「あ、あはは……。バレちゃった」
左手を抑えながら、苦笑いする沙綾。視線は、手元へと落ちていった。隠すように右手で押さえ込まれているその手は、心無しか震えているようにも見える。
部屋の中が、しんと静寂に包まれていった。
どうすればいいのか分からず、沙綾とりみ、そして香澄達とをキョロキョロと見るたえ。オロオロとして、どうしたらいいか分からないと言った様子でいる。そして、腰に手を当てながら眉間に皺を寄せて、不機嫌そうな有咲と沙綾に真剣な表情を向けたままのりみ。りみはその双眸で何を言わずに、まっすぐと見つめている。
そんな様子にいても立っても居られなくなって、香澄は沙綾に話しかけた。
「ねぇ、沙綾ちゃん。もしかして、怪我してるの……?」
少しだけ、しどろもどろになりながらも、香澄は聞くことが出来た。沙綾の内に秘める何かを、聞くことが出来た。
いつもとは違う、萎れてしまった花のように俯く沙綾は、不安げに香澄を見上げ、コクリと頷く。
そして、心の内を話し始める。
「……最近、家でもドラムの練習を増やしたんだ。私ってさ、皆と一緒にバンド練習できる時間少ないでしょ?」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。確かに、沙綾ちゃんとは一緒に居る時間が少ない。けど、けれど。それは関係ない筈だった。
来たメッセージのやり取り一つだけでも、相手を想う事ができる。撮った写真一つだけでも、色褪せない記憶を思い出すことが出来る。そんな、愛おしい欠片のようなもの。なんでもないような普通の景色でさえも、少ない時間だけだったとしても、みんなの事をもっと知る事が出来る。
小さな蕾だったものが、ちょっとした一雫でも大きく花開くような。そんな関係性だ。
「最近みんな頑張ってるなって。凄い上達したなーって思って。だから、一緒に練習する時に遅れないように、自習練をしてたんだけど……」
それでも沙綾は言葉を続ける。肌色のテーピングを巻いてある部分が、とても痛々しく、皆の目には写っていた。
香澄は、思わず口を出しそうになった。と同時に。香澄の脳裏に、あのとき、始まったことのすべてが鮮明に映し出されていた。
「最近、パン屋さんも忙しいのも重なっちゃって、手首痛めちゃって。利き手じゃないからって、最初は無視してたんだけど。最近、痛みが酷くなっちゃって……」
乾いている。沙綾は、枯れている笑顔を皆に見せた。目尻から、涙が垂れる。
ゴシゴシと手で拭き取り、沙綾は続ける。
「あはは……。これじゃダメだよね。皆に遅れないようにって。迷惑かけないようにって練習を始めたのに、
「沙綾ちゃん、ストップ」
言葉途中だったが、香澄は遮った。言いたいことを伝えるなら、今だと思った。
香澄は、あの時とは違った。ごしごしと目を擦ることもないし、涙が頬を伝う事も無い。泣きそうにもなってないし、泣きそうな気持ちにもなっていない。感情の起伏も無く、そこにあるのは香澄の変わらぬ覚悟だけだ。
「沙綾ちゃん。私は、歌が大好きなんだよ」
いきなり何を言い出したのだろうか。香澄以外の4人は、唐突な発言に疑問符を浮かべる。
「私はわたし。歌が大好きなわたし。もうそれは変えるつもりもないし、変わるつもりもない。だから、だから……」
胸の前で、右手をギュッと手を握る。夢と覚悟と。そんなステキなものを固く抱くように握り締める。
「だから、わたしは歌う。迷いながらでも、戸惑いながらでも。私は歌う。
……ああ。
「その後に、沙綾ちゃんを迎えに必ずいくから。
……ああ、そうだった。
香澄ちゃんは、そうだった。そういう事を言える、強くて、眩しくて、それでいて温かい。そういう子だった。
──私が、撃ち抜かれた子だった。
「……あっ、でも。練習とかは別! 沙綾ちゃん、病院行こう病院! その怪我を先ず見てもらわなきゃ!」
手を差し伸べる。伸ばしてくれる。一緒に行こうと、手を取ろうとしてくれる。手を撮りたくなる。一緒に歌いたくなる。
一度は、手を握るのを諦めた。二度目は
じゃあ、今回は……。
「うん……うん! ごめんね、ありがとう……!」
乾いていたはずの瞳から、涙の雫が垂れる。俯き、涙が全部溢れそうになる。
伸ばしてくれた手を取れた。夢だけじゃなくて、躊躇いだとか、不安だったこととか。焦燥感のようなものまで、伝えていいんだと、沙綾は思った。
キラキラしたこと、夢とか、希望みたいなドキドキするような事。そんなキラキラで、ドキドキするような事以外でも、共有していいんだと、沙綾は思った。
「ウチから1番近いのは、この○○整形ね」
「自分、電話して今から行けるか聞いてくるっす!」
「獅子メタル殿、移動は任せろ!」
い、移動……?
多少戸惑いはあったものの、直ぐにおかしくなってしまった。涙を浮かべながらも、いつものポピパを感じたことで、温かくなっていった。自然と笑顔になっていった。温かい何かが、沙綾に流れ込むのを感じた。伝わっていくのを感じた。
──ふと耳の奥で。遠い所で、なにか音楽が聞こえた気がした。
あれよあれよという間に、沙綾は近くの個人医院に行くことになった。たえが電話して聞いてくれて、すぐに向かっても良いとの事だった為、5人で向かうことになった。
「……移動は任せろって、おんぶの事なの!?」
沙綾とりみの姿を見て、香澄は驚いていた。りみは何も言わずに沙綾を抱え上げた後、一瞬で沙綾を背負う体勢に。背負われている沙綾も、キョトンとしてりみの背中ばかりを見つめている。
「よし。それじゃあ……いくぞ!」
「え、ちょっと、まっ……。うわぁぁ!?」
「沙綾ちゃん!? りみりん!?」
ちょっとびっくりするくらい早く、スタートダッシュを決めるりみ。手を伸ばしている香澄をそこそこの速さで引き離していく。
そんなタイミングで、病院の場所をスマホで確認していた有咲とたえが玄関からでてきた。
「あーっ! ニンジャセンパイ行っちゃったっす!」
「あいつ、どの病院行くか場所知ってるの!? ……おたえ、かすみん! 行くよ!」
そんな会話が聞こえた気がした。だが、りみの速度は更に加速する。坂道に差しかかり、更に健脚が回る回る。ダッシュ出かけ降りている最中、ちょっと後ろを振り向いたが、見えるのはりみの速度で揺れる木々と、既に通った上り坂だけだった。
「り、りみりん! ちょっと、はやっ……!」
「なんだ獅子メタル殿! ちょっとよく聞こえない!」
「だーかーらー!」
止めるように言おうとするも、聞こえていないようだ。とりあえず、沙綾は言うことを諦めた。
坂道を下りて、少しだけ右に曲がる。緑が茂る公園を抜け、川にかかった橋を渡る。そのまま直進して、見慣れた景色をどんどん追い越していく。
なんとなく、沙綾は1人でここを走った時のことを思い出した。
あの時、あの場所で。香澄ちゃんに撃ち抜かれた後に、沙綾は星のカケラを辿った。
香澄ちゃんが歩いた軌跡をなぞって、追いかけた。その夢に追いつこうと思った。一緒に夢を共有したいと思った。
追いかけて追いついて、手を伸ばして。香澄ちゃんと皆となら、どこまでも行ける気がした。そうやって
商店街に入る。喫茶店を抜け、肉屋を抜けて、自宅である"ヤマブキパン"を通り過ぎる。
一瞬見えた店内は、父親が笑顔を浮かべながら接客しているのが見えた。
──ああ、またココに来たんだ。沙綾はなんとなく思った。
あの時、責任をとって辞めたバンド。怖くなって辞めたけど、結局こうやって、香澄ちゃんに撃ち抜かれて戻ってきた。バンドに、ステージに戻ってきた。
どんどん育っていくみんな。1番バンドとして経験があったはずなのに、ちょっと見なければびっくりするくらいに成長していく。
……そうしていくうちに、置いていかれるのが怖くなった。香澄ちゃんは、必ず私を向かいに来てくれるって言ってくれたけど、そもそも一緒に歩みたかった。
だから練習を重ねた。けれど、隠しきれなかった。失敗してしまった。撃ち抜かれたはずなのに、自分の中身までは、変わらなかったようだった。
人は、そんなに変われない。そう言ったのは私だ。
けど、大切なものは何度でも出会える。何度って乗り越えられる。そう言ったのも私だ。
香澄ちゃんは、そんな私にまた手を伸ばしてくれた。あのとき始まった時のように、同じように。
今度は私も手を取れた。きっと、これでよかったんだと思う。似ているけど、違う風に。同じようなことでも、かつて私がいた場所とは違う。
自分の中身は、変わらない。それはぐるぐる回るすべり台のようだけど、降りる場所は毎回違う。同じ事を繰り返しながら、ちょっとずつ成長していけるのかなと、沙綾は思った。1周回っても、また回る。無限に、永遠に周り、回り、成長する……。
りみに背負われ揺られる中。沙綾の耳の奥では、遠い音楽が鳴り響いている。
次話最終予定です。