仮面ライダー刀刃(ヤイバ)   作:禍津日

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第参話『燃え落ちる、希望』

「ねえ、ママ」

「んー何?」

 

6歳の娘、茉奈に無理やり起こされて由美は眠りから覚める。

時計に示される時刻は深夜3時、ちょうど眠りが一番深くなる時間帯に何の用だろうか、この娘は。隣を見ると夫の康孝は自分の気苦労も知らないで呑気に寝ているではないか。

 

「おねしょした?」

 

茉奈は今年小学校に入学したが、まだまだおねしょをするなど油断できない所がある。

まあ、母親からすればそういう子供っぽい所も愛おしくて仕方ないのだが・・・。

しかし娘の様子はどうもそうではないようで、由美は不思議に思った。

 

「何か、臭い」

「え?」

 

言われて、眠っていた嗅覚にも仕事をさせる。間違いない、火事だ。

このキナ臭い臭いは火事特有のものに違いない。

焦る心を抑えて、由美はまず寝ている夫を起こすことにした。

 

「あなた、寝てないで起きて!?火事よ!!」

「ふあ・・・?火事!?」

 

夫も飛び起き、ひとまず窓を開ける。

康孝はこの家を店舗兼工務店に改装して日々大工仕事に勤しんでいるため、筋肉質な体形だ。

特にこういう状況では頼りになる。以前家に泥棒が入ってきた時も難なく撃退したことがあった。

 

「由美、この家が燃えているのか?」

「分からないわ、茉奈が教えてくれたから」

「そうか、偉いぞ茉奈。ちょっと下を見てくるよ」

「気を付けてね・・・!」

 

康孝は茉奈の頭を優しく撫でると急いで階段を駆け下りていく。

この家は一階が工務店、二階と三階が居住スペースである。寝室は三階でキッチンは二階のため、火元になるとすればそこだろうと由美は思った。

しかし、夕食を作った時に火は消したし、寝る前にガスの元栓も閉めたはずなのだが・・・。

 

「ママ、怖い・・・」

「そうね、でも大丈夫よ。ママもパパもいるもの」

 

茉奈は震えていた。無理もない、まだ6歳でしかないのだから。

小学校進学を期に「一人で寝れる!」と散々自己主張したから部屋を与えたが、時折怖い夢を見ると自分たちの寝室に潜り込んでくるような甘えん坊な娘だ。

自分たちがしっかりしないと、と由美は気を引き締める。

 

(しかし、あの人遅いわね。何かあったのかしら・・・?)

 

「ママー、パパは?」

「分からないわ。ここでいい子に待っているのよ。ちょっとパパの所に行ってくるから」

「やだ、茉奈も一緒に行く!」

 

茉奈は由美のパジャマの裾にしがみついて意地でも放そうとしない。

誰に似たのだか、こういう強情な所は自分たちの娘らしくあると思う。

こうなると梃子でも動かないのを重々理解している由美は、ため息をついて茉奈に言った。

 

「しょうがない子ね。絶対、手を放しちゃ駄目よ?」

「うんママ!」

 

二人で寝室を出て、階段を下りる。一歩、また一歩と下へ近づく度に焦げたような臭いが一層強くなり、やはりこの家が燃えているのだろうかと不安になる。

由美も、康孝も忘れていたが、この家には火災報知器が至る所に設置されている。

だから、本来なら火災であれば火災報知器が反応して然るべき状況のはずなのだ。

でも、報知器が作動するはずもない。

 

今この家にある脅威は決して火事などではないのだから・・・。

 

二階は主にリビングと風呂、洗面所であり、階段を下りてすぐの扉を抜けるとそこはリビングだ。

電気が点いているのが見える。康孝はそこにいるのだ。

大方異変がないことを確認して眠気覚ましに水でも飲んでいるのだろう、仕方ない人ねと苦笑いをする。

大学生の時に交際し始めること4年、結婚して3年、茉奈が生まれて6年。かれこれ十年以上の付き合いにも関わらず夫婦仲は未だ良好で、おしどり夫婦としてママ友の間ではちょっと評判だ。

実際、夜の営みも定期的に行っており、そろそろ二人目を・・・と考えないでもない。

 

「もう、あなた。早く寝るわ・・・」

 

そこで由美の言葉が途切れた。目にした光景が衝撃的すぎて一瞬由美の頭の中から言葉というものが消えてなくなったかと思った。

フローリングの床が徐々に赤く染まっていくのが見える。

恐る恐る中に入る。すると、そこには康孝の姿があった。

 

────胴体を真っ二つにされて、首から上がないグロテスクな死体と化して。

 

「ママ、これ何?」

「・・・ッ!茉奈、見ちゃ駄目!?」

 

茉奈はスプラッタホラーの死体かと見紛うような凄惨なそれを自分の父親とは認識していないようだ。それが救いなのか、定かではないが。

強盗犯?それとも猟奇的な殺人犯だろうか?それが家に入り込んでいるというのか?

 

(駄目よ由美。今はあなたが冷静にならないと茉奈が危険だわ)

 

母としての本能がそう語りかけ、いったん由美は落ち着きを取り戻した。

とりあえずまず警察、とテレビの側の固定電話の所まで歩いていこうとして・・・。

 

「あ・・・っ!?」

 

腕が、熱い。そう認識した途端、手から茉奈の体温が消えた。

そして重い音がして、自分と茉奈の間に何かが落ちるのが見える。

ピンクのパジャマを着て、何かを握るポーズを取る片腕。

 

誰の腕・・・? ・・・自分の?

 

一拍遅れて、断面から夥しい量の血が噴き出し、茉奈の顔を汚す。

茉奈の人生初めての化粧は母親の血液クレンジングだった。

 

「う・・・ぁ」

 

痛みでそんな言葉しか言えない。そして倒れる由美を、”それ”は睥睨していた。

何だ、こいつは・・・?ボサボサに伸びきった髪と髭、突き出る鼻はかの天狗を思い起こさせる。

が、全身から熱を発し刀を腰に差しているその姿は天狗とは似つかない、そんな怪物だ。

 

「に・・・げ・・・」

 

怪物が茉奈を標的に定めたのが分かり、由美は痛みをこらえて逃げろと伝えようとするのだが、口から漏れるのはそんな掠れた声だけで愕然とする。

怪人は茉奈の腕を掴んだかと思うと、生きたまま彼女に火を点けた。

 

「ぎゃああああああああああ!!!!」

 

両親以外にはあまり懐かない内気な性格の茉奈でもこれほどまでに大声を出せるのか、と由美は場違いにもそう思った。

ついそう感じてしまうくらい、魂の底から発せられるような絶叫だ。

あるいはそれは、産声に近いのかもしれない。

瞬く間に全身が火達磨になり、ボロボロと茉奈の身体が崩れ落ちていく。

 

「あ・・・あああああ・・・あ」

 

娘が、自分の命よりも大切な娘が・・・。

どうして、こんな目に遭わなければならないのだろう。

家族円満で、これから茉奈がどんな風に成長するのかが楽しみで、ゆくゆくは茉奈にも子供が生まれて・・・。そんな未来予想図を描いていたのに。

 

「も・・・殺・・・て・・・」

 

由美は怪物に懇願した。何が目的なのかは知りたくもないが、茉奈と康孝を殺した以上は自分自身も殺されてしまうのだろう。

この時点で、由美の心は折れていた。天国がもし彼の世にあるのなら、この怪物に殺されればまた二人に逢えるはずだ。

 

「お前、殺さない。連れていく」

「え・・・?」

 

由美の身体が浮き上がる。恐る恐る横を見ると、怪人が由美の身体を抱えてどこかへ連れていこうとしている。由美が暴れるが、怪物は意にも介さない。

怪人が夜の街へ出た後、たくさんの思い出が詰まった家が轟音、炎と共に崩れていく。

遠ざかっていく死を感じながら、由美は絶叫した。

 

「嫌ああああああ!!殺してぇえぇええええぇ!!皆に会わせてよぉぉおおおぉお!?」

 

 

*******

 

しゅうしゅうと油で天ぷらが揚がる音が白雪の耳を楽しませる。

それと同時に、川魚の焼ける香ばしい良い匂いも漂ってきて、腹が鳴るのを自覚した。

 

「まだ、注文した物は来ないんですかね・・・」

「あのねえ、あんた堪え性ってものがない訳!?そんなにすぐに食べたいなら家でカップラーメンでも作れば良かったじゃない。あれならお湯を注いで三分でいただきますできるわよ」

「嫌ですっ。せっかく遠出しているんだからおいしい物が食べたいです」

「子供か!」

 

漫才じみたやり取りを繰り広げる二人の少女は、この寂れた街の定食屋ではかなり浮いていた。

特に、箸を両手に一本ずつ持って唸る少女、名前は雪片 白雪。一際目立つ雪のように白い髪が美しい少女だ。

その白髪の娘をジト目で見る、向かいに座る黒髪の少女は名を病葉 優月という。

彼女たちは定食を注文し、こうして料理が届くのを待っている訳だが、白雪が先に痺れを切らして文句を言い始めたのだ。

 

構っていられないと白雪を放置した優月は、店の壁に設置されたテレビを観ることにした。

時刻は夜7時を回った所ということもあり、ニュース番組が流れている。

若い女性のニュースキャスターが話す内容が他人事ではないものだったので、つい注目して観てしまう。

 

『三日前の未明、K県OX市A区で、家が全焼する火災があり、焼け跡から住人の浜家康孝さん(32)と娘の茉奈ちゃん(6)が遺体となって発見されました。なお、母の浜家由美さん(32)と連絡が取れておらず、警察は何らかの事情を知っていると見て行方を捜しています。また、同地区では一週間前、二週間前にも同様の事件が発生しており、関連が疑われています。続いての・・・』

 

「あの仲良し夫婦だった由美ちゃんがなあ、そんなことするなんてよう」

「ああ、人間ってのは分かんねえもんだべな。しっかし、何も自分の娘さ殺すことはないだべ・・・」

 

酒を酌み交わしながら、そのニュースについて愚痴る中年の男性が二人いた。

一人は痩せた男性で、既に出来上がっているのか顔が赤い。もう一人の男性は体格がよく、現場仕事をしているのかよく日焼けしている。

どうやら、二人はニュースで報じられていた由美という女性と顔見知りのようで、ショックを受けている様子だった。

彼らは既にビール瓶を一本空にしており、明らかに消費のスピードが速い。

つまみの枝豆も底を尽きかけているのが遠目からでも優月からは見えた。

 

実際、由美の顔写真がニュースでは流れていて、まるで彼女が犯人だと決めてかかっているようである。だが、それは決して真実ではないということを優月は知っていた。

だからこそ、正しくないことが真実だとでっち上げられようとしている現実に憤りを覚えていた。

男性たちに声をかけようとして、白雪に止められる。

 

「いけませんよ」

「でも・・・」

「忘れたのですか?《祓》の事も、言魔のことも世間には秘密なのですよ」

「だけど・・・!!」

 

それでは、あまりに二人が、否、由美の知り合いの人間全員が可哀想だ。

何も本人は悪くないのに、犯人だと疑い、何も気づけなかった自分を心のどこかで責める羽目になるなんて、許せない。

だって、全て悪いのは闇に潜んで人間を喰い殺す化け物、言魔なのだから。

 

「気持ちは分からないでもありません。以前は私もそう思っていました。世間に公表するべきだと思っていました。でも、絶対にそれをしてはいけないと気づいたのです」

 

そう言うと、白雪は気持ちを切り替えるかのように、お冷の水を呷った。

もっとも腹減らしの彼女のことだ、空腹を紛らわせようとしているだけなのかもしれないが。

 

「何で、そう思わなくなったのよ?何に気づいたって?」

「それは・・・ご飯をいただいてからにしましょう!」

「はぁ・・・。あんたに答えを聞こうとした私が馬鹿だったわ」

 

ちょうど注文したアジの塩焼き定食(ご飯大盛り)が運ばれてきて、白雪の意識は完全にそちらに傾いてしまい、こうなると優月の話など耳に入りはしない。

ため息をつき、自分も生姜焼き定食に箸をつけ始める。

 

いつもなら美味しいと感じるはずのものも、何故か今はあまり味を感じなかった。

 

 

 

*******

 

全ては三日前に遡る。

この日も訓練を終え、全身に痣を作り息も絶え絶えの優月は修練場の硬い床に大の字になって寝転んだ。冷たい床がたまらなく心地よい。

そうやって全力でへばっていると、よく冷えたペットボトルが放り投げられ、片手でキャッチする。

 

「何だ病葉、お疲れか?」

「当たり前でしょ、香月。教官がやたらめったら叩くから」

「仕方ないだろ、世界平和のためにはさ」

「あんたも物好きよね。世界平和なんて理想論をさ」

「理想で結構、俺はこの刀に誓って言魔を倒し、皆を幸せにするんだ!」

「まだ刀は支給されてないでしょ」

「そうだった!」

 

握り拳を作り大声で笑う調子のいい少年の名前は香月 真。優月より先に《祓》に入隊し、《刀》見習いとして訓練を行っているため自然と新入り組のまとめ役になっている。

まとめ役の名に相応しく既に刀の腕も相当なもので、教官から一本を取ることも少なくない。

実際、一週間後には正式に《刀》としてデビューを果たすそうで、密かにお祝いパーティーを皆で計画していたりする。

 

《祓》に入る者は年間で200人程、《刀》となり一年後まで生き残っているのはその半数以下なのだからその生存率の低さは筆舌に尽くしがたいものがある。

彼らが戦う理由は様々だ。優月同様に大切な人を殺された復讐、《刀》に命を救われた恩返し、信じがたいことに就職活動に失敗して金のため仕方なく、という人さえいるほどだ。

その中でも変わり種なのがこの香月である。

純粋に世界平和を目標に掲げるおめでたい男なのだが、不思議と優月とは馬が合って友達みたいに仲良く話すことができていた。

 

「羨ましいよなあ、病葉はさ。《姫》様と一緒に色んな所に任務に行ってるんだろ」

「やめてよ。こっちだって何度死にかけたことか・・・」

 

山のような大きさの言魔に踏みつぶされそうになるわ、鳥の言魔に巣までお持ち帰りされそうになるわで話にならない。未だに白雪とはギクシャクしたままなのも拍車をかけている。

 

「君も《刀》になったらさ、コンビ組もうぜ!」

「考えておくわね」

 

香月からグイグイとアプローチをかけてきているな、とは感じることもあった。

しかし、そこまで踏み込んだ付き合いをしようと思うと心の中でブレーキをかける自分がいて、いつもどこかに逃げ道を作ってしまう。

亜里沙の事が尾を引いているのだ、と個人的には分析しているが、それが事実なのかそれとも生来のものなのかは判然としない。

でも、喪うということを極端に恐れているのは事実で。

 

「あ、そうだ。私また雪片に呼ばれていたんだった。ごめん、また今度。あとこれ、ありがとう」

「そうか?気を付けてな」

 

半ば逃げるようにその場を去る。手早く着替えて例の作戦会議室に入る。

そこには白雪と藤林が着席していたので肝を冷やしたが、予定時刻を過ぎていなかったので何とか助かった。香月からもらったペットボトルの水に口をつけ、呼吸を整える。

優月が落ち着いたのを見計らい、藤林は淡々と話し始めた。

 

「今回の任務はここ、K県OX市A区へ向かってもらいます」

「また遠いですね・・・。駅弁が楽しみです」

 

余計なことを口走る白雪の脇腹を肘でつついて黙らせる。

緊張感をどこかに置き忘れてしまったのだろうか、この女は。

 

「これをご覧なさい」

「火事・・・?」

 

藤林に促され壁面のスクリーンを見ると、見事に全焼してほとんど更地となってしまっている家の画像が三軒、そして見た事のない女性の画像が三枚。

いずれも同年代くらいの女性で、容姿も似ておらず特に共通点は見当たらないが・・・。

 

「つい先程、この地区で火災が発生し父と娘二名が死亡、一週間前、二週間前にも同様の事件がこの近辺で発生、やはり同様に父と娘が死亡しています」

「これが、言魔の仕業だと・・・?」

 

白雪は藤林の話に懐疑的だった。確かに、規則性がある一連の事件を踏まえるとこれは言魔というより人間の犯行と見た方がしっくり来る気がする。

・・・などと思っていると、

 

「ちょっと待つのじゃ!」

 

勢いよく会議室のドアが開き、子供がずけずけと入ってきた。

くまさんのぬいぐるみを抱き、縦ロールの子供だ。服装は赤ずきん。

見るからに場違いで優月は当惑する。そんな彼女の様子を知るはずもなく、古風な話し方で話し始める。

 

「わらわの術を疑うとはいい度胸じゃの、人間。・・・む?ちと違うか?まあ良い、わらわがこの辺りで強いコトダマを感知したのだから間違いないのじゃ」

「えーっと、藤林さん?何か子供が紛れ込んでいるみたいなんですけど・・・」

「誰が子供じゃ人間!?わらわは百年は生きた立派な《鏡》じゃ!」

「嘘ぉ・・・」

 

どう見てもちんまい子供じゃないか。ほっぺたはぷにぷにでついつつきたくなるくらいだ。

だが、白雪は幼女の説明でどうやら合点がいったようだ。

 

「《鏡》の方でしたか。優月さん、こちらは《鏡》、言魔の探知を行う《祓》の大黒柱です」

「ふん、小娘、お前は物分かりがいいようじゃの。近頃の人間ときたら、《刀》が組織を支えているのだと公言して憚らん。よいか、わらわたちが物の怪を探知しなければお前たちはただの木偶の坊なのじゃ、よいなそこのこむすめ?」

「私・・・?はあ」

 

つい間抜けな返事をしてしまう優月。自分に言われても・・・とは思う。

どっちが偉いとか考えたこともない。

というより、小娘が自分だけ平仮名なのは気のせいだろうか。

 

「到着予定時刻が早いですよ、如月」

「かかか、そう怒るでないぞ。時間に遅れるより良いじゃろう」

「私が事件の概要を説明する前にあなたが来たら二人が困惑するでしょう」

 

苦言を呈して冷たい視線を向けられても如月と呼ばれた幼女はどこ吹く風だ。

《鏡》なる役職の存在を知ってはいたが実際にそれを見るのは初めてだった。

 

「わらわの見立てではこうじゃ。物の怪は他の連中を殺し、経産婦のおなごをさらっておる。それには目的があるのじゃろう」

「・・・え?ちょっと待ってください。おなご?を・・・さらう?」

「何じゃ藤林、おぬしはまだ話しておらんかったのか?一連の事件では母親が()()()()()()()()()()()()()

 

優月は、それを聞いて驚いた。ただ人を喰い殺すことしか能がないと思っていた言魔が、獲物を喰らわずに取っておく知能を持っているとは。

白雪は警戒していることを隠そうともせず、優月に言う。

 

「これはかなり高位の言魔・・・《魔人》、最低でも《人擬き》は確実ですね。気を引き締めないと」

「な、何よそれ・・・?」

 

優月の疑問に答えたのは白雪でも藤林でもなく、如月という幼女だ。

 

「おぬしは新入りか。ならわらわが教えてやろう。そも言魔とは、コトダマを核として持つ物の怪じゃ。奴らは習性として人を喰らう、それは文字を、コトダマを産んだのは人だからじゃ。人の生来持つ様々なコトダマを己の血肉とし、より強くなるのが奴らの目的じゃな。そして人をより多く喰らった言魔は徐々に人間に近づいていくのじゃ。言魔と人間の間の半端物を『人擬き』、ついに完全に言魔でありながら人間と同列に成った、いわば人間の上位種・・・それが『魔人』じゃ」

「そんな、恐ろしい存在が・・・」

 

人間を超えた人間と戦わないといけない現実に優月は慄然とした。

そして今回の任務に、そんな化け物が出てくるかもしれないのだ・・・。

 

「ま、心配するでないぞこむすめ。わらわの術では今回出るのは『人擬き』じゃ。魔人の気配は流石に見間違えないわい」

「そ、それならまあ・・・」

 

如月に肩を叩かれて優月が一度胸を撫で下ろす。すると、押し黙っていた藤林が咳払いをした。

まずい、完全に存在を忘れていた。

 

「とにかく、今回の任務はこの地区に巣食う『人擬き』の駆除、ならびに生存者の救出。私は私用があるのでこれで失礼します」

 

そう言い終えると、端末を見ながら足早に藤林が去っていく。作戦指揮をいくつも掛け持ちしているとあれば、忙しいのだろう。

そして会議室には優月、白雪、如月が取り残された。

 

「ではおぬしら、急ぐぞ」

「どこに?」

「たわけ、わらわたちの行先は決まっておる。『人擬き』の待つ街じゃ」

「《鏡》の方との旅ですか・・・楽しそうです!」

 

優月はそこで初めて、幼女が身の丈に合わない大きなリュックを背負っていることに気づく。

最初から三人で任務に当たると決まっていたのだろう。

白雪は如月の小さな手を握って大はしゃぎだ。いつもより三割くらいテンションが高い。

・・・すっかり意気投合してるし。

幼女はない胸を張り、高らかにその名を宣言した。

 

「わらわは如月 輝夜!よろしく頼む!」

 

 

*******

 

「ふう、美味しかったです!」

「そりゃ良かったわね・・・」

 

食欲のない優月の分の定食も食べ終えて白雪はご満悦の様子だ。

放っておけばスキップでもしそうなくらいだ。

現在時刻は夜8時頃、定食屋を後にした二人は明かりがほとんどない夜道を歩きながら、《祓》が用意した仮の住まいへと帰宅する途中だ。

これまでの襲撃の間隔が一週間ごとと長めだったので、予め言魔の根城を見つけるべく早めに現地入りしたのだが、これが酷い地獄の入口だった。

 

そもそも一人ひとり別の部屋を優月は希望したのだが、それを白雪と如月が拒んだため結局相部屋────それも予算をケチったとしか思えない小さな安アパート────になってしまったのだ。

そこまでなら許そう(この時点で大分許せないラインだ)、問題は白雪も如月も完全に家事が壊滅的だったことだ。

 

「なっ・・・何よこれ!?」

「見ての通り服や下着ですが」

「見りゃ分かるわよ!?何で床に置いてあるのよ!しかも二人ぶん!」

「「めんどくさい(のじゃ)」」

「声を揃えるな!(しかも白雪の下着私よりブラのサイズが大きい・・・)」

「こむすめー」

「何よ!?」

「料理が臭いのじゃ!物の怪の仕業じゃ!!」

「焦げてんのよ!料理もできないのに何で火を使おうとするの!?」

 

・・・とまあ色々あり、優月のストレスもそろそろ限界に達しそうなのが現状だ。

そんな中で定期的に来る香月からのメッセージだけが癒しとなっていた。

今なら、気持ちに素直に向き合えるのかもしれない・・・

などと逃避気味に考えていると、白雪の持つ端末が震える。

雑念を追い払い、耳をそばだてる。

 

「着信です。如月さんからです」

「・・・。出た?」

「はい、私です・・・。分かりました。至急向かいます」

「急ぎましょう!!言魔の居場所を特定したと・・・!あっちの山の麓にある使われていないペンションです!!もう如月さんも現地まで移動しながらナビゲートしてくれるそうです」

「はあっ!?山って、あれ!?遠すぎでしょ!」

 

確かに目を凝らせばかなり先に山が見えるが、ここからだと距離がある。

田舎町だからバスもとっくに走っていない。歩きではとてもではないが夜が明けて言魔も隠れてしまうことだろう。

 

「問題ありません、これを使いましょう!」

 

白雪はポケットから銀色の”駆”と書かれた駒・・・『駆コトダマ』を押すと、どこからともなく一台のバイクが姿を現す。白一色の淡い色使いながらスポーティでなかなかクールな印象を受ける。

白雪はすぐにバイク・・・『雪月花』に乗り込むと、後ろに乗るように優月に言う。

こんな時で申し訳ないが、のっぴきならない疑問が湧く。

 

「あんた免許持ってたわけ?」

「さあ、どうでしょうね!飛ばします・・・よっ!」

「えっ、ちょ・・・待・・・きゃぁあぁあああああぁ!?」

 

 

 

「酷い目に遭ったわ・・・」

「お陰で間に合いました」

「こちとら彼の世に行くかと思ったじゃないのよー!!」

 

優月は白雪に詰め寄った。飛ばすわ車は追い越すわで死ぬかと思った。

というかスピード違反とか大丈夫なのだろうか。かなり怪しい気がするが。

 

とにかく、目的地に到着したのは事実。

そこは木々の間に埋もれるようにして建っているペンションだ。

二階建てでかなりの大きさがあり、人を数人監禁?できるスペースは十分ある。

買い手が全くいない建物のようで、廃墟も同然だ。

どこかで鳥の鳴く声がする。幽霊の出そうな雰囲気だな、と優月は思った。

もっとも、此の世にいるのは幽霊よりも恐ろしい化け物なのだが。

 

 

「待ちくたびれたのじゃ!」

「うわっ、いた!?」

 

鬱蒼とした草むらから、如月が飛び出してくる。

背が低いから完全に同化してしまっていて、気がつかなかった。

ぬいぐるみに葉っぱがくっついてしまっている。

持ってこなければいいのにと思った。

 

「この中に言魔が・・・?」

「うむ。強いコトダマの気配を感じるぞ。どうする・・・?踏み込むのか?」

「中にいる女性たちが生存しているのかどうか・・・。人質にされるかもしれません」

「でも、中にまだ助けられる人がいるなら、助けたい」

 

だってそれが、《祓》の使命だと思うから。

 

「そうですね・・・。行きましょうか」

 

先頭を白雪、真ん中を優月、後ろに如月の順番で中に入る。

木製の扉を開けると、既にそこは此の世とは別の空間だ。

学校で見た、言魔が周囲に張る結界のようなもの。しかし、それとは比べ物にならないくらい感じる圧力が高い。

心なしか、壁に浮かんで見える文字も多いような気がした。

周囲を見回した如月が呻く。

 

「むう、やはり《人擬き》か・・・。"界"の密度が濃いわ。並の人間なら立っておれんじゃろうて」

「捕まっている女性は、いないようですね・・・」

 

玄関を抜けると、右手に二階へ続く階段があり、正面はテーブルや椅子、ソファなどがある居間。

左には浴室や洗面所、入ったことがないので普通の家のようで驚いた。

しかし、そのいずれにも行方不明の女性も・・・死体も、見つからない。

 

「となると、二階・・・」

 

階段の手すりに白雪が手をかけた、その時。

何かが飛来する音、如月の悲鳴、倒れる音が連続して聞こえてきた。

 

「如月!?」

「ぐぬぅ・・・」

 

優月が慌てて駆け寄る。右胸に大きな穴が開いている。人間なら、即死の傷だ。

でも、不思議なことに血が一滴も流れていないのだ。

 

「人形か。つまらん」

「ふん、物の怪に言われとうないのう」

 

いつの間にか、目の前に人間が立っている。椅子に足を組んで。

それは精悍な顔立ちの30代くらいの男の姿をしている。

しかし、どこか人間とは違う。拭えない違和感がそこにはあった。

優月は男の右手と右足を見て、その違和感の正体に気づく。

 

服の裾から出ている右手、右足は人間のそれではなく、長い鉤爪が生えた怪人のものだ。

 

「我らに殺された新鮮な死体にコトダマを埋め込み疑似的に蘇生させ、限りなく言魔に近い人形として転生させる・・・だったか。人間も酷い事をするものだ」

「しかし、そう卑下するものでもないぞ。飲み食いできぬと言うのはちと不便じゃが・・・、こうやって長生きできるのも悪くはないわ。わらわとしては、おぬしがどこから《鏡》の秘術を知ったのか聞きたいのじゃがの」

 

人擬きと如月は静かに睨み合う。

そう、如月は人間ではない。正しくは元人間だ。

百年程前に言魔に殺された如月という幼女の死体を回収し、『鏡コトダマ』を埋め込み、『映す』という意味を後天的に植え付け生きた端末として言魔の位置を特定させる。

人は何故死ぬのか、という疑問をコトダマの観点からアプローチすることで解決しようとした当時の術師は、研究の末こう結論づけた。

 

"人"、”動物”の持つ『生きる』という意味がなくなることで、死を迎えるのだと。

故に、後天的に『生きる』の代替となる意味を肉体に定着させられれば、それは再び人のように動き出すのだと。しかし、実験段階で問題が発見される。

それは、人の持つ意味を別の物に置き換えてしまったが故に、それは『人』とはかけ離れた別の存在、具体的には身体に埋め込んだコトダマの持つ意味を行使する存在と化してしまうこと。

 

だから、如月は『生きる』意味を持たない。『生きる』意味を果たすために必要な行為、飲食、呼吸、睡眠、性交を必要としない。鏡の持つ『映す』を果たすためだけに存在する人造の人形、現代的な見方をすればそれはロボットに近いのかもしれない。

それが、《祓》の持つ自動言魔探査装置・《鏡》の正体だ。

 

「生きることもできない人形如きに答えることはない。俺の目的は・・・お前だ、仮面ライダー」

「私、ですか?」

「お前を、殺しに・・・きた!」

 

男の右手から衝撃波が放たれる。すかさず跳躍した白雪が刀を抜いて壁コトダマをセット、攻撃を防いで男の目の前に立つ。

 

「いきなり殺しにこられても困るんですよね。私としては、あなたが連れ去った人々を解放してほしんですけど」

「あの女たちか。お前をおびき寄せるための餌だ。お前を殺した後、俺が食うための御馳走でもあるがな・・・。コトダマを絶望に染めて、良い出汁が出ているだろうぜ」

「そんな事のために、お父さんと娘さんを殺したと?あの人たちが今殺人犯呼ばわりされているのをご存じないんですか?」

 

白雪は静かに怒っていた。よく見れば、刀を握る手が怒りに震えているのが分かる。

だが人擬きはそれを低い声で嘲笑った。

 

「ご存じないね。人間は俺たちより弱い、餌だ。喰いたい物を喰って何が悪い」

「やはり理解できませんね。理解したくもないです」

「それでいい。俺らは殺し合う仲、それだけだ」

 

話し合いはここまでだと言うように、男が立ち上がり姿勢を低くする。

白雪もヤイババックルを装着し、氷コトダマと刀コトダマをセット。

 

「俺の名前は炎言魔・・・、またの名を、紅蓮!」

「変身!」

 

《氷と刀 絶対零度の白刃の閃き!》

 

紅蓮は全身が穴だらけのシンプルな人型の怪人に、白雪も刀刃・氷刀に変身。

そして床を同時に蹴り、拳と刀を打ち合わせる。

 

(重い・・・!)

 

拳の一撃を刀で逸らしたが、手に伝わる痺れが凄まじい。

正面から刀で受ければ刀を折られてしまいかねない・・・。

刀刃の下段からの逆袈裟を紅蓮がバク転で躱し、屋根の梁を掴んでそのまま踵落としを見舞う。

滑るように刀刃は後ろに跳んで回避したが、紅蓮の足が触れた所から一直線上に炎が噴き上がってくる・・・!

素早く氷コトダマをコトダマトウに装填し、冷気を纏わせた刀で熱波を打ち消す。

 

「良いな・・・判断力に瞬発力、申し分ない」

「あなたに褒められても・・・嬉しくなどッ!!」

 

次々と撃ち出される拳を的確に刀で弾き、被弾を避ける刀刃。

しかし、徐々に紅蓮の攻撃速度が刀刃の剣速を上回り、正拳突きが刀刃の身体を貫いた。

 

(何だ・・・手応えが・・・?)

 

それもそのはず、今紅蓮が攻撃したのは刀刃本人ではなく、刀刃が『像コトダマ』を使って創り出した氷像だ。本物の刀刃は紅蓮の視線を逃れると、氷像に腕を埋めたままの紅蓮に襲い掛かる。

 

「はあッ!!」

 

気合一閃、紅蓮の腕を斬り落とす。しかし相手は高位の人擬き、瞬く間に腕を再生させると階段の手すりを掴み刀刃の身体を蹴り飛ばす。

飛ばされた刀刃はドアごと浴室に叩き込まれるが、地面に倒れる直前刀を床に突き刺し辛うじて踏みとどまる。

 

「見た所腕は互角じゃが・・・、あの物の怪、まだ術を見せておらん。一連の攻撃行動は全て奴自身の体術じゃ」

「素早くてなかなか刀の間合いまで距離を詰められないのが痛いわね・・・」

 

遠くから死闘を見守っている優月と如月の目には互角のように映っていたが、実際は刀刃が不利だと自分自身で感じていた。

 

(この狭い室内では刀を振りづらい・・・ッ)

 

蹴りの連撃をステップで避け、刀を返して突き出された脚を、そしてその場で回転して腹部に一撃を加える。

 

「忌々しい。断面を凍らせたか」

「これで少しは回復が遅れるはず。降参するなら今の内ですよ」

 

片足だけで立ちながらも、紅蓮は楽しそうに笑う。自分が負ける事など微塵も考えていない様子だ。仕掛けてくる。そう感じた刀刃が壁コトダマを刀にセットし、いつでも壁で防げるようにする。

 

「忘れていないか、仮面ライダー・・・。俺の術・・・紅蓮の炎をなあ!!」

 

そう叫ぶと、紅蓮の身体に空いた無数の穴から炎が噴き出て、紅蓮を守る炎の鎧となる。

つくづく氷属性の刀刃と相性が悪い。刀刃は仮面の下で唇を噛んだ。

 

第二ラウンド。

炎を纏った拳が柱を撃ち抜く。これは刀刃が攻撃を躱したために起きた事だ。

結果、柱に火がついて燃え始める。まずい、このままだとペンション自体が全焼してしまうかもしれない。

早急に勝負を決めなければならないが、こちらには打つ手がないのだ。

 

「どうした、手元がお留守だぞ、仮面ライダー!」

「ぐう・・・ッ」

 

回避が間に合わないと判断し、咄嗟に刀で受けてしまう。

刀が軋む音。だが、感覚で次無茶な使い方をすれば折れる。そんな確信があった。

好機と見た紅蓮が猛攻を仕掛けてくるが、刀で防げない刀刃は後ろに下がって避けることしかできない。

 

「・・・!」

 

刀刃の背中に、木材が触れる感覚。いつの間にか壁際まで追い詰められてしまっている。

次の攻撃を、もう刀刃は避けられない────。

勝ちを確信した紅蓮が、一歩踏み出して必殺の一撃を喰らわせようとして・・・。

 

「ぐわああっ!?」

 

紅蓮の身体が硬直する。致命の一撃は空を切り、何もない空間を穿った。

 

「・・・!?」

「上手くいったようじゃの」

 

腕を組んで歩み寄ってきたのは黙って勝負を見ていた如月だった。

如月は”鏡”の術の使い手だ。月光が窓から差し込む位置に鏡を設置し、上手く反射させて紅蓮の目を晦ませたのだ。

 

「決めるのじゃ!」

 

今が最後の好機だ。刀刃は奥の手を使うことにした。

刀刃が手にしたのは刀コトダマと同じ赤い将棋の駒だが、書いている文字は”力”だ。

素早く刀コトダマと力コトダマを交換すると、新しい形態の刀刃へと姿を変える。

 

《氷と力 絶対零度の一撃!》

 

分厚い氷を腕に纏い、シルエットが厳つくなったその姿は刀刃・氷力。

氷刀と比べて二十倍という凄まじいまでの力を発揮するが、刀刃への負担から一分しか変身できないとっておきの切札だ。

 

だから、一撃で決めれば何も問題はない。

 

「さあ、終焉の時です」

 

刀刃・氷力は殺コトダマをコトダマトウに装填し、バックルをハンマーに叩きつける。

氷力のあまりの怪力でハンマーが砕け散る。が、必殺技が発動される。

 

《氷・力・殺 氷華満面・剛力殺》

 

何の技術もへったくれもない、最上段からの刀の一撃。

しかしその一撃は凄まじいまでの威力で、紅蓮の身体を真っ二つにするだけに留まらず、周囲に雪の結晶状に床をも切り裂いた。同時に、必殺の斬撃で力を使い果たしたコトダマトウも真っ二つに折れてしまう。

 

人擬きに到達したことで耐久力も上がっているのか、紅蓮は胴を両断されながらもまだ生きていた。しかし、致命傷には間違いないようで、指先から身体の崩壊が始まっていく。

 

「ぐおおおお・・・だが、ただでは死なん!!貴様も道連れだ、ライダーッ!!それに、俺が死んでも今、新しい敵が目覚めようとしている!!」

 

そう言い残すと、塵に還るまでに自身を炎と化し、ペンション全てを炎に呑み込んでから息絶える。

瞬く間にペンションが炎に包まれ、煙で何も見えなくなる。

力を使い果たした刀刃の変身が解ける。まずい。二階にはまだ、囚われている人が・・・!

 

「如月さん、優月さん!急いで上の人たちの避難をッ!!もう時間が・・・」

 

煙を少し吸い込んでしまい、白雪がせき込む。

彼女は戦って体力も限界に近い。動ける自分が何とかしないと、と意気込んだ優月は階段を上る。

二階はベッドが何台か並んでいるだけのシンプルな造りで、ベッドに横たわっているのが紅蓮に家族を殺されて自身も拉致された被害者の女性だろう。

一部の女性は片腕がなく、憔悴しきっているようだが、全員まだ息はある。

 

「あなたは・・・?」

「ゲホッ!急いで・・・!逃げて!」

 

既に火の手は二階も呑み込んでいる。レースのカーテンが火に包まれて踊りながら外へ落ちていく。窓のガラスは割れており、逃げるならもうここしかない・・・!

 

────────けれど。

 

誰も、ベッドから動こうとしない。立つ気力も体力もあるはずなのに、全員がじっと座って今にも崩れそうな天井を見つめている。

まるでそこに、天国の階段があるかのように・・・。

 

「何で・・・逃げないと、死んじゃうわよ!?私はあなたたちを助けに・・・!」

 

優月は煙に咽せながらも叫んだ。助けられるはずなのに、助けられる側がそれを望んでいないなんて・・・。そんなことがあるのだろうか。

彼女の胸中を察したのか、一人の女性・・・ニュースで見た由美という女性は静かに、笑みさえ浮かべながら言ったのだ。

 

「ありがとう。でも、あなたじゃ私たちは救えない。もう皆、此の世にいないから。こんな地獄にいるくらいなら、もう一度皆に会える道を選ぶわ。茉奈が、康孝さんが呼んでるもの」

 

自分勝手だ。そう思う。でも、助けを必要としていないのに助けたいという理由だけで無理に生きさせようとする自分も、自分こそ真の自分勝手なのか・・・?

ふとそんな考えが頭に浮かび、駆け寄ろうとした足が止まる。

 

その時、音を立てて柱が崩れ、優月と女性たちの間を隔てる壁となる。

それは境界線。生と死の分かれ道。

 

「死が、私たちの希望なの・・・。さあ、早く逃げなさい!!」

 

他の女性たちも頷く。そこに、如月がそこかしこに煤を汚しながら二階に上がってきた。

 

「こむすめ、おぬしだけでも逃げるのじゃ!!もうあのおなごたちは助からん!!」

「でも・・・でも・・・!」

「ああもう、強情なこむすめじゃ!!ふんっ」

 

如月が優月の首筋を掴んで窓から放り投げる。如月も窓から飛んだ。

直後、限界を迎えたペンションが爆発し、建物が崩落していく。

その中にいた由美たちがどうなったのか、考えるまでもない・・・。

 

だが、轟音と共に屋敷が倒壊する瞬間、もう此の世にいない愛する者たちの名を叫ぶ声が聞こえた気がした。

 

 

「うっ・・・うううう」

「私たちは人の命を救うことができても、心を救うことまではできないのです」

 

泣き崩れる優月の背を、ボロボロの状態の白雪が優しく撫でた。

信じていた。自分も白雪のように、人を助けることができると。

でも、できなかった。あの人たちにとっては、助けこそが呪いで、死こそが救済だった。

 

「ううう・・・うわぁぁぁぁぁぁあっぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」

 

消防車のサイレンが聞こえてくるまで、優月は泣き続けた。

炎と共に崩れたのは屋敷だけでなく、自分の理想もなのかもしれなかった。

 

 

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