウに関する特別授業です。専門家の先生が来てるから、みんな失礼のないように』

 

 高校に入学してからすぐのことだった。なんでも新エリー都の治安局はホロウに関する説明義務がある云々…要するに全校集会でホロウの注意喚起が行われたのだった。

 

『まずホロウとは…みなさんご存知だと思いますが、超自然災害であり、旧エリー都壊滅の原因となった大変危険なものです。ホロウは突如発生し、ドーム状の亜空間を形成します。この内部では空間の座標が不安定であり、キャロット(地図)無しで脱出することは不可能に近いでしょう。また、所々に裂け目と呼ばれるワープゾーンも存在します。ホロウ調査協会の見解では、この裂け目は次元構造にエーテルが干渉し、超ひも理論との複合によって……』

 

『すみません、話が逸れました。ホロウ内部はエーテルという物質で満たされています。エーテルはエネルギー資源として極めて重要である一方で、人体に有害な物質です。ホロウに長時間滞在すると、エーテル侵食によって肉体は結晶化し、やがてエーテリアスと呼ばれる化け物へと変貌します。そして、人を襲うようになるのです』

 

『みなさんの中には生まれつきエーテル侵食耐性が高い人もいるでしょう。しかし、完全な耐性を持つ人間はいません。ホロウに留まれば、いずれ皆エーテリアスとなるのです』

 

『みなさん、くれぐれも遊び半分でホロウに入らないように。治安局やホロウ調査協会のお世話になってはいけませんよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな走って!早く!」

 

 最悪だ。まさかこのメンバーとホロウに呑まれるなんて、想定外もいいとこだ。幸運なのは発生したてのホロウであることだろう。生まれたてのホロウは小さく、空間の乱れも少ないため、一定方向に進み続ければ脱出は容易だと聞く。実際に脱出した人がインタビューを受けていたのを、テレビで見た覚えがある。

 

「ひっ、あ、あれってエーテリアス?」

 

 ただし、そう簡単には脱出出来なさそうだ。3体のエーテリアスが道を塞ぐように佇んでいる。所詮は雑魚だし、底辺ホロウレイダーでも対処は可能な相手だ。ただし、脇を素通り出来はしないだろう。

 

「どうする?ちょっと遠回りだけど迂回する?」

「でもそっちにも居たらどうするの」

「…私に任せて」

「エレン?」

 

 まずは装備の確認だ。武器(ハサミ)なし、戦闘(メイド)服なし、増援は期待できない。護衛対象は3名。

 

 いずれも問題なし。

 

「フッ!」

 

 足の筋肉を爆発させてエーテリアスの懐まで駆ける。その勢いのまま前蹴りを放ち、隣の敵は回し蹴りで吹き飛ばす。最後の一体は回転して勢いをつけた尻尾で破壊した。

 

「エレンすごい!こんなに戦えたなんて」

「別に…バイトで慣れてるだけだから」

「慣れてるって…あんたのバイトって一体なんなの?」

「いいから。早く進むよ」

 

 4人は道沿いにまっすぐ進んでいく。駅前から大通りに入り、誰一人いないスクランブルスクエアを渡る。信号は赤だったが咎める人などここにはいない。

 駅前がホロウの中心だとすれば、この辺りはちょうど出口までの中間点に当たる。ざっくりとした計画だったが、このまま行けばホロウの外縁部にたどり着けるはずだ。

 

「ねぇ、私たちここから出られるのかな」

「大丈夫。今ごろ治安局とホロウ調査協会が救助活動してるでしょ」

 

 これらの組織はホロウ災害の初期対応を行う。周囲の封鎖や交通の制御、そしてホロウに飲み込まれた人々の救出が任務だ。最近では救出部隊の到着速度は、一般的な救急車に劣らない早さだ、なんて治安局は宣伝していた。これも市政選挙に向けたアピールなのだろうか。

 

「ともかくあと10分も歩けば外だよ」

「いや〜頼りになるなあ!」

「なんか大したことなかったね」

「ね!ホロウってもっと怖いものだと思ってたけど」

 

 4人の雰囲気はだいぶ明るくなっていた。ちょっと気を抜き過ぎだが、恐慌状態になるよりはマシだろう。

 

「ほら、油断しない。まだ距離は…危ない!!」

「え?」

 

 咄嗟にモナを突き飛ばす。直後、体に衝撃が走る。吹き飛ばされたと気づいたのは、壁に叩きつけられたあとだった。

 

「カハッ…」

「え、エレン!!」

「ッ…大丈夫だから!早く!逃げて!」

 

 頭がクラクラする。額を切ったのか、目尻をつたって血が地面に落ちた。

 

「置いていけないよ!」

「いいから逃げろ!庇いながら戦う余裕はないの!」

「…っ絶対!あとから追いついてよね!!」

 

 3人は躓きながらも走り去っていく。その背中が建物に遮られて見えなくなって、ようやく一息つく。ふと目の前のエーテリアスを観察してみれば、それは長剣と身が隠れるほどの大盾をもつ人型だった。長身痩躯の姿は、スタイリッシュな騎士を想像させる。

 

「上級エーテリアス、デュラハン。なんでこんなところに」

 

 おそらく裂け目を通って別のホロウから入ってきたのだろう。どう考えても生まれたてのホロウには不釣り合いな存在に、つい舌打ちする。撃破は…武器なしでは厳しいか。

 

「とにかく時間を稼げばこっちの勝ち」

 

 5分か、10分か。それくらい耐えればみんなは脱出できるだろう。そのあとは建物に隠れながら離脱する。よし、これでいこう。

 

 こちらの出方を伺っていたデュラハンが動き出す。突進し、引き絞っていた右手の剣が突き出される。咄嗟に横にステップし、相手の盾で視線を切りながら懐に踏み込む。

 盾のさらに外側から、胴体に向けて蹴りを放つ。ガン!と音を立てて表皮が割れ、結晶の欠片が地面に落ちる。

 

「かったい!」

 

 みたところ大して効いてなさそうだ。鉄板なしのローファーじゃ威力はたかが知れている。しかし気は引けたらしい。

 袈裟斬りを躱し、突きを左に避け、横一閃はスウェーで回避する。踏み込んでの振り下ろしに対して、逆に体を近づけて剣の間合いの内側に入り、爪を引っ掛けて装甲の一枚を引っ剥がした。

 

「グルオォォォオオオ!!!」

 

 どうやら完全にキレたようだ。暴れるような連続斬りは大きくバックジャンプして回避し、呼吸を整える。攻撃は問題ない。普段のヴィクトリア家政での活動に比べたら、余裕で対応できる範囲内だ。しかし問題なのは

 

「エネルギー切れする前に引かなきゃ」

 

 エレンは自他共に認める短期決戦型だ。高威力の攻撃力と引き換えに、カロリー消費は莫大で、燃費はすこぶる悪い。このペースなら限界活動時間は10分くらいだろうか。

 

 それからは無心で攻撃を避け続ける。時折蹴りを入れて気を引き、ヘイトの管理も忘れない。

 

「もう、大丈夫かな…」

 

 これだけ時間を稼げば充分だろう。そろそろエネルギーも切れそうだし、潮時だ。制服のブレザーを投げつけて一瞬の目眩しをし、みんなが向かった方角へ走る。よし、これで…

 

 

「あ…」

 

 それに気づいたのは偶然だった。誰かの落とし物だろうか、ピンクのボンプのぬいぐるみが地面に落ちていた。洗濯タグには『えりな』と可愛らしい文字が書かれている。ああ、この子は無事に逃げられただろうか。

 戦闘中にあってはならない一瞬の油断。それは上級エーテリアスの前では大きな隙になった。

 

「ッらぁ!」

 

 気づけば迫っていた剣を蹴りで弾く。まずい、気を取られていた。すぐに離脱しようとして足に違和感を感じる。これは骨折まではいかないが、ヒビくらいは入ったかも。この足じゃ…走って逃げても追いつかれるだろう。なら取れる手段はひとつ、攻撃を避けながら出口まで向かえばいい。

 

「…大丈夫。やれる」

 

 

 

 

 

 

 薙ぎ払いを避け、斬り上げを躱し、突きで伸び切った腕を殴りつける。しかし反撃のシールドバッシュで吹き飛ばされた。しかも出口とは反対側に。

 とっくに10分の大台は過ぎていた。眠気が体を支配し、足の痛みで覚醒するのを繰り返す。大丈夫、あと5分は戦える。あと1分は、あと10秒、あと、あと…

 

 不意に足がもつれる。躱しきれなかった斬撃が脇腹を裂き、血が流れて一気に体が冷えてくる。そんな自分を嘲笑うかのように、しとしとと雨が降り始める。傷口に雨が入れば感染症の危険があるし、何より血が止まりにくくなる。状況は悪くなる一方だった。

 出口までは100mを切っていたが、絶望という文字が頭を支配する。諦めてしまおうか、なんて考えた瞬間、ヴィクトリア家政のみんなの顔が思い浮かぶ。

 そうだ、まだ死ぬ訳にはいかない。モナたちが脱出したのか、それすらも確認できていないのだ。それに最後の晩餐がうなぎパフェなんて、笑えない。

 ああ、そういえばアイツ、元気かな。紹介したカフェが原因で死んだって聞いたら、きっと自分を責めるだろうな。気にすることないのに。

 

 

「…次はもっといいお店紹介してよね、アルス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エレン!?無事か!」

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