World Days(新版) 作:完結の陽炎
刹那と言葉は、どちらも「すごい」の極致に君臨する存在。
だからこそ、どちらがより「すごい」のかを白黒つけてみたい。
学校という場所が成績や順位で人間を測るように。
数字が高い者が上、低い者が下、というシンプルな物差し。
世界は自分の友人たちに当てはめてみたくなった。
あまりにも二人が凄すぎるから。
このままだと自分だけが取り残されてしまう。
得体の知れない不安。
どちらかが「下」になる瞬間を見たい。
そうすることで、彼女たちが自分と同じ人の子だと、安心したかったのだろう。
だからこそ、子供の知的好奇心を盾に、『比べっこ』を提案していた。
「寸止めで、どっちが先に当たるか勝負!」
舞台を選んだのは学校の敷地裏。
うっそうとした雑木林に隣接する旧校舎の跡地。
かつては木造の校舎が建っていた。
今はひび割れたアスファルトと、点在するコンクリートの基礎だけ。
どこからどう見ても静寂の場所だ。
増築工事の計画が凍結されて以来、重機が立ち入ることもない。
放課後のチャイムが鳴り響けば、訪れるのは野良猫ぐらい。
あとは世界の好奇心に連れられた三人だけである。
周囲を高いフェンスと木々に囲まれている。
校舎の影が長く伸びるこの場所は、大人たちの視線から切り離されている。
アスファルトに刻まれた亀裂は、暗黙のうちにリングの境界線でもあった。
刹那と言葉を素手で対峙させる。
互いに乗り気ではなかった。
だが、世界のお願いを前に、一回だけという条件で渋々応じる。
そして、いざ向き合えば二人とも真面目だ。
手加減という手ぬるい選択肢はない。
審判を気取る世界の前で、二人が呼吸を整える。
言葉は、道場で叩き込まれた定石の居合構え。
たとえ得物はなくても、その指先は鋭い抜き身の刀そのもの。
対する刹那は、足の爪先で地面を叩くようにトントンと軽くリズムを刻む。
筋肉の伸縮を最適化し、いつでも爆発する機動へ移行できる準備運動。
それは、テニスのスプリットステップを彷彿させた。
(あれ? なんか、ことちゃんがやりにくそう……?)
日頃から道場で言葉の姿を見てきた世界。
彼女の困惑が手に取るように分かる。
言葉の瞳が、刹那の足を過剰に警戒していた。
(うーん、刹那の構えって、居合とは全然違うもんね)
型の美なんてまったくない。
獲物を仕留めるためだけに特化した、剥き出しの生存本能。
刹那が自分なりに工夫し、独学で練り上げた最適解なスタイル。
それが、言葉の知る武術の論理を根底から揺さぶっていた。
「……はじめ!」
世界がノリノリで号令を出す。
刹那と言葉、二人の踏み込みは凄まじかった。
言葉が最短距離で、貫手にも似た鋭い手刀を放つ。
空気が爆ぜるような速度、まさに必殺の一撃。
だが――。
「っ!!」
言葉の視界から、刹那の姿が唐突に掻き消えた。
左右に逃げたのではない。
言葉が最高速で踏み込んだ『直線上』。
そこから、刹那はわずか数センチだけ体をずらし、柳のように身を翻した。
言葉が放った突進のエネルギー。
そのまま刹那を『視界の外』へと押し流していく。
さらに刹那は、言葉の予測していた一定のリズムをあえて断絶させた。
拍子を消し、無音の脱力とともに、言葉の視界の下限へ。
――すなわち『死角』へと極限まで重心を沈め、潜り込む。
正面から来るはずの標的。
それが、至近距離で真下に消える一瞬の出来事。
明らかに脳が処理しきれない。
その情報の欠落に、言葉の瞳が驚愕で泳いだ。
言葉の横腹、完全に視覚から消えた位置に滑り込んだ刹那。
流れるような動作で放たれたのは、言葉の機動を根こそぎ奪う低空の足払いだった。
衝撃が走る直前、刹那の脚がピタリと止まる。
もし止まっていなければ、言葉の華奢な足首は、その自重と加速の負荷も相まって容易に刈り取られていただろう。
「……私の負け、です」
言葉が静かに、しかし潔く認めた。
洗練された『型』の速度を、刹那の『野生』の読みが上回った瞬間だった。
「うんうん。あ、もし、ことちゃんに武器を持たせたら……?」
ここで世界は止まらない。
一度だけと言ったはずと抗議する刹那。
でも、「条件を変えたんだから、これは一回目!」といつもの屁理屈をぶつける。
好奇心旺盛な世界は一旦その家に戻り、刹那お手製の新聞の武器を取りに行く。
記念として大切にしまっているからだ。
そして――。
「おまたせ! はい、ことちゃんどうぞ!!」
今度は、新聞紙で作った刀と鞘を言葉に預ける。
そして再び素手の刹那と対峙させた。
(あ、今度は刹那のほうがやりにくそう)
世界の目に映る光景は、先ほどとは逆になった。
武器があるということは、攻撃の届く範囲が劇的に変わる。
いわゆる剣道三段説。
一に足、二に腰、三に腕。
そのすべてが刀という一点に集約される。
自分の肉体が小さすぎる物理的な絶望がそこにあった。
間合いの外へ遠ざかろうとすればするほど、言葉の放つプレッシャーが増す。
言葉の外周を円を描くように動く刹那。
小柄な彼女にとって、脚は最大のリーチを誇る唯一の武器。
だが、言葉が新聞紙の刀を居合で構えるけん制に苦戦する。
最強の脚すらも、届かない場所に置かれてしまっている。
このままでは無理だと判断したのだろう。
刹那は真正面からの突破を捨て、即座に戦術を切り替える。
彼女が目をつけたのは、旧校舎跡地の地の利。
――アスファルトのひび割れから不自然に突き出したコンクリートの土台。
刹那が動く。
言葉の正面から逸れるように斜めに跳び、コンクリートの段差を蹴り上げた。
跳躍。小柄な体躯をバネにし、言葉の頭上を奪う立体的な奇襲。
平面の居合という静止した理に対し、逃げ場を捨ててでも勝機を掴みに行く野生の攪乱。
「っ……!」
言葉の瞳が揺れる。
だが、言葉は動かない。
ただ、新聞紙の刀を構え、その身を最小限の動作で旋回。
言葉の剣先は、空中を舞う刹那の喉元を正確に捉え続けた。
空中。支えを失った刹那には、もはや回避の術はない。
刹那の蹴りが言葉の肩に触れるより数センチ早く、言葉の剣先が刹那の胸元を鋭く突く、無機質な寸止めとなった。
「……負け。ことぴー、つよい」
着地した刹那が、悔しさを通り越して、どこか清々しそうに首を振った。
潔く敗北を認める刹那に対して言葉は……。
「せっちゃん、手に持っているものを投げたら勝てたのでは?」
言葉は、刹那が跳躍する瞬間に見せた僅かな予備動作。
そこに気づいていた。
すると刹那は、握りしめていた掌を広げながらアッサリと答える。
「寸止めルールだからダメ」
もし飛び道具を使えば、それを囮にして視線を逸らし、その隙を突いて死角から足技を叩き込む仕掛けは可能だった。
だが、それをやってしまえば投げた時点で寸止めという制御が利かなくなり、反則負けとなる。
刹那にとって、この比べっこはルールの中で勝つことに意味があったのだ。
ちなみに刹那が隠し持っていたものは……。
「刹那、なんで鍵のキーホルダー持ってるの?」
世界がその掌を覗き込んで、素っ頓狂な声を上げた。
金属の鍵が数本束ねられた、何の変哲もないキーホルダーである。
「護身術の本に書いてあった。鍵は武器になる。でも私の手は届かないから、投げるほうが合ってる」
たとえ遊びであっても、刹那は常に最悪を想定し、手近にあるものを武装に変える冷徹な合理性があった。
小柄な自分が、体格差やリーチ差を覆して生き残る護身の知恵である。
その幼い指先に握られた金属の冷たさ。
それこそが、彼女が独力で積み上げてきた研鑽の鋭さを物語っている。
だからこそ、言葉には敵わないと思えたのだ。
今回、勝てたのはルールがあったから。
もし、ルール無用の本気勝負だったら……。
「なんでもありルールなら、せっちゃんが一番強いですね」
「……やってみないとわからない」
言葉の吐露に対し、刹那は感情を排してアッサリと答える。
慢心もしなければ、不確定な未来を安易に肯定することもしない。
勝負には常にアクシデントがつきもの。
時の運が左右することも、彼女は本能で知っていた。
そもそも、刹那の戦い方は強さを誇示しない。
ただ世界を守るという目的を達成するための手段だ。
世界がどうしても、と我儘を言ったから付き合ったに過ぎない。
刹那にとって、勝利の味よりも大切なことは一つ。
世界の隣で守り続けること。
その歪なまでの忠義が、彼女の武を、より一層予測不能で無機質なものに磨き上げていた。
「なるほどなるほど……」
世界はそんな重苦しい空気などどこ吹く風。
さらさらとメモ帳にペンを走らせる。
武器なしなら刹那、武器ありなら言葉。
そして刹那は何でも使う。
世界はそこで、一つの残酷な思い込みを抱いた。
武器を持っていない言葉になら、自分でも勝てるのではないか?
「ことちゃん、今度は私とやってみてよ!」
刹那は最強だと分かった。
でも、素手の言葉なら隙があるはず。
しかし、いざ言葉と正面から向き合った瞬間。
世界の笑顔が凍りついた。
(……ことちゃんの構え、怖いよ)
道場で共に学んでいるからこそ、肌で理解してしまう。
武器を捨て、新聞紙の刀を置いてもなお、言葉の立ち居振る舞いには逃げ場を塞ぐような極北の威圧感が宿っていた。
それでも世界が意を決して踏み込み、手刀を当てようとしたが。
「な、なんでぇ……!?」
すでに世界の首筋には、言葉の細い指先が、剃刀のような鋭さで添えられていた。
「世界、ことぴーは弱くないよ」
刹那が静かに、そしてどこか誇らしげに告げる。
対峙したからこそ、刹那は理解していた。
言葉の持つ瞬発力と、一点に集中するパワー。
それは武器の有無にかかわらず、一瞬で勝負を決する。
世界は、比べる相手を間違えていた。
それでも世界はめげない。
パワーで勝てないなら、持久力ならどうか。
鬼ごっこのような競争では、小回りのきく刹那が圧倒した。
世界も長距離走であれば、ペース配分を知らない言葉に勝つことができた。
しかし、短距離では言葉の爆発的な加速に逃げ切られてしまう。
大いに学びはあった。
何もかもが劣っているわけではない。
種目を選べば、世界でも言葉に勝てる余地はあった。
しかし……。
「マラソンならことちゃんに勝てるけど……刹那に勝てるところが一つもない」
不愛想な態度は勝負に関係なく、どんな種目でも彼女は涼しい顔で高い水準を叩き出す。
ここで世界は「武器ありの私なら……」と食い下がった。
刹那が、やめておいたほうがいいみたいな忠告をしても余計にやりたがる。
ダメと言っても聞かないし、引かないのが我儘っ子な世界らしさ。
しょうがないなと溜息をつきながらもお望み通りに対峙する。
新聞紙の刀と鞘で武器を持った世界は居合の構えをとった。
すると刹那は独特な間合いと、幻惑的なフットワークを見せつける。
あまりに変な動きをするせいで、習った居合では思うほうに捉えきれない。
目で追いかけ、視界に入れておかないと、刹那を狙えないから翻弄される。
やがて世界は勝負を避けるようにして降参をした。
「ああもう、ダメ! 刹那ってちょこまかしてるし、何考えてるか読めないんだもん!!」
運動の比べっこはこれで終わり。
では学校のお勉強での比べっこについて。
これは世界はボロ負けするのが目に見えている。
だから習い事の言葉と独学の刹那で教養科目をテストしてもらう。
ほぼ互角の成績となる事実に世界が大いにビックリ反応だ。
「てっきり、ことちゃんのほうが上かと思ったのに」
世界に必要とされたいがゆえの刹那の独学力は生存本能を底上げている。
もし言葉のほうが優れていたら、勉強を教えるのは刹那ではなく言葉になってしまう。
それは刹那としては捨てられる恐怖を思えば、何が何でも阻止せねばならなかった。
世界を守るため、その世界の勉強を教えるのは自分だという譲れない一途さ。
それゆえに、言葉から見ても刹那には敵わないと思い、畏怖と尊敬が芽生えるのは自然な成り行きだったかもしれない。
こうして比べっこを完了して世界はハッキリとわかった。
二人を出し抜けるのは、おしゃべりだけだ。
相手を煙に巻く対話術。
だが、それは競技にはならないから自慢にもならない。
後日、世界は刹那のマンションを訪ねた。
刹那の母・舞が休日で、刹那は買い物に出かけていた。
世界は舞に、最近の「比べっこ」の結果を熱心に語る。
自分がいかに二人に敵わないかを、まるで自慢話のように。
「あら世界ちゃん。負けるって、そんなに悔しいこと?」
舞は、ラディッシュの幹部候補らしい鋭くも慈愛に満ちた瞳で世界を見つめた。
「悔しいよ。……でも、刹那が嬉しそうに『えっへん』ってしてるのを見るのは、なんだか楽しいんだ」
刹那にとって、自分の力は世界を守るためにある。
その世界から認められることが、彼女にとっての至上の報酬。
舞は、世界の資質を確かめるように問いを重ねる。
クラスでの様子を聞くと、世界は――。
「刹那は私以外とはあんまり話さないから、グループ実習の時は私が間に入って通訳してるんだよ」
そう屈託なく笑った。
舞は確信したように言い添える。
「世界ちゃん、それはね、『外交』という立派な力なのよ」
世界のそれは、母・踊子のような自己利益のための愛嬌ではない。
相手の利益がある、
刹那には生き甲斐を、言葉には外の世界への窓口を。
世界がいなければ、この二人は孤独な防衛本能の中に埋もれていただろう。
そこへ、買い物帰りの刹那が戻ってきた。
「刹那、お土産は?」
「ない」
「買い物といえばおやつでしょ! お駄賃でおやつが買えるのに!」
「世界、すぐそうやって無駄遣いする。……私は、貯金してる」
「えー、それじゃ使ってないじゃん。使ってこそお金でしょ!」
刹那は計画性を説き、世界は今という瞬間の鮮度を主張する。
一見、平行線の二人。
しかし世界は、刹那の溜めてから使うという価値観を完全否定をしない。
どこかで素直に受け止めてしまっている。
それは自分の母親を通じ、苦労しているのを見て知っているから。
刹那の言葉を一つの正解として、取り込めるだけの柔軟性がある。
舞は、二人の背中を見守りながら思う。
世界には自分を縛る固定観念がない。
相手に合わせ、相手を動かし、相手を輝かせる。
好奇心旺盛で取り込もうとする彼女の精神。
強固な個を持つ刹那と言葉という二つの才能を繋ぐ。
その稼働させるプラットフォームみたいだ。
(スペックで勝る刹那と言葉ちゃんが、底抜けに明るい世界ちゃんを必要としているのね)
舞は、この無自覚な支配者が、将来どのような場所へ二人を導くのか。
少しの危惧と大きな興味。
それを抱きながら、賑やかな二人のやり取りに耳を傾ける舞であった。