World Days(新版)   作:完結の陽炎

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第4話「榊野学園の合格発表」

 静寂が、椅子の脚から床へと沈み込んでいる。

 扉が閉まる音を背に受けて、世界は一歩、前に出た。

 

(入室、礼、着席)

 

 刹那の声は、もう外にはいない。

 けれど手順だけが、骨の中に残っている。

 

「どうぞ、おかけください」

 

「失礼します」

 

 声は、少しだけ高い。

 だが、震えはない。

 “震えない高さ”で止める。

 そう教えられている。

 

 椅子に座る。

 背筋を伸ばす。

 視線は中央。

 呼吸をひとつ。

 

――ここまでは、予定通り。

 

「では、志望理由を教えてください」

 

 来た。

 最初の定型。

 

 思考を使うな、と刹那は言った。

 言葉を“選ぶ”な。

 吐き出せ、と。

 

「はい。貴校の自由な校風と、文武両道を重んじる教育方針に深く共鳴しました。私は居合道で培った集中力を活かし、学業と部活動の両立に励み、貴校の発展に寄与したいと考えています」

 

 噛まない。

 止まらない。

 一息で、終える。

 

(よし)

 

自分で評価しない。次に備える。

それもまた指示通り。

 

「居合道をされているんですね。具体的にどのようなことを学びましたか?」

 

 予定外。

 だが想定内。

 

 枝分かれ質問。

 テンプレの“内側”で答える。

 

「はい。日々の稽古の中で、集中力と継続する力を学びました。一本の動作に意識を集中させることで、最後までやり抜く大切さを身につけました」

 

 短く。

 具体化しすぎない。

 自分の体験に寄せすぎるな。

 

――内面は見せるな。

 

 面接官が軽く頷く。

 

「なるほど。では、中学校生活で頑張ったことは何ですか?」

 

 二つ目の定型。

 迷いはない。

 

「はい。日々の学習と習い事の両立に力を入れてきました。計画的に取り組むことで、継続して努力する姿勢を大切にしてきました」

 

(感想はいらない)

 

楽しかった、悔しかった、そんな言葉が喉元まで浮かぶ。

全部、落とす。

 

刹那の声が、そこで静かに刃を当てる。

 

――それは点数にならない。

 

「将来の目標はありますか?」

 

三つ目。

 

「はい。具体的な職業は模索中ですが、この三年間で幅広い教養を身につけ、社会に貢献できる人間になりたいと考えています」

 

 完了。

 言葉を足さない。

 余白を埋めない。

 沈黙が落ちる。

 

――長く感じる。

 

 隣の時計が、わずかに動く。

 視線は動かさない。

 

(時計は見ない。ここは面接)

 

 代わりに、呼吸を一つだけ深くする。

 体の奥に、まだ少しだけ冷えが残っている。

 

(大丈夫)

 

 あの夜の、温かい液体の感覚。

 指先に戻ってきた血の熱。

 それを思い出す。

 

「最後に、何か質問はありますか?」

 

 来た。

 罠のようで、ただの確認。

 

「いえ、特にありません。本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」

 

 立つ。

 礼をする。

 角度、時間、すべて規定通り。

 

「ありがとうございました」

 

 扉に手をかける。

 一瞬だけ、息を吐く。

 外に出た瞬間、世界はほんのわずかに肩の力を抜いた。

 

(……終わった)

 

 うまくやれたかは、考えない。

 評価は向こうがする。

 

 ただ一つだけ、確かなことがある。

 

 自分の好奇心も、余計な言葉も、全部あの部屋には置いてきた。

 空っぽのまま通過する。

 それが――

 今日の、自分の戦い方だった。

 帰宅してからしばらくして。

 

「世界、どうだった?」

 

 やって来たのが刹那である。

 誰よりもいち早く世界を気にかけていた。

 

「作戦、成功。刹那の言うようにした」

 

「うん、それでいい……怖くなかった?」

 

「怖かったよ。でも、空白の横を通り過ぎるたびに、刹那の顔が浮かんだから。……あれは逃げじゃなくて、戦う場所を選んでるんだって。そう思ったら、気持ちを置くのが『強さ』に思えてきたんだ」

 

 世界の言葉に、刹那の唇がわずかに、本当にわずかに綻んだ。

 

「世界は、ちゃんと戦った。よくがんばった」

 

 刹那が世界の撫でて褒める。

 終わったことで膝枕をしてもらった。

 もう演技をしなくていい。

 ロボットになるのは終わったのだ。

 

「人が人でなくなるロボット。カチカチで冷たくて。中身は全部刹那が用意した偽物……刹那」

 

「なに?】

 

「面接より、筆記試験のフルタイムのほうがしんどかった」

 

 小論文でガス欠、エネルギー空っぽ。

 まさにギリギリだった。

 言葉が手配したタクシーで帰宅。

 刹那に付き添ってもらって世話を焼いてもらった。

 そのときに比べたら面接だけはまだマシな消費である。

 

「刹那はすごいよ。私が途中で倒れないようにしてくれてありがとう」

 

「私だけじゃない。ことぴーのサポートも有効。世界は一人じゃない」

 

 こうして世界たちが試験を終えたのが2月下旬。

 期待と不安が入り混じった待ちの時間を過ごした。

 

 そして3月の合格発表。

 ネットでも確認はできるが、あまりに味気なく、風情もない。

 

「みんなで見に行こう」

 

 誰からともなく始まった提案で、彼女たちは榊野学園の正門を潜った。

 

 春の陽光を浴びた巨大な掲示板の前。

 歓喜と絶望が残酷なまでに交錯する、感情の渦だった。

 

 人混みを掻き分け、友人たちが次々と声を上げる。

 桂言葉、清浦刹那の番号は、当然のように刻まれていた。

 むしろ無かったら、異変として世界を中心に騒ぎになったことだろう。

 

「ま、ことちゃんと刹那は当然だと私ぜったい思ってた! おめでとう二人とも!!」

「あ、ありがとうございます世界ちゃん」

「……うん」

 

 次に黒田光。

 いささか足切りラインを危ぶまれていた甘露寺七海の番号も並んだ。

 安堵の溜息と、弾けるような笑顔がある。

 

「さすがB判定の光。七海もがんばったね。おめでとう」

「嫌味言わないでよ世界」

「あたしだけの力じゃないけどね」

 

 少し離れた場所で、中学で知り合った加藤乙女がいる。

 そこでは伊藤誠と共に合格を喜び合っていた。

 だが、その伊藤誠の友人である澤永泰介は――。

 

「……ない。マジで、ない。……いや、補欠とか……あるよな? なあ?」

「泰介、落ち着けって。見落としじゃないか?」

「見落としも何も、この辺りの番号、ごっそり抜けてるんだよぉ! 誠、お前よく受かったな!? でもなんで俺だけ!?」

 

 親友に縋り付き、なりふり構わず泣き喚く泰介。

 その無様な姿に、周囲の視線が集まる。

 

――そして、西園寺世界は。

 

 自分の受験番号を、何度も、何度も、頭の中で反芻する。

 指先が、凍えたように震えてきた。

 隣で刹那が、何も言わずに世界のコートの裾をぎゅっと握りしめる。

 彼女の体温が、厚い生地を通して伝わってきた。

 

「……世界」

 

 短く、名前を呼ばれた。

 導かれるように視線を上げた、その先。

 ……あった。

 他の番号よりも少しだけ、誇らしげに浮き上がって見える、その四桁。

 

「……あった」

「うん。あったね、世界」

 

 刹那の声も、わずかに震えていた。

 二人で立てた『7割作戦』。

 空白を作る勇気。

 自分をハックして勝ち取った、泥臭く、けれど精密な勝利。

 世界の中で、張り詰めていた何かが弾けた。

 

「やった……やったよ、刹那!」

 

 世界は刹那の肩に飛びついた。

 刹那もまた、小柄な体でしっかりと世界を受け止める。

 

「世界、刹那! ちゃんと受かってたよね!?」

 

 少し離れたところで、光が自分事のように笑顔だ。

 おっとりと微笑む言葉と、照れくさそうに頭を掻く七海。

 彼女たちの視線が、一箇所に集まった。

 そして……その視線の先には、まだ泣き止まない泰介がいる。

 

「しかしあのバカ、マジで落ちたの? 補欠合格とか本当にないわけ?」

 

 光が、泰介の醜態を露骨に嫌そうな顔で見つめている。

 だが、その毒舌とは裏腹に、瞳の奥には冷たい怒りよりも、行き場のない寂しさが澱んでいた。

 中学の三年間――ずっと近くにいるのが当たり前だった存在。

 それが、自分たちの輪から、点数の差で脱落しようとしている。

 

「補欠は当日には出ない。……誰かが辞退し、定員が空いたら、後で電話が来るだけ」

 

 刹那が淡々と、宣告するように事実を告げる。

 それを聞いた光は、チッと短く舌打ちをして、泰介から視線を逸らした。

 

――だが、運命はまだ、彼を見捨てていなかった。

 

 数日後、入学手続きの辞退者が出たことで、泰介の元に「繰り上げ合格」の連絡が入る。

 その報せを聞いた泰介が、今度は嬉し涙で顔をぐちゃぐちゃにして大泣きすることになる。

 でもそれは、また別の日の話である。

 

「……あいつ、受かったとしても絶対苦労するわよね」

 

 光は、掲示板の前で誠に慰められている泰介の背中を冷めた目で見つめ、小さく溜息をつく。

 ギリギリの補欠で滑り込んだとしても、

 入学した瞬間から学力最下位のレッレッテルを背負う。

 世界の『7割作戦』のような精密な設計図も持たない泰介。

 榊野の速い授業スピードについていけるはずもない。

 

 光の脳裏には、放課後の教室で半べそをかきながら「ノートを写させてくれ」と頼んでくる泰介の姿。

 それが、容易に想像できてしまう。

 

 呆れている。

 心底、馬鹿だと思う。

 けれど。

 そうやって世話を焼く未来を、拒絶しきれない光自身がそこにいた。

 

「ま、いいわ。あいつが泣きついてきたら、ランチの奢りで手を打ってあげる」

 

 光は強がりのようにそう言って、静かに背を向けた。

 その横顔は、泰介が消えていかないことへの、安堵に満ちていた。

 不揃いながらも、ようやく揃った6人のスタートラインである。

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