志喜屋夢子と僕の話 作:初投稿
夢子が腰かける二人用のブランコ。その隣に座っていた幼馴染、敦弘は夢子の口から出た言葉に思わずという様相で立ち上がった。
『…………そう、だよ』
夢子が最も慕う先輩である月之木古都の想い人、玉木慎太郎を好きかどうか問いかけられて答えた肯定の言葉。
夢子の真正面に立った敦弘は言葉では言い表せない表情だった。
──疑念。──困惑。──悲哀。──焦燥。
常に全身で喜楽を表現する敦弘からは考えられない、人間のあらゆる負の面が凝縮されたような表情。そんな表情で、真っ直ぐにその目は夢子を見つめている。対する夢子の表情は、無。常の無表情だった──否。
敦弘が多少なりとも冷静であれば、夢子の無表情の裏側、内なる想いに気づけたことだろう。常に夢子を慮り、夢子のために努力、研鑽を怠らない敦弘であれば。
だが、今の敦弘は前日から度重なる精神的ショックによって平時の余裕を失っていた。だから気づけない。
「……本当に、そうなんだ。夢ちゃん、本当に、玉木さんが好きだったんだね」
震える声を抑えながら表情はそのまま、空を見上げる敦弘。
「……全然、気づけなかったよ」
見上げていた首を下げ、夢子に向けた敦弘は、涙を流すまいと必死に目尻に涙を溜めていた。
その様相を見た夢子は敦弘へ言葉をかけようとして、止めた。
幼稚園からの幼馴染、敦弘が自分に友人以上の想い──恋心を抱いていることは当然わかっていた。日頃から敦弘に身の回りの世話をしてもらっている上に、何度もデートを重ねていた。どんなに鈍感な人間であろうと、もうお互いに想いあっていることは十分に確信が持てる状態だ。そんな状態で敦弘からの想いを、突然『貴方のことは憎からず思っていましたが、他に好意を抱く人ができたので貴方の気持ちには答えられません』と示し、断ろうとしているのだから。
二人の間に言葉はない。十数秒の間、お互いに見つめあう。
夢子に話す気がないことを悟ったのか、敦弘は自嘲的な笑みをこぼした。目尻の涙を拭い、夢子の正面にある安全柵に腰かける。一瞬、言葉を噛みしめるような仕草の後、ぽつぽつと夢子へ語りだす。
「僕、夢ちゃんのこと色々わかってたつもりだった。幼稚園から一緒でさ。何をするにも僕が夢ちゃんに引っ付いて。……高校入って、夢ちゃんは生徒会入ってさ。今までみたいに、一緒に居られないことも多くて……。でも、これまで通りのこともあって。夢ちゃんのお世話とか、放課後のデートとか。夢ちゃん、デート、っ、喜んでくれてると思ってて。来月のクリスマスプレゼント、実はもう用意してたんだ。高校生になって初めてのクリスマス、少し奮発したんだ。きっと、夢ちゃん、に、似合うだろうなって……っ!」
敦弘は、いつの間にか嗚咽混じりとなって、泣きじゃくっていた。先ほど拭った涙は更なる濁流となって大きな瞳を覆い、頬をつたって地面へ落ちた。
敦弘は溢れる涙を必死に拭い、思いの丈を夢子へぶつけた。
「僕、夢ちゃんのこと、好きだ。愛してるっ!!」
ブランコに座る夢子の前で両膝をつき、ピーチティを持っている夢子の両手を自分の両手で包み込んで敦弘は告白する。
「悪いところあったら変える! 夢ちゃんに好きになってもらえるように、もっともっと頑張るから! ……だから、お願い。玉木さんじゃなくて、僕を選んで。僕の、恋人になって……」
敦弘は夢子に希う。自分の溢れんばかりの夢子への想いが伝わるように、真摯に。
夢子は、何も答えない。友人以上。ともすれば家族よりも濃密な時間を過ごした幼馴染の一世一代の告白に、何も。
「ねえ、夢ちゃん、何か言って……」
蚊の鳴くような声。それは、心からの懇願。
敦弘の言葉に夢子は幾ばくか考える様子を見せ、しばし固まる。考えがまとまったのか、首をこてん、と傾げた。その仕草は敦弘に夢子との初対面を想起させた。
「……ごめんね、あっくん。……私……、あっくんとは、付き合えない……」
「──」
拒絶。夢子から放たれた告白の返事。幼年から十代半ばまで、人生のほとんどの時間を共にした二人の関係の終わりは、実にあっけないものだった。
返事をした夢子の表情は僅かに崩れ、哀しみの気持ちを抱いているように見えた。
「今までありがとう、あっくん……」
夢子は忘我の敦弘の手を解くと、ブランコからすっと立ち上がる。時折ふらふらとするが普段とは違い、足取り確かに歩きだす。
公園の入り口付近でちら、と後ろを振り向くと、ブランコを前に蹲る敦弘の姿が見える。その姿に思わず右手を伸ばしかけるが、左手でそれを止める。
敦弘を背に、夢子は歩く。公園を出たところでとある番号へ電話をかける。
「……うん、私。……うん、あっくんと、別れた……。うん、私は……大丈夫。だから──」
一拍おいて、夢子は言葉を紡ぐ。
「──あっくんのこと、よろしくね……」
スマホの画面をタップして、通話を切る。空を見上げると、曇天の空。黒い雲が、夢子の瞳を覆っていた。
◆ ◆ ◆
ふらふらと、あてもなく歩いていた。
公園で夢ちゃんと会話してから、もうどれだけ経ったか。日は沈み、辺りは街灯もあまりないため暗い。月も少し前から雲に覆われている。
──絶望
今、僕の心を支配するのはこの言葉一つだ。
……夢ちゃんは、僕が気づかないうちに玉木さんを好きになっていた。十年以上前から片思いしていた僕の気持ちは、あっけなく散ってしまった。そればかりか、もう今までの関係にも戻れやしないだろう。
あの時、勢いに任せて告白した時に僕は夢ちゃんの手を握った。今思い返してみると、悲しみとか、後悔のような、そんな気持ちが感じ取れたような気がしている。……好きな人がいるのに、何とも思ってないやつからかけられる好意ほど煙たいものはないと、夢ちゃんが持っている少女マンガで描写されていた気がする。きっと、そういう意味なのだろう。
結局僕は、こうなのだ。小学校の空手大会決勝の敗北も。中学時代、告白しようとして結局関係が変わることを恐れてできなかった時も。
──夢ちゃんの玉木先輩への秘めた想いも知らず、呑気に来月クリスマスデートができると思ってプレゼントに悩んだのも。
何もかも駄目で、無駄だったのだ。自分の事しか考えなかった己の勘違い野郎っぷりに、笑えてくる。
「──雨」
僕の心情でも反映したのか、この季節には珍しいゲリラ豪雨。ごうごうと響く雨音に顔を上げて思わず呟く。
「このまま、溶けてなくなればいいのに」
折りたたみ傘は一応バッグの中に常備しているが、さすような気分ではない。雨を遮ることもせず歩き続けると、視界に入るのは大量の雨粒とツワブキ高校への最寄り駅。無心で歩いているうちに、随分遠くまで来てしまったようだ。ふと視界の端に、花柄の折りたたみ傘を手にばしゃばしゃと水音を立てて走ってくる人を見つけた。
「あれー、鈴木っちじゃん!」
金髪の目立つギャル、利根が居た。折りたたみ傘程度ではこの豪雨には無力なのか、足元を筆頭に所々制服が濡れている箇所がある。
「……利根ち」
「びしょびしょじゃん! なに、傘忘れたん?」
こんな雨の中でも溌剌としている利根。
「……いや、忘れてないよ。大丈夫。気にしないで」
「ふうん……。そっか。ウチ、ここからすぐだから。ほら、行くよ」
僕の様子から何かを察したのか、ぐい、と僕の腕を掴んで走り出す利根。
「ちょっと利根ち、僕は──」
「あんたがそんなになってて、放っておけるワケなくない?」
後ろを振り向かずに走る利根。何も聞かずに気遣ってくれる優しさが、僕の冷たくなった心を温めてくれた気がした。
◆
「タオル持ってくるから、それでまず体拭きなよ。すぐお風呂沸かすから少しそこで待ってて」
そう言って利根は玄関に上がって靴下を脱いで奥の部屋へ行き、すぐにタオルを投げて渡してくれた。
「いや、タオルだけでも大丈夫──」
「風邪引いちゃうでしょ。ここはおねーさんの好意に甘えな鈴木っち」
利根に言い訳の言葉を遮られた僕は、玄関で渡されたタオルで体を拭きつつ周辺を見渡す。玄関用の消臭剤の横には利根を含めた父、母との家族写真が飾られていた。利根が持っているのは賞状だ。おそらく弓道の大会入賞の賞状だろう。……そういえば利根の家、夢ちゃんと一緒にGWに遊びに来て以来だ。
「鈴木っち、今お風呂沸かしたからね。シャンプーとかコンディショナーは私の使って。これとこれね。あと、服は全部びちゃびちゃだから、洗濯乾燥機で乾かすね。着てるやつって乾燥機大丈夫系?」
「ありがとう。多分大丈夫。……ていうか、縮んでも気にしないよ」
「……意外。それ、カッコいいから鈴木っちのオキニかと思ったのに」
てきぱきと動く利根。あれよあれよと彼女のペースだ。
着替えや使うシャンプーなどの説明を受け、服を脱いで浴室へ入る。シャワーのレバーを捻ると、シャワーヘッドからお湯が勢いよく噴出する。少し熱いくらいの水温が雨で冷えた身体に心地いい。……そういえば、彼女も多少は雨に濡れていたはずだ。僕は洗濯の準備をしている利根に声をかける。
「ねえ、利根ちはシャワー浴びなくて大丈夫?」
「私は靴濡れたくらいだし、鈴木っちの後で大丈夫。ゆっくり浸かりなよ」
浴室の磨りガラス越しにプラプラと手を振る利根。そういうことならお言葉に甘えよう。全身を洗い、湯舟に浸かる。利根愛用の入浴剤だろうか、ミルク系の甘い香りがする。
(夢ちゃんは入浴剤、桃の香りだったっけ……)
ふと脳裏に浮かんだ『夢ちゃん』に僕は苦笑した。
◆
利根の使っているシャンプーやコンディショナーなどのアメニティグッズを使用した僕からは、当然のことながら学校で香る利根の匂いがして、なんだかぞわぞわする気分になりながらも風呂から上がり、リビングへ。律儀に僕の服を畳んで脱衣所に置いておいてくれた利根に何度目かもわからない感謝を告げた後、利根は僕と入れ替わり浴室へ。
『髪乾かし終わったら部屋で待ってて』とのことで、リビングで髪を乾かした僕は利根の部屋へ。エアコンが稼働していて暖かい。可愛いものが好きな利根らしい全体的にピンク系の部屋で、ベッドの枕元には何のキャラかわからない猫耳や犬耳の人型ぬいぐるみが鎮座している。
部屋の真ん中にあるローテーブルに用意されているクッションに腰かけ、手持無沙汰気味にスマホへ目を落とす。
しばらくSNSの巡回などネットサーフィンをしていると、風呂から上がった利根が部屋へ入ってきた。
「いやあ、お待たせお待たせ」
「全然大丈夫だよ──」
風呂上がりの利根はデニムショートパンツにオーバーサイズTシャツを纏ってラフな格好だ。長身の利根は比例して脚も長く、背筋が伸びていて姿勢が良い。ショートパンツのため露出している生足が眩しい。顔は血の巡りが良くなっているのか、肌が赤らんでいる上に普段とは違う薄めの化粧をしていて学校で普段見る姿とは全く違って、艶っぽい。
「お、鈴木っち。湯上り美人に見惚れてんじゃん?」
「え、あ、いや。ごめん。じっと見ちゃって」
「いや、顔赤いよ鈴木っち! 冗談だって。マジな反応されるとなんかアレじゃん?」
僕はけらけら笑う利根を前に顔をぱたぱたと手で仰ぐ。ひとしきり笑った後、利根があ、と声を出す。
「そういえば、飲み物とか何も出してなかったね。今飲み物入れてくるよ」
「何から何までありがとう、利根ち」
「良いって。私がしたいだけだし」
ちょっと待ってて、と部屋を出る利根。ぱたん、とドアが閉まると同時にふうと息をする。なんだか、利根の雰囲気がいつもと違う。風呂上がりで見惚れただとかそういうのではない。僕に
「ほい、お待たせ。即席レモンティー」
「ありがとう。いただきます」
テーブルへ隣り合って座る僕と利根。利根は二人分のカップをそれぞれの前に出す。カップを手に取り、レモンティーを口に含むと、熱めに淹れてくれたのがわかる。美味しい。思わずほう、とため息をつく。
「ふふ、美味しいっしょ? これ、最近のオキニなんよ」
「確かに美味しいね。ほっとする味だ」
僕の感想にご満悦な様子だ。にこにこ、と笑顔で僕に笑いかける利根。そして、どちらからとなく雑談を始めた。中身もない本当に他愛ない会話だ。
「──このまま、駄弁ってもいいんだけどさ」
利根が会話を中断して真っ直ぐに僕を見つめる。
「なんかはぐらかされそうだから
本当に直球だ。そして、今の僕にはこれ以上ないくらいぴったりな聞き方だ。
「……そうだね。本当、なんであんなことになっちゃったのやらって感じだけど」
僕は居ずまいを正し、夢ちゃんに振られたことを玉木先輩たち関連のことは伏せて利根に話した。
「はあ? 夢子が鈴木っちを? 振るわけないじゃん。もっとマシな冗談にしてよ」
僕の目を真っ直ぐ見つめて利根は続けて言う。
「鈴木っちが夢子庇ってるのか、他に話せない事情があるのか知らんけど。私そんなに信用ない? 力になりたいだけだよ」
いつのまにか握りこぶしを固めた僕の左手を、利根はきゅっと右手で包んだ。利根の手のひらから伝わる温かい熱。真摯に僕に向き合ってくれる利根に
……正直、もう限界だった。誰かとこの悩みを共有したい。聞いてほしい。一人は嫌だ。そんな気持ちを濁流の如く利根へとぶちまけた。
「……そっか。そんなことがあったんだね」
僕の話を全て聞き終えた利根は、万感の思いの噛み締めるような、そんな表情で頷いた。話し終えた僕の目尻にはいつのまにか涙が溜まっていた。
「利根ちが泣くことないよ。……もう、終わっちゃったんだ」
「……終わっちゃったって何さ。鈴木っちはそれで良いの?」
利根は僕に問いかけながら、僕の目尻に溜まった涙を人差し指で拭う。
「良いんだ。……利根ちに色々吐き出して、すっきりした」
僕は利根に握られている左手を見つめる。寄り添って、僕の事を利根が真剣に思ってくれている事実は僕の心を随分と軽くしてくれた。それは、女子の中で夢ちゃんを除けば最も仲のいい利根だからなのだと思った。
「夢ちゃんが僕とずっと一緒にいてくれるって思ってたけど、それは違った。僕、幼馴染だからって夢ちゃんに勝手な都合を押し付けてたのかもしれない」
「……いや、あんだけ普段べったりしてるんだから、そう思うのは当たり前でしょ。何度もデートしてたし」
僕の呟きに反論してくれる利根。目尻が少し下がって、困惑顔になっている。僕はくすりと笑った。
「そうだね。でもそれは夢ちゃんの優しさだったんじゃないかなって、今になると思う。だから、今まで優しくしてくれた夢ちゃんに好きな人ができたんだから、僕は潔く退散しなきゃ──」
言葉尻が震え、頬が濡れた感覚。拭ってもらった涙がまた湧き出ていた。ぽろぽろと涙を流す僕を、利根はそっと抱きしめた。
「ね、鈴木っち。今結論出す必要ないよ。すごーく疲れてるもん。今鈴木っちに必要なのはゆっくり休むことだと思うな、私」
背中に回された腕。抱きしめられた身体から感じる慈しみの感覚。利根の優しさに包まれた僕は、利根の背中に腕を回した。遠慮がちに利根を抱きしめると利根の抱きしめる力が強まった。
「うっ……、ふっ、ううっ……!」
声を殺して泣く僕を、利根は黙って、抱きしめていてくれた……。