翌日、午前中最後の授業は、闇の魔術に対する防衛術だった。
ピクシー小妖精での失敗以降、ロックハートは魔法生物を教室に持ってこなくなった。
それ自体は非常に良いことだったが、代わりに自分の著書の中の劇的なシーンを演じて見せることが多くなった。
ロックハートファンのハーマイオニーを始めとする女子生徒たちは、惚れ惚れとした表情で眺めていたが、(俺を含め)男子生徒の多くは眠りこけていた。
ただ、ハリーだけはやたらとロックハートの相手役に選ばれており、雪男や吸血鬼、狼男など、色々な役を演じていたために眠ることすら許されなかった。
今日もその役割を担ったハリーは、いつもに比べて一生懸命に演技していた。
というのも、鈍い先生としてハーマイオニーを除く3人が名前を挙げたのが、このロックハートであり(この際、ハーマイオニーはいつものようにロックハートをかばっていたが、多勢に無勢であった)、彼の機嫌を取っておきたかったのだ。
授業が終わり、ロックハートはご機嫌な表情で宿題を出す。
ただ、図書閲覧のためのサインを求めるのに大勢で行くのもおかしいと思い、俺とロンは教室を出てすぐのところで待つ。
しばらくすると、ハリーとハーマイオニーがいそいそと教室から出てくる。
「どうだった?」
ロンが尋ねると、ハーマイオニーはロックハートのサインの書かれた紙を見せびらかした。
紙切れ片手に図書館へと向かう。
そして、司書のマダム・ピンスに紙切れを差し出す。
が、ハーマイオニーは手を離さない。
「あの、この紙、わたしが持っていてもいいでしょうか?」
ハーマイオニーが頼み込むが、マダム・ピンスは不服そうな表情を見せる。
「やめろよ」
ハーマイオニーが握っていた紙を、ロンがむしり取ってマダム・ピンスに渡した。
「サインだったらまた貰えばいいさ。君の持ってるロックハートの本全部にサインしてもらおう。荷物運びなら手伝うから」
不満そうな表情のハーマイオニーにそう告げる。
マダム・ピンスは紙を何度も見透かしていたが、結局本物のサインだと認めたようで、数分後には禁書の棚から大きな本を持って現れた。
ハーマイオニーがその本をかばんに入れると、俺たちはその場を離れた。
「どこか、誰にも見つからなそうな場所に行きたいな」
「それなら、とっておきの場所があるわ。ついてきて」
ハーマイオニーはそう言うと俺たちを先導する。
階段を下って2階に着くと、しばらく歩き続ける。
「ここなら誰も来ないわ」
そこは2階の外れの女子トイレだった。
「…ハーマイオニー」
彼女は名前を呼ばれるときょとんとした顔で振り返る。
いや、そんな澄んだ顔されても。
「俺たちは男だぞ?誰も来ないとはいえ、女子トイレに入るのは流石に…」
「大丈夫よ。ここは『嘆きのマートル』の場所だもの。いらっしゃい」
ハーマイオニーはそう言うと、扉を開けて中に入る。
残された3人で顔を見合わせ、互いに目線で「先に行け」と伝え合う。
しかし、互いに牽制し合って中々入ってこないので、ハーマイオニーが扉を少し開けて顔を出す。
「ほら、大丈夫だから早く入りなさい」
ピシャリと言われ、仕方なく中に入る。
中は非常に陰鬱とした空間が広がっていた。
鏡にはひびが入っており、石造りの手洗い台は縁が欠けている。
床は湿っていて、隅の方にはカビが生えている。
そして、極めつけは先ほどハーマイオニーの言っていた「嘆きのマートル」というゴーストの存在だった。
丸メガネにツインテールで細身な彼女は、トイレの水槽の上で浮かんでいた。
「ここは女子トイレよ」
マートルは不快そうな表情を浮かべる。
「その人たち、女じゃないわ」
「そうね。でも、わたし、その…ここが素敵なところだって見せたかったの」
ハーマイオニーが苦し紛れに出した言い訳を聞いて、マートルはさらに顔をゆがめる。
「素敵な場所!!ここの一体、どこが素敵だというのかしら!!私がいじめられて一人で泣いて、そして殺されたこの場所の、どこが素敵なのかしら!!」
そう大声で喚くと、今度は悲痛な表情を浮かべる。
「どうせ、みんなで私のことを馬鹿にしに来たんでしょ!」
そう言ってすすり泣くと、そのまま空中に飛び上がり、真っ逆さまに便器の中に飛び込んだ。
水しぶきがトイレの床を濡らす。
…これは生徒が近寄らないわけだ。
ため息をついて、ハーマイオニーが『最も強力な魔法薬』を開く。
本の中には、グロテスクな挿絵とそれをもたらす魔法薬の作り方が載っている。
しばらくページを進めて行くと、「ポリジュース薬」という題のついたページが現れる。
「クサカゲロウ、満月草、ヒル、ニワヤナギ…」
ハーマイオニーが材料リストをメモしている。
「そこらへんは、魔法薬学の教室からくすねればいいな」
「そうね。でも見て、フィン。二角獣の角の粉末…毒ツルヘビの皮の千切り…それと当然だけど、変身したい相手の一部「なんだって?」」
ハーマイオニーと一緒に獲得が難しい材料を見ていると、ロンが鋭く切り込んでくる。
「どういう意味?クラップの足の爪なんて入ってたら、僕は絶対飲まないよ」
心底嫌そうな顔でボヤく。
「相手の一部だから、髪の毛あたりが一番入手しやすいかな。それに、まだ足の爪だったらいい方だよ。最悪、唾液とか排泄物の可能性だってあるんだから」
ハリーとロンの顔色が見る見るうちに悪くなる。
「それって、誰が飲むの?」
「まあ、少なくともクラップとゴイルの2人分は飲んだ方が良いだろうから。最低2人だな。そもそも何人分の材料が集まるかも問題だし」
「あまりにも量が少ないと、変身時間が短くて、マルフォイの目の前で変身が解ける可能性もあるしね」と付け足すと、ハリーとロンはごくりと唾を飲み込む。
「それにしても、どうしましょう?」
ハーマイオニーは先ほどの材料について、悩んでいるようだ。
「時間が少しかかってもいいのなら、モーリーに頼んで、館から送ってもらおうか?」
ハーマイオニーの表情が見る見る明るくなる。
「本当!?いいの?」
「うん、二角獣の角と毒ツルヘビの皮でしょ?まだ残ってたはず。というか、残ってなかったらダイアゴン横丁に買いに行ってもらうよ」
「ありがとう!!これであとは、変身したい相手の一部だけね」
ロンの顔が再び曇った。
翌朝、今日はグリフィンドール対スリザリンのクィディッチの試合がある。
試合開始の11時に向け、談話室で過ごしていたが、ハリーたちクィディッチチームの緊張がありありと伺えた。
そして、ハリーたちに激励の言葉を送ってスタンドに向かう。
10時55分、試合開始の5分前、箒にまたがる両チームがフィールドに姿を見せる。
両チームのキャプテンが審判のマダム・フーチから正々堂々と試合を行うこと、などの注意を受けた後に握手を行って、11時ちょうどに試合開始の笛が鳴った。
試合開始からおよそ1時間、30対90でスリザリンがリードしている。
やはり、箒の性能の差は大きいのだろうか。
そう思っていると、違和感に気付く。
「おい、あのブラッジャー。何だかハリーばっかり狙ってないか?」
隣のロンにそう言うと、ロンは首から下げた双眼鏡を覗いた。
「本当だ!ずっとハリーのことばかり追ってるよ!こうなったら、僕があのブラッジャーを止めてやる」
そう言ってロンは折れ曲がった杖を出すが、ハーマイオニーに止められる。
「あそこまで高速で動いてるものに遠距離から魔法をかけるのは難しいわ。もし失敗したら、ハリーに当る可能性もあるし、今はハリーの無事を祈るしかないわ」
しかし、ブラッジャーの動きはさらに加速していく。
ハリーが必死に避け続けるのを、マルフォイが馬鹿にしているような様子だった。
その刹那、ハリーが急にマルフォイに向けて加速しだした。
「危ない!!」
ハーマイオニーが叫ぶが、ハリーはマルフォイに衝突しに行ったわけではなかった。
マルフォイの脇を抜けて手を伸ばす。
しかし、ブラッジャーがハリーの右腕を捉えて強打する。
バキッ!!
ハリーから離れたスタンドにも聞こえるほどの大きな音が響く。
ハリーは苦痛に悶えているが、脚だけで箒を掴んでもう片方の手を伸ばす。
そのまま金のスニッチを掴む。
「試合終了!ハリーが金のスニッチをつかまえました!180対100で、グリフィンドールの勝利です!!」
リー・ジョーダンの実況が響き渡る。
周りのグリフィンドール生とともに歓喜するが、すぐにスタンドを飛び降りてハリーの元へと向かう。
地面に仰向けになり、泥だらけのハリーをブラッジャーが未だに追い続けていたのだ。
「フィニート!」
ハリーの元に走りながら、ポケットから素早く杖を取り出す。
そして、ブラッジャーに向けて反対呪文をかけると、ブラッジャーの動きがやっと止まる。
「ハリー!大丈夫か!」
近くに駆け寄って、仰向けのハリーの上体を起こさせる。
「うん、ありがとう。フィン」
ロンやハーマイオニー、オリバーを始めとするチームのメンバーも集まってくる。
「大丈夫?右腕、痛む?」
ハリーは脂汗を流しながら頷く。
苦悶の表情だ。
「早く、マダム・ポンフリーのとこに連れて行こう」
そう言ってハリーを立たせようとするが、「その必要はないさ!」とさわやかな、だけどもどこか腹の立つ声が聞こえてくる。
ロックハートだ。ニコニコしながらやってくる。
「私が君の腕を治してやろう」
「やめて!僕に構わないで!」
ロックハートが杖を取り出すが、ハリーは必死に拒否する。
しかし、ロックハートは「君は自分が言っていることが分かっていないようだね。大丈夫、今まで治療呪文なんて何度も使ってきた!」と言って聞かない。
周囲も止めるように声をかけるが、ロックハートはそのまま何か分からない呪文をかけてしまった。
すると、ハリーの腕は白い光につつまれて、次の瞬間、ゴムの塊のようにぶらぶらと揺れる。
ロックハートは少し困りながら、俺たちにハリーを医務室に連れて行くように言った。
どうやら、ロックハートは骨を治すどころか、骨を丸々抜き取ってしまったのだ。
「どうしてすぐにここに来なかったのですか!!」
マダム・ポンフリーはおかんむりだった。
「骨折ならすぐに治せますが、骨を元通りに生やすとなると…」
マダム・ポンフリーは、何か透明な液体の入った瓶を持ってきてそう言った。
「でも、できますよね?」
ハリーがすがるように言うと、「もちろんできますとも。でも、今晩は痛いですよ」と返す。
ハリーは今夜、医務室で一夜を過ごすことになってしまったのだ。
ロンはハリーの着替えを手伝いながら、ハーマイオニーにロックハートの無能さをこれでもかと力説する。
しかし、ハーマイオニーはやはり認めたがらなかった。
恋は盲目だね。
ハリーの着替えが終った後、マダム・ポンフリーはガラスのコップに先ほどの透明な液体をなみなみと注いだ。
液体のにおいを少しだけかいでみると、腐卵臭と消毒用アルコールを足して2で割ったようで、そのにおいだけでむせこんでしまった。
その液体を口に含む度、ハリーは吹き出したり咳き込んだりしていた。
なんとかハリーが薬を飲み終えたとき、オリバーたちが泥だらけのまま、見まいにやってくる。
そして、談話室まで戻ってケーキや菓子、ジュースを持ち込んでパーティーが始まろうとしたところ、マダム・ポンフリーにバレ、ハリー以外の全員が退席させられた。
翌日、俺たちはポリジュース薬を作るため、2階の女子トイレに忍び込んでいた。
本当はハリーの見舞いに行こうかとも思ったのだが、今朝のマクゴナガルとフリットウィックの話の中でコリンが襲われて石になったという話を盗み聞きし、一刻も早く醸造に取り掛かりたかったのだ。
「ハリー、治ってるといいね」
「マダム・ポンフリーに任せているんだから安心よ」
ハーマイオニーの返答にロンは「ロックハートとは大違いだよ」と呟いた。
俺はというと、そんな話を小耳に挟みつつ、『最も強力な魔法薬』を見ながら鍋をかき混ぜていた。
入ってすぐの場所では、万が一で見られる可能性があるため、個室の一つを丸ごと使っているのだ。
鍋を便座の上に置き、便器の中にハーマイオニーお手製の防水性の持ち運び焚火を焚いているのだ。
「…さて、そろそろ煮立ってきたから、ニワヤナギを入れようか」
そう言って、ハーマイオニーからニワヤナギの束を受け取った際、トイレの入り口の扉が開かれた。
「ヤバいヤバい、早く隠れろ!」
「なんで全員でここに入るんだよ!君たちはどこか別の個室に行きなさいよ!」
「しょうがないよ、咄嗟の出来事だったんだから!」
「2人とも静かに!」
足音は俺たちが入っている個室に近づき、そのすぐ前で立ち止まった。
もうだめか。
そう思ったとき、聞きなれた声が聞こえてきた。
「3人とも、僕だよ」
個室の壁をよじ登って壁の上から見ると、確かにそこにいたのはハリーだった。
「ああ、良かった。ハリーか」
個室の鍵を開けるが、中は既にパンパンで入って来れない。
一旦、ロンにも個室から出てもらい、個室の扉は開けたままで作業を続ける。
「実は昨日の夜、コリンが―」
「もう知ってるわ。今朝、マクゴナガル先生がフリットウィック先生に話してるのを聞いちゃったの」
ハーマイオニーがハリーの言葉を遮る。
「多分、マルフォイの奴、クィディッチの試合の後、最悪な気分の腹いせにコリンを襲ってんだと思う」
ロンが目を細めながらそう言うが、実際、どうなのだろう。
「もう一つ話したいことがあるんだ。みんなが寮に戻った後、ドビーが現れたんだ」
ドビー、そういえば夏休みにハリーの前に現れて、ホグワーツに来るのを阻止しようとした屋敷しもべ妖精がいたと言っていたな。
ハリーの話によると、そホグワーツ特急に乗るための9・3/4番線に行くのを阻止したのも、ブラッジャーがハリーを襲うように仕掛けたのもドビーの仕業だったらしい。
彼はハリーがホグワーツにいると危険が及んでしまうとして、ハリーをホグワーツに来ない、ホグワーツから帰るように仕向けたのだという。
「でも、ハリーは純血だろう?となると、襲われないはずじゃ…」
「うん、僕も訊いたんだけど、教えてくれなかった…」
そして、ハリーはドビーがうっかりと『秘密の部屋』が以前にも開かれたことがある、と漏らしたと語った。
「これで決まりだ!ルシウス・マルフォイが学生だったときに秘密の部屋を開けたんだ。そして、今度は子どものドラコに開け方を教えたんだ。きっとそうだよ」
ロンは意気揚々と語る。
「…仮にそうだとして、どうして怪物が学校の中を移動しているのに、誰も気づかないんだろう?透明になる術でもあるのか、なにかに擬態できるのか、そもそも限られた人物にしか視認できないのか…」
しばらく考え込むが、結論は出てこない。
「それもこれも、ポリジュース薬が出来ればマルフォイから聞き出せるはずよ」
ハーマイオニーがヒルを鍋底に沈めながら言う。
「そうだ、昨日の夜、館のモーリーに向けて手紙を出したから、3日か4日以内に二角獣の角と毒ツルヘビの皮は届くはずだよ」
「そう、分かったわ。となると、あとは変身する相手の身体の一部があれば、材料は揃うわね」
「といっても、クサカゲロウやヒルはしばらく煮込まないといけないから、最短でもあと2週間はかかるだろうね」
「その間に、クラップとゴイルの身体の一部をとらなきゃいけないんだね」
どうやって、他の人たちに気付かれず、それでもって変身中に本物のクラップとゴイルが現れないようにしようか…?
女子トイレの中では、鍋の中の薬品がゴポゴポと煮立つ音が響いていた。