吾輩はとある女性VTuberの飼い猫である。 作:ルフラン
吾輩は猫である。名前はおそらくこれから付けられる。
「やぁ〜ん、この仔可愛ぃ〜! 飼っちゃおうかな? 飼うしかないだろ!? こんなに可愛かったら!!」
無礼にも吾輩を抱き上げて、優雅な毛皮を撫で回すこの女に言いたいことは山ほどあるが、致し方なし。これも、やんごとなき
この家に生まれた同族たちは、いま吾輩が経験しているように、世話役となる
……うむ。こそこそまさしく、猫界の成人の儀というものだな。
これに失敗するとこの家の召使いの視線も厳しくなる。授乳期間が過ぎても母猫の乳を啜る者が歓迎されぬのは猫界も変わらぬ。よって吾輩は多少の不満はあれども、この機の自立に前向きである。
「決めたよ! 君の名前はミルク!! 今日からうちの子になるからよろしくね!?」
しかし、なんという間抜けな面体であろうか……。
落ち着かぬ情緒。礼節を知らぬ振る舞い。この女が吾輩の世話役になるなど不安しかないが、これも高貴なる者の務めか。
重ねて致し方なし。吾輩は寛容ゆえ、自ら名乗らぬ無礼にも目を瞑ってやろう。
……それにこの女もまったく見どころが無いわけではない。
この間抜けな風体からは想像もつかなかったが、吾輩に仕えるにあたって必要となる礼装を当家の召使いに景気良く注文する様子から、かなり裕福な身の上であることが見て取れる。
うむ。吾輩も貧乏暮らしは御免だからな。金銭に糸目を付けぬ経済力は評価に値するであろう。
「それじゃみぃちゃん。運転中は危ないから、キャリーケースの中で大人しくしててね。帰ったら存分に遊んであげるからさ」
などと、見直してやるのではなかった。
うぬぬ。吾輩にもこの
要は吾輩を信用しておらぬのであろう?
母猫の気を惹きたがる稚児のように、吾輩が送迎用の車両の運転する貴様を煩わせると決めつけ、事故を未然に防止するために無礼にも拘束したと……どうだ、これはそういうことであろうよ。
……おのれ。なんたる無礼な決めつけであろうか。この高貴なる吾輩がその程度の道理もわきまえぬと思ったか。
世話役の真に浅はかな決めつけに、吾輩は怒った。吾輩の矜持は大きく傷つけられた。
もちろん吾輩の不満はそれだけではない。
この女は先ほど吾輩に《ミルク》と命名したばかりではないか。
だと言うのに舌の根も乾かぬうちに《みぃちゃん》などと、別の名で呼びおって。
よもや愛称のつもりだとでも言うのか?
馬鹿な。高貴なるこの吾輩に愛称を付けるなど言語道断。
これはこの女の評価を下げるのに十分な仕打ちであろう。
「……ほら、お部屋も完成したから出ておいでよ。本当に大丈夫だから。危なくないから出ておいでってば」
高貴なる吾輩は、下々のように全身の毛を逆立てて威嚇などしない。しかし先ほどの仕打ちは寛大な吾輩をもってしても、腹に据えかねる無礼であった。安易に赦しては吾輩の世話役であるこの女の為にもならない。故に心を鬼にしてつれない態度を取っておるのだ。
ふっ。下々の者をしっかり教育するのも高貴なる吾輩の務めよ。
……だがそのためにこの身を牢獄に置き続けるのも如何なものか。さすが飽きてきたし、なんと心の狭い主人であろうかと失望されても困る。
そんな事になったら世話役を喪失しての野良堕ちは必定。高貴なる吾輩が食うや食わずやの野良猫に身を落としては実家の恥にもなろう。
ならば、これも致し方なし。今日は妥協させられてばかりの気もするが、生きるとはそういうものである事を、吾輩は実家の教育から学んでいる。
自らの狭量を反省した吾輩は牢獄を出ると世話役を探したが、あの女も自らの失態を自覚したのか、自室に謹慎して主君である吾輩の沙汰を待つ腹積りか、この部屋には不在だった。
ふむ。あの女もまるで物の道理を弁えておらぬわけではない、か……。
それに見どころもある。ひとまとめに設置された数多の遊具に、吾輩の健康に留意しておらねば設置せぬであろう
やんごとなき生まれの吾輩から見ても十分に満足できる居住環境。高貴なる吾輩に仕えるつもりならば、この程度は用意して当然と言えるやもしれんが……そう決めつけるのはさすがに情がなかろう。
あの女の心尽くしは十分に察した。ならば
「あっ、みぃちゃん出てきたんだ!? ねえねえ、見てよこの部屋? ここが今日からあなたのお家になるのよ!!」
……しかしこのガサツなところはどうにかならぬのか。
主君である吾輩に背後から声を掛けて驚かせたあげく、無遠慮に抱き上げるなど言語道断ではあるのだが……腕の中の居心地は中々であるし、何より、吾輩の機嫌を伺うために用意したのか、
ここまでされては、ますますもって致し方なし。寛大なる吾輩はこの女の度重なる無礼を水に流し、高貴なる吾輩に仕える召使いとして認めてやるのだった。
ふふっ、よろしく頼むぞ名も無き人間の女よ。いずれ貴様の名を知ることもあろうが、その時は目端の利くメイドとして記憶しやろう。
──そう思っていたのだがな。
「こらっ、だから危ないって!! そんなに暴れたら落っことしちゃうってば……!!」
「ふみゃあ〜!!」
無様な悲鳴をあげてしまったが、そこは問題ではない。
いや、本来であれば吾輩の名誉を大きく損なう失態であるが、今は火急の事態だ。黙認せよ。それほどまでに今の吾輩は切羽詰まっておるのだ。
原因は言わずもがな。いま、吾輩の眼下には灼熱の大洋が広がっておるのだ。
……そう。吾輩は全裸の女に抱えられて《入浴》とやらの真っ最中であった。
とりあえず、吾輩を抱く女が一切の布地を纏わぬのは、この際だ。どうでもいい。
毛皮の代用品となる衣服を脱ぎ、己の生殖器官まで異性の前にさらけ出すなど真に破廉恥ではあるが……吾輩とは種の異なる女でもあるし、吾輩の繁殖期も当分先だから見たところで何も思わぬ。
だがそんな痴態を晒したのが主君の伽をする為ではなく、吾輩の全身を水浸しにするためとは何事であろうか?
やめよ! 猫界に入浴などという文化はない!!
自慢の毛皮を泡だらけにされた屈辱だけでも容認し難いというのに、よもや吾輩を大洋に沈めようとするとは、もはや謀反としか思えん。
……よし。貴様の不満はわかった。
吾輩も先ほどの自身の態度は如何なものかと反省していたところだ。
早まるな。話し合おうと、女の肌を無闇に傷つけぬように留意しながらも必死に抵抗するが──。
「ほら、大丈夫だったでしょ? お風呂気持ちいいよねぇー! みぃちゃんもまた一つ賢くなったね」
うむ。最初はどうかと思ったが、これは中々に快適……いやいや、貴様に毛皮を水浸しにされた恨みを忘れたわけではないからな?
だが、詫びのつもりか自慢の毛皮を
「うふふ。全身ピッカピカになったし、いっぱい食べたねぇー? これからもよろしくねみぃちゃん?」
「うみゃあ」
こうして上機嫌に喉を鳴らした吾輩は数々の不条理を忘れてやる事にしたのだ。
先ほどの謀反と疑われても仕方ないがさつさもある。今後もこの女は吾輩に仕える者として恥ずかしくないように、しっかり教育していかなければならないだろうが……落ち着いてよくよく観察してみれば、高貴なる吾輩の世話役として選抜されただけあって、この女の見た目は人間にしては整っている部類だろう。
これならば他の同胞に紹介しても吾輩の恥になる事はあるまい。大いに満足した吾輩は食後の眠気に誘われてあくびをした。
はてさて。これからどうなるかは知らんが、少なくとも退屈させられる事はあるまい。
抱き上げた女の腕の中で微睡んだ吾輩は、薄目で高貴なる者に相応しい寝所に運ばれるのを確認して、やはり分かっているではないかと大いに満足するのであった……。
夢の中に降り立った小説の神様に急かされるままに書きあげた本作は令和版『吾輩は猫である』といった作風になりましたが、果たしてこれをオリジナルに分類していいものか……この点に関してご意見がございましたら、どうか容赦なく感想欄でご指摘を。