吾輩はとある女性VTuberの飼い猫である。 作:ルフラン
吾輩は猫である。名前はミルク。吾輩の世話役を務める人間の女は《みぃちゃん》などという愛称で呼ぶが、いちいち咎める筋合いでもあるまい。
少なくとも吾輩の事をそう呼ぶ女に悪意はない。
吾輩に向ける顔はいつも嬉しそうに笑っている。この高貴なる吾輩に仕える喜びゆえにそんな表情になるのだとしたら、中々に可愛らしい女ではないか。
日々の献立も贅を凝らし、昨夜は生まれて初めて鮪の刺身を堪能した。好物の
たまに付き合わされる入浴だけはいまだに慣れんが、あれも悪意ゆえにそうしておるのではない。この自慢の毛艶をより美しく、清潔に保つために努力しているのだと思えば腹も立たぬ。
未だに吾輩との適切な距離を学習せず、特に日中はしつこく構ってくるのは辟易するが、まぁ、こやつも女であるしな。高貴なる吾輩の気を惹きたいのであろうよ。
……しかしこうも連日のように構ってくるとなると、些かならず心配になる。
自立して真っ当な職につかねば食うに困るのは人間とて変わらぬはず。
だというのにずっとこの家で朝から晩まで酒臭い息を吐いてるこの女は、一体どのような手段でこの贅沢な暮らし気維持しているのやら。
これでは、よもやその歳で母親の乳を啜っているのではあるまいなと心配にもなろう。
吾輩はこの女をそれなりに評価しているつもりだが、今日も朝から飲んだくれている姿を見せられてしまうと、さすがに在宅勤務でバリバリ稼いでいると見なすのは無理があった。
いつかこの快適な暮らしが崩壊するのではないか──そんな不安が別種の苛立ちに塗りつぶされたのは、夕献を済ませたとある日の夜であった。
「さあっ、今日はみんなにみぃちゃんを紹介するからね? ちゃんとお行儀良くするのよ?」
「んなぁ〜お?」
いつものように抱き上げた女の自室に運び込まれて挨拶するように言われるが、そうする相手がどこにも見当たらない。
吾輩はてっきり、何度かこの家を訪ねてきたやたら臀部の大きい女か、その逆に胸部が異常に発達した女が合流してくるかと思ったが、待てど暮らせど呼び鈴の鳴る気配はない。
「よし、始まった……。んんーっ、みぃちゃんも楽しみでしょ? 実は一昨日の配信でね、みぃちゃんに一目惚れしてお迎えしたって教えてやったら、みんな露骨に嫉妬しちゃってさ? だからみんなに挨拶したら、ふみかたちのラブラブな姿を見せつけて悔しがらせてやろうってのが、今回の配信の肝ってコトよ。……ま、そんなワケだから、みぃちゃんも挨拶よろしくね?」
つまり吾輩を机の上に置物のように放置したこの女は、正真正銘のぼっち……にも関わらず重ねて挨拶するように要請してくる。
……これはいよいよ酒浸りの日々で気が触れたと見なすべきか?
今までどんなに飲んだくれても乱れる気配はなかったから容認していたが、いよいよ幻覚まで見るようになったとなると、次回から力ずくでも止めねばならんが……。
そう密かに戦慄する吾輩だったが、これは杞憂に終わった。
「どぉ〜も、どぉ〜も。りりかライブのおっぱいオバケこと、3期生の大吟醸ふみかです。みんな元気してたぁ?」
見れば《パソコン》という双方向の通信を可能とする機器を操作した女は、どうやらモニターの向こうに存在する何者かと会話しているようだった。
そしてその後の会話で、この女がどのような手段で食い扶持を稼いでいるのかも理解できた。
どうやらこの女は食堂にある《テレビ》に映る者たちと同じように、自己を見せ物として切り売りする《芸能人》とやらと類似の職にあるようだった。
……まぁ、この女も見てくれは中々であるからな。種の異なる吾輩はこやつの生まれたままの姿を見ても何とも思わぬが、同族の男ならば放っておくまい。
そこに需要があり供給がある。この女が裕福な暮らしをしているのも、是非とも
それは分かる。分かるが……やはり不快だ。
この吾輩の
要は吾輩の女に劣情を抱くなど何事だと、そんな気分だ。
そしてこの吾輩ともあろう者が居ながら、安易に男を誘うなど、この女もけしからんにも程がある。
これは断固として灸を据えてやらねばならんな……。
「今日はねぇー、特別にカメラを使ってふみかの飼い猫を紹介します。……ほら、みぃちゃんも笑って笑って? みんなみぃちゃんの反応を期待して見てるんだよ?」
そう固く心に決めた吾輩は、しきりに手を振る女にそっぽを向いた。
貴様のような女は知らんとばかりに背を向けて不貞寝する。
「オィイイイ! 視聴者のみんなもナイスリアクションじゃないんだよ──あっ、いまオナラした!! うわ、くっさ!? 飼い主に向かってオナラをするな馬鹿者……!!」
ふんっ、残念だが当然の仕打ちよな。
よもや娼婦のようにその身を切り売りしていたかと思ったら、吾輩の飼い主まで気取ろうとは。
むしろ逆であろうに……主君は吾輩。貴様は従者。この当たり前の道理を認識するまで、この女の扱いはこの程度で十分であろう。
「ふ、ふぅ〜ん? いつもはふみかにデレデレなのにそんな態度を取ってくれるんだ? いいもんね。そっちがその気ならもう少し後まで取っておく予定だったけど、対みぃちゃん最終兵器を投入しちゃうんだから……」
と、その時であった。視界の届かぬ背後からゴソゴソと何かを弄る音が聞こえてきたのは。
……この音は知っている。まさかと思って振り向いた先で見せつけられたのは、吾輩の大好物である
「んふふ……やっぱりコレは無視できないよねぇ〜? ほら、欲しかったらキチンと姿勢を正して、私はふみかたんの飼い猫ですって鳴いてみな?」
「んにゃあ」
真に、真に屈辱的ではあったが、この香りには抗えなかった。
いつもより高く掲げられる切り口に前肢を伸ばし、芳醇な味わいに酔いしれるも……敵はこの機に吾輩を屈服させる腹積りなのか、その手は
……吾輩は猫である。猫ゆえに本能には抗えない。
無様にも無防備な腹を見せつけて立ち上がり、必死の思いで捕まえた切り口を貪るのを止められるものではない。
「ふふんっ──どうよ? この姿を見ればみんなも、誰が本当のご主人様か一目瞭然って、マズイみーちゃんがキーボード踏んじゃった!?」
もはやメイドの妄言など吾輩には届かぬ。
「馬鹿馬鹿ッ!! カメラが切り替わって、ふみかたんの美貌が全世界に配信……ナイスおっぱいじゃねぇんだよ馬鹿ぁああ!!」
その後も満腹して妙に寝心地のいい《キーボード》の上を転がった吾輩は、この足りないところの多い女の百面相を感心して見上げるのであった。