オレノオンナニテヲダスナの男 作:おでんくん
俺の父親はそこそこ有名な映画監督だけど、芸能界というのは遠い世界のように思っていた。
物心がついた10年くらい前には、父さんは何かを思いつめたまま、ずっと仕事に打ち込むようになっている。会った時も、芸能界のことについてあまり語りたがらない。
でも、子どもながらに大変そうだって分かっていた。
だから、芸能界には入らないつもりだった。
だけど、有馬と友達になって、俺の人生は一気に変わったと思う。
幼い頃から彼女があがき続けている世界を少しでも理解するため、俺も役者になっている。
***
その小学校には、芸能人の女子がいた。
言われてみれば『10秒で泣ける天才子役』としてテレビでよく見たし、『ピーマン体操』も歌って踊っていたらしいし。
何よりも、よく学校を休んでいる。
体育もあまり混ざらないし、遠足にだって行かないし、先生たちが彼女を特別扱いしていた。幸いにも表面的な『いじめ』は起きなくて、クラスメイトの誰もが彼女との距離感を掴みかねていたのだろう。
小学校高学年にもなれば、男子と女子それぞれで自然とグループのようなものを作り始めていたけど、その輪にも入らない。いつの間にか『テレビに出てたね』って話題で彼女と仲良くする子もいなくなっていた。
今思えば、彼女は『10秒で泣ける天才子役』だって、ずっと俺たちは決めつけていただけだった。
学校を休む日はどんどん減っていた。俺たちと同じく、真面目に授業を受ける姿のほうが多くなっていた。その変化に気づくことなく、自分たちの青春を過ごしていたんだ。
きっかけがあったのは、夏休み直前の日だった。
「五反田さん、ちょっといい?」
担任の先生は男女関係なく、さん付けで呼んでくる。いつも丁寧な人で、授業も楽しく分かりやすいから、俺たちはみんな『良い先生』だって思って慕っていた。
俺は友達に声をかけてから、先生のところへ向かう。
「なんですか先生」
「ちょっと頼み事があってね」
どうやら有馬が今日も休んでいて、俺に連絡袋を持っていってほしいとのことだ。クリアファイルの中身は今日配られたプリント以上の量があって、思わず面倒くさいと思ってしまう。
「なんで俺なんですか」
「ご近所さんだからってのもあるけど、五反田さんなら任せられるから」
『分かりました』って俺は自然と頷いた。
信頼というのがなかなか心地よかったらしい。
説明だけじゃなくて簡易的な地図も渡してくれて、家庭訪問にも来てくれる先生だから、地理把握は完璧だったんだろう。
早速、俺は友達にあれこれと伝えてから学校を出る。公園で遊ぶ約束もしていたけど、『ちゃんと届けなきゃ』って思いでいっぱいだった。
ランドセルを背負って、連絡袋を抱え込みながら通学路を歩く。
有馬の家はすんなりと見つかった。
俺の家の裏側だったってのもあるけど。
「これを鳴らせばいいんだろうか…」
たまに怒鳴り声が聞こえてくる家だから、だいぶビビっている。大人の男の人と、女の人の口喧嘩という感じで、まさかそれが有馬の親だったなんて。
かーちゃんたちも騒がしいけど、最終的には父さんが謝って仲直りしてる。有馬の親はどうなんだろうと思いつつ、少し背伸びをして腕を伸ばしていたとき。
「何の用かしら」
後ろから急に声をかけられる。
とても冷たい声だった。
「ぁ…… えっと……」
「かなのクラスの子?」
ゆっくりと振り向けば、暗い瞳で見下ろされている。
「はぁ~ 普通の子は挨拶もできないのかしら」
「その… 俺、会いに来て…」
俺が何とか言葉をしぼり出すと。
カツンとハイヒールで地面を叩かれた。
俺の背中に冷たい汗が流れている気がする。
「あなたみたいな子が? うちの子に?」
「これ……」
恐る恐る俺ができたのは、連絡袋を見せるくらいだ。それも引ったくるように取られる。香水の香りがきついのもあって、俺は顔をしかめた。
「うちの子をどう思っているか知らないけど、あなたとは生きている世界が違うのよ」
何が言いたいのか分からない。
ただ、なんとなくイヤな気分にはなった。
俺が芸能界の人間じゃないから、有馬と仲良くしたらダメってことなんだろうか。そんなに芸能界って特別なのかよ。
「やっぱり、もっと良い小学校に通わせるべきだったかしら。あの人が近所の小学校がいいなんて言ったせいよ」
俺だけじゃなくて、学校の先生たちにまで、文句があるのかよ。
俺は拳をぎゅっと握り込むだけだ。
言い返そうにも言葉が見つからない。
「ちょっとママ、何してるの?」
そんなとき、知っている声が聞こえた。
高級そうなカバンを持っていて、テレビで見るようなワンピースで、まるでお嬢様のようだった。駐車場のほうから来たとなると、撮影の帰りとかなのだろうか。
ここまで真正面から見たのは初めてだけど、有馬はこんなにも可愛いのか。
「かな、こんな子と友達なの?」
腕組みしているおばさんに、指で差される。
ますます腹が立ってきた。
「はぁ~ 別にただのクラスメイトってだけ」
あれこれと伝えながら背中を押すように、有馬は母親を玄関へ向かわせた。
そして、こちらへ近づいてきた有馬が顔を寄せてくる。
なぜだか心臓がドクドクと音を立てる。
「五反田志郎だったわよね。届けに来てくれたんでしょ」
耳元で名前を呼ばれて、こくりと俺は頷く。
名前を覚えてくれていたことが嬉しかった。
「ありがとう。それと、ごめんなさいね。今のママは不機嫌だから」
「どういたしまして?」
素直に感謝されてなんだか照れくさくなって、それと、有馬が謝らなくてもいいのにって思った。
「かな! 早く入りなさい!!」
あのおばさん、またすぐ怒鳴りやがって。
いくら不機嫌だからって、自分の子どもにまで強く当たるなんて。
「はーい、分かってるわよ」
有馬は慣れているのか、やれやれって仕草を見せて歩いていく。
でも、その背中はとても小さく見えた。
俺は大きく息を吸った。
「有馬、今日もおつかれさま!」
昔かーちゃんが父さんに言っていたように、俺はその言葉をかける。そういう時の父さんは安心したような表情を見せていた。
有馬は一瞬立ち止まったけど、何事もなく歩いていく。
まあ自己満足で伝えたいことを言えばいい。
「また2学期に会おうな!」
これでよし。
秋になったら、学校で有馬に話しかけてみようと思った。
なにが『生きている世界が違うのよ』だ。
有馬、いいやつじゃないか。
なんだか頬がホクホクしつつ、俺は自分の家へ戻ろうとした。
そんなとき。
「あなた! 今どこにいるのよ!!」
その怒鳴り声に振り返ってしまって。
玄関の向こうに大量のゴミ袋が見えて。
とても臭かったように思えた。
「おい有馬」
焦って俺は走って向かう。
有馬はそっと扉を閉じている。
「なんかヤバそうだって。先生にでも相談しろよ」
有馬の肩に触れながら、早口でそう伝える。
「大丈夫だから……帰りなさい」
「嘘つけ」
俺でもそれは嘘だって分かった。
こんなに震えてて、大丈夫なわけないだろ。
「俺の父さんだって芸能界の人間だし、かーちゃんも強いんだ! 何とかしてくれるって!」
何とかしたいって気持ちだけが先走ってる。まあ、父さんも『やりてぇことをやれ』って言うし、かーちゃんも『人に優しくしろ』って言うし。
「……いいから、帰って」
「ムカつくからヤダ」
その細い腕を掴んで引っ張る。
とりあえず、この家からは離れさせないと。
「あんたに関係ないでしょ」
「関係ある。有馬が泣いているのがムカつく!」
自分のしていることに、自分でも驚いている。
でもムカつくのは確かだ。
「……どう見ても……泣いてないでしょ」
有馬が幸せじゃないことがイヤだ。
あれから、大人たちの中でどういうことが起きたのかは知らない。
俺の行動が正しかったのか、そこそこ成長した今でも分からない。
分かっているのは、有馬がフリーの役者として1人暮らしを始めて、よく俺の家にご飯を食べに来ることくらいだ。