吾輩はとある女性VTuberの飼い猫である。   作:ルフラン

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吾輩は猫であるが故に、付属する人間社会への配慮は忘れぬ。しかし、それはそれとして、男子の尊厳は女子のそれと同様に守られるべきだと思うのだが……。

 

 

 

 

 

 猫は自由だと言ったのは誰だったか……まぁ社畜なる造語が生まれるほどに、個人の幸福よりも、集団の責任を優先したがる人間どもの言葉であるからな。同胞の見かけのみに囚われて、浅はかな感想を漏らしたのも一人や二人ではあるまいて。

 

 吾輩は猫である。猫ではあるが、言うほど自由ではない。

 

 暖かな春の日差しを求めて露台(ベランダ)に出ようとすれば、血相を変えた使用人(ふみか)に止めらるし、今宵は鶏肉が食べたいと訴えてもなかなか正確に伝わるものでもない。

 

 そうだ。吾輩は万物の頂点に君臨した時点で、是非とも吾輩に従属したいと申し出た人間たちの社会性(システム)を無視できなくなったのだ。

 

 ……だからこんな話も出てくる。

 

 いつものように満面の笑みを湛えて語りかけてきた女が口にしたその言葉は、いっそ理解できないほうが幸福であった。

 

「ふぅん? オス猫を去勢するタイミングは、マーキング行動を覚える生後6ヶ月から、7ヶ月前あたりが適当なんか……。みぃちゃんは生後2ヶ月だからまだ当分先だけど、一応忘れないでおいてね?」

 

 な、なんであろうか……その《去勢》とかいう不吉極まりないデンジャラス・ワードは?

 

 己が従者の口にした忌まわしい単語を理解できない──正確には理解したくない──吾輩は思わずふみかの顔をまじまじと見つめてしまったが、それが悪かった。

 

 吾輩のアクションには、必ずや何かしらのリアクションを返す。それが生来の芸人・大吟醸ふみかという女であった。

 

「う〜ん、去勢ってのはねぇ……ちょっと物騒な話になるんだけど、みいちゃんの男の子の象徴(シンボル)の、タマかサオのどっちかかな? タマならこう、プチンって潰してまうか、サオなら根本からチョキンと切断して、みいちゃんが発情期にメスを求めてニャーニャーうるさく鳴かないようにするらしいんやわ」

 

 ばっ、馬鹿な……よりにもよって高貴なるこの吾輩に断種の強制だと?

 

 しかもその理由が、吾輩が発情期にニャーニャーうるさく鳴かせぬためとは……み、見損なうのも大概にするが良いぞ?

 

 たしかに人間どもの軍門に降った同族ならば、本猫(ほんにん)の意思よりも人間どもの都合が優先されようが、生憎と吾輩は生物としての格が違うからな。

 

 この際ハッキリと断言しても構わぬが、吾輩がメスとの交尾したさに無様に鳴き散らすなとあり得ぬことであるし、何ならその旨を認めた誓約書にハンコ(肉球)を押しても良い。

 

 で、あるからな……頼むからそんな残酷な仕儀だけは勘弁してもらえぬか?

 

 ……吾輩にも男子の尊厳というモノがあるのだ。子を成さぬのと、成せぬのでは大きな違いがある。そこはわかるな? 

 

 だから頼む! 生涯童貞であっても構わない!! だから、だからどうか、吾輩のこの見事なヒップラインに惹かれて求愛してきた女子どもに、舌打ちされて侮蔑されるような仕儀だけは、どうか、何卒──。

 

「ん〜、そっかそっか。なるほどねぇ……そんなお金があるならチュールをもう一本って顔やな、これは」

 

 って、どうしてこんなに訴えておるのにカケラも伝わらんのだ!! 嗜好品(チュール)は有り難く満喫するが……!!

 

「どや? みぃちゃんもふみかの言ってる事を正確に理解してくれたみたいやけど、ふみかも中々やろ? これからも二人三脚で頑張ってこうな?」

 

 畜生。やはり駄目ではないか、この女……。

 

 吾輩がふみかの言を理解しているのは正解だが、それはハッキリと吾輩の手柄であって、受け手である貴様のセンス、読解力、共に壊滅的ではないか。

 

 まぁ、こんな非常時だというのに本能に抗えなかった吾輩もどうかと思うが……こうも理解が一方通行な状態で、吾輩の尊厳をこの女に踏み躙らせずに済ますには、一体どうしたものか……。

 

 ふ、ふふふ……いかん。考えれば考えるほど碌でもない結末しか思いつかんが、吾輩は諦めぬぞ。この神にも等しい吾輩に断種の強制など、そんな重い十字架をこの女に背負わせるわけにはいかないのだ。

 

 よってファイトだ吾輩。ぐうの音も出ない完璧なアピールで、なんとか人類史上、最悪の犯罪を未然に防止せよ。

 

 吾輩が煮詰まった頭を抱えて悶絶した時だ。救いの女神があり得ないほど完璧なタイミングで降臨したのは──。

 

「おっ、ふみかたんとみぃたんもまだ居るね? もう病院に行っちゃったかと思ったが、見たところ間に合ったカンジ?」

 

 そうだ。いつものように家主である吾輩に一言の断りもなく、ふみかの合鍵で侵入してきた図々しい女は、本当にいつもなら我輩の得になる事は等価交換の抱擁しかせぬ吝嗇家(ケチな女)であった。

 

 持参する品々もあくまで自分たちの胃袋を満たすだけで、吾輩に献上する嗜好品(チュール)も、ふみかの私物を強奪して──そんな毒にも薬にもならぬ女だったが、今度ばかりは無条件で吾輩の役に立ってくれた。

 

「あっ、桃華先輩。みぃちゃんの病院なら4時からですけど……桃華先輩との予定って、なんかありましたっけ?」

 

「いや、あたしも事務所で収録した帰りなんだけど、なんかお腹が空いちゃったから、今夜はガッツリ焼肉にしようと思ったんだワ。でも一人で食べるのも味気ないし、ふみかの予定を聞きにきたんだけど……この仔の注射だけならすぐ帰ってくるだろうから、今夜はあたしん()ね?」

 

「それなら、有り難くお受けしますが……ついでにこの仔の去勢手術の予約もするつもりだから、もう少しかかるかもしれませんよ」

 

「え゛!? みぃたんのタマタマ取っちゃうの……?」

 

「……いけませんか?」

 

 思わず右を見て左を見る。一時は崖っぷちにまで追い込まれて、あまりに絶望的な戦況にいっそ気絶したくなったが、この図々しくも頼もしい女の快進撃ときたらどうた?

 

 瞬く暇もないほど迅速に戦線を押し上げ、今や完全に拮抗──いや、もはや逆転も目の前ではないか。吾輩にはもはやこの女こそが真性の女神としか思えぬ。

 

「いや、ダメでしょふみかたん? みぃたんの存在を明かす前ならアリだったけどさぁ……もうこの仔の太々(ふてぶて)しいファンアートが量産されてる時代よ。例の件に懲りたふみかたんが口を噤んでも、いつか絶対聞かれるって。あれからみぃたんは何してんのって……。その時にふみかたんが、ああ、あの仔ならとりあえずタマタマを取ってもらいましたよって答えようもんなら……」

 

「……非難轟轟ですかね?」

 

「うん、断言する。確実に炎上するね」

 

 なんという、なんという鮮やかな逆転劇……。

 

 微塵も揺るがす自説を展開する桃華と、段々と自信を喪失して押し黙るふみか。二人が問題としている《視聴者の反応》とやらにさほど詳しくない吾輩には判断がつかぬが……どうやら桃華に言わせると、ふみかが吾輩の尊厳を踏み躙った場合は識者が黙っておらぬようだ。

 

「正直なところ、実際にどこまで延焼するか今の段階じゃ判断がつかんが、下手をしたら桐子さんの二の舞まで行くかもしれん……。ふみかたんはガチ恋営業をしてないけど、やっぱり微妙な問題だし、他に猫を買ってる子たちもさ、後になって可哀想なコトをしちゃったなって後悔してる子もいたから、もうちょっと慎重に判断したほうがいいと思うんだワ」

 

「……そうですね。ふみかもペットの去勢は当たり前なのかなって、軽く考えていたところもありますから……ここから先はどっちがみぃちゃんの為になるか、もっと真剣に考えてみます」

 

「ん。でも真剣に考えるのはいいけど、一人で抱え込むのはやめてね? あたしも他の子からどっちがいいか話を聞いといてあげるから、お礼は今夜の焼肉にエビを追加するとか、そんなんでいいんだからね?」

 

「はい、有り難うございます。……なんか桃華先輩と真面目な話をすると初対面を思い出して、ふみか緊張しちゃうなぁ」

 

 これこそ野球で例えるなら、まさしくサヨナラ逆転の満塁ホームランであろうか。

 

 一言のケチもつけようのない真に見事な逆転劇であるのみならず、敗者を気遣う温情に吾輩の涙腺もいたく刺激されたわ。

 

 ありがとう、ありがとう皇桃華(すめらぎももか)。誇り高い吾輩は犬のように露骨な感情表現を好まぬが、この恩は生涯忘れぬ。

 

 何なら吾輩の純潔は貴様に下賜しても良い。本当に、貴様には助けられた──。

 

「ま、そうなるとふみか達の帰りは遅くても6時前になりそう? どうせ混合ワクチンのブッ()いのを、お尻にブスッとやってくるだけだもんね」

 

 ……な、何だと?

 

 お尻に太いのをブスッとは、これまた斬新な表現よな……。

 

「病院の混み具合にもよりますけど、まぁそんな感じですね。ですので他に欲しいものがあったら、ついでに寄ってきますよ?」

 

「おっ、それならお酒も頼んじゃおうかなぁ? 今日はこの仔が大人の階段を登った記念日ってコトで乾杯ね」

 

 いや……せめてその、吾輩が大人になるというのはどういう事か、もう少し詳しく説明してもらえると助かるのだが……。

 

 二人の笑顔を交互に見渡す吾輩の心の声に答える者はおらず、言い知れぬ不安は処刑台の如き診察室で最高潮に達したが……終わってみれば、まぁ、あまり大した事はなかったのである。

 

 まったく、吾輩の恩人も人が悪い。あのような言い方をするから、吾輩はてっきり……。

 

 杞憂で済んだと思い込んだ吾輩は夕献の席で柄にもなくはしゃいでしまったが、その反動はすぐに訪れた。後に薄めた毒にも等しいと判明したワクチンとやらの中身が、吾輩の全身を駆け巡って苛んだのだ。

 

 ……結局、桃華の物騒な表現が正しかったわけか。

 

 ふみかの枕元でニャーニャーと苦痛を訴えた吾輩は、しかしずっと添えられた柔らかい手のひらに安心して、その日は翌朝まで悪夢も見ない穏やかな眠りに就くのであった。

 

 

 

 

 

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